覚醒
ヴァルターは杖を振り、瓦礫を飛ばしながら蝙蝠型の灯喰いを次々と薙ぎ払っていく。
空間が歪み、赤黒い閃光が走るたびに、塔の秩序が音を立てて崩れていった。
塔の頂上――その床の半分はすでに崩れ落ち、破断した床の縁から覗けば、下の階層が口を開けている。
「……秩序が崩れる。
元凶は、あの巫女……いや、あの書か。
急ぎ、止めねばならぬ」
低く呟き、ヴァルターは右手の剣を鞘に収めた。
杖を支えに、一歩、また一歩と歩き出す。
足元には瓦礫と血に濡れた金属片――そのさらに下、瓦礫の海の中に、シンの身体が埋もれている。
一瞥だけをくれ、崩落しかけた階段へと向きかけた、その瞬間――
ガラ……ッ。
小さな音。
瓦礫の山から、転がり落ちた石片がひとつ。
ヴァルターの眉がわずかに動いた。
ゆっくりと振り返る。
微かな光が、瓦礫の隙間から滲んだ。
――次の瞬間。
ドオォォォォォンッ!!
眩い閃光が爆ぜ、瓦礫の中から炎の柱が立ち上がる。
赤と橙の光が渦を巻き、塔の闇を切り裂いた。
熱風が吹き荒れ、ヴァルターの長い白髪が翻る。
「……っ!」
思わず右手で顔を庇う。
瓦礫の表面が赤熱し弾け、細かな金属粉が火花となり宙を舞う。
炎の柱は天へ伸び、その中心――
一本の剣が、ゆっくりと立ち上がった。
剣身は灼熱に達した。
光の剣は、揺らめく炎を纏う。
酸化した塵が橙に舞い、焦げた匂いが満ちる。
その全てがひとつに収束し――
まるで、世界の理そのものが“光”の形を取り戻しているかのようだった。
ヴァルターの瞳が見開かれる。
この光――あの夜と同じ。
崩れ落ちる街。
泣き叫ぶ声。
燃え盛る炎を前に、膝をついた己の姿。
「マリアン……アリア……」
喉の奥から、掠れた声が漏れる。
見下ろす炎の柱の中に、一つの影が立ち上がる。
剣を携え、ゆっくりと顔を上げる青年――
それが誰かを理解した瞬間、ヴァルターの手が震えた。
杖を握る指が、微かに軋む。
「……シン……!」
ヴァルターがその名を口にした瞬間――
ふっと、あたりが闇に沈んだ。
塔を照らしていた赤光が掻き消え、残るのは瓦礫のきしむ音だけ。
ヴァルターは眉をひそめる。
そこに、確かに“いた”はずの男の姿が――消えている。
「……なんだ……シン、どこへ行った!?」
静寂。
闇が息を潜めたかのように、音さえ消える。
――チチ、パチ……。
微かな火の爆ぜ。
背後から、熱を帯びた風が頬を撫でた。
ヴァルターの長いマントが、炎の光に照らされて揺らめく。
「……!!」
ガキィィィィィン!!
反射的に剣を抜き放つ。
閃光、火花。衝突の衝撃が空気を裂き、熱風が吹き荒れた。
瓦礫が跳ね、ヴァルターの身体が後方へ弾かれる。
ズザザザザッ――
右足で踏ん張り、体勢を保つ。
汗が額を流れ、ゆっくりと顔を上げる――
そこには、炎の剣を握る男が立っていた。
瓦礫の灰にまみれ、破れた黒衣が風に舞う。
その眼は燃え、まるで“炎そのもの”が宿ったようにギラリと輝いていた。
「……シン……」
ヴァルターは小さく呟く。
シンは静かに答える。
その声には、迷いも恐れもなかった。
「ヴァルター……
あんたこそ――この炎に、怯えていたんじゃないのか?」
ヴァルターは震えながら、シンの炎を見つめていた。
その橙の光が、かつて自ら封じたはずの“人の情”を呼び覚ます。
「……怯えている、だと? 私が……?」
低く呟き、唇が微かに震える。
その目の奥に、炎の揺らぎが映る。
だが次の瞬間、視界が再び闇に染まった。
「……!!」
背後で炎がともり、声が響く。
「灯は――紛れもなく人に希望と繁栄を与える光だ。だが、その代償として“灯喰い”が現れる」
ヴァルターはその声の方向へ身を翻し、剣を薙ぐ。
だが空を切った。
熱風だけが頬を撫でる。
灼熱で歪んだ陽炎が虚像を生み、焦げた匂いが足音を消す。
再び、反対側で炎がともる。
「俺たちが配った灯は、あの夜、人の命を奪った。だから俺たちは……人を守る道を選んだ。
記録官が灯を管理し、制御することこそ、人の救いだと信じて――」
その声と同時に、ヴァルターが振り向く。
燃える刃の反射が、その頬を朱に染めた。
次の瞬間、炎の剣が振り下ろされる。
ヴァルターは咄嗟に剣で受け止める。
キィィィィィン――!!
激しい火花が散り、二人の顔が至近距離でぶつかる。
呼吸が交わり、灼熱が肌を焼く。
「合理的で、正しい選択だ!
それによって、灯喰いによる被害は限りなく抑えられた!」
ヴァルターが声を荒げ押し返す。
だが、押し切れない。
灼熱の刃が軋み、ヴァルターの額に汗が滲む。
「ぐぬぬぬ……!」
シンが剣を払う。
瞬間、再び闇が塔を包む。
ヴァルターの身体が後方へ弾かれ、膝をつきかけるが――踏みとどまった。
荒く息を吐くヴァルター。
視線の先、炎の揺らめきがゆらりと近づいてくる。
「だが……記録官たちは権力を持ち続け、堕落した。民はただ、生かされるだけの“管理された世界”に閉じ込められた」
シンの視線が、青白い脈動を放つ灯生成機械に向かう。
塔の中心で、光が不規則に明滅していた。
「もう悲劇は繰り返さない……」
ヴァルターの拳が震え、杖の石突きが床を叩く。
金属音が空気を震わせ、崩れかけた塔に響いた。
「多少の痛みは抱えても、失う虚無に比べれば、どうということはない!!」
その叫びに、炎がわずかに揺らいだ。
シンは静かに一歩、前へ踏み出す。
「それが……生きてるって言えるのか?」
声は低く、だが空間全体を震わせる熱を帯びていた。
「人を軽んじるな、ヴァルター!」
その叫びは怒りでも嘲りでもない。
ただ、燃えるように真っ直ぐな――祈りにも似た声だった。
ヴァルターの目が閃く。
一瞬、剣を構えようとするが――踏みとどまる。
「貴様こそ、何人の命を犠牲にして、そこに立っている!?
下から聞こえる喧騒も悲鳴も、貴様が巻き起こした結果だ!」
「そうだ!」
シンの声が爆ぜる。
炎が高く跳ね、瓦礫の影が長く伸びる。
「だが民が――
自分たちの手で掴もうとしている“自由”の叫びだ!俺は、信じてる……!
その先にこそ、本当の人の救いがある!
その意思こそが――真の“灯”なんだ!」
「――ならば、証明して見せろッ!!」
ヴァルターが杖を振り抜く。
空気が歪み、瓦礫の群れが鋭い弾丸となってシンへと飛ぶ。
ゴゴゴッ――!!
その瞬間、シンが踏み込む。
炎の剣が閃き、横一文字に振り抜かれた。
――キィィィィィンッ!!
次の刹那、飛来した瓦礫が触れた瞬間に蒸発した。
爆ぜる音もなく、跡に残ったのは、空気を揺らす熱の残光だけ。
ヴァルターの瞳がわずかに見開かれる。
その光の中で、シンの姿が一歩、また一歩と迫る。
まるで――炎そのものが、意思を持って歩み寄ってくるかのように。
シンは剣を構え、低く呟いた。
「これが、虐げられてきた者たちの想いの光……」
その刃が、音もなく震えた。
次の瞬間――炎が一気に燃え上がる。
それは怒りでも破壊でもない。
かつて踏みにじられ、声を奪われた無数の人々の、
“願い”がひとつに溶け合い、形を成したような光だった。
「――かつてあんたが愛した、人が生み出す、か細く弱々しい炎だ!」
一閃。
ドゴォォォォオオオッッ!!
ヴァルターは目前に迫る光の奔流に身を竦ませる。
咄嗟に杖を掲げ、足元の石床を隆起させ、石の壁を作り出す。
だが、炎が触れた瞬間――壁は音もなく消えた。
灰すら残さず、ただ空気の中に“記憶の跡”だけを焼きつけて。
そして炎の刃が、ヴァルターの胸を斜めに掠めた。
「ぎゃあああああああああッッ!!」
傷口が燃え上がり、ヴァルターは地に転がった。
必死に衣服で胸を叩き、熱をかき消そうとするが、炎は皮膚ではなく“内側”を焼いていた。
灼けるのは肉ではない。記録だった。
記録が逆流する。
炎の旧式ランタン――
少年の背に刻まれた焼け跡。
花の棺に眠るカリヤ。泣き叫ぶグレイブ。
焚き火。燃え盛る炎。
すべてが、彼の視界の奥で同じ炎に呑まれていく。
「やめろッ……! やめてくれ……!!」
ヴァルターの瞳から、初めて涙がこぼれた。
それは痛みの涙ではない。――失ったものを、ようやく“痛み”として受け止めた者の涙だった。
「シン……私は、……私は……!!」
そして――視界は暗転した。
――
ボッ……。
記録の闇の底に、ひとつの青白い灯がともる。
その光に照らされ、無数の仮面の白装束たちが輪を描いて立っていた。
その中央に、ヴァルターがいた。
虚ろな目。
左足から広がる血の池が、冷たい床に花のような模様を描いていく。
「――記録官長ヴァルター。いや……王よ。」
誰かが呟いた。
それは祝詞のようでもあり、葬送のようでもあった。
「貴様の魂は、これより灯生成機械の一部となる。
貴様の嘆き、怒り、憎しみは、生命の糧となり、
この地に――恵みの灯を与えるだろう」
声が重なり、低い振動が空気を震わせる。
仮面の白装束たちは、青白い光の中で両手を掲げた。
「王よ!」「王よ!」「王よ――!」
歓喜とも、狂気ともつかない賞賛が、絶え間なく繰り返される。
「……やめろ……やめろ……!」
掠れた声が漏れる。
――王よ。
――王よ。
――王よ。
「……私は……ヴァルター・ウォールデン……」
言葉が溶けていく。
意識が光に融ける。
「違う……私は……」
光は脳の奥を這い、思考の形を変えていく。
音も、光の波に攫われていく。
仮面たちの唱和が一段と高まり、空間全体が振動した。
塔の上空に青白い光が拡がり、灯生成機械の巨大な歯車がゆっくり廻り始める。
ヴァルターの瞳から焦点が消える。
「……私は……」
その顔に静かな微笑だけが浮かび上がる。
「――王だ!」
『灯の断章 〜ココと記録の塔〜』をお読みいただき、本当にありがとうございます。
新人作家ゆえ、新作リストではすぐに埋もれてしまい、なかなか多くの方に見つけていただくのが難しい状況です。
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