決戦の序曲
記録の塔――頂上。
裂け目の脈打つ青白い光が、天を引き裂くように揺れている。ヴァルターは玉座に座し、震える声で告げた。
「王よ……あの夜以来、私はこの灯生成機械の玉座に座し、灯を管理してきた。秩序は守られているはずだった。なのに、なぜ――今になって、これほどの灯喰いが現れたのだ?」
裂け目の奥底から、低く古い響きのする声が返ってきた。まるで反響するように、言葉の端々に嘲りが混じる。
「ヴァルターよ、それが分からぬほど盲いてはいまい?例のあの書によって、灯が増えすぎたのだ」
『王』と呼ばれたその声は嗤いを帯び、さらに続く。
「灯喰いはいずれ必ず現れる。増えすぎた灯を喰らうために。灯の管理は、それを抑制し、予測するためにある」
ヴァルターの胸の内に、瞬間、冷たいものが這い上がる。だが彼はその手を緩めず、声を絞り出すように続けた。
「そう、民を守ることこそが、私の役目だ。
再びウィズの夜のような惨禍を繰り返さぬために灯を管理してきた。それが、秩序だった。だが今、ここに在るのは秩序の崩壊に他ならぬ。これでは、記録官の根幹までもが揺らぐ」
「私を何だと思っている?王だぞ。所詮、民も灯喰いも野蛮で悪しき存在。無秩序を好む。実に愚かしいことよ」
「かつて人々はまだ豊かに暮らせていた。豊穣を祝い、日々の糧に困ることもなく、村には笑顔があった。
だが今は違う。民は痩せ細り、灯を分け与えられるたびに息を繋ぐだけの生活を強いられている」
ヴァルターは視線を落とし、声にかすかな震えを含ませた。
「民は灯を渇望している」
裂け目の向こうで、嗤うような、しかし静かな嘲りが巻き起こる。
「人間は欲深い。なぁ、ヴァルターよ。だがその緊縮の原因を作ったのは誰だったか、忘れたとは言わさん」
その一言に、塔の上の空気が一瞬、張り詰めた。ヴァルターの顔から血の気が引き、冷たい汗が溢れ出した。
裂け目は言葉を続ける。
「――あの呪われた書が現れた日からだ。貴様と、シンが見つけたあの書が、古の灯の国の残滓であることを。世界の均衡を崩す毒だと知らぬわけがあるまい」
裂け目の向こうから響く声は、嘲りと断罪を孕んでいた。
ヴァルターは喉を押さえるように言葉を絞り出す。
「シンは関係ない……。私の判断だった……」
ヴァルターの聲は掠れた。胸の奥で何かが崩れる音がした。
裂け目の声はさらに低く、冷たく責めたてるように言った。
「ふむ、だが貴様らがその力を弄んだ時から、世界の均衡は崩れだした。古の灯の国――あの国の残滓が、再び欲に駆られこの世を蝕まんとしている。愚かな民よ、愚かな記録官よ。」
ヴァルターは俯き、言葉を失った。裂け目の向こうで、冷徹な声が一度だけ緩む。
ヴァルターは堪えきれずに胸を抑え、深々と頭を垂れた。
その口から漏れたのは、押し殺すような声。
「……申し訳……ございません……」
その言葉は裂け目に吸い込まれ、塔の石壁に反響しながら虚しく消えていく。
だが確かにそれは、ヴァルター自身が吐き出した、己の敗北と悔恨の言葉だった。
裂け目は、応じるように言った。
「そうだ。そうやって人間は悔い改めよ。
そうすれば、秩序は約束してやろう。だが忘れるな、ヴァルターよ──秩序とは代償を払わせ、選択を奪うものだ。今この時も、制度は揺らいでいる。
少女を始末せよ。欲に呑まれ、灯を撒き散らす巫女を、お前が断罪せよ」
命令は静かに、しかし確実に落ちた。
ヴァルターは、ふとまぶたの裏に浮かぶ光景に心を捕らわれた。
――あの少女。
目を見開き、恐れを知らぬ瞳で真っ直ぐに彼を射抜いた顔を。
小さな身体に似つかわしくないほどの強い意志が宿り、その視線は彼の矜持すらも揺るがすようだった。
青白い光が一度強く脈打ち、機械の口から青白い灯が吐き出される。
それは玉座の上をかすめ、彼の手元へ落ちた。
ヴァルターはゆっくりと強張る顔を下げ、その灯を静かにランタンに封じた。
彼の中に言葉では語り尽くせぬ深淵が広がっていく。
――カン、カン、カン、カンッ。
その時だった。
荒々しい足音が、塔の階段を震わせる。
石を叩く重い靴音が近づくたびに、空気は張り詰め、裂け目から吹き出す風すら息を潜める。
ヴァルターの背筋がわずかに強張る。
左手に杖を握り玉座から立ち上がった。
ゆらりと歩を進め、右手でそっと剣を抜いた。
「ヴァルター!」
呼び声は雷鳴のごとく轟き、視線は迷いなく真っ直ぐに彼を射抜く。
「……来たか、シン」
視線が絡み合い、空気が凍りつく。
シンは裂け目を一瞥した。青白い灯が脈打ち、別世界の呻きが塔の奥底から漏れ出している。
真下には異様な機構が据えられていた。
玉座が鎮座し、歯車が軋み、
無数の管が脈動し、金属の腹からは黒煙が排気口を通って吐き出され、空を覆う雲へと溶け込んでいった。
「……なんだこれは」
吐き捨てるように言葉が零れる。
「これが“記録の塔”が生み出す灯の根源か?
禍々しい……。まさか……この空を覆う雲も? 一体……この巨大な機械は何なんだ?」
ヴァルターの瞳が鋭く細まる。
「答えを求める前に、私が問おう。――貴様を独房から出したのはフレアだろう? 情に流されやすい女だ」
シンの瞳は揺らがない。
「ノエヴィアもやられたか……灯の巫女はどうした?」
「ココは無事だ。ミュレットの書もこちらの手にある。ようやく腑に落ちた。やはりココの灯こそ本質!
あの灯はお前などには渡さない!」
ヴァルターの聲が低く響く。
「わかっているのか?この奈落からあふれる喧騒を。すべては貴様と巫女が撒いたその灯のせいなのだぞ?」
「違う!」
シンの声が雷鳴のように塔を揺らした。
「確かに俺たちは灯を配った。だが、人々が決起するほど追い込まれたのは――お前だ、ヴァルター! お前と俺たち記録官の、間違った制度のせいだ!」
その輝く剣先が、裂け目を背に立つヴァルターを指した。激情の炎が瞳に宿り、かつての師を射抜く。
「ヴァルター……俺たちは、お互いに歩む道を誤った。だからここで――終わりにする!」
ヴァルターは静かに剣を掲げた。
「ならば、裁くのは剣だ。秩序を守るために」
塔の頂上、裂け目から吹き出す青白い灯が二人を照らした。
民と秩序。自由と支配。
二つの正義が、今まさに交わろうとしていた。
石床を震わせ、シンは一歩踏み込み、光剣を振り抜いた。
空気が焼け、床石が割れる。奔流のような剣圧が、塔の闇を切り裂いた。
――ズバァァァァンッ!!
ヴァルターは動かない。
杖を握る左手は微動だにせず、ヴァルターの瞳がわずかに細まる。
避ける間もなく、その一撃が迫る。
――ドォンッッ!!
白い閃光が爆ぜ、衝撃波が床石を叩いた。
ヴァルターの身体は剣ごと吹き飛ばされ、外縁の欄干に叩きつけられる。
石が砕け、破片が弾け飛んだ。
「……ほう」
低く呻く声。だがその声音には痛みよりも、むしろ驚嘆が混じっていた。
ヴァルターはゆっくりと立ち上がる。片手に持った剣の刃が震えていたが、その目は冷静だった。
「光の剣……巫女の灯の力か。見事な剣圧だ。
……だが、それを扱う者の呼吸は浅い。剣筋も、まだ荒いな」
挑発の言葉に、シンの歯が軋む。
だが退く気はない。むしろ、闘志が火花のように弾ける。
「浅いかどうか、試してみるがいい!」
ヴァルターは血のにじむ口元を袖で拭い、片手の剣を構え直す。
同時に、シンは床を強く蹴った。
光剣が閃き、雷鳴のような斬撃が空気を裂く。
ヴァルターは再び動かない。
杖を握る左手も微動だにせず、ただ右手の剣だけが緩やかに傾いた。
――カンッ。
乾いた音。
それだけで、シンの光剣は逸らされた。
刃が虚空を斬り裂き、石床に焼け焦げた痕を残す。
「なっ……」
シンの息が詰まる。
ヴァルターは眉一つ動かさず、ただ低く吐いた。
「剣が語る意志が見える」
再び、シンが飛び込む。剣閃は三度、四度と迸り、光の残滓が閃光の檻を編み出す。
塔の空気が震え、床に散った石片が跳ねた。
だがヴァルターは避けない。
一歩も引かず、肩も揺らさず、ただ身体をわずかに傾けるだけ。
刃の軌道を読み切り、無駄のない最小の動きで光をかわしていく。
――ゴォォッ! ヒュバァッ! ギュオンッ!
――シュバァァッ!
すれ違いざま、シンの剣圧が石床を削り、亀裂が走る。
それでもヴァルターには掠りもしない。
「……バカな」
シンの額に汗が滲む。
全力で斬り込んでいる。だが相手は片手で剣を持つだけ。力を込めている様子もない。
その無駄のなさは、まるで剣そのものが未来を見通しているかのようだった。
「シン……」
低く、ヴァルターの声が落ちた。
「私はすべてを見切る。それが記録官長としての私の矜持だ」
シンは歯を食いしばり、再び構えを取った。
瞳は燃えるように鋭く、声は怒りと悔しさに震える。
「ならば――届くまで斬る! 俺はもう後戻りできない!」
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