第九話 聖女の威光
「も、申し訳ありません。聖女様!」
「……いえ、お気になさらずに」
(私もそろそろ学習した方が良さそうですね)
ニコラと一緒にいる時は、未来のことを希望的観測で判断してはいけない。常に最悪のケースを考えなければならない。
シエステラはそれを身をもって理解した。
「只今、遠征中の騎士団が宿泊しており、町の宿はほとんど埋まってしまっているのです。すぐに騎士団の方々に説明して部屋を空けますので」
シエステラを案内するのは町長のイヴァンだ。
先週辺りから騎士団が遠征に来るようになり、主要な宿屋は全て埋まってしまったようだ。
小さな町とはいえ、宿がほぼ埋まるなんて、そうそうあることではない。
これもまた小さな不運だろう。
(まったく。この私が宿に泊まるのも苦労するなんて。騎士団の方々も空気を読んでほしいです)
シエステラは心の中で悪態を吐く。
実際、シエステラが求めれば、騎士団はすぐにでも部屋を明け渡すだろう。
騎士団と教会の間に上下関係はないが、世界的に影響力を持つ聖女の頼みを無下にすれば、騎士団の立場が悪くなるのは明白だ。
結果、国王と同じように騎士団もシエステラには逆らうことはできないのだった。
しかし、そんなことをすれば、今まで積み上げてきた完璧な聖女としてのイメージに傷が付く恐れがある。そのためシエステラは、あくまで謙虚な態度を見せるのだった。
「いいえ、そんなことをしていただくわけにはいきません。騎士団の方々もお疲れでしょうから」
「おぉ、なんとお優しい。流石は聖女様」
そんな心中など知るはずもなく、シエステラの言葉にイヴァンは感動していた。
「とはいえ、野宿をするわけにもいきません。空いている宿は一つもないのですか?」
「一応、あるにはあるのですが」
イヴァンは言いづらそうな顔を浮かべる。
それでシエステラたちは、なんとなく次の展開の予想ができてしまった。
それからイヴァンは、シエステラたちを宿まで案内する。
その道中はあまりにも閑散としており、人の気配はなく、廃墟が並ぶ通りがひたすらに続くだけで、本当にこんな所に宿があるのかと疑いたくなってしまう程だった。
人目はほとんどなく、誰かが隠れ家にしていても気付かなそうな場所。決して治安が良さそうには見えない。
そんな所をしばらく進むと、やがて少しだけマシな建物が見えてきた。
「ここ、ですか?」
「……はい」
フィーラはほんの少し目を潜める。
それにイヴァンは気まずそうに頬をかいた。
シエステラたちが案内されたのは、お世辞にも綺麗とは言いがたい古びた宿だった。
(これ、本当に営業してるのでしょうか)
思わずそう思ってしまうような古い建物にシエステラが絶句していると、そんな宿の奥から人影が近付いてくる。
「い、い、いらっしゃいませっ!」
「あら、可愛らしい」
現れたのは、小さな女の子だった。
「この子の名前はルーシィ。この宿で働いている娘です」
「こんにちは、ルーシィさん」
「こ、こ、こ、こんにちは」
ルーシィはまだ十歳にも届かなそうな小さな女の子で、緊張のせいで顔を真っ赤にしていた。
「もう一人いるのですが、別のところで仕事中ですかね」
「あ、それなら……」
「あたしのこと?」
イヴァンが宿の奥の方を見ると、後ろから声が聞こえてきた。振り向くと、ルーシィによく似た女の子がいた。
目つきはルーシィよりもだいぶ鋭いが。
「おぉ、いたのか。この子がミシェル。ルーシィの姉です。今は、二人でこの宿を切り盛りしているのです」
「二人で? 子供たちだけで?」
「何? 文句あんの?」
「ちょ、お姉ちゃん!」
ミシェルは強い視線でシエステラを睨む。
それをルーシィが宥めようとするが、その視線は強いままだった。
「ごめんなさい。文句があるわけではなかったのです。ただ、お二人だけで宿を経営するのは大変ではないかと」
例えどんなに田舎だったとしても、子供だけで宿を経営するのは無理だろう。ましてや、こんなオンボロ宿では余計だ。
言外にそんな意図を滲ませた質問に、ミシェルは苛立たしそうに目をそらし、ルーシィは悲しそうに目を伏せた。
そんな二人に変わって説明をしてくれたのは、イヴァンだ。
「本来なら、彼女らの祖父が経営しているのですが、最近、流行り病にかかってしまって、体の調子が悪く、ずっと寝たきりなのです」
「まぁ。流行り病、ですか」
シエステラはチラッとフィーラの方を見た。
フィーラは意図を察し、首を横に振った。どうやらその病はまだ広くは知られていないようだ。
「大丈夫なのですか?」
「一応、命に別状はありません。ですが、体力が著しく落ちるようで」
「そう、なのですね」
シエステラは難しそうな表情をして、それ以上の話を続けることはなかった。
病気に関し、聖女は何もできない。
これは規則によって決まっていた。
外傷的な怪我であれば、ある程度はシエステラの自由に癒すことができる。
しかし、病気などについては、シエステラが勝手に治すことを禁止されていた。
病気はただ治すだけでなく、その原因となる病原菌や特効薬を調べる必要がある。
が、聖女の力によって治してしまうと、それらがわからないままに無理やり治ってしまう。
そうなると、今後、同じ病気が蔓延した時に聖女の力がなければ生き残れないことになる。
そのようなことを避けるため、病気などを治すために聖女の力を使う時は、厳密な決まりが定められているのだった。
(理屈はわかりますが、癒せるものを癒せないのは心苦しいですね)
シエステラは口惜しそうにしながらも、イヴァンにある提案をした。
「せめて、労いの言葉だけでも」
「おぉ、それは、彼も喜ぶでしょう」
◇◇◇◇◇◇
「ごほっ、ごほっ、せ、聖女様! お見苦しいところを、も、申し訳ありません」
宿の一階にあるミシェルたちの住まいでは、老齢の男性がベッドで横になっていた。
この男性がミシェルたちの祖父、ガットだ。
ガッドはシエステラを見ると無理やり起き上がろうとし、シエステラはそれを優しく制す。
「大丈夫ですよ。そのまま楽にしてください」
シエステラはベッドの横の椅子に座り、優しくガッドの手を握った。それは細々として弱々しい腕だった。体力もかなり落ちているようだ。
「お祖父ちゃん。無理しないでよ」
「し、しかしな、ミシェル。この方は、ごほっ、ごほっ」
少し話すだけでも苦しそうに咳を溢す。
そんなガットをミシェルとルーシィが心配そうに見ていた。
「ガッド様。私は聖女として規律ある行いをしなければなりません」
「は、はい、それはもちろんわかっております」
「そのため貴方を癒すために力を使うことはできません。ですが、祈ることはできます」
そう告げると、シエステラはガッドの手をそっと包み、敬虔な様子で胸の辺りに持ってくる。
「どうか、ガッド様に女神のご加護がありますように」
魔法も、聖女の加護も、特別な力は何も使っていない。ただその言葉を伝えただけ。
だが。
「お、おぉ、なんとありがたいお言葉。少しだけ体が軽くなったような気がいたします」
「え! 本当? お祖父様!」
「別に、こいつに気を遣わなくていいのよ?」
ルーシィが目を丸くして駆け寄り、ミシェルは相変わらず失礼な物言いをしながらも、半信半疑な様子でガッドの元に歩いていく。
「あぁ、ごほっ、本当に少しだけ良くなった気がするよ」
その言葉を証明するかのように、ガッドは上半身を起き上がらせて、ミシェルとルーシィの頭を優しく撫でた。二人は恥ずかしそうながら、嬉しそうに目を細める。
そんな光景を見て、ニコラは驚きの表情を浮かべていた。
「これ、魔法か?」
「いいえ、これはシエステラ様のご威光によるものです」
「シエステラのご威光?」
目の前で起きた現象を飲み込めないニコラに、フィーラが説明をする。
「シエステラ様のご威光は、その存在自体が人々に影響を与える力です」
そう。これは一般的な聖女が持つ力ではなく、歴代の聖女の中でもただシエステラ様だけが持つ、ほとんど奇跡に近い不思議な力だった。
「今回のように祈るだけで痛みが和らいだり、気分が晴れさせたりします」
「おぉ、すごいっ!」
ニコラが素直な感嘆の声を漏らす。
「シエステラ様が質問をすれば、黙ることも嘘を吐くこともできなくなります」
「ん?」
しかし、ニコラの反応は徐々に別のものへと変わっていく。
「お願いをすれば、何事も断れなくなります」
「……」
最終的には、ニコラは言葉を失い、黙り込んでしまった。
(ふふん。凄すぎてニコラは言葉を失っているようですね)
シエステラは、さぞ尊敬の眼差しを向けていることだろうと得意満面にニコラの方を見る。が、ニコラは困惑と警戒が入り混じった、なんとも言えない表情をしていた。
それからニコラはしばらく悩んだ後、よそよそしい顔で口を開く。
「割りとえげつない能力を持ってるんだな」
「えぇ! どうしてそんな評価に?」
「そこについては私も同意します」
「フィーラまでっ!」
フィーラが説明したものは、人間の精神に影響を与えるものだ。こうした力は、原理的には魔法によって再現することができる。
しかし、精神に影響を与える魔法は、各国が禁止しており、使い方も最高機密として秘匿されている。
つまり、この世界において、こうした力を、合法的に使うことができるのはシエステラだけという恐ろしい事実を示していた。
「正直、胡散臭い」
「そんな、ミシェルさん!」
ミシェルは一切信用のおいていないようなジトッとした目でシエステラを見ている。
「あ、えっと、私は感謝してますよ。ありがとうございます」
「ルーシィさん。せめて目を合わせて言ってくださいっ!」
ルーシィは終始目線を横にずらしたままで、どうしていいか分からない困ったような表情を浮かべていた。
「もう! 私の味方は、何処にもいないんですかぁぁ!」




