第三十四話 はじめてのおつかい
「さて、初めてのおつかいだな」
「別に初めてではないですけれど」
シエステラとニコラは二人で町を歩いていた。
目的はトリトーラの街へ向かうために必要な消耗品の買い出しだ。
ミシェルやルーシィは、ガットと共に用事があるため、この町に来て初めて、シエステラはニコラと二人で買い物に行く事になったのだ。
シエステラは、神官を伴わない買い物という経験が薄く、フィーラに最後まで心配されていた。
『やはり今日はやめましょう。明日でも間に合います』
『いいえ、問題ありません。フィーラは自分の仕事をしていてください。私が一人で行ってきますから』
しかし、シエステラは頑として譲らず、手が離せないフィーラに代わり、仕方なくニコラが同行することになったのだった。
フィーラは最後の最後まで心配そうな顔を残し、普段は頼らないニコラに対して必死に懇願していた。
『絶対に、絶対に! シエステラ様から目を離さないでくださいね』
(あそこまで心配する必要なんてないのに)
シエステラは内心で不満をくすぶらせながら、商品を眺めていた。
シエステラは教会の庇護下、聖女として最高峰の教育を受けてきた自負がある。生活知識だって、書物の上では完璧に予習済みだ。
自分が特別な環境で育った自覚はあるが、それは「一般常識が欠如している」ことと同義ではない。そう信じて疑わなかった。
実際、隣を歩くニコラの目から見ても、ここまでのシエステラの手際は悪くなかった。
必要なものをリストアップし、品定めをする。その姿に危うさは感じられない。
シエステラ自身、失敗などするはずがないと確信を深めていた。
しかし、それはあくまで実体験を伴わない知識に過ぎない。
イレギュラーな事態への耐性。
それこそが、フィーラが最も懸念していた経験の差なのだが、全能感に満ちた今のシエステラに届くはずもなかった。
(これではまるで、本当に子供のおつかいみたい。どうにかして見返したいですね)
ふつふつと湧き上がる対抗心。そんな時、彼女に絶好のチャンスが訪れる。
ニコラは忠実にフィーラの言いつけを守り、影のように付き従っていた。
だが、あまりに平穏な時間が続いたことで、彼の中に一瞬の隙が生じてしまった。
「これは、何ですか?」
「これはですね、今が旬の野菜で……」
シエステラが店主と話しているのを少し離れた所から見ていたニコラは、不意に誰かに後ろからぶつかられた。
「おっと、す、すみません」
「いえ、こちらこそ」
(っ! 今です!)
それはほんの一瞬のことだった。
しかし、その一瞬を見逃さず、シエステラはすぐに物陰に隠れた。
「ん? え? シエステラ?」
返事はない。ついさっきまでそこにいたはずのシエステラが、煙のように消え失せている。ニコラの背筋に冷たい汗が流れた。
「シ、シエステラ!」
慌てて駆けだそうとした彼の頭上を、不運の風が撫でる。
突如として、店先に掲げられていた厚手の日除けテントが、支柱から外れて落下してきた。
「ぶふぉっ!」
視界は暗転し、重たい布に絡め取られるニコラ。彼が不運の連鎖に身悶えしながら脱出を試みている間に、シエステラは更なる行動へと移行していた。
(ふふ、ニコラの『不運』をこれほど頼もしく思ったことはありません。完璧なタイミングです)
彼女は路地裏で手早く魔法を唱え、自身の容姿をどこにでもいる町娘へと偽装した。
聖女のオーラを消し、町の風景に溶け込む。
そして、ニコラがもがいている場所のすぐ近くに、一枚の書き置きを残した。
『''一人で''買い物をしてきます』
簡素な一文のメモは、ニコラの不運によっていつでも消えてしまいそうなものだが、すぐに帰るつもりだったシエステラは、特に深く考えずに行動を始めた。
普通の町娘のような姿になり、聖女としての扱いをされなくなったシエステラだったが、それでも不自由はなかった。
「おじ様。これくださいな」
「あいよ。二つだね。えーっと」
店員もシエステラの自然な買い物に、特に疑問を持つこともないようだ。ごくありふれた買い物の風景は、街の人々と何ら遜色はない。
やはり自分も普通に買い物ができる。
そう自信満々に思っていた。
そんな時。
「お嬢さん、買い物かい?」
「え?」
背後からかけられた気さくな声。
今の自分に向けられた言葉だと理解するのに一拍遅れたが、シエステラはすぐに慣れた町娘を演じて振り返った。
「えっと、買い物です」
「そうかい。何を買うんだい? うちは他よりも安いよ」
「安い、本当ですか?」
シエステラが目を光らせた。
シエステラの常識の中には、『買い物上手』という概念がある。
それは少ないお金で、より良いものを手に入れる行為で、シエステラが思う、買い物における高等テクニックだった。
(予算を余して買い物を終えることができれば、フィーラも私のことを認めざるを得ませんよね)
シエステラはフィーラの悔しそうな顔を想像して、内心でほくそ笑んだ。
そして、自信満々に尋ねる。
「どんなものがあるのですか? 見せてください」
「あぁ、ゆっくり、見てってくれ」
男の唇が、どこか歪に釣り上がる。
シエステラはその視線に含まれた粘着質な色に気づいてはいたが、商売人の欲深さ、程度にしか解釈しなかった。
案内されたのは、メイン通りから外れた、薄暗い路地裏の先。
少しばかり不審に思わなくもなかったが。
(……これほど秘密めいた場所にあるなんて。きっと、知る人ぞ知る名店に違いありません!)
自分の成功の姿しか想像しないシエステラは、相手を疑うということを知らず、何処まで行ってもポジティブなことしか考えていなかった。
そして、ある程度進んだ辺りで男が止まる。
シエステラも同じく立ち止まるが、そこには商品はおろか、店のようなものも何もなかった。
疑問に思い、男を見るが、男は不気味な笑みを浮かべるだけで、商品を紹介してくれる気配もない。流石にここまでくれば、シエステラも怪しいと思ったが、その時にはすでに遅かった。
「へへ、よっぽど良いとこで育ったんだな。嬢ちゃん。こんなところまでホイホイとついてくるなんてよ」
「私を、騙したのですか?」
シエステラは静かに尋ねる。
その雰囲気は普通の町娘のそれとはかけ離れていて、男も若干気圧される。
しかし、所詮は普通の街娘の姿。一瞬の威圧感に怯みながらも、男は気を取り直した様子で下卑た笑みでシエステラに近寄る。
(この程度、私の魔法で……)
しかし、シエステラが指先を動かそうとしたその時、ふと最悪の未来が脳裏をよぎった。
(待って……。ここで派手に騒ぎを起こして、もしフィーラにバレたら……?)
『やはりシーラに買い物は無理だったんですね』
(それだけは……、そんなの、く、屈辱です!)
フィーラの呆れた顔を想像し、頭の中で悶々としている間に、反応が遅れた。
そうこうしている内に、シエステラの手に手錠がかけられてしまう。
しかも、男たちがシエステラを連れ込もうとした馬車には、他にも女性や子供たちが乗っていることに気付き、逃げるに逃げられなくなってしまったのだった。
◇◇◇◇◇◇
そんな回想を終えて、しばらく考えたシエステラは、ふとあることに気付いた。
(あれ? これ、もしかして私が悪い?)
と、乗り心地の悪い馬車の中で、シエステラは気付くのだった。




