理想の終焉
記録の塔・頂上。
「終わりにする……。どこに隠れようと逃げ場はない。滅するぞ、シン!」
ヴァルターが杖を高く掲げ、叫ぶ。
「杖よ! その力を全解放せよ!」
その声に呼応するように、塔全体が震える。
ゴゴゴゴゴゴ……。
青白い光の筋が瓦礫の間を走り、縫うように交錯していく。
ひとつ、またひとつ、石片が彼の身体に吸い寄せられるように重なり、光が骨格を描くように、腕を、背を、胸を走り抜けた。
ゴゴゴ……メキメキ……ビチビチィィッ……!
やがて――音が変わる。
ギギギ……ギィィィィィン……!!
甲高い金属音とともに、露出した歯車が回転を始めた。
無数の導線が蠢く塔の心臓部――
灯生成機械が背後からせり出し、
まるで意志を持つ生物のように、鎧の背へと張り付いた。
歯車が噛み合い、蒼い光の管がヴァルターの背骨に沿って根を張る。
装置が彼の神経を侵し、灯の流れが肉体へと浸透していく。
瓦礫の巨躯――
人の輪郭を保ちつつも、その姿は背丈の二倍ほどに膨れ上がった。まるで石の巨兵のように。
青白い灯が脈動し、かつての理性はその光に溶かされていた。
瞳の奥で明滅するのは、もはや思考ではない。
ただ「滅せよ」「均衡を保て」と繰り返す命令の残響。
左手に握られた杖に青白い灯が走り、蛇の如く、石の鱗が巻き付きながら這い上がっていく。
カン、カン――カシュウウゥ……!
やがて杖は一本の長大な石剣へと変じた。
長さは“十拳”――
人の十手を重ねた、神話の尺度。
ひと振りすれば天の理すら断ち割る存在感――
巨塔の断罪剣。
その刃は、灯を内包するごとく青い筋が脈打つ。
「天羽々斬……」
ヴァルターはそう告げると、
それを静かに右手へと持ち替えた。
鎧の継ぎ目が軋み、巨躯がゆっくりと空へと浮上する。
そして大地すら割り裂くような咆哮。
「シン、貴様の歪んだ願い、希望、野望。ここで全てを粉々に、打ち砕いてくれる!!」
すかさず闇が揺らぐ。
炎がともり、黒い輪郭がヴァルターの頭上に浮かび上がる。
「たとえこの命が尽きても、民の灯は消えない!!
それでも――お前は俺が止めてみせるッ!!」
シンが宙を舞う。
身体を捻り、炎の剣が弧を描く。幾筋もの軌跡がヴァルターを囲う。刃が閃くたびに火の粉が弾け、青白い閃光が宙を散った。
ドゴォン、ドガァン、ドオオォォン――!!
「ちぃッ!」
ヴァルターはシンの斬撃を荒々しく打ち返す。
衝撃波で鎧が軋み、わずかに砕ける。
だが、なお硬く、光は形を保ち続けていた。
シンは勢いのまま回転し、崩れかけた石床に着地する。
呼吸を整える間もなく、ヴァルターが剣を掲げ、光を纏いながら宙を滑るように迫った。
ギィィィンッ――!
蒼白の軌跡が奔る。
ヴァルターの剣が一直線に薙がれ、浮遊する石床を両断する。
砕け散る破片が雨のように舞い、空間全体が振動した。
刃の動きには一切の乱れがない。
巨兵の見た目とは裏腹に、洗練された剣筋。
まるで機械仕掛けの詩――ヴァルターの剣技に重なる、完璧に制御された殺意。
ヒュン――ギンッ! ザザッ――!!
シンが跳ぶ。ヴァルターが追う。
浮石を蹴るたびに瓦礫が爆ぜ、青白い光と橙の炎が交錯する。
宙を翔ける二人の軌跡が、塔の闇に交差線を刻んでいく。
シンは逆手に剣を構え、迎え撃つ。
金属の悲鳴が響いた。
ガギィィィィン――!!
炎と石がぶつかり合う。
火花が舞い、衝撃波が二人を押し返す。
シンは剣を滑らせるように受け流し、反転してもう一撃。
ヒュッ――キィィィィン!!
ヴァルターの鎧の継ぎ目を狙った一閃。
しかし、青白い灯が即座に走り、斬撃を弾き返した。
炎が爆ぜ、爆風が二人の間に生じる。
瓦礫が舞い上がり、閃光が夜空を裂いた。
ヴァルターの剣が旋回する。
ギャリィィィン――! ドガァァァン――!!
規則的な光の輪が空間を切り裂き、塔の上空を照らす。
シンはその只中を駆け抜け、受け流し、打ち返す。
足場が砕けるたび、身体を捻り、闇の尾を引いて別の浮石へと移る。
火花と灯が交差し、空中に剣閃の円環が広がった。
ガキィィィィンッ!
ヴァルターの剣が彼の頭上を掠め、衝撃波が頬を裂く。
熱風が吹き抜け、衣の裾が焦げた。
断罪剣はさらに唸る。
シンは後方の瓦礫を蹴り、勢いを乗せて逆襲に転じた。
キィィィィン――!!
二つの刃が正面から激突する。
石剣が正確無比な突きを放つ。
シンは一瞬の間を読み切り、炎の剣を縦に構えた。
ガキィィィィンッ!!
火花が走る。
衝撃がシンの腕を裂き、体ごと吹き飛ばされる。
空中で体勢を立て直すと同時に炎を消し、再び姿を闇に溶かした。
静寂――。
青白い灯が僅かに揺らぎ、ヴァルターの瞳が闇の中を探る。
「……また隠れるか。だが無駄だ!光は、闇を必ず照らす!」
ヴァルターが剣を掲げる。
その瞬間――塔の周囲の瓦礫が、低く唸りを上げながら浮上した。
ゴゥゥゥゥン……ゴゴゴゴゴ……ッ。
石片の隙間を青白い灯が脈動するように走り抜け、やがて一つひとつが光源となり、蒼い閃光を放ち始めた。
バチッ、バチバチバチィィッ――!
瓦礫の群れは宙に散開し、塔の上空を照らし出す。
まるで無数のサーチライトが一斉に点灯したかのようだった。
青白い光の筋が交錯し、暗闇を切り裂くたびに、塔の影が生き物のように蠢く。
「逃げ場はないぞ、シン!!闇に潜ろうと、灯は貴様を暴く!!」
浮かぶ石床、支柱の影でシンは身を潜めていた。
黒いマントの切れ端が風に揺れる。
全身の傷が痛む。
シンは腹部を押さえ、荒い呼吸を抑え込みながら空を見上げた。
体力は尽きかけ、足が震える。
それでも、膝をつくことはできなかった。
天蓋のように広がる闇の裂け目――
そこから漏れる光が脈打つたびに、塔の輪郭がひび割れていく。
(裂け目が……さっきよりも広がっている……)
それは、灯生成機械の制御が揺らいでいる証だった。
空間が歪み、周囲の闇が波打つ。
次の瞬間――。
グゥゥゥゥゥゥ……ウウゥゥゥゥゥ……ッ!!
どこからともなく低い唸りが響き、
闇のひび割れから青黒い靄が噴き出す。
そこから、蝙蝠の灯喰いが群れを成して湧き出した。
羽音が耳を刺す。
バサバサバサバサ……バサバサバサバサッ……!!
シンはその影を目で追う。
灯喰いたちはまるで血の匂いに惹かれるように、
真っ直ぐヴァルターの方へと集まっていく。
(ヴァルター――いや、ルメオティスはすでに暴走している。秩序を守るために灯を濫用し、壊れた秩序をまた守るために灯を濫用する。依代となったヴァルターの身体と魂は、その度にすり減っていく……)
循環する矛盾。崩壊するアルゴリズム。
それは理想を守るために自らを喰らう、哀れな塔の成れの果てだった。
シンは拳を握りしめた。
「……もう時間がない」
ヴァルターは無言。
石鎧の巨躯が一歩踏み出し、剣を掲げる。
瓦礫が唸りを上げて浮上し、散弾のように飛び出す。
ドゴォォォン――!
青白い閃光。
瓦礫が灯喰いを次々と粉砕し、蒼い光片が空中で弾けた。
しかし、その数は減るどころか増えていく。
まるで、ヴァルターの灯そのものが、
さらなる闇を呼び込んでいるかのように。
――
瓦礫が積もる荒野に、三頭のアグリの光玉が淡く揺れていた。
闇に浮かぶその光が、人々の希望のように瞬いている。
「そこっ!」
フレアは白いアグリの背から弓を引き絞り、光の矢を放つ。
ギィィ――ピシュゥゥン!
閃光が闇を裂き、突進してきた灯喰いの額を貫いた。
「ココ! 右手の瓦礫の陰、まだ生存者がいる!」
「はいっ!」
ココは逸れた人々の姿を見つけると、ルーミアのたてがみを軽く撫でた。
ルーミアは泥を蹴って駆け寄り、すぐさま横滑り気味に止まる。
ココは書を開くと、その背から身を乗り出し、掌に灯をともした。
柔らかな光がこぼれ、恐怖に震える人々の顔を優しく照らす。
「大丈夫、北の丘陵地を目指してください!みんな、集まってる!」
「あ……ありがとうございます!」
ココが指し示す光を頼りに、人々はトゥルアたちの向かう北の丘陵地へと走り出した。
「塔が崩れて、さっきよりも瓦礫で道が塞がっているわ!」
「ならば、俺に任せろ!」
ガイウスがアグリの背から跳び降り、雷槍を構えた。
稲光が走り、金の鎧が閃く。
「雷光よ!! 道なき道を――貫けッ!!」
轟音が世界を裂いた。
天から落ちた閃光が、槍の穂先と一体となる。
「――蒼雷断界ッ!!」
ドォォォォォォォォォォォォォォォッ!!
雷撃が轟音とともに瓦礫の山を貫いた。
岩塊が粉砕され、蒼雷の閃光が砂塵を照らす。
煙の向こうに――塔の真下へ続く一本の道が現れる。
白いアグリの背の上で、フレアが思わず息を呑む。
「……磨きをかけて馬鹿馬鹿しいわね……ガイウス」
ガイウスはにやりと笑い、肩に光の雷槍を担いだ。
「道なら、この雷帝がいくらでも切り開いてやる」
荒野に風が吹く。
砂塵の舞う、切り開かれた道の奥――
瓦礫の影に、黒い影が立っていた。
鎌を携えた人影。
その刃は光を反射せず、冷たい暗さを感じさせる。
影は一歩も動かない。
ただ、深い闇の底から覗くように、ココたち三人を見据えていた。
ガイウスは眉をひそめ、槍を構える。
影は揺らめき、輪郭が定まらない。
まるで、この世に存在すること自体が“誤差”のように。
「灯喰い……? 嫌な予感がするわね……」
フレアが低く呟く。
ココは胸元のミュレットの書をぎゅっと抱きしめた。
死神――
まるでその灯喰いは、不穏な未来を予見するかのように、そこに立っていた。
「助けてくれぇッ!!」
どこからともなく、悲鳴が裂けた。
瓦礫の陰から、助けを求める声が幾重にも響く。
「フレアさん、あっちで灯喰いに襲われてる人がっ!ルーミア、急いで!」
ココが振り向き、叫んだ。
「ココ、わかったわ!」
フレアは即座に返事を返し、白いアグリの手綱を引き締めてガイウスの方を見る。
ガイウスは肩越しにちらりと視線を送ると、にやりと笑った。
「――ああ、早く行け。あいつは俺が片づける。」
フレアは死神の灯喰いを一瞥し、静かに言う。
「……気をつけてよね、ガイウス!」
ガイウスは槍を構えたまま、真っすぐ前を向いて答えた。
「心配するな。雷帝は、敵に背を向けたりはしない」
そう言って、彼は切り開かれた道の奥へと駆け出した。
フレアはその背を見送り、ココとルーミアの後を追う。
「悍ましい灯喰いめ……この雷帝が相手だッ!!」
雷槍の穂先に、雷が溜まっていく。
蒼い閃光が荒野を裂き、轟音とともに砂塵が舞った。
だが――死神は、微動だにしない。
「うおおおおおおおおッ!!」
ガイウスが地を蹴り、稲妻を纏って一直線に突き進む。
振り上げた槍の穂先に、目一杯の雷玉が集束する。
そして――全身全霊で振り下ろされた、その瞬間。
ザシュッ。
空気が裂けた。
ほんの一瞬、死神の大鎌が動いた。
刹那、世界が止まる。
雷光の中で、ガイウスの瞳がわずかに見開かれる。
時間の流れが溶けて、光だけが残る。
逆立つ髪が静電に揺れ、
その動きすら、ゆっくりと凍りついていく――。
ガシャァァァン。
鈍い音が地に響いた。
槍を握ったままの両腕が、ガイウスの身体から離れ、
瓦礫の上を転がって止まる。
音が消える。
風も止む。
雷鳴も途切れた。
ぽたり。
血のひとしずくが、乾いた大地に落ちる。
その赤が、じわりと広がり、土を侵していく。
やがて――あたり一面に血の匂いが満ちた。
雷槍の穂先には、まだ微かに稲妻が走っていた。
それは、雷帝の魂が最後に残した呼吸のように、
荒野を淡く照らしていた。
――
ゴゴゴゴゴゴゴ……
ルーミアの耳が伏せ、蹄がためらう。
地の底で獣が寝返りを打つような微震が、何度も足許を撫でた。
「はやく行かないと! ルーミア、もっと早く!」
ココはルーミアの手綱を強く握った。
ルーミアが短く嘶き、地を蹴る。
風を切る音が耳を裂き、二人は瓦礫の荒野を一直線に突き抜けようとした。
――その時。
荒野が大きく震えた。
「ぴやッ!」
ズズズズズズズズゥゥゥゥゥン……!!
「きゃあっ!!」
足元がひび割れ、隆起した地面が波打つ。
ルーミアは体勢を崩し、脚を取られる。
バランスを失った瞬間、ココの身体が大きく宙へと投げ出された。
「ココッ!! ココォッ!!」
ココを後から追ってきたフレアが叫んだ。
白いアグリの手綱を強く引き、泥を蹴って駆け抜ける。
なおも余震が続く道を、砂塵をかき分けながら進んでいく。
胸の奥で焦りが、痛いほどに脈打っていた。
瓦礫を一つ越え、目を細めたその先――
フレアは息をのんだ。
喉の奥で音が途切れる。
ココが倒れていた。
ミュレットの書を開いたまま、こちらを見つめている。
その瞳は焦点を失い、虚ろに揺れていた。
唇が何かを言おうと動いたように見えたが、声は届かない。
「……ココ?」
声が震えた。
白いアグリが鼻を鳴らし、足を止める。
フレアはアグリから飛び降り、瓦礫の上を駆け寄る。
足元の砂塵が舞い、靴の裏でぬかるんだ血を踏んだ。
ココの身体が、ぴくりと微かに動いた。
その頭から流れ出した血が、土に沁み込み、ゆっくりと赤い輪を広げていく。
熱が奪われていくのが見えるようだった。
「……いや……嘘でしょ……?」
フレアの血の気が、瞬く間に引いた。
心臓の鼓動が遠ざかり、耳鳴りの中で自分の呼吸の音だけが響く。
そして――息が詰まるほどの絶叫が、荒野に放たれた。
「ココォォォォォォォォッ!!!!」
その叫びは瓦礫に反響し、塔の残骸を震わせ、
まるで世界そのものが泣いているかのようだった。
『灯の断章 〜ココと記録の塔〜』をお読みいただき、本当にありがとうございます。
物語はいよいよ佳境!
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応援が大きな力となり、物語を続ける原動力になります!




