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第四十二話 シエステラとフィーラ

 シエステラとフィーラが出会ったのは、フィーラがまだ六歳の頃。

 その時のシエステラはまだ産まれたばかりの赤ん坊で、フィーラは神官見習いだった。


 フィーラの家系は代々聖女に遣える一族で、フィーラもまた、今代の聖女であるシエステラに遣えることが定められていた。


 しかし、フィーラは子供ながらに疑問に思っていた。まだ産まれたばかりであるにも拘わらず、シエステラがすぐに教会に保護されたことに。


 自分の子供に聖女の刻印が発現した場合、その両親は教会に報告する義務がある。


 その際、その両親には莫大な褒賞金と貴族の位を与えられる。それは、貧しい平民を一瞬で富裕な貴族へと押し上げる破格の対価だった。


 逆に、もし報告を怠れば、それは神に対する冒涜と見なされ、重罪となり、最悪の場合、犯罪者として捕らえられ、厳罰に処される。


 そのため聖女が産まれ、すぐに教会に引き取られるというのは、あり得ない話ではなかった。


 だが、大抵の場合、親というものは産まれたばかりの我が子をすぐには引き渡せないものだ。

 半ば慈悲のない強引さで、教会が引き取るケースが多かった。


 フィーラもそのような心痛む話は聞かされていたし、だからこそ、親の情を断ち切るための莫大な褒賞金が必要なのだと教えられていた。


 それなのに、今回の聖女の両親は違った。

 我が子が産まれ、その身に聖女の刻印が発現したその瞬間に、まるで待ち構えていたかのように教会に名乗りを上げたらしい。


 聖女の刻印が発現するタイミングは人によって様々だが、産まれた瞬間に聖女の刻印が発現するのは稀だ。それだけ当時から、今代のシエステラは、今までの聖女よりも圧倒的な聖女の力を有していたのだと思われる。


 教会としては歓喜に満ちた出来事だが、まだ自分の名前さえ与えられていない、温かい両親の腕を全く知らない産まれたての赤子が引き取られる様子を見て、フィーラは言い知れない嫌悪感と、不気味さを抱いていた。


 それでも、聖女の世話をするのは神官の仕事。フィーラは疑念を抱きながらも、シエステラの世話を手伝っていた。


 預けられてからしばらくの間は、シエステラは大切に育てられた。命を落とすことのないよう、大切に。


 しかし、言葉を話せるようになった頃から、シエステラへの教育は苛烈に変わった。


 できないことは許されない。

 やらないことは許されない。

 赤子だからと容赦はしない。


 聖女の身体は、人の身に余る強大な女神の力を有し、絶えず身を引き裂かれそうな痛みを抱き、耐え難い不快感に常に吐き気を催す。


 そんな苦痛に、幼いシエステラが耐えられるはずもなかった。


 シエステラはいつも泣いていた。

 苦しみに耐えきれずに。


 しかし、どれだけ泣いても、甲高く叫んでも、シエステラは聖典を暗誦させられた。完璧な作法を教えられ、感情を殺した完璧な振る舞いを教えられ、聖女として、人間的な思考までもが厳しく制限された。


 弱音を吐くことは罪。

 誰もが望む、清廉で、慈愛に満ちた、非の打ちどころのない完璧な聖女の姿。


 そこには、元々いたはずのあどけない一人の女の子の人格など、存在していなかった。


 フィーラが十二歳になった頃の事。シエステラはまだ幼く、世間一般では遊び盛りの頃だっただろう。


 しかし、シエステラは違った。


 遊ぶ暇など一時もなく、自由な時間もない。常に聖女であるための勉強しかしていなかった。


 その時のシエステラの瞳は、まるで磨き上げられた硝子のように冷たく、美しかった。そして、その美しさには、感情の通わない、人工的に作られた不気味さがあった。


 激しい身体の痛みを感じているはずなのに、常に完璧な笑顔を振り撒き、耐え難い吐き気を催しながらも、優雅で穏やかな笑みを浮かべる。


 苦しみなんて、微塵も感じさせない。まさに偶像として完成された、完璧な聖女の姿がそこにあった。


 周りの大人たちが、シエステラの聖女として完成されていく、ある種の神々しい姿を心から喜ばしく思いながら讃える一方で、フィーラだけは、徐々に消えていく、等身大の少女の面影に、形容しがたい深い恐怖を覚えていた。


 このままでは、シエステラが、この世に産まれた、あの赤子が消えてしまうのではないか、と。


 フィーラは、シエステラを、聖女としてではなく、ただ一人の人間として、見ていた。


 聖女シエステラではなく。

 そこにいる一人の人間として。



 ◇◇◇◇◇◇



「フィーラ? フィーラ?」


 微かな呼び声に、意識が深い記憶の淵から引き戻された。


「っ! シ、シエステラ様?」


 気が付くと、あの頃のように完璧な美しさを持ち、人らしさのある、心配そうな顔を浮かべたシエステラがフィーラを見上げていた。


 側にはニコラもおり、コットンまでもが、フィーラを見つめている。


 どうやら、フィーラはコットンを見ながら、しばらくボーッとしていたらしい。


 普段ではあり得ないほどの気の緩んだ態度に、シエステラは不安そうな表情を隠さない。その表情は、完璧な聖女の顔ではなく、家族を案じる、幼い少女のそれに近かった。


「どうしたのですか? 具合が悪いのですか?」

「あ、いえ、何でもありません」


 フィーラは瞬時に、長年の習慣で身についた完璧な笑みを浮かべた。その笑顔は、心の動揺を隠すための最も効果的な仮面だ。


「コットンさんに似合う服装はなにかと真剣に悩んでいたのです」


 フィーラの口から出るのは、淀みなく流れる、精巧に取り繕った言葉。


 明らかに不自然な嘘に、シエステラたちは一瞬、互いに顔を見合わせる。

 しかし、フィーラは彼らが口を挟む隙を与えず、殊更明るい、朗々とした声で、ハンガーにかかった一着の服を掴んだ。


「コットンさんには、これが合うのでは?」


 フィーラが選んだのは、派手さを抑えた、目立たない暗めの生地でできた服だった。


 しかし、襟元や袖口には繊細なデザインが施されており、シエステラたちの側にいても、決して見劣りしない、控えめな上質さを保っている。


 コットンはその服をしばらく、無感情な眼差しで眺めていた後、それを受け取り、試着室へと入っていく。


 その後、試着室から出てきたコットンは、新しい服の感触を確かめるように、そっと自分の胸元に手を当てた。


「……様になってますね。コットンさん」


 フィーラはそう言って、コットンの肩についていた糸屑を、払うというよりは撫でるような仕草で取った。


 その時の彼女の瞳は、厳しい教育係のそれではなく、何処か遠い記憶の底にある迷える子供を導く姉のような慈愛に満ちていた。


「えぇ、似合っていますね」

「あぁ、悪くないな」


 シエステラとニコラの評価も上々で、コットンも心なしか満足げな雰囲気を醸し出している。


「それでは、これで決まりですね」


 そうして、フィーラはその服を会計し、何事もなかったかのように進んでいくのだった。

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