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第三十三話 教皇の言葉

 シエステラはミシェルたちを起こさないよう、リビングを出た。そして、魔法具に対して姿勢を正す。


「ご配慮に感謝いたします。つつがなく息災でございます」

『そうか』


 返ってきたのは、感情の削ぎ落とされた短く冷淡な声。


 現教皇のカリウスは、シエステラが生まれる前から教皇の座に就いている。


 シエステラにとって「父」と呼ぶべき存在だった。しかし、そこに通い合う情愛など微塵もない。彼女にとって教皇は、敬うべき象徴であると同時に、心臓を握られているような圧迫感を与える絶対者だった。


 魔法具を握りしめ、呼吸すらも気を使い、カリウスの機嫌を損ねないように、ただ言葉を待っていた。


『騎士団が確保していたルシフル教団の残党が消された』

「えっ!」


 思わず漏れた驚愕の声。教皇は説明を省く。それが、無能への配慮は不要という無言の意志であることは分かっていた。


「それは、まさか口封じに?」

『それ以外に考えられるか?』

「っ! いえ、申し訳ありません」


 シエステラは即座に口を噤む。沈黙すらも叱責に感じられ、彼女は目に見えない教皇の影に平伏した。


『ルシフル教団は聖女神教の敵。奴らを取り逃がした失態は、お前の失態だ。……挽回せよ』


 それだけを告げ、通信は一方的に断たれた。


「はい、……承知いたしました」


 誰もいなくなった空間で、シエステラは消えた魔法具の光を、いつまでも震える指で見つめていた。



 その夜、シエステラはフィーラとニコラを部屋へ呼んで、カリウスからの報告を共有した。


「あの男たちが口封じに消された? 騎士団が守ってたんじゃなかったのか?」


 ニコラは信じられない様子で言う。


 ルシフル教団の存在は昔から知られていた。しかし、その正体は謎に包まれている。


 今回のように、ルシフル教団の人間が捕まえられることはほぼない。そのため、騎士団は男たちを厳重に保護しているはずだった。


「今までルシフル教団の情報がほとんどなかったことを考えると、彼らにはそう難しいことではないのかもしれませんね」

「えぇ。それを予測できなかったのは、私の失態です」


 シエステラは唇を噛み締める。彼女の胸には、教皇の冷たい声が棘のように刺さったままだった。


「今回の失態は、私自身で挽回しなくてはなりません」

「挽回って。別にシエステラは何も……」

「何もしていないのが、問題なのです」


 ニコラの言葉を、シエステラが先に遮った。


「ルシフル教団の人間を捕えたのは、これ以上ない好機でした。それを騎士団に任せ、むざむざ証拠隠滅されてしまったのは、やはり私の責任なのです」


 ニコラは何も言えなくなってしまう。

 シエステラと教会の関係性をよく知らないニコラでは、安易なことは言えなかった。


 フィーラもまた、何も言わずに神妙な表情を浮かべている。そして、おもむろにシエステラに尋ねた。


「しかし、挽回せよ。とは、何をすれば?」

「とりあえず、騎士団へ向かいましょう。そこで何が起きたのかを聞き込みます」


 シエステラたちがルシフル教団の男を引き渡したのは、ここから西にあるトリトーラという街にある騎士団の駐屯地だった。


 トリトーラはエルミ王国の中で、シエステラたちが住んでいた首都のフィルミナーレに次ぐ大きな街だ。


 この町に来ていた騎士団のヘイムがいる街であり、その伝手でトリトーラの騎士団に引き渡したのだ。


「引き渡す時は来ていただきましたが、今回はこちらが赴くことになります」

「わかりました。ですが、そうなると問題は」


 二人の視線が、自然と一人の男に集中した。


「うっ。わかってるよ。俺だろ?」


 ニコラのスキル『不運』による道程の不運。

 そもそもシエステラたちがこの町で足止めを受けているのは、それが原因だった。


 シエステラたちの最終目的地であるネフィリウムの泉に比べれば、まだ近い距離ではあるが、決して楽観視できるものではなかった。


「頑張れば、二日で着きますよね?」

「そうですね。それなら流石に誤差は少ないでしょうか?」

「いえ、油断はできません。何せニコラ様ですから」

「でしたら、道中は障害物を避けるルートを重視しましょう。魔物に遭遇するのは、ある程度は避けられないでしょう」


 綿密に作戦を立てるシエステラとフィーラ。


 地図には書き込みが増えていく。その書き込みが増えていく度に、シエステラの表情は少しずつ暗くなっていった。


(この書き込みは私の力不足の証。わかってはいえも、少し悔しいですね)


 自信をなくしたように溜息を漏らすシエステラに、ニコラは耐えきれず横から口を挟む。


「いや、でも、前よりも心なしか不運が弱くなったような気もするぞ?」

「本当にそう思いますか?」


 シエステラは不満そうに言う。


 魔神を封印していた女神の力を取り込んだシエステラは、確かに以前よりも力が増している。


 シエステラの授ける聖女の加護は、今までよりもさらに効果が強まり、物理的な攻撃に対する防御力も上がり、ごく些細な災難からも守ってくれるようになっていた。


 しかし、依然としてニコラの不運には効果がなく、今でも不運は消えていない。


「うっ。いや、でも、この前だって、滅多に手に入らない食材が手に入ったろ?」

「ですが、それを食べたニコラ様は、一人だけ謎の腹痛に襲われてましたよね?」


 シエステラとニコラが買い物に行った時、ニコラが見つけたのは、滅多に市場に出回らない貴重な肉だった。


 シエステラとニコラはすぐにその肉を買って帰ったが、それを食べたニコラは、腹痛に襲われ、トイレの住人となった。


 もちろん食材が腐っていたわけでもなく、変なものが入っていたわけでもない。

 今でも原因は不明だ。


「ほ、他にも、この前は福引きで三等が当たったろ?」

「ですが、当たったのは謎の魔法具でしたよね。もはやゴミですよ、あれは」


 ニコラが貰った福引券でくじを引いた時、まさかの三等が当たった。

 その時はニコラも驚愕していたが、いざ渡されたのは使い方不明の魔法具だった。


 特に何にも使えなかったため、福引の景品とされていたようだが、誰も使い方がわからなかったので、どうしようもなかった。今はタンスの上で埃を被っている。


「不運の質が変わっただけです。幸運の皮を被った不運が来るようになった。これを世間では『ぬか喜び』と呼びます」


 シエステラは深い溜息をついた


「でも、前に比べたら雲泥の差だろ?」

「精々、靴泥の差ですけどね」


 どれだけのことを言われても、シエステラにとっては、スキルに負けているという事実は変わらない。


 シエステラの胸には響かなかった。届かない言葉にもどかしそうにニコラが強く言う。


「いや、それでも俺からしたら本当に奇跡なんだって。今までは不運なことしか起きなかったんだから。本当に感謝してるんだよ」


 ニコラの瞳はシエステラを真っ直ぐ見据え、必死に訴えていた。

 その表情は切実で、ニコラの言葉が気休めや励ましではないことが伝わってくる。


 そんな瞳を真っ正面から受け、シエステラの頬が、わずかに熱を帯びる。


「でも、根本は何も変わってませんし」

「それでも、俺は前よりも幸せだ!」

「っ!」


 その真剣な表情と感謝の言葉を受けて、シエステラの自己肯定感が僅かに上がった。


(確かに、あれだけの不運の中で幸運なことが起きるなんて、奇跡かもしれません)


 奇跡。それは神の御業。シエステラへの感謝の言葉としては、最上級の褒め言葉だった。


「ま、まあ、確かに後ろ向きなことばかりを話していても始まらないのは確かですね」


 コホンと咳払いをしつつ、シエステラは口許がにやけそうになるのを堪えながら、真剣な雰囲気で言葉を並べる。


「悪いことが起きると考えてばかりいたら、自分から悪いことに足を突っ込むことになります。上を向いて歩かなければ」

「あぁ、そうだよ。流石はシエステラだな」


 ニコラの言葉は純粋で、シエステラの自尊心をさらに刺激する。


「そうですね。私の加護があれば、二日くらいの旅路は問題ないですよね」

「えっと、シエステラ様。落ち着いてください。そんなことを言って、なんとかなるものではありません」


 そんな中で嫌な予感がしたフィーラは、冷静に言葉を投げた。しかし、図に乗り始めたシエステラには届かなかった。


 ニコラもニコラで、自分の思いが伝わり、自信満々に喜ぶシエステラに安堵し、少し舞い上がっていることに気付いていないようだった。


 そして、シエステラはニコラ対策の作戦を考えながらも、少しだけ気を緩めてしまっていた。



 ◇◇◇◇◇◇



 ガラガラガラと車輪が鳴る。

 およそ乗り心地が良いとは言えない振動を受けながら、シエステラは馬車に揺られていた。


 そこにはフィーラやニコラはいない。しかし、シエステラだけというわけではなく、そこには若い女性や小さな子供ばかりがいた。


 しかし、彼らはシエステラのことを聖女とは認識していない。シエステラは今、高度な魔法を使い、いつものシエステラとは違う、何処にでもいる町娘の姿をしていた。


 そして、そんなシエステラには手錠がかけられており、静かに周りを見回す。


(遂に私も、ニコラの不運が移ってしまったのでしょうか?)


 シエステラは達観した溜め息を漏らした。


 馬車を動かすのはフードを深く被り、顔を隠した人物。体格から男のようにも思えるが、確かなことはわからなかった。


 最初はシエステラと同じように手錠をされ、怯えた様子だった子供たちや女性たちも、シエステラが早々に女神の威光を放ったことで、落ち着いた様子でいる。


 そのお陰で今は落ち着いているのだが、それが逆にシエステラたちを拐った犯人たちにとっては都合がよかったのだろう。


(連れ去ったのに取り乱さないなんてありえないのに、考えの浅い人たちですね)


 シエステラは馬車の御者を侮蔑の目で睨む。誰にも見られていないことを確認しながら。


 そう。シエステラたちは誘拐されたのだ。


 女や子供ばかりなのは、その方が高く売れるからだろう。つまり、彼らは人攫いということだ。


(逃げるのは簡単ですが、ここまで来たら、本拠地を潰した方が良さそうですね)


 シエステラは静かに考える。


(あぁ、何故、こんなことになってしまったのでしょうか)


 シエステラは嘆息し、ここに至るまでの経緯を思い出す。

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