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第三十八話 追ってきた者

「やっと降りて来た! 彼の者に眠りを。スリープ!」


 オオヤマトリの群れが下降を始めた一瞬の隙を突き、シエステラが魔法を解き放った。


 意識を刈り取られた小さな個体たちが、雨のように空から降ってくる。

 シエステラは慌てず魔法で気流を操作し、彼らの落下速度を殺して優しく着地させた。


 オオヤマトリのヌシはその大きさゆえか、他のオオヤマトリたちと違い、魔法に抵抗し、自力で地面へと着地する。


 しかし、やがて耐えきれずに眠りについた。


 気が付けば、彼女たちはトリトーラの町近郊の森深くまで来ていた。どうやらこの地も、オオヤマトリたちの拠点の一つだったらしい。


「さて、ニコラ様は、あれ? いませんね?」


 オオヤマトリのヌシにしがみついていたはずのニコラが、何処にも見当たらない。


「え? まさか途中で落ちた?」


 ついさっきまで、空を飛ぶオオヤマトリのヌシにニコラがしがみついていたのは、シエステラも確認している。


 しかし、オオヤマトリのヌシが下降してきた辺りからはニコラの姿を確認していなかった。


 ニコラの特異なスキルを考えれば、ほんのわずかな時間に予期せぬ場所に飛ばされてしまうこともあり得る。


 最悪の可能性にシエステラは青ざめた。


 この森で逸れてしまえば、彼女一人でニコラを探し出すのは極めて困難だ。


 ましてや、今はフィーラたち神官の援護もなく、人海戦術も使えない。


 焦燥に駆られ、オオヤマトリのヌシへと駆け寄った瞬間、不意にヌシの巨大な翼が、もぞりと動いた。


 その微かな異変に気づいたシエステラは、翼の根元へと一目散に走る。


「ニコラ様! 無事ですか!」

「う、うむむっ!」


 ニコラはオオヤマトリの翼に潰されているようで、くぐもった声が聞こえてくる。しかも、体勢が悪いのか、自力では出てこれないようだ。


 シエステラは魔法でオオヤマトリの翼を持ち上げて、ニコラを救出する。


「ぷはっ! た、助かった。ありがとう、シエステラ」

「いえ、どういたしまして」


 翼の下から這い出し、ようやく一息ついたニコラへ、シエステラは疑問を投げかけた。


「それで、ニコラ様は何をなさっていたのですか?」

「あ! そうだ。お土産!」


 ニコラは叫ぶと、倒れているオオヤマトリの一匹に駆け寄った。その鳥が足に持っていた荷物を無事に取り返すと、安堵の息を漏らす。


「よかった。そんなに崩れてない」

「それは?」

「ガットさんの知り合いが持ってきたお土産なんだよ。受け取った瞬間にこの鳥に奪われて……」



 そうして、ニコラから事情を聴いたシエステラは呆れてしまった。


「それでこんな所まで? はぁ。本当に運が悪いですね」

「うっ。面目ない」


 すっかり意気消沈してしまったニコラに、シエステラは仕方がないとばかりに深い溜息を漏らし、前向きに考えることにした。


「とはいえ、予期せずしてトリトーラの街の近くまで来れたのは悪くはない状況です」

「え? トリトーラ?」


 ニコラはおうむ返しをして驚く。


「ここからなら、半日もあればトリトーラに辿り着くことができるでしょう」

「おぉ、それは運が良かったんじゃ?」

「……ですが、そのお土産は食べ物なのでは?」

「あ」


 ニコラは手に持つ荷物を見て愕然とした。

 

 お土産はシエステラが言うように食べ物で、生ものだった。あまり長い時間をかけると駄目になってしまうだろう。


 お土産を渡そうとすれば、一度、ガットの元まで戻る必要がある。そうなれば、せっかくここまで来れたことも何の意味もなくなる。


 かといって、今から戻ったとしても、無事に帰れる保証はない。どちらにせよ、お土産を無事にガットへ渡すことは絶望的な状況だった。


「ここまで追ってきたのに、こんな落とし穴があるとは」


 無情な現実に、ニコラは肩を落とした。


「まあ、仕方ありません。ガットさんには私も謝りますから、とりあえず今は状況をフィーラに報告しましょう」


 ◇◇◇◇◇◇


『本当にあなたは何を考えているのですかっ!』

「すみません」


 シエステラが魔力通信でフィーラに連絡を入れた瞬間、怒号が森に響き渡った。


 魔法の特性で音量は調整されているものの、その声の「圧」にシエステラは思わず身をすくめた。


『勝手にいなくなったと思ったら、人攫いに付いていって? 今度は駆けつけたテスラに後任せをしてニコラ様を追って? そして、トリトーラの近くにいるから、先に調査を始める? シエステラ様、無礼を承知で言わせていただきますが、あなたは馬鹿ですか?』

「ほ、本当に無礼ですね。いえ、なんでもありません」


 声は聞こえずとも、フィーラの怒気が伝わってきて、シエステラは迂闊な言葉を吐けなかった。


『ニコラ様もです! どうしてそんな所にいるんですかっ! 家で大人しくしていてくださいと言っていたでしょう!』

「うっ。これは、その、すみません」


 言い訳を許さない雰囲気を察し、ニコラもただ平謝りをするしかない。


『二人とも、覚えておいてくださいよ。今回のことはしっかりと反省してもらいますからね』

「「はい」」


 シエステラとニコラの声が小さくなる。


 それからシエステラは恐る恐るフィーラに状況を尋ねた。


「ちなみに、人攫いの組織は?」

『すでに騎士団と共に確保済みです。シエステラ様の加護のお陰で、捕まってきた方々も大きな怪我はありません』

「あぁ、それはよかった」


 フィーラはすでに洞窟まで来ているようで、人攫いの組織は騎士団に引き渡したらしい。全員が意識を失っていたので、特にトラブルが発生することもなかったようだ。


『ですが、気になることもあります』


 フィーラの神妙な声にシエステラは首を傾げる。


「気になることですか?」

『はい。先程シエステラ様からお聞きした、コットンと呼ばれていた少年の姿はこちらにはありませんでした』


 シエステラは眉を潜めた。


 コットンは人攫いの組織の用心棒として使われていたと思われる少年だ。

 シエステラの威光も効かず、人間よりも魔物の感性に近い雰囲気を纏っていた。


 シエステラが異常な音を聞いた時点で、姿は見えなかったが。


「スリープの魔法を使って、あれだけ短時間で目を覚ますというのは異常です」

『そうですね。何かしら魔法に耐性があるのか、もしくはそういう改造を施されているのか』


 フィーラの推論は、シエステラにとって信じがたい行いだったが、人攫いをするような組織であれば、そういうことをしても不思議ではないという思いもあった。


「卑劣な組織であることは間違いありませんね」

『そのようです。テスラに指示を出して、その組織のことは調べておきましょう』

「お願いします」

『はい。……それはそうと、シエステラ様』



 フィーラの口調が、先ほどの事務的なものから、再び怒気をはらんだものへと変化する。


 シエステラは身構えた。まだ説教は終わっていなかったのだと悟り、体が強張る。


 その緊張感は、隣のニコラにも伝わった。


「な、何ですか? フィーラ」

『ニコラ様がいないのでしたら、私もすぐに向かえば、明日にはトリトーラの街に辿り着くでしょう』

「そ、そうですね」


 ニコラのスキルによる影響さえなければ、トリトーラまではそう遠くない。フィーラならばすぐにでも追いつくことができるだろう。


 普段ならば心強い言葉のはずが、シエステラは冷や汗が止まらない。


『私もすぐに向かいます。それまで、下手な行動は慎んでくださいね?』


 静かな声。

 それは普段のフィーラとあまり変わらない声音だったが、シエステラにだけはわかった。


(完全に、ぶちギレてる!)


 額に青筋が浮かんだフィーラの顔を想像し、シエステラはゾッとした。


「も、もちろんです。静かに過ごしますよ」

『絶対ですよ? ニコラ様のスキルのせいにするのも許しませんからね?』

「えぇ? それはハードルが高いような……」

『いい、ですね? もしまた何か問題を起こしたら、わかってますね?』

「はい」


 シエステラの返事を聞いたフィーラは、そのまま通話を切った。


 教皇との連絡の時とはまた違った緊張に、シエステラは疲れた様子で座り込んだ。


「ふぅー。恐かったぁ」

「フィーラさんって、やっぱり怒ると恐いんだな」


 フィーラの威圧感にニコラも萎縮していた。


「えぇ。昔からフィーラは怒ると恐いのです」


 シエステラはフィーラとの過去を思い出しながら、複雑な表情を浮かべた。


 鬼の形相で追いかけてきたフィーラ。それは、いたずらを怒られた時や、無鉄砲な行動を咎められた時の記憶。


 数知れないほどフィーラを怒らせてきたが、そのどれもが、シエステラを心の底から心配してのことだった。


「でも、心配をかけてしまったのは事実です」


 シエステラは真剣な声音で言う。


「フィーラが本当に私のことを心配してくれていたのはわかりますから。きちんと謝るしかないですね」

「そうだな。それしかないか」


 ニコラは、フィーラの剣幕に怯えながらも、そこにある確かな愛情と、二人の間に通う絆を感じていた。


「ともあれ、トリトーラの街へ向かいましょう。今日は一泊する必要がありますね」

「そうだな。とりあえず、あっちの方か?」


 ニコラがトリトーラの方角へ足を踏み出した。



 その瞬間、何かが風を切り、ニコラが手に持つお土産の包みに突き刺さった。


「え? あぁ! ガットさんのお土産が!」


 刺さっていたのは、一本のナイフだ。


 シエステラとニコラが、ナイフの飛んできた方を見ると、


「あなたは、コットンさん」


 そこにいたのはコットンだった。

 コットンは光のない目でシエステラを見る。


「コットンって、さっき言ってた?」


 コットンの放つ言い知れない殺気に、ニコラは臨戦態勢に入った。しかし、シエステラは警戒した様子を見せずに頷く。


「えぇ、そうです」


 シエステラが一歩近づこうとすると、コットンが一歩後ずさる。無遠慮に近づくシエステラとは対照的に、コットンは警戒を強め、一定の距離を保っていた。


「っ! 危険だろ!」


 ニコラは思わずシエステラの前に立つ。


「大丈夫ですよ。彼の攻撃が私に効かないのは、もうわかっていますから」

「だから、そういうことじゃないって言ってるだろ」


 余裕の素振りを見せるシエステラを、ニコラは自分の背中に隠した。


「シエステラが強いのは知ってるけど、だからって心配しないなんて、できないんだよ」


 ニコラの背中は、普段の情けなさが嘘のように大きく見えた。


 シエステラは一瞬、言葉を失う。

 聖女として敬われ、最強の力を持つ彼女に、そんな当たり前の心配を本気で向けてくれる人は、この広い世界に彼しかいなかった。


(……全く。この人は、これだから)


 胸の奥が少しだけ熱くなるのを感じながら、シエステラはニコラの服の裾をそっと掴んだ。


「わかりました。危険なことはしません。ですが、彼と少しだけ話がしたいのです」

「気を付けろよ」


 ニコラは警戒したまま、シエステラの前から横に動く。その視線はコットンから決して離さず、いつ動いても対応できるように。


 シエステラはニコラの横から前に出ることはせず、コットンに問いかけた。


「コットンさん。どうして、私を追いかけてきたのですか?」


 コットンは答えない。

 しかし、それを予測していたように、シエステラはさらに質問を続けた。


「あの方々に命令されたからですか? ですが、彼らはもういませんよ?」


 それでも、コットンは無言だった。


 いや、シエステラに向けるその視線は、彼女の声が届いているかすら定かではない。コットンの焦点は常にシエステラただ一人に向いていた。


 異様な雰囲気に緊張が走る中、シエステラはただじっとコットンを見つめていた。その光を失った瞳の奥にある、何かを探るように。


 そしてしばらくすると、シエステラはコットンに向かって手を伸ばし、優しく頭を撫でた。


「コットンさん。私たちと共に行きませんか?」

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