星を覆う雲
記録の塔から少し離れた丘の上。
そこには静かな墓地が広がっていた。
小さな墓標がいくつも並び、冷たい風が草を撫でて通り過ぎていく。空は曇りがちで、灯の光が淡く、地に置かれた棺を照らしていた。
その棺を囲むように、黒衣をまとった人々が静かに立っている。厳かな沈黙が張り詰めていた。
ヴァルターとシン、そしてセバスティアンもその列に加わっていた。
「うわぁぁあぁぁぁッ! カリヤぁッ……! カリヤぁぁッ……!」
グレイブの嗚咽が、沈黙を引き裂いた。
棺の中には、花々に包まれ、眠るように目を閉じたカリヤの姿があった。彼女の顔は穏やかで、まだ生きているかのような美しさを湛えていた。
「なぜだぁッ……! ここには医学者もいたはずだ! 助けられたはずなんだ! なのに……なぜだぁぁッ……!」
拳を地に叩きつけ、荒れるグレイブ。その姿を、ヴァルターは一言も発さずに見つめていた。無表情の奥にある感情は、誰にも読み取れない。隣のシンは、潤んだ瞳で棺を見つめ、唇を噛みしめていた。
やがて、棺は男たちの手によってゆっくりと土に覆われていく。
グレイブはその光景から一瞬も目を離さず、肩を振るわせながら嗚咽を堪えた。
――土の中へ、彼女は還っていく。
「……これから、どうするんだ?」
静かに問うヴァルター。
セバスティアンは深く頭を垂れ、答えた。
「グレイブ様は奥様と……お生まれになったお嬢様のために、採掘場の近くに屋敷を建てられました。そこへ戻り、採掘場を管理しながらお嬢様をお育てになるつもりです。……僭越ながら、私もお傍でお仕えいたします」
ヴァルターは一瞬、目を閉じた。
そして静かに頷く。
「……そうか。寂しくなるな。だがお前がいれば、安心だろう。どうかグレイブを支えてやってくれ」
ドンドンッ、ドンッ――。
拳で土を叩く鈍い音が、丘の墓地に響き渡る。
「ちくしょう……ちくしょう……!」
シンは立ち尽くし、その姿をじっと見つめた。
あの豪胆で大声ばかりあげる男が、今は声は掠れ、泣き崩れ、地に伏している。
心のどこかで――人の命は、こうも簡単に消えてしまうのか、と幼い彼は思った。
ヴァルターは俯いて背を向ける。
ただ無言で歩き出した。
無骨な背中はひどく重く、孤独を背負っているように見えた。
「師匠……」
シンは地に伏すグレイブを振り返りつつも、ヴァルターの背を追った。
――
籠の中で、金色の薄い髪をした赤ん坊が笑いながら手を伸ばしていた。
小さな指が空を掴もうと揺れ、頬は淡い光を映してほんのり赤らんでいる。
「シン、我が娘――アリアだ!」
ヴァルターは満面の笑みを浮かべ、声を弾ませた。
その表情は、厳格な記録官の顔ではなく、ただの父親のものだった。
少し背が高くなったシンは胸に本を抱えたまま、目を丸くして籠をのぞき込む。
「か、可愛い……」
「可愛いだろう? だが手を出すなよ。私の娘だからな!」
にやりと笑いながら、ヴァルターは赤子の小さな手を自分の指で包んだ。
シンは一瞬笑みを見せかけたが、すぐに唇を引き結ぶ。
「あ、あの……」
「ん? どうした?」
ヴァルターは赤ん坊に顔を向けたまま、視線をシンには寄越さない。
「……この本の、第三節の意味を教えてほしくて……」
短い沈黙。
赤子がくすくすと笑い、ヴァルターの頬が緩む。
「今忙しいんだ。後にしてくれ」
顔を向けないままの答え。
シンの喉が小さく鳴った。
「……わかりました」
俯いて本を抱きしめ直すと、足音も立てぬよう静かに部屋を出ていく。
扉が閉じる音に気づく者はいない。
ヴァルターは娘の手を取ったまま、幸せそうにその名を呼び続けていた。
本を抱え、シンはひとり静かに石造りの階段を降りていた。
塔の上階から漏れる微かな灯が背後に遠ざかり、下層へ向かうごとに空気は冷たく、湿り気を帯びていく。
その時だった。
――カツ、カツ、カツ……。
石を踏む音が下から響いてきた。
階段の闇の中に、白い影が浮かび上がる。
近づくにつれ、その姿ははっきりした。
顔を覆う仮面。
全身を覆い隠す白装束の一団。
ただ歩いているだけなのに、何かしら体の奥をざわつかせるような、不快な気配がまとわりつく。
シンは立ち止まり、釘付けになった。
胸の鼓動が早まる。足が動かない。
――すれ違いざま、仮面の奥から冷たい風が吹きつけたように感じた。
「……っ」
思わず身をすくめた瞬間、背筋を氷が這うような寒気が走る。
振り向こうとする――
だが、そこにはもう何もなかった。
先ほどすれ違ったはずの白装束の一団の影は、階段のどこにも見当たらない。
足音も消えていた。
本を抱き締める手に力がこもる。
「……いったい、今のは……」
冷え切った空気だけが残り、シンの呼吸の音がやけに大きく響いていた。
――
ガチャリ……
重たい音を立てて、鉄の錠前がかけられた。
記録の塔・書庫前。
分厚い扉の前に立つシン。
背はさらに伸び、声変わりも始まりかけている。
「あの……」
声をかけると、鍵をかけていたでこの広い記録官が振り返る。
厳つい顔に疲れの色を滲ませ、眉をひそめていた。
「あ? 何だ?」
「本を探していて。古代文字に関する本なんです。まだ読みかけで……」
言葉尻は、少し震えは混じるが、確かに以前より強い響きを帯びていた。
しかし記録官は怪訝そうに目を細めると、短く答えた。
「ダメだ。記録官長の命令なんだ。塔の書庫はすべて閉鎖だ」
「どうしてですか!?」
シンは思わず声を上げた。
驚きと困惑が入り混じり、瞳が大きく見開かれる。
「俺だって知らんよ」
記録官は肩をすくめる。
「記録官長の命令は絶対なんだ。……悪いな」
それだけ言い残すと、記録官は階段を下りていった。
靴音が遠ざかり、やがて静寂が訪れる。
シンは書庫の扉の前に立ち尽くした。
分厚い扉は、彼の小さな影を冷たく拒んでいるようだった。
胸の奥で、何かが崩れる音がした。
――
『記録官全員に告ぐ。
我々はこれまで、占星術、灯の管理、経験則を用いて、灯を分配し、秩序を守ってきた。
しかし近年、灯喰いの出現は活発化し、予測が通じぬ事例が相次いでいる。
もはや、秩序を守るために知を追求している暇はない。
これより記録官は基礎以外の学問を捨て、灯の管理を今まで以上に強化せよ。
反抗的な村々に対しては、必要に応じて武力の行使を認める。
――記録官長』
命令は冷徹に読み上げられ、その響きは記録の塔全体に一瞬のうちに広まった。
廊下に立つ者も、書庫にいた者も、沈黙してその言葉を胸に刻む。
やがて村々には徐々に配給される灯の数が減り、人々の暮らしは不穏な影に覆われていった。
⸻
居住層のサロン。
机を囲んでいた記録官たちが互いに顔を見合わせ、小声で囁き合う。
「なぁ……」
「なんだよ?」
二人は同時に、天井から吊るされたランタンを見上げた。
そこに灯る光は、いつものようで、どこか違う。
「なんかさ……灯の色が変わった気がしないか? 前はもっと白っぽかったと思うんだ」
「そうか? 気にならなかったなぁ」
「いや、絶対だ。前より暗いんだ。塔全体の雰囲気まで……どんよりしてるような気がする」
一人が腕を組み、眉をひそめる。
もう一人は苦笑いをしながらも、天井のランタンを見つめ続けていた。
「それはなぁ……」
言いかけて、声は途切れた。
二人の視線の先で、光球は確かに淡い蒼白を帯びて揺れていた。
かつては清らかな白の灯。
今は、青ざめた影を混じらせた光。
その微妙な変化は、塔に仕える者たちの心に、じわじわと不安を浸透させていった。
――
夜の記録の塔。
書庫はすでに閉ざされ、重い扉の前に立ち尽くしていたシンは、拳を握りしめながらその場を去った。
廊下の先、ヴァルターの部屋からはほのかな灯りが漏れている。
シンは躊躇したが、意を決して扉を叩いた。
「……入れ」
低い声が返り、シンは扉を開けた。
机に向かっていたヴァルターが振り返る。その手元には積み上げられた文献と地図。
その横には、小さな布人形が置かれていた。
桃色のリボンが結ばれており、粗末ながらも丁寧に作られたそれは、アリアのためのものだった。
「どうした、シン。もう遅いぞ」
シンは胸に、ちくりと小さな痛みが走り、唇を噛みしめながら一歩前に出た。
「……学びたいんです」
「学びたい?」
「はい。剣も鍛えています。でも……それだけじゃ足りない。昔の人がどうやって灯を管理していたのか。どうやって世界を築いたのか、知りたいんです」
ヴァルターは目を細めた。
しばし沈黙の後、ふっと息を吐き、口元に苦笑を浮かべる。
「……お前は昔からそうだな。目に見えるものだけでは満足しない。だが、学びの道は閉ざされた。記録官長の命令だ」
シンは悔しげに俯く。
「それでも知りたいんです。剣を振るうだけじゃなく……この世界を」
その言葉に、ヴァルターの眼差しがかすかに揺れた。
灯の揺らめきが彼の横顔を照らし、かつて自分もそうだった頃の情熱を思い出させる。
「……どうやって世界を築いたのか、か」
呟きはほとんど独り言のようだったが、シンの耳にははっきり届いた。
「師匠……?」
ヴァルターは椅子から立ち上がり、ランタンを手に取った。
その瞳には、決意とも諦めともつかぬ光が宿っている。
「よし、シン。ならば――禁断の森へ行こう」
「禁断の……森?」
「そこには、書には載らぬ古き残滓が眠っている。私も未だ答えを得られずにいる。だが……何かがある。お前が学びを望むなら、そこで見るがいい」
シンの胸が高鳴った。
閉ざされた森の向こうに、新たな知が待っている。そして同時に何かが晴れていく気がした。
「……はい!」
シンの返事は思わず大きく、そしてどこか弾んでいた。
ヴァルターはそれを見て、小さく頷いた。
窓の外には雲が広がり、星々の輝きを覆い隠そうとしていた。
その夜――二人の運命は、禁断の森へと歩みを始めた。
『灯の断章 〜ココと記録の塔〜』をお読みいただき、本当にありがとうございます。
できるだけ早い投稿を心がけて執筆を続けています。
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今後ともどうぞよろしくお願いいたします。




