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震える塔

「きゃあっ――!」


塔が大きく振動した。

ココは悲鳴を上げ、足を取られて膝をついた。掌に伝わる石の冷たさが、恐怖を現実に変える。


「ココ!」


フレアはロイを背負ったまま身をかがめ、ココを抱き止めた。

揺れは収まらない。壁の石がきしみ、砂塵がぱらぱらと降り注ぐ。

微震が続くたびに塔全体がうめくような音を立て、まるで生き物のように軋んでいた。


「大丈夫……? 立てる?」


「う、うん……」


ココはかすかに頷いた。

息を整えながら顔を上げると、空気がざわめいている。

塔の内部を満たす灯が揺れ、明暗が不規則に脈打つ。

まるで、塔そのものが痛みに耐えているようだった。


「何なのよ……この振動……?」


ココは胸に手を当てた。

自分の鼓動と塔の鼓動が、奇妙に重なり合う。

その胸の奥が、嫌なほど熱を帯びている。


「……シンが、戦っているの……?」


小さく震える声が、埃混じりの空気の中で溶けた。

ココは下へ続く階段を見つめた。

暗闇の奥――そこに、幾つもの倒れ伏す影があった。


鎧が砕け、壁には血の飛沫が広がっている。

矢が肩や脚に突き刺さったまま、うめき声を漏らしている記録官たち。

割れたランタンが床に転がり、灯の残滓が儚く瞬いていた。


その光が、まるで彼らの命の名残のように見えた。


フレアはわずかに目を伏せた。

ほんの一瞬の沈黙。

唇を結び、感情を押し殺すように息を吸う。


「いい? 私がいる。ゆっくりでいいから進もう」


フレアはココの小さな手を取り、前へ歩き出した。

その背中は凛としていた。

だが――その心の奥では、静かに崩れそうな痛みがあった。


――悟られてはいけない。


足元に横たわるのは、自分とシンがココを救うために打ち倒した同胞たち。

急所は外している。命までは奪っていないと分かっている。

それでも、血を流させ、武器を奪い、戦えなくしたのは自分たちだ。


共に灯を掲げたはずの仲間たちだった。


フレアは目を逸らさず、ただ一歩ずつ前へ進む。

ココの手の温もりが、その罪を突きつけるように指先に残っていた。


ココは歩きながら、何かを感じ取っていた。

フレアの背中が、いつもより重たく見える。

それが何か、まだ言葉にはならない。

ただ胸の奥で、得体の知れない痛みが膨らんでいく。


階段を下り切るその時――


「――止まれ!」


鋭い声が響いた。

階段の踊り場。

そこには数人の記録官が立ち塞がっていた。


槍の穂先がきらりと光り、腰の灯が青白く揺らめく。

冷たい風が吹き抜け、空気が凍りつく。


「貴様、フレア上級記録官! 反逆者シンに肩入れしおって!」


怒号が響く。

ココは反射的にフレアの背に隠れた。

胸の鼓動が耳の奥で鳴り響く。冷たい空気が喉を塞ぎ、息が詰まる。


だが、フレアは怯まなかった。


「……罪は償う」


声はかすれていた。だが、その震えは恐れではなく、覚悟の色を帯びていた。

胸の奥で何かを断ち切るように、彼女は両の拳を握りしめる。


「私がしたことの責任は――すべて、私が負うわ」


その言葉と同時に、ひとつ息を吐く。

乱れた前髪の隙間から、彼女はまっすぐ前を見た。


「でも今は――この子を連れて行かなきゃならないの!」


槍を構える記録官たちの視線が、一斉にココへと向いた。

その冷たい光が、刃のようにココの胸を刺す。


フレアの言葉が耳に残る。


胸のざわめきが、確信に変わった。

胸の奥が痛い。息が苦しい。

理解したくない。けれど――理解してしまう。


――自分は、守られている。


それは、ココの“優しさ”の代償だった。


記録官たちは怒りをあらわに、罵声を浴びせる。


「この裏切り者が……!」


「上級記録官のくせに反逆者と通じるとは!」


フレアは一歩、彼らの前へと踏み出した。

赤いマントをかすめる槍の音が、緊張の糸をさらに張り詰めさせる。

それでも、彼女は目を逸らさなかった。


「止まれ!」


怒声が飛ぶ。

だが、フレアの足は止まらなかった。

胸の鼓動が大きく響き、身体中を震わせる。


その音が、ココの耳にも届いた。

彼女の頬を一筋の涙が伝う。

初めて感じる――戦うということの意味。

それは命を懸けて、誰かを守ることだった。


その時だった。


眠っていたロイが、静かにフレアの背から降り立った。

まだ足取りはふらついている。

だが、その目には確かな光が宿っていた。


「この方は罪人じゃない!」


声は震えていた。けれど、その響きには真実があった。


「灯の巫女です! ……この世界に、まだ希望を残せる唯一の存在です!」


その言葉が、塔の中に響いた。

空気が止まる。

誰もが息を呑む。


フレアも、ココも、記録官たちも――

その声に引き寄せられるようにロイを見つめた。


ロイはただの一記録官だった。

地位も力もない。

だが、その声だけは真っ直ぐで、震えなかった。


怒号よりも鋭く、静寂よりも深く、彼の言葉は塔に染み渡っていく。


「どうか……通してください!

 今この方の歩みを止めれば……本当に、灯は絶えてしまう!」


彼の声が反響した瞬間、塔の壁に埋め込まれた灯がふっと揺らめいた。

まるで彼の想いに応えるように。


記録官たちは顔を見合わせた。

握っていた槍がかすかに下がる。


その灯が揺らぐのを見たとき、彼らは本能的に悟ったのだ。

このまま外の灯喰いに灯を食い尽くされれば――誰一人生きてはいけない。


誰かが視線を伏せ、誰かが小さく息を吐いた。

怒りに染まっていた瞳が――わずかに、揺らぐ。


その一瞬の迷いが、風のように広がる。


そして、誰からともなく槍が下ろされた。

重く、静かな沈黙。

その沈黙こそ、迷いの果てに生まれた“道”だった。


フレアは唇を噛み、記録官たちに深く頭を下げた。


「……ありがとう」


ロイは無言で頷き、ふらつく足を踏みしめた。


ココはその光景を見つめていた。

胸の奥で、何かが熱を帯びていく。


涙が溢れた。

それは悲しみの涙ではなかった。

彼女の中で、新しい灯がともる音がした。


(みんなを……救うんだ)


静かに、しかし確かな想いが胸の奥で燃え上がる。

塔の外から吹き込む風が、ココの髪を揺らした。

崩れゆく世界の中で、それは確かに“希望”の香りを運んでいた。


フレアが振り返り、優しく微笑む。


「行こう、ココ」


ロイも頷いた。

だが、その瞳の奥に、静かな決意が宿っていた。


「……いや、僕はここまでです」


ココとフレアが同時に振り返る。

ロイは穏やかに笑った。


「僕は、足手まといになります。それに誰かが、彼らの想いにも寄り添わなければなりません」


その声は驚くほど静かだった。

それでいて、どんな誓いよりも強く響いた。


「ロイ……」


ココは唇を震わせ、彼を見つめる。

ロイはかすかに微笑み、ココの前に跪いた。

そして小さく頭を下げる。


「……どうか、ご無事で。ココ様」


その瞳には、畏敬でも、憐れみでもない――ただ一人の人間としての、深い願いがあった。


ココは涙をこらえながら、小さく首を振る。

そっとミュレットの書を開き、ページの間から、柔らかな灯があふれ出した。


それは暖かく、静かで、春の陽のような光。

塔の冷たい石壁をやさしく照らし、

誰もが一瞬、呼吸を忘れた。


ロイは驚きに目を見開きながら、差し出された灯を空のランタンに仕まう。

疲れも、恐れも、すべてが和らいでいくのを感じた。

記録官たちも、思わずその光景を祈るように見つめていた。


――巫女の灯は、ここにある。


誰もがそう確信した。


ココは唇が震え、それでもはっきりと答えた。


「……ありがとう、ロイ。

 私、行くね。また笑って会えるように頑張る」


その声は細く、震えていた。

けれどその響きは、塔の奥にまで届くような、確かな灯のようだった。


フレアは唇を噛みしめ、彼の肩にそっと手を置いた。


「……やるじゃない、ロイ」


ロイは一瞬だけ耳を赤くし、すぐにうつむいて小さく笑った。


フレアはココの肩を抱き、もう一度振り返った。

ロイの背が、灯の中に滲んでいく。


「行こう」


ココは涙を拭い、力強く頷く。


――誰もが、誰かを守るために戦っている。


その想いを胸に、ココとフレアは、記録官たちを背に、塔の下層へと駆け出した。


足音は静かな決意のように、階段に響き渡っていく。


――


巨熊の灯喰いが崩れ落ちたあと、

歓声は一瞬だけ上がった。だがそれは、長くは続かなかった。


地鳴りが再び大地を震わせ、歪んだ空間から新たな影が這い出す。

黒い霧が辺りを覆い、灯を掲げた民たちの顔が次々と青ざめていく。


村人と記録官は、一時の利害を越えて手を組んだ。

共通の敵――灯喰いの群れを殲滅するために。


だが、戦いはすでに長引いていた。

汗は砂と血に混じり、腕は重く、声は掠れていく。

いくら斬り伏せても、闇は途切れない。


地を這うように低く唸る音が響き、

黒い霧がまた一層、濃く広がる。


疲労と恐怖、そして絶望が、

まるで霧そのもののように戦場を満たしていた。


瓦礫を背に、ガイウスは傷まみれの鎧を輝かせ、再び槍を振り抜いた。

黒い灯喰いの胴を貫き、霧のように砕け散らせる。

だが、それでも数は減らない。


「うおおおおおッ!! 雷帝の稲妻を見よッ!!」


咆哮とともに金色の閃光が走った。

空気が焼け、雷鳴が轟く。


「雷帝殿の後ろを守れ!」


「くぅ〜、痺れるぅーッ!」


その背に、複数の影。

裂けた外套をなびかせた記録官たち。

誰もが傷を負い、顔は煤と血で汚れている。

それでも、ガイウスの背中を守っていた。


灯の閃光が交錯し、雷鳴と祈りが混ざり合う。

彼らは恐怖に震えながらも、

“この背中だけは倒してはならない”と、本能で悟っていた。


その様子を、崩れた壁の上からクローが見下ろしていた。

ぼろ布のような外套を翻し、唇の端を歪める。


「あの金ピカの体力バカは、“引く”って言葉を知らねぇ」


ひと息置いて、ぼそりと続けた。


「……つーか、なんだよ“雷鳴”だの“稲妻”だの。鎧が光ってるだけだろ、アレ」


皮肉とも称賛ともつかぬ声音。

だが、その瞳の奥には、ほんの一滴だけ――戦場を共に駆ける者への敬意が滲んでいた。


その言葉を断ち切るように、一閃が走った。


「たぁーーッ!」


黒い影の首が飛び、青白い霧が弾けた。


もう一人、俊足の剣を振るう影――執事だった。

燕のような速さ。黒衣の裾がひるがえり、

刃が通るたびに灯喰いの群れが二つ、三つと崩れ落ちる。


「こっちも化け物みたいな爺さんだぜ……」


クローが苦笑まじりに呟く。

瓦礫の向こうでは、盾の民が必死に防陣を組み直していた。


「いいか! お前らは俺たち盾の民の前に出るな! 盾の隙間から攻撃するんだ! そうすりゃ俺たちが守ってやる!」


クローの声が鋭く響く。

その顔は汗と血と煤に汚れていたが、

目だけは不思議なほど澄んでいた。


「ああ、わかった…! お前たちを信じるぞ……!」


トマスは手にした鍬を握り直し、周囲の男たちへ伝令する。


クローはにやりと笑うと、短く頷いた。


子どもや年寄りは後方へ。若者と働き手が農具を武器に構え、鎌や鍬、鋤の刃がわずかな灯を受けて鈍く光った。


「盾は密に! 隙間は拳一つ分までだ!」


クローが声を張り、村人たちは息を合わせるように前へ出る。土埃が舞い、割れたランタンの破片が光を反射し、かすかに瞬く。


「なぁ、ピンクの嬢ちゃん。お前らの頭ん中に、ちっとはマシな策ってねぇのか?」


「策……? そんなものがあれば、とっくにやってます」


息を切らしながらも治療にあたっていたトゥルアが、

煤けた額を上げて応じた。

その頬には血が伝い、目の奥には冷静な光があった。


「……なにか、転機があればいいのですが」


その言葉が夜風に溶けたとき、

もう眼前に聳え立つ――塔の上空で、青白い閃光が一瞬だけ空を裂いた。

『灯の断章 〜ココと記録の塔〜』をお読みいただき、本当にありがとうございます。

新人作家ゆえ、新作リストではすぐに埋もれてしまい、なかなか多くの方に見つけていただくのが難しい状況です。


もし少しでも楽しんでいただけましたら、ブックマークや評価をいただけると大変励みになります。

応援が大きな力となり、物語を続ける原動力になります!


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