灯の巫女
炎の剣と、青白く輝く断罪剣・天羽々斬がぶつかり合った。
瞬間、閃光が赤と蒼に交錯し、夜空を裂く。
シンとヴァルター――
かつては師弟。
黒の記録官と記録官長。
二つの影が、塔の頂で激しく火花を散らす。
ギィィィィィィィィィィィィン――ッ!!
刃が軋み、炎が弾け、風が唸る。
石床が悲鳴を上げるようにひび割れた。
「ヴァルターァァァァァァァァッ!!」
「シン――ッ!!」
炎の剣が轟音を立てて燃え上がる。
火花が花弁のように散り、辺りを赤く染めた。
――熱が、空気を歪ませる。
ジュウゥゥゥゥゥゥゥゥッ……!
ヴァルターは歯を食いしばり、押し合う剣の閃光の中で、血走った瞳を見開く。
額を伝う汗が弾け、頬を滑り、熱風に溶けて散る。
「バカな……!その身体で……、一体どこにそんな力が……!!」
「民が掲げた灯を見ろッ!!」
シンは炎を押し込みながら叫ぶ。
「絶望の中でも、彼らは叫んでいるッ!
――生きたいッ! 人間らしく、自由でありたいとッ!!」
「愚かなッ!!
貴様らは王の秩序に生かされているにすぎんッ!!
それを壊せば、この世界は闇の底、暗黒まで堕ちるのだ!!」
炎が唸りを上げ、赤と蒼がせめぎ合う。
爆ぜる火花が二人の影を包み、風が爆音を孕んだ。
「ヴァルター……いや、ルメオティス!!」
名を呼んだ瞬間、炎が爆ぜ、熱が一気に膨張する。
ヴァルターの鎧の表面が赤く輝き、圧力に耐えきれず装甲が軋む。
空気がうねり、その熱気の中で、二人の影がわずかに揺らいだ。
「秩序とは――与えられるものじゃないッ!!
すべての人が、自ら自由と責任を背負うことだッ!!
その覚悟を示す者こそ、“人間”だッ!!」
その叫びは、炎よりも鋭く、風よりも強く塔に響き渡る。
音が爆ぜ、光がうねり、世界が咆哮した。
「貴様……それ以上は、貴様自身が燃え尽きるぞッ!」
「構わない……!
こんな結末しか選べぬなら――俺もお前も、あの夜に燃え尽きていればよかったんだッ!!」
――その刹那。
ヴァルターの目がふと泳いだ。
押し合う剣の隙間越しに、彼の視界が上空を捉える。
シンの背後――。
瓦礫が浮かぶさらにその上、
闇を裂くように、ひと筋の光が射し込んでいた。
その光は、まるで“羽”の形を成し、
夜空の深淵に、二条の輝きを広げていた。
ヴァルターの口から、かすれた声が漏れた。
「……あれは……不死鳥……!?」
その瞳が、光に釘付けになる。
炎と風の中で、彼の心臓がかすかに脈を打った。
その光の中心で、ココの背の“灯の羽”がゆっくりと揺れていた。
彼女はミュレットの書を天に掲げる。
頁がひとりでにめくれ、白光が溢れ出す。
雲が光を反射し、空も、大地も、山も――
すべてがひとつの“灯”となって脈動した。
ココは崩れた記録の塔を見下ろす。
その眼下では、シンとヴァルターが拮抗していた。
(……シンとヴァルターさんが戦っている……!)
そして、顔を上げ、周囲を見渡す。
(ここからなら、すべてが見える……)
塔も、山も、川も、森も、城も、まだ見ぬ海も。
地平は雲の向こう側まで、どこまでも続き、その反対側には果てしない海があった。
光はその水面に反射し、まるで世界そのものが息をしているようだった。
(この先にも――人がいて、灯があって、まだ知らない世界がある……。あの地図通り……。そうか……私たちの目を曇らせていたのは、闇じゃなかったんだ……)
ココは目を見開く。
その瞳に映るのは、光と闇が交わる“境界”の大地。
人の欲、悲しみ、嘘、そして希望――
それらが層のように重なり、世界に亀裂を形づくっている。
そして――そのすべての源は。
ココの視線が、ゆっくりと裂け目へと向かう。
それは、忘却の象徴。
そこから、押し寄せるような悲しみの波。
涙にも似たその気配が、ココの胸を締めつける。
「……あれだ……」
息が震える。
「――あの裂け目……!! 哀しみが、あそこから溢れてくる……!!」
彼女はミュレットの書を抱き、裂け目へと掲げた。
白光が頁から零れ、風が渦を巻く。
「ごめんなさい……ごめんなさい……!」
声は涙に濡れながらも、確かな意志を帯びていた。
「私たちが――あなたたちのことを、忘れてしまっていたんだね……。
私たちは、あなたたちに“借りた灯”を、もっと大切に、
もっと美しく輝かせて返さなければいけなかった……!」
ページの光が震え、裂け目から青白い風が逆流する。
それでも、ココは顔を上げ、まっすぐに祈った。
「だから……私はそれをみんなに語り継ぐ。
あなたたちの声を、灯として残す。
――均衡へ還るときが来た。
どうか、もう一度――私たちを信じてください。
そして、共にこの世界を照らしてほしい!」
風が爆ぜ、光が奔る。
書の中心から眩い輪が広がり、裂け目を包み込んだ。
光が重なり合い、波紋のように空間を満たしていく。
轟音が遠ざかり、青白い裂け目の輪郭がゆっくりと滲み、薄れていく。
その中心で――ココが掲げるミュレットの書が、かすかに震えた。
頁が一枚、また一枚と風にめくられ、光の粒となって宙へ舞い上がる。
やがて書そのものが淡く透け、
手の中から温かな光を残して――静かに消えていった。
ココはその瞬間、耳を澄ませた。
裂け目の奥に、一人の美しい女性が、静かに微笑んだ気がした。
それは幻か、あるいは赦しの証か。
彼女の唇が、かすかに動いたように見える。
そして――その両腕が、ゆるやかに宙を描いた。
円を描くように、何度も、やさしく。
まるで世界を抱きしめるように。
その動きに呼応するかのように、裂け目の縁が淡く光を放つ。
光は女性の指先をなぞり、渦のようにゆっくりと回転を始めた。
ありがとう。あなたで良かった。
あなたと共に旅を紡げたこと、感謝します。
声はやさしい風のように、すぐに遠ざかる。
その姿が完全に消えると同時に、
空間に残っていた光の粒が、花びらのように舞い散った。
彼女が最後に描いた円の軌跡をなぞるように、
裂け目は、まるで夢のように静かに閉じていった。
風が止み、世界が呼吸を取り戻す。
白い粒がゆっくりと降り注ぎ、大地に、森に、海に溶けていく。
そして、ただ静寂の中で――
ココの胸の灯が、やさしく脈打っていた。
その瞬間、長く世界を覆っていた雲がゆっくりと裂けた。
暗い帳がほどけるように退き、空の奥から淡い夜明けの光が滲み出した。
地上で、子供たちが指を指して歓声を上げた。
「見て! おっきな灯が!」
トゥルアは口元を押さえ、涙ぐみながら呟く。
「……雲が晴れた……! 陽がまた、世界を照らしている……。なんて、美しいのでしょう……」
ヴァルターは見上げていた。
――一人の少女が羽ばたき、祈る姿を。
「……不死鳥……。いや、違う……あれは……灯の巫女……。いや……」
ヴァルターは腑に落ちたように呟いた。
あの少女と直面した時から、彼女を思い出すたび、胸を締めつけていた違和感。
それは、過去への悔恨と置き去りにした愛の記憶、そして名もなき空虚だった。
風が通り抜ける。
どこから吹くとも知れぬ、懐かしい風。
その風の向こうに、草原が見えた。
揺れる緑の波。広がる青空。
陽光が、遠くの丘を金色に照らしている。
小さな笑い声が、風に混じっていた。
ヴァルターは、ゆっくりと顔を下げる。
そこには――無邪気に両腕を広げ、鳥のように羽ばたかせ、走り回る娘アリアの姿があった。
金色の髪を揺らしながら笑う少女が、彼に小さな手を伸ばす。
「ああ……そうか……。そうだったのか……」
ヴァルターの瞳から、一雫の涙が零れ落ちた。
それは熱で蒸発し、空気の中に溶けて消えた。
「――お前だったのか……まさか……そんなことが……。ああ……私は……なんという過ちを……」
ヴァルターの声が震えた。身体が強張り、石の鎧が、ピシリと音を立ててひび割れた。
青白く輝いていた守護の灯が、灼熱の赤に呑まれていく。
シンの炎の剣が押し込まれるたび、
刃と刃の間に生まれる摩擦が空気を灼き、
塔の空間が振動で鳴り始めた。
ギチギチギチギチギチィィィィ――ッ!!
金属が悲鳴を上げる。
周囲の温度が急上昇し、空気が膨張する。
呼吸するごとに肺が焼ける。
視界が揺らぎ、世界が溶ける。
「うおおおおおおおおおおおおおおッ!!!」
シンの咆哮とともに、剣の炎が白光を帯びた。
赤から橙、橙から白、そして――青へ。
それは、もはや“炎”ではなかった。
荒ぶる精霊が灯を呑み、絡み合い、融合していく。
やがて一本の光へと収束し、物質そのものが臨界へと達した。
ジュワァァァァァァァァァ――ッ!!
炎の刃が、空気中の塵を一瞬で蒸発させる。
水分はすべて気化し、金属が軋みながら変形する。
ヴァルターの鎧の継ぎ目から、白い蒸気が噴き出した。
――温度が急速上昇している。
ヴァルターはその異常に瞼が震えた。
「……シン……!!」
その声に、シンの目が見開かれた。
一瞬――炎の奥で、彼は見た。
石の鎧が割れ、次第にヴァルターの顔から冷たい機械の輝きが消えていくのを。
その瞳はもう、ルメオティスの支配には染まっていなかった。
そこにあったのは――確かに、自分が憧れた“師ヴァルター”だった。
「……この先、お前は、さらなる闇を見るだろう。
だが、それでも進むと言うならば――」
ヴァルターの十拳の剣が砕け散る。
亀裂が鎧を走り、胸の中心まで到達する。
守護の灯はすでに消え、炎の奔流が目前まで迫っていた。
――それでも、ヴァルターは退かなかった。
彼は砕けた剣から現れた杖を握り直す。
その先端に、青白い重力の灯が点った。
周囲の瓦礫が宙に浮かび、空気が沈む。
重力がねじれ、世界が歪む。
「うっ……うおぉぉッッ!!」
ヴァルターは杖を胸元に引き寄せ、シンの剣を自らの胸に受けた。
「何をしているっ!?」
シンの声が震え、混乱と悲しみが入り混じる。
シンの問いが届くより早く、ヴァルターはその身体を抱き寄せた。
刃が肉を裂き、鎧の内側で血が沸く。
だが彼は、まるで懐かしい息子を抱くように、
強く、優しく、シンをその胸に押し込んだ。
その瞬間――
シンの眼がわずかに揺らぐ。
胸元に触れたヴァルターの脈動が、いつか師に手を引かれた幼い記憶と重なる。
「 ――託したぞ………!」
掠れた声が、耳元で震える。
炎がヴァルターの背を貫く。
だがその腕は緩まない。
「……し、しょ……」
ヴァルターは渾身の力で戸惑うシンの身体を抱え、
そのまま――背中の爆風を受けて、跳ね上げるように弾き飛ばした。
その瞬間、杖の灯が炸裂し、ヴァルターの周囲に重力場が展開する。
光が沈み、音が吸い込まれ、爆発の奔流が一点へと収束した。
光が裂け、重力の中心が弾け飛ぶ。
圧縮されたエネルギーが一瞬で臨界を超え、塔全体が震える。
「――生きろォォォォッ!! 我が息子よォォォォッ!!!」
その言葉を残して、ヴァルターは微笑んだ。
その笑みは誇らしくも穏やかで――安堵と共に、光の渦へと消えていった。
刹那。
光と熱が融合し、一つになった。
温度は数千万度に達し、
周囲の物質が一瞬で気化して弾け飛んだ。
ドオオオオオオオオオオオオオオオオオオォォォォン――ッ!!
爆風が螺旋を描き、空を貫く。
塔の構造が唸り、空気が一瞬で押し出される。
世界は光に満たされた。
ヴァルターは灯生成機械ごと光に溶け、その存在ごと消えた。
「――し、師匠ぉぉぉぉぉぉぉッッ!!」
轟音とともに、シンの身体が吹き飛ばされる。
背後の瓦礫が飛び、塔の空気そのものが押し出される。
右腕が消え、シンの身体は、塔の外まで投げ出され、瓦礫の雨の中を回転しながら落下していく。
意識が遠のくそのとき――
闇の中で小さな炎が揺れた。
シンは静かに木の枝を焚べた。
慎重に、手のひらで風を遮る。炎を、消さぬように。
自分のためではない。
誰かのために。
炎がふっと揺れたとき、シンは顔を上げた。
そこにヴァルターが座っていた。
黒の記録官の装束を纏い、穏やかな微笑みを浮かべている。
「……ありがとう。上出来だ。……すまないな」
シンはその声を聞き、そっと口を緩めた。
炎が彼の頬を照らす。
それは、師への敬愛と称賛の喜びが混じる笑みだった。
炎がもう一度、小さく揺れた。
それはまるで、師の息が最後に吹き込まれたかのようだった。
そして――夜が、静かに明けていった。
――
気を失い、塔から静かに落下するシン。
「シン――ッ!!」
光の翼が翔け、彼の身体を受け止める。
光の中、ココはシンを抱き寄せる。
失われた右腕、血に濡れた顔。
ココはそれを見た途端、大粒の涙を流し、それがシンの頬に落ち、光を纏って彼の胸に吸い込まれる。
その瞬間、彼の唇がかすかに微笑んだ。
光の翼が、静かに丘の上へと降り立つ。
その背で、朝日が雲間を抜け、世界を金色に染めていく。
ココはゆっくりと大地を踏み締め、腕の中のシンをそっと地面に横たえた。
灯の羽は彼女の背でふわりとほどけ、無数の光の粒となって空へ散っていく。
最初に、泥にまみれたドレスの裾を広げ、トゥルアが深く礼をした。
隣で執事も静かに頭を垂れた。
クローは鼻をすすり、いつものように不器用な笑みを浮かべる。
ガイウスはまっすぐ背を伸ばし、力強く敬礼した。
その動きに呼応して、他の記録官たちも次々と膝をつく。
列の中には――ロイの姿もあった。
フレアは矢筒を下ろし、指で涙をぬぐう。
白いアグリが小さく鳴き、ルーミアがココの頬を優しく舐めた。
トマスは声を押し殺して泣きながら駆け寄り、震える声で彼女を抱きしめた。
ココは少し照れくさそうに笑い、抱擁を受け止めた。
そして、ふと視線を上げると――
丘を取り囲む人々が、皆、同じ動作で地に膝をついていた。
その誰もが、戦いの跡をその身に刻んでいる。
その光景に、ココは思わず目を丸くする。
一瞬の沈黙。
やがて彼女は頬をかき、困ったように、それでもあたたかく笑った。
「えへへ……。ただいまっ」
その声に、風がやさしく吹いた。
朝露が光を受けてきらめき、遠くの森では鳥たちが新しい歌を始める。
――その日、塔による支配は終わりを告げた。
世界は半分の“灯”を失い、急速な恵みも消えた。
けれど、空を覆っていた黒雲は裂け、陽はまた昇る。
それは、これまでよりもずっと遅く、緩やかな道のり。
灯の祝福がもたらす繁栄ではなく、
陽の光が育む、自然の恵みの季節。
だが、それは確かに――
人が自らの手で歩み出す、新しい“はじまり”の光だった。
『灯の断章 〜ココと記録の塔〜』をお読みいただき、本当にありがとうございます。
次回はエピローグです。完結までもう少し。
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感想があれば、裏話や設定なども語ろうかなと思います。よろしくお願いします!




