火花
石床を焦がすほどの斬撃が続いていた。
シンの光剣が振るわれるたび、塔の空気は軋み、裂け目からあふれる青白い灯がざわめく。振るう度に火花が散り、塔の床を削る音が耳を裂いた。
「踏み込みが甘い」
ヴァルターの低い声が、雷鳴よりも重く響く。
「剣先がぶれているぞ」
ひと振り。白い閃光。だが、その刃は空を斬るだけだった。
「力任せでは私には届かない」
淡々と放たれる言葉は、ただの嘲りではなかった。叱責であり、皮膚の下を、むず痒いような感覚が這い上がってくる。
ヴァルターの身体は最小限の傾きと足さばきで、すべての剣圧を見切っていく。肩は揺れず、瞳は揺らがない。ほんのわずかに首筋をずらすだけで、光刃は頬をかすめ、石床へと走った。
「くっ……!」
シンは奥歯を噛みしめる。息は荒れ、胸が上下する。だが視線だけは揺らがない。
「その程度の腕で、記録官長である私に刃向かおうと言うのか……」
静かな声。だが言葉は刃以上に鋭い。
シンは剣を握る手に力を込め、声を張り上げた。
「人々が夢や希望を失い……ただ生き延びることだけを強いられる。そんな未来のどこに正しさがある! 記録官制度はすべて……間違いだったんだ!」
光剣が震え、迸る灯が塔を染める。
ヴァルターの唇がわずかに吊り上がった。
「私は災厄から民を守るために、灯を管理し、分配してきた。それが正しいことだった」
声には揺るがぬ確信があった。
だがシンは一歩踏み込み、閃光を振るいながら吠えた。
「それは傲慢だ!」
火花が散るように言葉と剣がぶつかり合う。
ヴァルターの眼差しが鋭く光る。
「ならば、貴様の描く未来とは何だ?」
問いは鋭い。
だがシンは呼吸を整え、震える息を押し殺すように答えた。
「俺は、灯の国を再建し、ココの灯によって誰もが幸福に生きられる世を造る!」
剣を掲げたまま叫んだその瞳には、燃えるような決意が宿っていた。
ヴァルターの瞳が見開かれる。
その瞬間、シンは足を踏み出した。裂ける空気。閃光の剣が奔る――。
――シュバァァッ!
しかし、次の瞬間。
ヴァルターの姿は掻き消えていた。
「なっ……!?」
冷たい気配。
シンは振り返る。
「……ッ!」
血の気が引いた。
シンが振り返ったとき、すでにヴァルターの剣先が、静かにその首元へ添えられていた。
「吠えるだけは一人前だな……」
背筋を這い上がる悪寒。
ヴァルターの瞳はシンを見ず、暗い空を仰いでいた。
「貴様の剣は、まだどこかで私を“師”として見ている」
その一言に、シンの呼吸が乱れる。汗が額を伝い、光剣を握る手が震えた。胸の奥に巣食っていた迷いが、あらわにされる。
「本当に制度を斬る覚悟があるなら――その迷いごと断ち切って見せろ」
ヴァルターの静かな諭しが、刃のようにシンの心臓を射抜く。
鼓動が、いやに大きく響いていた。
だがヴァルターはふっと小さく息を吐き、その剣先をわずかに緩めた。
動きは僅かだったが、その表情には確かな変化があった。
「……懐かしいな、シンよ……。
こうして貴様と語り合うのは、幾年ぶりだろうか……」
静かに漏れた言葉。
その声音には、戦場の緊張とは違う柔らかさが混じっていた。
シンの胸が大きく揺れる。
剣を構えたまま、彼の脳裏に――遠い記憶が蘇った。
――
夜の森は、まるで巨大な獣の喉の奥のように暗く湿っていた。
枝葉を掻き分けるたび、夜露が飛び散り、冷えた風が肌を撫でていく。
「民は避難させた! おい、そっちへ行ったぞ!」
低い怒声が闇を裂いた。
「任せろ!」
黒髪を後ろへ流した長髪の男が鋭い視線でその先を追う。
黒いマントを翻し、木々の間を疾走する。靴裏が岩を蹴り、斜面を越え、影のように滑らかに茂みを抜ける。
目の前に、それはいた。
百足のごとく這い回る異形。幾十もの脚が地を擦り、森全体をざわつかせる。
身体の隙間からは黒い靄が噴き出し、目に当たる部分が赤く光っている。
灯を喰らうもの――「灯喰い」。
村人たちが木を伐採中にともした灯に寄せられたようだ。
長髪の男は剣を強く握り直した。
闇の中、月明かりをわずかに反射して白刃が光る。
灯喰いが気配に応じて身をよじらせた瞬間、空気が爆ぜるように火花が散った。
長髪の男は地を蹴り、疾風のごとく間合いを詰めた。
「そこまでだ」
――ガギィンッ!
鋭い一閃が灯喰いの節を斜めに裂いた。甲殻から火花が散り、黒煙が噴き上がる。
「シシャァァァァッ!!」
耳を裂く咆哮。百足の巨体が振り返り、無数の脚を鞭のように振り下ろした。
だが、長髪の男は一歩も退かない。
剣を横薙ぎに払う――
――ギィンッ! ガギィィッ!
鉄柱のような脚を次々と弾き返し、その反動で宙を舞った。
長髪の男は腰に吊るした古めかしいランタンを掴み取ると、迷いなく高く放り投げた。
――カランッ。
回転しながら飛んだそれは、百足灯喰いの頭部にぶつかり、次の瞬間、炎が弾けるように散った。
「ギィシャァァァァッ!!」
灼熱の閃光が夜を裂き、黒い森を一瞬、昼のように照らし出す。赤い双眸が焼かれ、灯喰いはのたうち狂う。節の間から黒靄が噴き出し、地を揺らす咆哮が轟いた。
長髪の男はその隙を逃さなかった。剣を構え、影のように滑り込む。
剣が矢のように突き出され、節目の隙間に突き立つ。
――ドグゥッ!!
硬質な殻を貫き、灯喰いの身体が痙攣した。
巨体がのたうち、木々を薙ぎ倒す。枝葉が飛び散り、夜空を仰ぐように持ち上がる。
長髪の男は冷静に足を運び、巨体の正面へと歩み出る。
無数の脚が迫る。だがそのすべてを見切るかのように、最小限の剣の一振りで弾き返す。
――カンッ! ガギィッ! シャァンッ!
刃と脚が交錯し、火花が散る。
「この程度か」
その瞬間、森の奥から低い怒声が響いた。
「ヴァルター! 押さえてろ!」
ヴァルターは僅かに剣を構え直し、眼前の百足を抑え込むように立ちはだかった。
「早く来い……今なら仕留められる」
低い怒声とともに、巨斧を担いだ男が蒼いマントを翻し駆け込んでくる。
「これで終わりだぁッ!!」
彼の斧が唸りを上げた。
――ズドォォォォンッ!!
轟音とともに、百足の胴体が半ばまで叩き割られる。木々が震え、黒煙が噴き出した。
だが――まだ終わらない。
裂けた胴を引きずりながら、百足はなお蠢く。炎で焦げた眼がぎらつき、脚が狂ったように大地を掻いた。
「チッ、化け物め!」
怒声の男が後退しながら斧を構え直す。
「下がれ、仕上げは私がやる」
ヴァルターは素早く灯喰いの背を駆け上がる。
剣が閃き、黒煙を裂いて灯喰いの頭部へ突き刺さる。
「ガァァァァアッ!!」
断末魔の咆哮とともに、百足の巨体がのたうち、やがて崩れ落ちる。黒い靄は霧散し、森に静寂が戻った。
ヴァルターは剣を引き抜き、静かに鞘へ納める。
怒声の男は肩で息をしながら斧を地に突き立て、ヴァルターを見やった。
「やっぱり止めは、お前か……。俺がいくら叩き切っても、仕留めきれねぇ」
「グレイブ、互いの役割があってこそだ」
ヴァルターは淡く笑みを浮かべる。
「私が止め、君が斬る。だから勝てた」
グレイブは鼻を鳴らし、だがその表情に微かな誇らしさが滲んでいた。
――
森を抜ける帰り道。
戦いで荒れた土の上に、小さな影が倒れていた。
「どうした? 大丈夫か?」
低い声でグレイブが問いかける。戦斧を肩に担いだまま、警戒を解かない。
ヴァルターはすぐに歩み寄り、膝をついて少年の顔を覗き込んだ。
土にまみれた顔、痩せこけた頬。乾いた唇が震え、か細い声が漏れる。
「……腹が……減った……」
ヴァルターとグレイブは、顔を見合わせた。
ヴァルターは無言で懐に手を入れ、干し肉を取り出すと少年に差し出した。
「食べなさい」
少年は目を見開き、震える手で干し肉を掴むと、夢中で口へ運んだ。噛みしめるたび、頬に力が戻っていく。
「ありがとう……ございます……」
その声は、かすれていたが確かに生きようとする響きを宿していた。
「少年、名は何という? 村の者か? 両親は?」
ヴァルターが静かに問う。
「……シン。父さんと母さんはいない。病で死んだんだ」
「一人なのか? 身寄りは?」
グレイブが眉を寄せ、低く問いかける。
「……村人が拾ってくれた。最初は優しかったけど……俺、まだ小さいから役立たずだって叩かれて……逃げ出してきたんだ」
ヴァルターは黙って少年の小さな背中の布をめくった。幾重もの痣が赤黒く浮かび上がる。その表情に刻まれた深い皺が、彼の憤りを物語っていた。
「……俺たちがいくら灯を管理し配ったって、恵まれない人間はいるってことだな」
グレイブが吐き捨てるように言う。
「ああ……灯には限りがある。力なき者ほど切り捨てられ、虐げられる。何も知らぬ子どもには、己の道を選ぶことすら許されない」
ヴァルターの声音は、いつになく重かった。
シンは二人を見上げた。炎の揺らめきに照らされた瞳が、不安と期待の狭間で揺れていた。
「どうするんだ、ヴァルター?」
グレイブの問い。
「記録の塔に連れて行こう」
「……おいおい、まさか」
グレイブは眉を跳ね上げた。
「私がしばらく面倒を見るよ。マリアンと私には、まだ子どもはいないから」
「お前はいつも自分勝手だな。マリアンに同情するよ……」
ため息まじりにそう言ったグレイブの横で、シンは干し肉を握りしめたまま、潤んだ瞳で、ただ小さく呟いた。
「……ありがとう……」




