第三十六話 人形
「おら! さっさと歩けよ!」
湿った冷気が漂う洞窟の奥へと、シエステラたちは家畜のように追い立てられていた。
手錠が食い込む痛みに、連行される人々の中から漏れる嗚咽。
シエステラは変装した姿のまま、怯える人々に寄り添い、静かに声をかけていた。だが、その慈悲深い態度が、男の神経を逆撫でしたらしい。
「この、ノロマが」
逆上した男が拳を振り上げた瞬間、シエステラはその前に音もなく立ちふさがった。わずかに瞳を細め、内なる聖なる力を解放する。
「乱暴はやめてください。大人しく従うと言っているでしょう?」
「あ……?」
毅然とした声音。その背後に揺らめく聖女の威光に、男は言葉を失った。まるで巨大な捕食者の前に立たされたかのような本能的な恐怖に、振り上げた拳が震える。
「……ちっ、さ、さっさと来い!」
シエステラの威光に圧倒された男たちは、萎縮した様子でまた前を歩き出す。
去っていった男たちを見送った後、シエステラは連れてこられた子供や女性たちに優しく微笑みかけた。
「皆さん。大丈夫ですよ。私に策があります。必ず助けますから」
「え? で、でも、あなたに何が……」
「大丈夫。今はただ、信じてください」
根拠など何もないはずなのに。
シエステラの言葉には、絶望を打ち消すほどの確かな熱があった。それもまた聖女の力の一部なのだが、変装した彼女が何者であるか、まだ誰も知らない。
やがて辿り着いた洞窟の最奥。
そこには無機質な鉄格子が並び、すでに捕らえられていた大勢の人々が、力なく座り込んでいた。
シエステラは奥歯を噛み締め、怒りを静かな魔力へと変えていく。視線の先、中央に鎮座する椅子に、一際異彩を放つ男が座っていた。
(あの男が、ここのボスですか)
その男は、品定めをするようにシエステラたちの方を見る。
周りには五十人程度の人間。
それなりに大きな組織のようだ。そして、その中にはそれなりの実力者もいるようで、シエステラは警戒を強めた。
(さしずめ用心棒といったところでしょうか)
入り口や檻の前など、逃げられそうな場所は怪しい雰囲気を纏った人間が守っている。
騎士団にも匹敵する風格を持ち、確かな実力を持っている。迂闊な行動は危険だろう。
(とはいえ、それは一般的な話です)
シエステラは辺りを見渡し、捕らわれている子どもたちや女性たちに聖女の加護を授けた。それは以前にも増して神聖さを手に入れたシエステラの最高の力だ。
目に見えない加護は、対象を物理的に完璧に守ることができる。
捕らわれた子供、女性たちの安全を確保したシエステラは、犯人たちの前へ一歩踏み出した。
「なんだお前、勝手に前に出るな!」
「……皆さんを、今すぐ解放していただきます」
「あぁ? 何を寝ぼけたことを……」
その言葉を遮るように、シエステラは自身にかけていた変装魔法を解いた。
一瞬にして、凡庸な町娘の姿が黄金の輝きに包まれ、至高の聖女としての真姿が闇を照らし出す。
「なっ……! お、お前は……聖女シエステラ!」
驚愕に凍りつく男たち。シエステラは一切の手加減なしに聖女の威光を叩きつけた。
人としての感性を持つ者であれば、その神聖さの前に跪かずにはいられない圧倒的な制圧力。
「くっ……なんだ……体が、動かねぇ……!」
ボスですらも地に膝をつき、歯を食いしばるのが精一杯だ。もはや戦いにもならない。
シエステラは勝利を確信し、怯える人々へ優しく語りかけた。
「ほら、もう大丈夫ですよ」
「そんな、まさか、聖女様が助けに来てくださるなんて」
予期せぬ聖女の登場。そして、シエステラの微笑みに、連れてこられた子供や女性たちも安堵した。
しかし。
「くっ。おい、コットン! その女を殺せ!」
ボスが虚空に向かって叫んだ。
その瞬間、シエステラの背中にゾワッと悪寒が走る。そして、気付いた時にはシエステラの首筋に剣が迫っていた。
避けることは間に合わず、シエステラはそれをまともに受ける。ガキィンと金属音が鳴り、ナイフは離れていった。
シエステラはナイフを当てられた首筋を擦る。
(危なかった。聖女の加護を破る程の力ではなかったようですね)
シエステラは攻撃してきた人物を見る。
その人物は、感情を読み取れない無表情の仮面を張り付けたような少年だった。少年の目には光がなく、ただ目の前の映像を写しているだけ。
ミシェルやルーシィと同じくらいの少年だったが、その動きは暗殺者のそれだった。
暗闇に身を隠し、シエステラの死角から急所を狙う。洗練された動きは、シエステラをして完璧だと息を飲むほどだ。
「早い。それに、的確ですね」
少年の動きは、完璧にシエステラの死角を突いていた。聖女の加護がなければ、すでに首を切られていただろう。
しかし、シエステラと少年の実力には覆しようのない差がある。
どれだけ少年の動きが完璧でも、聖女の加護に守られているシエステラに、少年は傷を付けることはできなかった。
「もうやめましょう。あなたでは、私には勝てませんよ」
シエステラが優しく語りかける。
シエステラの聖女の威光は、姿だけでなく、声にも乗る。シエステラは少年を傷付けないよう、聖女の威光で無力化しようとしていた。
しかし。
「っ! 危ないですね」
少年は意に介さず、なおもシエステラを狙い続ける。シエステラを見る瞳には感情の色が全くなく、微動だにしない。
聖女の威光が全く効いていなかった。
(まるで魔物ですね。そんな風に育てられてきたのでしょうか)
聖女の威光は魔物相手には効かない。
シエステラが持つ容姿、声に、少しでも魅了されなければ、聖女の威光は効果がない。
しかし、魔物には人間のような感性が存在しないため、聖女の威光が効かないのだ。
それと同じ感覚を、この少年にも感じた。
(私の姿を見ても無感情とは、どういう人生を送ってきたのか、心配になりますね)
シエステラは嘆息し、魔法を唱える。
「仕方ありません。彼の者を捕えよ。ホーリーチェーン」
「っ!」
シエステラの手から光の鎖が放たれる。
その鎖の危険度を瞬時に悟った少年は、壁を駆けて逃げるが、何処までも追いかけてくる鎖は、決して逃がさない。
「大人しくしてくださ、え?」
追い込んだ、シエステラがそう思った瞬間、少年の姿が消えた。
何の前触れもなく、一瞬で。
目標を失った鎖が空を舞う。
(瞬間移動? いえ、魔法の気配はありませんでした。それに、目に見えない速度で動けるとも思えません)
シエステラが周りを警戒するが、少年の気配がない。
「彼の者の正体を暴け。クリーニング」
シエステラが魔法によりドーム状の結界を作り出した。
この結界の中で魔法を使うと、シエステラが関知することができる。
それは使用中の魔法でも同様で、例えば少年が魔法を使って隠れていれば、シエステラはその場所を関知することができた。
しかし。
(何処にもいない? どういうことでしょうか)
魔法の痕跡を感じられず、シエステラは困惑した。聖女であるシエステラを欺く程の魔法があるとすれば、それは魔王に匹敵する力を持っていると言える。
しかしどう考えても、あの少年にそんな力があるとは思えず、シエステラはもう一度、クリーニングの魔法を使った。
しかし、結果は同じだった。
「本当に、何処に、っ!」
シエステラが後ろを向いた時、急に背中から気配を感じた。すぐに振り向いて防御をするが、そこにいたのは少年だった。
「何処から現れたのですか」
「……」
少年は何も言わない。
シエステラはもう一度、光の鎖を生み出すが、少年はまた姿を眩ます。しかし、今度はその瞬間を見ることができた。
(影に潜った?)
少年は地面に写る影に潜っていた。まるで水の中にでも入るかのように。
(魔法ではない。ということは、スキル!)
スキルでできることは、魔法で模倣することができる。
例えば、ルーシィの『重量操作』やミシェルの『隠れ蓑』などは、魔法でも似たようなことが可能だ。
しかし、スキルと魔法では決定的に違う点がある。
それは、スキルは魔法を伴わない力ということだ。魔力を使わないことはもちろん、魔法のように詠唱をする必要はなく、かなり自由に使うことができる。
魔法とスキルで同じことをする場合、スキルの方が強いと言えるだろう。
(影に隠れることができるスキル『影潜り』というのが存在したはず。その系統のスキルでしょうね。そうとわかれば)
シエステラは少年が潜んだ影から離れた。
そして、手の平に魔力を溜める。
「彼の者を照らし出せ。ライトニング・スパーク」
シエステラの手に光が生まれる。それは洞窟内を目映く照らし、まるで昼間のように、辺りを明るく輝かせた。
すると、影が瞬く間になくなり、それから逃げるように少年が飛び出してきた。
「やはり影が消えると、中に閉じ込められるようですね」
飛び出てきた少年を待ち構えていたシエステラは、即座に光の鎖で少年を拘束する。
しかし、引っ張り寄せた少年は無表情のまま、なんとかシエステラに一子報いようとナイフを投げつけてきた。
「無駄ですよ」
シエステラの加護の前に、その程度の攻撃は無意味だが、邪魔する者は排除せよ。ただ、その命令を忠実に守っているようだった。
まるで機械のような少年に、シエステラは悲しげな顔を浮かべた。
「誰がこんな風に」
シエステラは無感情に睨み付けてくる少年に視線を合わせた。そして、今も攻撃の機会を伺っている少年に臆することなく、頭に手を添える。
「っ!」
少年はそこで初めて、ほんの少しだけ表情を動かした。それは恐怖に近い、痛みに耐えるような表情。条件反射のような動きだ。
シエステラはそんな少年の頭を優しく撫でる。
少年は何をされたのか理解できていない様子だったが、キョトンとした瞳でシエステラを見上げる。そして、少年を怪我させぬよう、意識を奪う魔法をかけた。
「彼の者に眠りを。スリープ」
相手を眠らせるスリープの魔法。
大抵の人間であれば、抗うことなく眠りにつく。しかも、この魔法はシエステラが発動したものだ。普通の魔法使いよりも遥かに協力な作用を持っている。
少年は閉じようとする瞼を無理やりこじ開け、眠らないように抵抗していたが、やがて、少年はフラフラとよろめいて、ゆっくり瞼を閉じた。
「ふぅ。やっと大人しくなってくれましたか」
明らかに異常な行動を取っていた少年に、シエステラは怪訝な表情を浮かべる。
そして、少年をコットンと呼んだボスを見据えた。ボスの男はシエステラには見向きもせずに、ただただ怒りをコットンへと向ける。
「ちっ! 使えねぇゴミが。……ひっ!」
あまりの言い様にシエステラは、ボスへ怒り視線を向けた。その剣幕に秘められた怒りは、誰もが感じることができる程だった。
シエステラはボスの元へと歩み寄り、きつく睨み付ける。聖女らしからぬ無表情に、ボスは怯えることしかできなかった。
「今ここであなたの罪を断罪したいところですが。あなたの処罰は騎士団に任せましょう」
「ひっ!」
シエステラは男たちを魔法で拘束する。そして、拐われてきた人たちを解放していった。
「ありがとうございます、聖女様」
「聖女様。聖女様」
囚われていた人たちは感謝の言葉を並べる。
シエステラはそれに答えながら、シエステラはフィーラに連絡を取ろうとする。
(とりあえずは、騎士団に連絡してもらいましょう、か。……え?)
その時、外からドゴォォンという大きな音が響いた。洞窟内が大きく揺れ、小さな瓦礫が落ちてくる。
「きゃあぁ!」
「うわぁ!」
「落ち着いてください。大丈夫です!」
シエステラは即座に魔法によるバリアを展開し、誘拐犯も含めて全員を防護した。
「皆さん、怪我はありませんか?」
「あ、ありがとうございます。聖女様」
「わ、私は大丈夫です」
全員の無事を確認すると、シエステラはホッと胸を撫で下ろした。そして、フィーラに向けて魔法による通信を飛ばす。
「フィーラ。聞こえますか?」
『っ! シーラ! 今どこにっ!』
フィーラはすぐに応答した。その声は切迫していて、行方不明になったシエステラを心底案じているのが伝わってきた。
しかし、それに謝罪することはせず、簡潔に用件だけを伝えた。
「今の場所を伝えます。騎士団を連れて来てください。人攫いの集団を見つけました」
『人攫い? わかりました。すぐに向かいます』
フィーラは何も聞かずにシエステラの意図を理解した。そして、淡々とシエステラの指示を聞き入れる。
「私は少し調べることがありますので、この場を離れます」
『えっ? しかし……』
何かを言いたそうにしていたフィーラとの通信を切って、シエステラは誘拐された人たちの方へと向き直った。
「すぐにここに救助隊が来ます。私は揺れの原因を調べてきますので、皆さんはここで待っていてください」
そう言うと、シエステラは全員に聖女の加護を授けた。そして、誘拐犯たちには拘束の魔法をかけて動けなくする。
それらを端にまとめていると、ふと、見つからない人物がいた。
「コットン?」
それは、あのコットンと呼ばれた少年だ。
眠らせたはずのコットンは、つい先ほどまで横になっていたはずの場所にはいなかった。
「まさか、あの魔法をかけて、こんなに早く起きるなんて」
シエステラはすぐに辺りを探したが、コットンの気配はすでになかった。
その代わりに、
「きゃあ!」
「うわっ!」
「っ! またっ!」
またしても洞窟内が揺れる。洞窟が崩れる程の威力ではないが、何度も揺れが続き、誰もが不安そうにしていた。
(コットンのことは気になりますが、今は皆さんの安全の方が大事ですね)
「すぐに揺れを落ち着かせてきます。皆さんは待っていてください」
「聖女様! お気をつけて!」
そして、シエステラは洞窟の外へ向かって走り出した。




