守護の灯
床石を踏みしめる音が響き、同時に二人の剣が閃いた。
――ギィンッ!
光と鋼がぶつかり合い、激しい火花が散る。
ノエヴィアの剣はもはや遊び半分の剣ではなかった。
狂気を宿した刃は、先ほどまでの軽快さを失い、重さと速さを併せ持つ獣のような一撃が、容赦なくシンへと襲いかかる。
――ギィンギィンギィンッ!
金属音が立て続けに響き、室内の壁や机が次々と切り裂かれ、木片と石屑が宙に散る。
シンは光の剣を構え、その全てを受け止めていく。
振るうたびに剣身から光の尾が伸び、稲妻のように残像を描いた。
「押されてなどいない……これが僕の本気ですよぉ! シン殿ぉッ!」
ノエヴィアの声は恍惚に震え、狂気を帯びた笑いが混じる。
彼は膝を沈め、杭を打つように下半身を固定すると、上半身の筋肉だけで剣を繰り出す。
常人ならば耐えられぬ体勢。だが、その異様な持久力で、彼は狂気じみた剣撃を絶え間なく放ち続けた。
――ギィンギィンギィンギィンギィンッ!
振り下ろし、弾き、払い、突く――。
剣戟はさらに加速し、音と光が一つに溶け合う。
火花が飛び散り、書類が風に舞い、戦場は混沌とした光景へと変貌していった。
その応酬は、もはや人の目では追い切れぬ速さに達していた。
キィキィキィキィキィキィキィキィン!
「すごい……二人の手の動きが見えない……」
ココの声は震えながらも、目を逸らすことができなかった。
閃光のような剣戟が交わされるたび、耳をつんざく金属音と火花が室内を満たす。
それはもはや人の技を超え、神話の光景のようですらあった。
「うん……だけど……」
フレアは弓を構えながらも、視線をシンの左肩に注いだ。
その布地は赤く染まり、血が滲み広がっている。
一撃ごとに剣の圧力は増しているが、その分だけ傷口も開いていくのが見て取れた。
「このままじゃ……シンの身体が保たない……」
「えっ……?」
フレアは唇を噛み、目を細める。
「ノエヴィアはシンの左肩ばかり狙ってる……負傷を徹底的に突いてるのよ……!」
ノエヴィアの剣は確かに押し返されていた。光の尾が軌跡を描き、剣圧の波紋が彼を何度も足止めする。だが、それ以上後退はしない。彼の足は石床を砕きながらも食い込み、筋肉が悲鳴を上げているはずなのに、狂気が肉体を動かし続けていた。
「灯で鍛えた剣……。その剣圧、その閃き、確かに美しいッ!!」
声には心底の賞賛が混じっていたが、その奥に潜むのは獲物を見極めた狩人の視線だった。
彼の目は、シンの肩から腕、そして足運びへと素早く流れる。
シンが振り下ろすたびに、彼の左肩の筋肉がわずかに震える。受け流す瞬間、重心が右に偏り、体勢がほんの一瞬遅れる。呼吸のリズムが、打ち込みの度に乱れている。
ノエヴィアの瞳がぎらりと光った。
「だが……っ」
彼はわざと大振りの一撃を繰り出し、シンに受けさせる。
キィィィンッ!
その瞬間、重圧が左肩へ集中し、剣を支える動きが鈍る。
ノエヴィアはその隙を嗅ぎ取り、刃を鋭く角度を変えて切り込んだ。
ギィィンッ!
「そこだぁッ!!」
シンは即座に剣を返して防いだが、痺れるような痛みが肩を走る。
「ちッ……」
剣筋がわずかに揺らぎ、呼吸が乱れる。
ノエヴィアは狂気を帯びた笑みを浮かべながら、さらに左側を狙い続けた。
「ふふっ……避けても、受けても、そこからシン殿の悲鳴が聞こえてきますよ……!」
シンは歯を食いしばり、剣を振るった。
光の剣は確かに彼を守り、戦況を優勢に見せていた。だが、その裏で確実に痛みは彼の体を削っていく。
ノエヴィアの粘りが尽きるのが先か。
シンの身体が崩れるのが先か。
「ノエヴィアだって、光の剣の衝撃を全身に浴びているはずなのに……」
フレアは弓を構え続けていたが、その腕が震えていた。
狙いを定めようとしても、ノエヴィアの狂気が心を乱す。
「……なんなの、あの男……」
呼吸が乱れ、弦にかけた指先がかすかに汗ばむ。
「光の剣でも……シンは勝てないの……?」
ココは不安そうに問いかけた。
「負傷がなければ、絶対勝ってる……!」
フレアは即座に答えた。だがその声には、自分自身をも奮い立たせるような焦燥が混じっていた。
ココの癒しの光がわずかに間に合わなかった。その小さな綻びが、今になって戦況を大きく傾けていた。
ココは唇を噛み、視線を落とす。
両腕の中にしっかりと抱きしめているミュレットの書。
その冷たい表紙に指をそっと触れながら、彼女は心の奥で自らに問いかけた。
(もし……私が……もっとちゃんと癒していれば……!)
その時、仰向けに横たわるロイの姿が視界に映る。
荒かった呼吸は穏やかで、痛みに強張っていた眉間も、いまはほどけている。安堵の寝息が、かすかに上下する胸に合わせて規則正しく刻まれていた。
(――違う。ロイは救えた。それでいい)
指先から力が抜け、代わりに静かな熱が掌に満ちていく。
(じゃあ、次に私にできることは……?)
床を蹴る音が鋭く響いた。
シンは左肩を庇いながらも、迫り来る刃を見極めるように視線を鋭く細めていた。
ノエヴィアの動きは狂気の速さと重さを備えた暴風のようだったが、その足とて無限ではない。
剣圧を受け止め続けている膝も、筋も、やがて悲鳴を上げるはず――そう読んでいた。
「シン殿、これは防げますかねぇ!」
挑発と共に振り下ろされる、大振りの一撃。狙いは左肩。
待ち望んでいた瞬間だった。
――今しかない。ここで仕留める。
この男を倒さなければ、全ては始まらない。
記録官制度の欺瞞も、青白い灯の正体も、失われた灯の国の謎も、そして人々を脅かす灯喰いの存在も。
全ての答えは、この男を斬り伏せ、ヴァルターに問わなければ辿り着けない。
シンの胸は、痛みに軋む左肩を押し殺しながらも、烈火のように燃えていた。
――この一撃で全てを切り拓く。未来を掴む。
受け流しはしない。
むしろ低く、鋭く、床を滑るように前へ。
石床を擦る音が鋭い火花となり、姿勢を崩すことすら厭わぬ決死の動き。
ただ、勝利の一閃のために。
ただ、この男を討ち、国を救うために。
「これで決める!」
横一閃。閃光の刃が、ノエヴィアの足元を薙ぎ払う。
届かずとも、剣圧だけで骨を砕けるはずだ。
――ピシッ。
確かに音がした。
ノエヴィアの足首が不自然に捻じれ、床に赤い筋が散る。
骨の軋む音さえ耳に届いた。
シンの鼓動が高鳴る。読み通りだ、これで崩れる――!
だが。
立っていた。
足を砕かれても立っていた。
捻じれた姿勢のまま立っていた。
それでもノエヴィアは揺るがず立っていた。
「なんで……、立っていられる……!!」
狂気に染まった眼光がぎらりと光り、口の端が吊り上がる。
「ふふふ……まだですよぉ、シン殿……!」
シンは床に身を投げ出したまま、見上げる姿勢。
対するノエヴィアは振り上げた剣を高々と掲げ、天井の影を裂くほどの光を反射させていた。
勝機を掴んだはずの一手が、逆に死角を生み出してしまった。
「シンッ!!」
フレアの声が鋭く響く。
同時に矢が空を裂き、ノエヴィアを狙って放たれる。
だが、それより早く振り下ろされる刃の軌跡――。
「シン殿……おやすみなさいぃッ!」
ギィィン――!
鉄が裂くような音が、その場を覆い尽くした。
⸻
次の瞬間。
ノエヴィアの視界を真っ白に覆う光――。
無数の盾が重なり合い、半透明の壁となって目の前に広がった。光は層を重ねるごとに厚みを増し、鋼よりも固い防御の障壁へと変貌していく。
ノエヴィアの振り下ろした刃が、その壁に直撃する。
――ガァンッ!
轟音が室内を震わせた。目の前のシンを切り裂くはずだった。だが、鋼は逆に弾き返され、瞬時に砕け散った。破片が散弾のように宙を舞い、床や壁へと弾け飛ぶ。
「なっ……!?」
ノエヴィアの瞳が大きく見開かれる。驚愕と怒気、そして理解を拒むような感情がないまぜになって揺れていた。
――ズシュッ!
その刹那、フレアの放った矢は遅れてノエヴィアの片方の頬を裂き、肉を穿ち、反対側の頬を突き抜けて飛び出した。鮮血が飛び散り、ノエヴィアの身体が反射的に跳ね退く。
一瞬の沈黙。
その光の壁の中――小さな少女の影が立っていた。
ミュレットの書が開かれ、ページに描かれていたのは、
――盾を掲げ、幾重にも並び立つ兵団の姿だった。
無数の兵士たちは整然と列を組み、その盾を重ね合わせ、ひとつの大いなる壁を形づくっている。
抽象的な筆致ながらも、確かに伝わってくる。守護と団結、絶対の防御。
揺れる髪を背に流し、眉をきりりと吊り上げたココの瞳が、ノエヴィアを射抜くように見据えていた。
「ココ……!」
フレアの声が震えた。
ノエヴィアの表情に、初めて苦悶と焦りの色が差す。剣は砕け、足は捻じれ、頬には矢が刺さり、口は開けない。その身は満身創痍。だが、それ以上に彼を震わせたのは――少女の手から放たれた「灯」の力だった。
「……終わりだ、ノエヴィアッ!」
低く響く声が背後から迫る。
防御壁の影から、シンが立ち上がっていた。
左肩を押さえながらも、瞳の奥には揺らぎのない炎が宿っている。
その炎を剣に託し、渾身の突きを繰り出した。
――ドォンッ!!
閃光が一直線に迸る。
雷鳴のごとき衝撃がノエヴィアの心臓を貫き、部屋全体を激しく揺らした。壁が振動で軋み、窓ガラスが震え、机の書類が宙に舞う。
「ぐっ……あぁ……!」
ノエヴィアの口から鮮血が迸った。
その身体は宙に浮き、背から床へと叩きつけられる。石床にひびが広がり、地鳴りのような音が響く。
静寂が訪れた。
血の匂いと、まだ消えぬ光の余韻が室内を支配する。
ココは胸の前でミュレットの書を強く抱きしめたまま、震える瞳でその光景を見つめていた。
灯の断章 〜ココと記録の塔〜 を読んでいただきありがとうございます。1日1話投稿を頑張っておりますので、よろしければ、ブクマ、評価をお願いします。励みになります。




