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第十二話 不運に負けず、不運に勝てず

 遠くの方から叫び声が聞こえてきて、何かがこちらに迫ってくる気配があった。


 尋常ではない雰囲気に、シエステラが目を凝らしてよく見ると、背中に赤い模様の入った大きな動物がこちらに迫ってきていた。


「あれは、モーギュウ?」


 モーギュウとは二本の角が生え、四足歩行をする大きな動物だ。この動物の乳から出るミルクは絶品と言われており、高値で取引されている。


 普段は大人しい性格をしているはずなのだが、かなり興奮した様子で暴れまわっていた。


「きゃあぁぁ!」

「うわあぁぁ!」


 人たちはパニックになって逃げ惑う。入り乱れる人並みの中でシエステラは必死にルーシィの手を掴んでいた。


「ルーシィさん。離れないでください」

「は、はい。あうっ!」

「ルーシィさん!」


 人並みに飲まれ倒れてしまったルーシィに、周りが見えていない様子のモーギュウが、真っ直ぐに迫ってきた。


 差し迫る大きな身体にルーシィは固まってしまう。


「ブ、ブボオォォ!」

「ルーシィさん、危ないっ!」

「え? シエステラ様っ!」


 唖然としているルーシィを、シエステラが覆い被さるように抱き締めた。


(聖女として、モーギュウに怪我を負わせるわけにはいきません。かといって、眠らせるには間に合いません。なら!)


「シ、シエステラ様っ! あぶなっ……」

「大丈夫です。しっかり隠れてください」


(聖女の加護を纏う私は大きな怪我をしません。私が身を挺して守れば……)


 ルーシィが慌ててシエステラの腕から逃げようとする。しかし、それを無理やり押さえつけて、シエステラが衝撃に備えた。


 しかし。


「うおおぉぉぉぉ!」

「ブ、ブボッ!」


 シエステラの後ろで、ズドンッと何かがぶつかり合うような音がした。


「え? ニコラ様?」


 振り向くと、ニコラは武器を使うこともなく、ただ己の身だけを持って、巨体のモーギュウの突進を受け止めていた。


 モーギュウの頭を腹で受け止めて、二本の角を両の腕で掴み、地面を抉りながら踏みとどまる。


 足を踏み鳴らして暴れるモーギュウを、ニコラは腕力を持って止めていた。


(なんという馬鹿力。いえ、ですが、今が絶好のチャンス)


「ニコラ様、そのまま押さえていてください」

「あ、あぁ。だが、ぐっ。いつまで持つか」


 身体を唸らせ、モーギュウが拘束を抜けようともがいている。


「大丈夫です。一瞬で終わらせますから」


 そう言うと、シエステラはルーシィを離し、怪我がないことを確認した。


「ルーシィさん。お怪我はありませんか?」

「え? あ、は、はい。大丈夫です」

「そうですか、よかった。それでは少しの間、離れていてください」

「え? シ、シエステラ様?」


 シエステラはニコリと笑いかけ、ルーシィの背中を押して離れさせる。


 それからニコラの方に向き直ると、モーギュウに近付き、静かに魔法を唱えた。


「彼の者に眠りを。スリープ」

「ブ、ブボッ。フガッ」


 魔法をかけられたモーギュウは、うつらうつらとフラつき始め、そして、その場に倒れた。

 それから静かな寝息が聞こえてきて、モーギュウは眠りについたようだった。


 モーギュウが眠ったのを確認すると、ニコラはその場にストンと座り込む。


「た、助かった。ありがとう、シエステラ」

「いえ、このくらい。それより、どうしてあんな無茶をしたのですか?」


 シエステラは非難するようにニコラを見る。


「え? 何が?」


 何を言われているのか理解できないニコラは首を傾げる。そんなニコラにシエステラはムッとした表情で言った。


「あの程度の攻撃、私には通用しませんよ」


 どうやらシエステラは、ニコラが聖女の力を疑っていると思ったようだ。


 見るからに不機嫌そうなシエステラに、ニコラは慌てて弁明する。


「いや、目の前であんなことが起きたら、普通身体が勝手に動くだろ」

「動く? 何故? 私は聖女ですよ?」

「え? いや、それは関係ないだろ」


 まるで理解できない様子のニコラに、シエステラもまた同じような表情を浮かべた。


(私が守られないと何もできない無力な女だとでも?)


 聖女であるシエステラには、人々を守る使命がある。

 それは世界中の人間の共通認識であり、シエステラ自身も、それこそが自分の生きる意味であると自負していた。


 もちろんフィーラたちのように、シエステラを護衛する人間はいる。

 しかしそれも本当の意味でシエステラを守ることができる人間ではない。


 そのためシエステラは、いつしか自分は守られる存在ではないと思い込んでいた。


 そんなシエステラにとって、ニコラの発言は理解しがたいものだ。


 それ故に、シエステラの思考はニコラの言葉の裏を読もうとしてしまう。


(やはり私の力を見くびっているのですね。確かに私はニコラのスキルを無効化できていませんが、それで侮られるのは許せません)


「そうですか。ありがとうございました」


 シエステラは不満げな顔を隠すように、頭を下げてお礼を口にした。


 それでも、不機嫌なオーラをひしひしと感じたニコラは、何とか機嫌を直してもらおうと口を開く。


 しかしそれよりも先にルーシィが走ってきた。


「シエステラ様!」

「ルーシィさん。大丈夫ですか?」

「はい! ありがとうございます。流石はシエステラ様です」


 ルーシィの素直な感謝の言葉を皮切りに、周りからも歓声のような声が上がった。


「流石は聖女様!」

「ありがとうございます。聖女様!」


 怪我人はなし。モーギュウも眠らせただけで後遺症も残らない。シエステラたちの完璧な解決を見て、町の人々も喝采を上げていた。


「せ、聖女様、あ、ありがとうございます。私のモーギュウが大変な迷惑を!」


 そんな中、暴れていたモーギュウの飼い主らしき人物がやって来た。


「大丈夫ですよ。怪我をさせずに捕まえることができて、よかったです」

「あぁ、なんとお優しいのでしょう。すぐに連れて帰りますので」


 モーギュウの飼い主は仲間たちを連れ、大きな巨体を数人がかりで持ち上げて、なんとか台車に乗せた。


 それからモーギュウの飼い主は、改めて感謝の言葉を残して帰っていった。


「さて、それでは買い物の続きを。……そういえばニコラ様、預けていた荷物は?」


 周りも落ち着いてきた頃、シエステラがニコラを見た。


 荷物を持っていたのはニコラだったからだ。しかし、今のニコラの手には何も持たれていない。


 もちろん、モーギュウを受け止めていたのだから当たり前だが、シエステラとニコラは嫌な予感がしていた。


「そ、そういえば」


 焦った顔をしてニコラがゆっくりと視線を動かす。それに釣られて、シエステラたちもそちらの方へ目を向けた。


 するとそこには、ぐちゃぐちゃになった荷物だったと思われるものが散らばっていました。


 どうやらモーギュウが倒れた所に、ちょうど荷物が転がっていたようで、いつの間にか踏み潰されてしまっていたようだ。


 魔法で保護はしてていたものの、モーギュウの体重を防げる程強力なものではなかった。


「ど、どうしてあんな所に」


 ニコラは唖然としていた。どうやら荷物はモーギュウの被害に当たらないように、しっかりと遠くに置いていたようだ。


 しかし、ニコラのスキルは、その程度ではどうしようもならない。


「し、仕方ありませんよ。ニコラ様のお陰で怪我人が出なかったのですから、よかったではありませんか」

「そ、そうです。私も助けてもらいましたし」


 シエステラに続けて、ルーシィと必死にフォローしたのだが、ニコラは落ち込んだまま、しばらく立ち直ることはできないのだった。

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