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第三十九話 激怒する神官長

「それで、その人攫いグループにいた少年を保護したと?」


 冷え冷えとした声でフィーラが問う。

 その鋭い視線がシエステラを射貫いた。


「ふぁい」


 シエステラは伸び切った頬のせいで、間延びした、どこか気の抜けた返事を漏らした。


「私は、軽率な行動は、慎んでくださいと、お伝えしましたよね?」


 フィーラの声には、怒りと、それを遥かに上回る深い懸念が滲んでいた。


「ふぁい」


 ギリギリとシエステラの頬を限界まで引っ張り上げるフィーラの指に、さらに力がこもる。


 シエステラは抵抗するでもなく、伸びた頬のまま上目遣いでフィーラを見つめ返した。


 頬を引っ張られる物理的な痛みはそこまで苦に感じていないようだったが、その口元は横に引き延ばされ、言葉を紡ぎ出すには困難な状態にあることは明らかだった。


(確かシエステラって、常に身体に激痛が走ってるから、痛みに耐性があるんだっけ? しかし、こんなところでそれを感じるとは)


 深刻な事実と目の前の滑稽な光景に、ニコラは何とも言えない複雑な感情を抱いていた。



 トリトーラの町にやって来たシエステラたちは町長に挨拶を済ませ、一夜を宿で過ごした。


 なんとかニコラの不運が発動することもなく、静かに過ごすことができたシエステラは、これでフィーラの溜飲も下がるだろうと思っていた。


 のだが、


「なんで、自分の命を狙っている少年を近くに置いているんですかぁぁぁ!」


 フィーラの憤怒の叫びが狭い部屋に響き渡る。怒りのあまり、彼女の端正な顔が歪んだ。


「ちぎれまひゅ、ちぎれまひゅよ、ふぃーら」


 シエステラの抗議の声も、相変わらず頬を引っ張られているせいで、ほとんど意味をなしていなかった。



 フィーラが問題にしているのは、シエステラが保護したという少年、コットンのことだ。


 コットンは部屋の隅、窓際の薄暗い場所に身体を丸めて座っている。


 その瞳は常にシエステラを捉えているが、そこに明確な殺意や敵意は感じられなかった。

 しかし、彼の腰にはナイフがいつでも抜けるように備え付けられている。


 一応、シエステラとコットンの間には、常にニコラがいるものの、この狭い部屋の距離を考えれば、危険な状況であることに変わりはなかった。


「ニコラ様の不運は、ついにシエステラ様の判断力まで狂わせたのですか!」

「うえっ! 流石にそれは……、あ、なんでもありません」


 あられもない疑いをかけられたニコラは、なんとか言い訳をしようとするが、フィーラの鬼のような顔に何も言い返せなかった。



「違いまひゅ。これは、違うのでひゅ」


 シエステラは必死に首を振り、否定の意を示す。


「な、に、がっ! 違うというのですか!」


 フィーラはさらに強く頬を引っ張り、シエステラはついに悲鳴のような声を上げながら、体勢を捩らせて、なんとか拘束から抜け出した。


 開放された赤く熱を持った頬を両手で擦りながら、シエステラは弁明を始めた。


「コットンさんは、あの組織に利用されていただけなのです。だから私は、彼を助けようとしたのです」

「利用されていた? 何を根拠に」


 フィーラはコットンを睨み付ける。


 あまりに高圧的な視線に、コットンは無表情のままビクッと肩を震わせた。


 彼の表情からは一切の感情が読み取れない。

 まるで生命力のない、本当の無だ。


 自分の意思を感じさせないという意味では、確かに「利用されていた」と言えなくもない。


 しかし、それだけでは、彼が自分の意思で行動していなかったという決定的な証明にはならなかった。


「彼の心の奥には、きちんと感情があります。今はそれを閉じ込められているのです。それは、人を操る卑劣な魔法の特徴ですから」


 シエステラは静かに、しかし、確信をもって告げた。


 魔法の中には、対象の相手の精神を操る、禁忌とされる魔法が存在する。


 使用は厳しく禁止されているが、裏社会においては、今でも使用されていると言われていた。


 そのことについてはフィーラも知っている。


「この少年に、その魔法が使われていると?」

「はい、その通りです」


 フィーラは、改めて注意深くコットンを観察した。


 シエステラが言うように、コットンからは何の感情も感じられない。まるで精巧に作られた人形のようだ。


 感情を閉じ込められていると言われても、容易に納得できるほどの空虚さだった。


 そして、シエステラであれば、それが演技なのか、本当に魔法によるものなのかを見極めることも容易であろう。


 それを考えれば、コットンが魔法によって操られ、利用されている可能性は高いと考えられた。


「その魔法を解除することは?」

「魔法と精神が強く結び付いていた場合、無理矢理解除すれば、精神が本当に壊れてしまう可能性があります。彼のためにも、やめておいた方がいいでしょう」


 それから、重い沈黙が部屋に流れた。


 しばらくの間、深く思案していたフィーラは、やがて静かに口を開いた。


「昨日の人攫いの組織は、最近、活動し始めた若い組織らしく、にも拘らず、あれだけの規模であることを考えると、裏には大きな組織の関与があると考えられます」


 フィーラの突然の情報報告に、シエステラは頭を巡らせる。そして、フィーラが言いたい重大な懸念を理解した。


「それが、ルシフル教団である可能性もあるということですね」

「えぇ、そうです。そしてそうなると、この少年が、ルシフル教団の関係者である可能性も出てきます」


 フィーラの言葉に、緊張が走った。


 シエステラたちが以前に対峙した、魔神やブラックドラゴンといった、ルシフル教団の凶悪な力と、その恐るべき目的が脳裏に蘇る。


 彼らの強大な力はシエステラたちを苦しめ、今回も、ルシフル教団に繋がりうる手がかりは全て消され、その正体を掴めていない。


 それほどまでに強大な力を持つルシフル教団。その関係者と疑われる人物を、これほど近くに置く危険性は、今さら語る必要もなかった。


 問い詰めるようなフィーラの強烈な視線に、シエステラは怯むことなく、まっすぐ見返した。


「フィーラの懸念はわかります。ですが、私には彼がそこまで悪い人物には見えないのです」

「どうしてそこまで庇うのですか?」


 フィーラはシエステラを胡乱な目で見つめる。シエステラはそれに対し、深くは語らず、曖昧で、すべてを包み込むような笑みを浮かべるだけだった。


 フィーラはジッとシエステラを見つめ、やがて諦めたようにその目をコットンへ向けた。


 コットンは相変わらず生気のない目で、焦点の合わない視線をただ虚空にさ迷わせている。


 感情の感じられない、操り人形のようなその印象に、フィーラはどこか見覚えのある不気味さを感じた。


 フィーラは眉間に深く皺を寄せ、深く、本当に深い溜息を漏らした。


「はぁ。わかりました。ニコラ様。今度は決して、コットンから目を離さないでくださいね。今度こそですよ?」


 フィーラが言うのは、先日のシエステラの買い物での一件のことだろう。


 結果的にシエステラを見失い、誘拐されてしまった事実を、フィーラは決して忘れない。


「あ、あぁ、わかってる」


 ニコラも固く決意するが、フィーラの中で、その信用度は依然として低いままだった。


「さて、コットンさん」


 フィーラは、静かにコットンの目の前に立ち、その小さな身体を見下ろした。

 あまりにも強烈な威圧感に、コットンは無感情のまま、そっとフィーラを見上げる。


 その瞳には何の感情も浮かんでいないが、どこかフィーラの次の言葉を待っているようにも見えた。


「シエステラ様に危害を加えようとするなら、決して容赦はしません。覚えておくように」


 フィーラの厳しく、有無を言わせぬ警告に、コットンは静かに目をそらす。

 しかし、そこに明確な殺気や反抗の色はなく、フィーラはひとまず、彼の静観の姿勢を信じることにしたのだった。



 それからフィーラは、シエステラと元へと歩み寄っていった。


「はぁ。本当によかった。シーラ」


 そして、さっきまでの毅然とした表情をかなぐり捨て、フィーラはシエステラの胸に顔を埋め、心底からの安堵の声を漏らす。


 ギュッと抱き締める腕は優しく、それでいて離さないという強い意思を感じさせた。


 さっきまでの鉄仮面のような叱責者の姿とはまるで違う雰囲気に、シエステラは微笑みながら、優しくフィーラを抱き締め返した。


「ごめんなさい、フィーラ。心配をかけました」


 謝るシエステラに、フィーラは首を振る。


 和解した二人の穏やかな雰囲気に、ニコラもようやく心の底から安堵していたが、フィーラは中々シエステラから離れようとしない。


 それどころか、その鼻息が少しずつ荒く、湿気を帯びていくのがわかった。


「はぁ、はぁ、はぁ。スンスン」

「あの、フィーラ? 何か嗅いでませんか?」


 シエステラが恐る恐る問うと、フィーラは顔を上げず、シエステラの匂いを胸いっぱいに吸い込みながら、断固たる調子で言い放った。


「今のシーラに拒否権はありません」


 そしてフィーラは、それから心ゆくまで、シエステラの全てを堪能するのだった。

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