火を焚べる
記録の塔――頂上。
キィィィィン! ヒュイィィィッ――ズガァァァァン!!
爆裂音と金属の悲鳴が入り乱れる中、シンは迫り来る瓦礫と鉄片の嵐を、紙一重でかわし続けていた。
背中のマントは裂け、千切れた布が風に翻る。
腕と頬には無数の切創。血と汗が混じり合い、視界を赤く滲ませる。
塔全体が、まるで呼吸するように脈動していた。
石床を形成していた無数のブロックが、まるで見えない磁力に導かれるように宙へと浮かび上がる。
床は沈み、瓦礫は舞い、シンの足場はどんどん削り取られ、塔の中央――頂に立つヴァルターとの間に、
次第に明確な高低差が生まれていった。
石造りの外壁はひび割れ、機械の骨組みがところどころ露出している。
内部からは唸るような灯の音――それはまるで、世界の心臓が軋みを上げているかのようだった。
「……ハァ、ハァ……ッ!」
息を整える暇もない。
ヴァルターは相変わらず塔の心臓の脈動を背に、塔の頂に微動だにせず立っている。左手の杖を幾重にも弧を描くように振る。
瓦礫が宙に舞い、鋭利な金属片が意思を持つようにシンへ襲いかかる。
キィィィィン――!
床が裂け、瓦礫が宙へと舞い上がる。
ドガァァァァァンッ!!
「……っ!」
シンは身体を捻りながら飛び散る瓦礫を避け、光の剣で金属片を弾き飛ばす。
火花が散り、風が巻く。
ヴァルターはその動きを冷ややかに見下ろしていた。
「シンよ……所詮、貴様たち人は摂理の下でしか生きられぬ存在。
襲いかかる脅威に怯え、逃げ惑い、やがて自らを喰い潰す。
――それが“人間”という種の記録だ」
ヴァルターの声は静かでありながら、塔の震動に負けないほど深く響いた。
シンがその姿を見上げ、ヴァルターへ鋭い眼差しを向けた――その瞬間。
ゴゴゴゴゴゴゴッ――!!
塔が呻き声を上げる。
足元の石床が震え、石塊が悲鳴を上げるように持ち上がった。
「……なっ――!」
シンの足が滑り、体勢を崩す。
塔の一角がうねるように盛り上がり、そのまま崩れ落ちた。
重力が身体を引き裂く。
ドゴォォォォォン――!!
轟音。砂煙。
シンの身体は足場ごと崩落し、瓦礫の渦に呑まれていった。
風が怒号のように吹き抜け、視界が上下に反転する。
「くっ……!」
叩きつけられる衝撃。
鈍い痛みが背中から全身を駆け抜け、呼吸が詰まる。
すぐ下の階層――ヴァルターの私室。崩れた床の上に転がり、身体が跳ねた。
息が、出ない。
口の中に鉄の味が広がる。
視界の端で、ひび割れた天井が軋む。
――ズズズズズッ……!!
ヴァルターの立つ上層から、瓦礫の雨が降ってきた。
シンは咄嗟に腕で頭を庇うが、容赦なく石塊が叩きつけられる。
肩が裂け、血が飛んだ。
崩れた床の上、身体の周りに次々と瓦礫が積み重なっていく。
息を吸うたびに、肺が軋み、空気が粉塵に変わる。
「……まだ、だ……!」
動こうとするが、足が動かない。
冷たい石の感触と、重み。
やがて、最後の瓦礫が崩れ落ち、視界の光が閉ざされた。
ヴァルターはその光景をただ見下ろしていた。
瞳には哀れみとも、嘲りともつかぬ光が宿る。
「――抗えば抗うほど、記録はお前を拒む。
それが、この塔の“摂理”だ。」
その声と同時に、周囲の空間が歪み始めた。
空気が波打ち、ひときわ濃い闇が塔の天へと立ち昇る。
そこから――
バサバサバサッ……!
無数の蝙蝠型の灯喰いが現れた。
黒い翼が夜を裂き、群れとなって渦を巻く。
ヴァルターは一瞬、怪訝そうに眉をひそめた。
「ふん、虫ケラどもめ……」
杖を振る。
その動作一つで、瓦礫が嵐のように舞い上がり、蝙蝠の群れを粉砕した。
閃光と共に黒い塵が散り、再び空間の歪みだけが残る。
ヴァルターは裂け目に目を向ける。
「……また裂け目が広がったか。
灯の濫用――これも、巫女の影響か?」
ヴァルターは低く呟き、わずかに目を伏せた。
その瞬間、塔の振動が遠ざかり、世界の音が静まり返る。
ゆっくりと、まぶたを閉じる。
闇の内側に、ひとつの面影が浮かんだ。
――怯えながらも、決して逸らさなかった瞳。
自分を真っすぐに見据えた、あの少女――ココ。
“無知で、脆弱で、愚かな小娘。
理想主義に酔い、己の立場すら理解していない。”
心の中でそう吐き捨てながらも、なぜかその瞳を思い出す。
曇りなき光。
まるで他人の心の奥底を透かすような、あの眼差し――。
ふと、胸の奥を風が通り抜けた。
どこから吹くとも知れぬ、懐かしい風。
その風の向こうに、草原が見える。
揺れる緑の波。広がる青空。
陽光が、遠くの丘を金色に照らしていた。
――あの頃。
まだ自分が“ひとりの記録官”であり、
“人”として生きていた時の記憶。
小さな笑い声が、風に混じっていた。
ヴァルターはそっと目を開いた。
そこにあったはずの青空は、もうどこにもなかった。
見上げれば、赤黒い雲が渦を巻き、塔を包み込んでいる。
低く、地の底から響くような振動。
遠くから、かすかな喧騒と悲鳴。
――あぁ、これが現実だ。
「ヴァルターよ、現実を受け止めよ。すべては人の業。この醜い世界を、それでもお前は守りたいのであろう?」
裂け目から王と呼ばれた者の声が響く。
青白い光がまるで自分を呑み込もうとするかのように、そう問いかけた。
ヴァルターは黙って杖を握り直した。
手のひらに走る痛みが、確かに“生”の感触を伝えていた。
「……そうだ。
私は倒れるわけにはいかない」
灯の脈動が轟音のように響き、
塔の上空には再び、蝙蝠の群れが暗雲のように飛散した。
――
闇。
世界は、音を失っていた。
ただ沈黙だけが、瓦礫の間を漂っている。
その闇の底に――
ひとつ、小さな光があった。
それは“灯”の光ではない。
青でも白でもない。
オレンジに揺らめく、小さな光。
か細く、心許ない。
触れれば消えてしまいそうな、ひとひらの炎。
それでも、確かにそこに在った。
息を潜め、シンはその光を見つめる。
瓦礫の隙間から吹き込む風に、炎がふっと揺れた。
その一瞬、シンの胸の奥が熱を取り戻す。
――ゴツゴツとした手が、小さな火を焚べていた。
骨ばって、節くれ立っているのに、不思議と器用な手だった。
灰を払う指先の動きは繊細で、薪を積む角度までも計算されていた。
粗野ではない。研ぎ澄まされた、理知の手。
パチ……パチ……。
小さな火が息を吹き返す。
風が吹けば消えてしまいそうな、頼りない火。
だが、その手は何度も、慎重に風を遮り、息を吹きかけ、火を育てていく。
守りたい。この火を。
決して、絶やしてはいけない。
その想いが、彼の胸を焦がした。
『灯の断章 〜ココと記録の塔〜』をお読みいただき、本当にありがとうございます。
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