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灯の王

挿絵(By みてみん)



ココの瞳が、ゆっくりと見開かれた。


視界は白一色。

だがその中心に、ひとりの青年が立っていた。


艶やかなブロンドの髪が、風もないはずの空気に静かに揺れている。

その横顔はどこか神々しく、整った輪郭に、透きとおるような金の光が差していた。

だが――その瞳だけは、底知れぬほど澄み切り、どこか儚げな色を帯びている。


肩に乗った小獣が短い腕で顔を掻きながら、こてんと首を傾げる。

青年はそんな仕草に微笑み、次の瞬間、まっすぐにココを見つめた。


「……余の名は――エリアス・ギュルマーン。

 かつてこの地を治めし王にして、“灯の王”と呼ばれし者なり」


その声は、不思議なほど柔らかく、胸の奥へと沁み込むように響いた。

音というより、心に直接触れる波のような声だった。


ココは息を呑む。彼の胸に装飾された不死鳥の紋章を見て、同時に胸が高鳴った。


「え……“灯の王”って……まさか、あの石版に言葉を刻んだ……?」


エリアスは顎に指を添え、ふっと笑った。


「そうだ。もっとも、何を書き記したかまでは――もう思い出せぬ。

 二百年も前のことだからな」


「二百年……?」


その言葉を繰り返した途端、ココの顔から血の気が引いた。


「えっ……えっ、それって……もしかして……」


慌てて自分の身体を見下ろす。

腕も、足も、息の音も――ある。けれど、感覚がどこか遠い。


「……え!? それじゃ、私……死んじゃったってことですか!?」


声が裏返った。

ボコが驚いて「ピュッ」と鳴き、エリアスの肩にしがみつく。


エリアスは目を細め、優しく笑った。


「ふふ……死んだ、とは少し違う。

 “生と死のあわい”に、そなたは漂っておるのだ」


「……あわい?」


「うむ。命が尽きるその瞬間、そなたは“まだ生きたい”と願い、ミュレットの書を開いた。

 偶然か、あるいは運命か……時折の灯の力が、そなたを“さかい”の地――

 すなわち、この精神の世界へと導いた。

 灯の巫女として、な」


ココは言葉を失い、ただ立ち尽くす。

だが、彼の声を聞いていると、不思議と心が落ち着いていく。

その声音には確かに威厳があったが、同時に、あたたかな人のぬくもりがあった。


「おかげで、こうしてそなたと余は、時を越えて言葉を交わせる」


エリアスはふと微笑み、問いかけるように首を傾げた。


「ところで、そなた。名はなんと申す?」


「あ……ココです」


「ココ、か」


エリアスは小さく頷き、肩の小獣へと視線を向ける。


「ふふ……ココ。こやつはボコ。今では余の最も忠実なる側近よ。ココとボコ、似ておるな! はっはっは!」


ボコが「ピュッ!」と鳴き、尻尾の灯をぱっと揺らす。

その小さな仕草に、ココは思わず笑みをこぼした。


「そ……そうですね……。ボコって言うんだ……可愛い」


エリアスはその笑みを見て、穏やかに言った。


「灯を恐れぬ者に、闇は触れぬ。

 そなたの笑みがある限り、まだこの地に“生”は留まっておる」


ココはその言葉に胸を打たれ、自然と目を伏せた。

白の地平に、静かに風が流れる気がした。

光の粒がふたりの間を舞い、ボコの尾の灯がやさしく脈を打った。


やがて、エリアスは遠くを見つめる。

白い地平のはるか彼方――見えぬ何かを追うように。


「二百年前、余は灯の国を統べ、灯を生み出し、国を豊かにした。

 だが、その灯を妬む者たちが現れ、世界を歪めた。

 余は、己の無力を悔いながらも……“灯”を封じたのだ」


「……灯を、封じた……?」


「然り。

これ以上、灯が世に洩れぬよう、されど、後の子らに道の手懸かりを遺すため、

余は“ミュレットの書”に灯を封じた。

されど、人の欲はついに節を越え、己の手で灯を生み出すに至る。

――それが、久遠のならびを乱すわざわいと化すとも知らず」


「禍い……? 灯喰い……ですか?」


エリアスはゆるやかに首を振った。


「そなたらは、彼らを灯喰いと呼ぶか。だがそれは違う。彼らこそ、この地に恵みと繁栄を与える存在──

“ツクヨミ族”なり」


「ツクヨミ族……」


「余は彼らと信用を築き、灯を貸借する契りを結んだ。

人の願いは灯を生み、その灯は彼らに託されて世を巡る。

想い注がれし灯はその純を増し、やがて再び彼らの懐に還る。

かくして彼らは灯を蓄え、人は灯に生かされ、未来あすを創造する。

――その巡りこそが、世を廻す正しきことわりなり」


彼の声が静かに響き、白の世界が微かに震えた。


「契約なき灯の創出――それはすなわち、彼らより灯を掠め取るに等しき所業。

彼らは怒り、嘆いておる。

信用を失えば、ならびは崩れ、灯はまた闇へと帰すのだ」


「私たちが……灯喰い……いえ、ツクヨミ族から、灯を奪った……?」


震える声でそう問うと、ココの指先が小さく揺れた。

その指先を見つめながら、エリアスは静かに続ける。


「彼らもまた、人なり。

ただ、異なる位相に在りて、この世の理の裏側を司る者。

その怒りのかおは、我らの目には畏怖と映り、忌むべきものと見ゆるのだ」


ココは息を呑んだ。

脳裏に、あの夜見た“灯喰い”の姿がよみがえる。

その恐ろしくも哀しい光景――とてもではないが、彼らが“人”だったとは信じ難かった。


「信じられぬ、という顔をしておるな」


エリアスは静かにココへと視線を戻す。

その瞳には、深い悲哀と、かすかな希望の光が宿っていた。


「だが、彼らにしても同じこと。灯を奪い、心を病んだ我らの姿は、彼らの目には畏怖として映る。

それはまさしく――真を映す鏡の如くであろう」


言葉が静かに落ちるたび、白い砂がさらりと流れるように音を立てた。

ボコがその間をちょこちょこと歩き、エリアスの足元へ戻る。

小さな尾の灯が、ぴたりと止まり、ココを見上げるように揺れた。


ココは唇を震わせた。


「だったらどうして王様は、ツクヨミ族と信用を築けたんですか?」


その問いに、エリアスの目がかすかに揺れた。

長い沈黙ののち、彼は微笑とも溜息ともつかぬ息を吐いた。


「……彼らの真の姿を見た時、余は――愛してしまったのだ」


その瞬間、空気が震えた。

遠い記憶の底から溢れ出すような声音だった。

理を越え、罪すら抱きしめた愛――それが、すべての始まりだった。


ココは息を詰めたまま、ただその顔を見つめた。

エリアスの横顔は穏やかだったが、どこか痛みを堪えている。

ボコは彼の肩によじ登り、頬に小さく顔を寄せた。

その尾の光が弱く瞬き、まるで彼の涙を隠すように輝いた。


「……ボコよ、泣くでない」


エリアスは小さく笑い、ボコの頭を指先で撫でる。

それはまるで、自分自身を慰めるようでもあった。


ココはその仕草に胸を締めつけられた。

灯が生まれ、巡り、また還っていく――その仕組みは、まるで人と人が想いを交わすようだった。

信じ、託し、受け取り、また返す。

そこにあるのは取引でも義務でもなく――


愛だ。


「……そうか。灯って、愛なんだ……」


ココは小さく呟き、胸に手を当てた。

指先が自分の鼓動に触れ、涙が頬を伝う。


その声は白の世界に溶け、静かな波紋を描いた。

エリアスはその言葉を聞きながら、ふと遠くへ目をやる。


目を細めると、どこか遠い昔の微笑と声が、記憶の奥でかすかに揺れた。


「そうだ、灯は力、灯はいのち。

経済にして、希望の礎。そして、それら人の営みの本源は――

他者を想う心。即ち愛なり。

信ずることにより生まれ、疑えば消える。

ゆえに、人は愛を絶やしてはならぬ」


ココは唇を噛みしめ、俯いたまま小さく呟く。


「でも今の私たちの世界では……

記録官が灯を集めて管理して、

村の人たちは貧しい暮らしをしているんです。

だから、みんな怒って、争いが起きて……。

そしたら、今度はツクヨミ族まで現れて、

悲しみは、もっと膨らんで……。

だけど、記録官と村の人はツクヨミ族と戦うために手を組みました」


声が震え、最後の言葉はかすれた。

それは責めでも嘆きでもなく、

“どうしてこうなったのか”を問いかけるような響きだった。


エリアスはゆっくりと歩み寄る。

その足音はまるで波紋のように静かで、近づくほどにココの涙が頬を伝う音すら聞こえる気がした。


「それで、そなたはどうしたのだ?」


問われた瞬間、ココは顔を上げる。

その瞳には、迷いと、それでも消えぬ意志の光があった。


「私は……ミュレットの書を手に、みんなに灯を配りました。

 ツクヨミ族と対峙するために、光の武器も鍛えました……」


エリアスは一瞬、悲しげに瞼を閉じた。

ボコがその腕に身を寄せ、くうんと鳴く。

その音に、彼は小さく息を吐いて微笑む。


「……そうか。そなたは、よく戦ったな」


その言葉は称賛でも哀れみでもなく、

同じ苦しみを知る者が、静かに寄り添うような響きだった。


やがて、彼は再び目を開ける。

そこには王としての威厳ではなく、

人としての真摯な光が宿っていた。


「だが、戦いの原因は敵ではない。

人々が――灯の本質を忘れたからに他ならない」


ココは小さく息を呑み、拳を握った。


「私たちが、忘れてしまったから……」


エリアスは頷き、やさしく微笑む。


「案ずるな。

 だが、記録官と村人は、互いに手を組めたのであろう?

それは――人がまだ、人を信じられるという証。

 変われるという証だ」


その声には確かな温もりがあった。

ココは涙をぬぐいながら顔を上げる。

その頬に映る灯の粒が、まるで彼の言葉に応えるように瞬いた。


「されば――灯の巫女よ。

 人の子を再び導くために――

 そなたに、“灯”の真髄を授けよう」


エリアスはゆっくりと右手を差し出した。

指先に淡い光が生まれ、風のない空間にやさしく広がっていく。

ボコの尾の先の灯が呼応するように脈を打ち、

ココの胸の奥にも、ほんのりと温かな光が灯った。


エリアスは静かに一歩近づき、

指先をココの額へと触れさせた。


瞬間――。


声にならない声が、頭の奥で響く。

数え切れぬ光景や記憶、願い、祈り――それらが一気に流れ込み、

思考も境界もなく、世界そのものが胸の中へと注ぎ込まれる。


光が彼女の頭から胸へ、胸から腕へ、

足へと流れ、そして再び胸の奥へと還っていく。

まるで心臓がもう一つ生まれたように、胸の奥で“灯”が脈打った。


「……そんなの、できません……!」


ココは震える声を上げ、目を見開いた。

両手で胸を押さえる。その奥で燃える光があまりに眩しく、痛いほどだった。


「やっと……やっと手にした灯なのに……!

 どうして……!」


涙が頬を伝う。

しかし、その声はやがてかすかに変わっていく。


「……でも……」


震える手が、ゆっくりと光を抱くように胸の上で重なる。


「……わかりました……」


顔を上げた瞳には、迷いと共に確かな決意が宿っていた。


「私……もう一度、信じてみます。

 この灯が――誰かを照らす限り……

 きっと、道は続いていくから」


その瞬間、ココの胸の光がやさしく脈動した。

ボコの尾の灯が応えるように瞬き、

白の世界がふわりと揺れた。


エリアスはその光景を見つめ、静かに目を細めた。

やがてゆっくりと背筋を伸ばし、

右の掌を胸の前に掲げる。

その仕草には、王としての威厳と、長き祈りを継ぐ者の誇りが宿っていた。

風もないのに、彼のブロンドの髪がふわりと揺れ、

その身体を中心に淡い光の輪が広がっていく。


そして――声が降りた。


「恐れるな、灯の巫女よ。

そなたの灯が再び世に満ちる時、人とツクヨミ族は、再び心をひとつにせん。


夜はその名を失い、闇は休息となり、

灯は海を渡り、大地を抱き、

空に還りて、千の星と融け合わん。


それは滅びにあらず、始まりの兆し。

新たなる黎明れいめい

信の世の息吹なり。


愛しき子らよ――

信を忘るるな。

その灯こそ、永遠とわの君の代なれ!」


その声が響いた瞬間、世界が震えた。

光の粒が渦を巻き、エリアスの姿がゆるやかに遠ざかっていく。


「ま、待って……!」


ココは宙に引かれるように、白の世界から引き戻される。

風もないのに、髪が舞い、手が虚空を掴む。

その指先が届きそうで届かない――。


「王様っ――ありがとう!!

 私が必ず、みんなを救う!!

 私は、あなたを絶対、忘れない!!」


彼女の声は光に溶け、遠くへ、遠くへと運ばれていく。


エリアスはその声を静かに受け止めていた。

頬を一筋の光が流れ、閉じたまぶたの下で微笑が滲む。


「……ミュレット。

 そなたが選んだ者は、かくも純粋で、いとしき娘よ……」


ボコがその顔を覗き込み、尻尾をふるりと揺らす。


白の地平がまばゆく閃き、すべてが光に溶けていく。

やがて音も色も失われ、ただ――静けさだけが残った。

『灯の断章 〜ココと記録の塔〜』をお読みいただき、本当にありがとうございます。

物語はいよいよ佳境!


もし少しでも楽しんでいただけましたら、ブックマークや評価をいただけると大変励みになります。

感想があれば、裏話や設定なども語ろうかなと思います。よろしくお願いします!

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― 新着の感想 ―
灯は、愛。 腑に落ちました。 続きも気になりますが、裏話も気になります。
2025/10/29 18:49 退会済み
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