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第三十話 順応する痛み

(大丈夫。このくらい、いつも感じてること)


 シエステラは静かに目を閉じていた。

 身体にかかる重みも、吐き気を催す気持ち悪さも、消えるわけではない。


 女神の力が身体中を暴れまわる。

 皮膚が張り裂けそうで、胸は灼けるように熱く、頭の血管が沸騰しそうで、今でも視界は霞んでいる。


 それでもシエステラにとって、それらは慣れ親しんだ痛みだった。


 女神の力がどれだけ重くのしかかろうとも、シエステラの聖女としての生き方は、揺らぐものではなかった。


 深呼吸を繰り返す。何度も、何度も。

 痛みは消えない。吐き気は消えない。


(ここで何もできなければ、ニコラやフィーラはやられてしまう。そんなの、聖女として失格。そんなこと、私が許さない)


 今も絶望的な戦力差を前にしながら、自分のことを信じ、戦い続ける二人を感じながら、シエステラは自分を奮い立たせる。


 歯を食い縛る。

 痛みに耐える。

 気持ち悪さに耐える。


(この程度、泣きながら平手を打たれた時に、吐きそうになって首を絞められた時に比べれば、何の苦しさもありません)


 思い出す。自分が何者であるかを。

 自分が何をしなければならないのかを。


(従いなさい! 私は歴代最高の聖女! 女神様に最も相応しいもの! 私こそが、聖女シエステラなのだから!)


 シエステラは、それに慣れた。

 消えることのない苦痛に、順応した。


 その瞬間、シエステラは神々しくも目映い光を発した。太陽のように世界を照らし、誰もが目を覆う。魔神やブラックドラゴンですらも、光にのけ反り後ずさった。


「うおっ! こ、これは?」

「あぁ、なんて美しい光」


 ニコラやフィーラも例外ではなく手を翳す。しかし、その表情は期待に満ちていた。


 シエステラは立ち上がる。

 もうその視界に霞みはない。


「お待たせしました。フィーラ、ニコラ様。私はもう大丈夫ですよ」


 シエステラは静かに立ち上がった。


 その姿にフィーラは安堵し、ニコラは笑みを浮かべる。強敵を前にしても、シエステラの存在は二人にとって希望だった。


「フィーラ、ニコラ様。私が後ろにいます。お二人は思う存分に、戦ってください」


 シエステラの加護がフィーラを包む。傷は治癒し、身体能力が向上する。潜在なる力を解放されたフィーラは滾る力に気を高揚させる。


「あぁ、シエステラ様のご加護。心が満たされていく」


 フィーラは恍惚の表情を浮かべ、その瞬間にブラックドラゴンの眼前に飛んだ。


「グワッ!」

「はあぁぁぁ!」


 フィーラの槍がブラックドラゴンの硬質な皮膚をやすやすと貫く。初めての激痛に、ブラックドラゴンは悲鳴を上げた。


「ギャアォォォ!」

「ふはは、シエステラ様の愛を受けた私は、もう誰にも止められませんよ!」


 フィーラはブラックドラゴンを相手に一方的に圧倒し始めた。


「なっ!」

「そ、そんなっ!」


 その信じられない光景に、ルシフル教団の男たちが言葉を失う。


 しかし、まだ負けるはずがないと自分たちに言い聞かせながら、男たちは魔神に縋るような目を向けた。


「ま、魔神様。どうか、悪しき輩に罰を」


 最後の希望だった魔神は、ニコラの前に静かに立っていた。


 男たちの嘆きなど聞こえておらず、ただ前のニコラにのみ集中する。

 魔神の本能がニコラから目をそらしてはいけないと警鐘を鳴らしているかのように。


 ニコラはシエステラが生み出した光の剣を構えている。それは先ほど折れた剣とは比べ物にならない業物だった。


 魔神はニコラに最大の警戒を向けたまま、飛びかかる。一瞬で視界に魔神が現れ、時が止まったかのような錯覚を覚える。しかし、ニコラはそれに驚きを見せなかった。


「速いのはもう、慣れたっての」

「ガァッ!」


 魔神の動きを完璧に読みきり、ニコラは魔神を切り裂いた。

 真っ黒い血が吹き出し、醜悪な呻きが漏れる。すぐに反撃を狙う魔神だったが、ニコラの剣閃に阻まれ、攻撃は通らない。


 ニコラが魔神を力強く蹴り飛ばし、縦に一閃。魔神はのたうつように呻く。


 もはや形勢は完全に逆転していた。


「そんな、馬鹿な! ブラックドラゴンだぞ! 魔神様だぞ! どうして勝てないのだ!」

「くっ。やはりどちらも不完全な存在。聖女を相手にするには早かったのか」

「馬鹿な。あいつらに勝てるという話だから、ここまで来たというのに、どう責任を取るつもりだ!」


 魔神たちの戦いを見て、ルシフル教団の男たちは醜く言い争いを始めた。それを見ていたシエステラは呆れたように男たちの前に歩み寄る。


「それ以上、醜態を晒さない方がいいですよ」


 ゆったりとした歩調で近寄ってくるシエステラに、男たちは戦慄を覚える。腰を抜かして倒れる者までいた。


「く、来るな! ブラックドラゴン! 魔神様! お助けください!」

「いいえ、彼らはもう終わりです」


 シエステラの声と共に、ズズゥンと地面が揺れた。ブラックドラゴンの片翼には巨大な穴が空き、もう二度と空を飛ぶことは叶わない。


 傷付きながら起き上がろうと頭を上げるドラゴンに、フィーラは無慈悲なトドメの一撃を入れる。


「これで終わりです。聖なる槍の一撃を食らえ。ヘヴンズ・スピア!」

「ゴアァァァァ!」


 光を纏う槍がブラックドラゴンの腹に風穴を空ける。ジタバタと足を暴れさせ、やがてそれが宙で止まる。


 二つの内の一つの希望が潰えた男たちは、魔神に目を向ける。しかし、その希望もまた風前の灯だった。


「どりゃあぁ!」

「ギギッ」


 魔神の爪とニコラの剣が激しく火花を散らす。目にも止まらぬ高速の攻防は、一見互角に見えた。しかし、決着は案外簡単についた。


「はあぁぁぁ!」


 一瞬の隙をついて、ニコラの剣が魔神の心臓を的確に貫く。


「ガハッ!」


 魔神は一瞬だけ苦悶の声を上げ、膝をついた。そして、その体は黒い塵となって空へと舞い上がったのだった。


「な、な、なんで?」

「ひ、ひいいぃぃ」


 全ての希望が潰えた男たちは狂乱する。

 逃げることも、抵抗することもできない。


 ただ、縋る。何に縋るべきなのかもわからず、自分たちが助かることだけを願って。


 そんな男たちの前にシエステラが立つ。


 そこに立っているのは、傲岸不遜な真の姿を見せるシエステラだった。


 シエステラは男たちを真っ直ぐに見据え、拳を構える。そして、一人の男に狙いを定めると、小さく呟くように口を開いた。


「そうですね。まずは、ルーシィさんを怖がらせたことに対して、一発」

「え?」

「ふんっ!」

「ぐへっ!」


 シエステラが男の一人にボディーブローを入れる。全力で腹を殴られた男は白目を剥いて気絶しまった。


 そして、怯える他の男たちに冷酷な視線を向ける。


「次は、私に攻撃したことに対して一発。ふんっ」

「ごふっ!」


 もう一人も呆気なく気絶させられた。


「そして、最後は」

「ひ、ひぃぃぃ!」


 シエステラの後ろでは、フィーラとニコラがブラックドラゴンと魔神を圧倒し終え、こちらを見ている姿が見えた。


 もはや勝ち目のない男は絶望に正気を失った。しかし、シエステラは構うことなく全力で振りかぶる。


「私をあんな雑魚魔物よりも弱いと見下したことに一発!」

「ぶべらっ!」


 シエステラの一撃は、男を遥か後方へと吹き飛ばした。完全に意識を失った男たちを眺め、シエステラは満面の笑みで振り向く。


「ふぅ、これでおしまいです」


 スッキリとしたシエステラの表情に、フィーラは満足げに微笑み、ニコラはホッとしたように笑うのだった。

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