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匠の灯

キィン、キィン、キィン――。


火花を散らす剣戟が続く。


「ばぁんッ!」


ノエヴィアの声が響いた瞬間、シンの身体は条件反射で一歩退いた。


「……ちッ!」


歯噛みする。銃ではなく、ただの声だということは理性ではわかっている。それでも肉体は勝手に避けてしまう。

このままでは、相手の術中に嵌められる――。


「ふふっ……」


仮面の奥から笑い声が洩れる。シンは呼吸を整え、心を研ぎ澄ました。


(惑わされるな。声でも、仕草でもない。ただ刃の重さだけを見ろ……!)


ノエヴィアが再び懐に手を入れる。


「ばぁんッ!」


シンの剣は退かない。真っ直ぐノエヴィアの刃を受け止め、金属音が響く。

その眼差しは冷たく、決意に満ちていた。


「……やった……!」


ココが息を呑む。


しかし――。


ノエヴィアの肩がかすかに揺れた。

懐から引き抜かれたのは、今度は本物の銃。


「――ッ!」


バァァンッ!!


銃声が爆ぜる。

熱がシンの左肩を穿ち、鮮血が飛び散った。


「ぐっ……!」


シンは歯を食いしばりながら剣を離さず、よろめいて本棚へとぶつかる。

――どさり。


木が大きく軋み、棚が倒れ込む。

その裏へと身を滑り込ませ、右手で左肩を押さえた。血が指の隙間から温かく溢れ出し、シンは荒い息を吐いた。


ノエヴィアの笑い声が、散乱した本の間を不気味に反響する。


「ふひひ……かくれんぼですか、シン殿ぉ……」


低く湿った笑いが、石壁に反響してじわりと広がる。

本棚の影に身を潜めていたシンの耳を、その不気味な声が鋭く抉った。彼は息を殺し、肩の痛みを抑えながら次の一手を考える。だが、仮面をかぶったノエヴィアの足取りは、すでに彼の居場所を嗅ぎ当てているかのようだった。


その瞬間、空気を裂いて矢が放たれた。

矢は真っすぐにノエヴィアの頭部を狙い、唸りを上げながら飛翔する。


だが、ノエヴィアはわずかに首を傾けると、伸ばした片手で矢を掴み止めてしまった。


「……!」


部屋の入口、弓を構えたまま睨み据えるフレアの瞳は怒りに燃えていた。

彼女は次の矢を番えようとするが、ノエヴィアの仮面越しの無機質な視線が、まるで蛇のように全身を締め上げてくる。


「ふふふ……良い眼をしていますねぇ、フレア殿」


ノエヴィアの嘲りを遮るように、別の声が響いた。


「うおおおおおおッ! 僕だってぇぇぇッ!」


ロイだ。

彼は剣を振り上げ、無謀にも真正面からノエヴィアに突進していった。

その姿は恐怖を押し殺し、必死に鼓舞した勇気そのものだった。


しかし。


ドゴッッ!!


重く鈍い音とともに、ノエヴィアの蹴りがロイの腹に突き刺さる。

ロイの体は宙を舞い、床を転がりながら呻き声を漏らした。


「うわぁああッ!!」


次の瞬間、ノエヴィアの靴底が彼を押さえつけた。


「ふふっ……記録官が反逆者に加担するなど、いけませんねぇ」


仮面の下で笑う気配が伝わる。声は楽しげでありながら、その行為は冷酷で容赦がなかった。


「やめて!!」


思わず飛び出そうとしたココの手を、フレアが掴んで止める。


「駄目、今は……!」


フレアの声は震えていたが、その視線は決して逸らさない。彼女もまた、ロイを助けたい一心だった。だが、焦りに駆られて飛び出せば、ココまで失うことになる。それを彼女は理解していた。


「巫女殿、これが君たちの結末ですよぉ」


ノエヴィアは愉快そうに告げる。


「君の灯は、人々を豊かにできるかもしれない。ですが――」


言葉の途中で、彼は額を押さえ、愉悦に満ちた笑みを漏らした。そして踏み込む。


バキッ!


「ぎゃああああああぁぁぁッ!」


ロイの口から絶叫が迸った。

肋骨が折れる鈍い音が、ココの鼓膜を震わせる。

全身が冷え、足が石に縫い付けられたように動かない。


「目の前で蹂躙される人間は……誰一人、救えやしない」


ノエヴィアの声は低く、だが残酷な確信に満ちていた。


ココの目が揺れる。

胸の奥が痛み、息が詰まる。

救いたいのに、助けたいのに――足が動かない。


だが。


影から飛び出した刃が、仮面の前を閃いた。


「ッ!」


ノエヴィアはすぐさま身を翻し、シンの一撃を回避する。

剣が空を切り、火花が散る。


「はぁ……はぁ……!」


シンの呼吸は荒い。肩の傷から血が滴り落ち、剣を振るうたびに視界が滲む。


「シン殿、無様ですねぇ」


ノエヴィアは仮面の奥で嘲笑した。


「もはや太刀筋も揺らいでいる。その様な剣で……僕を斬れますかぁ!?」


再び剣戟がぶつかり合う。

鋼の響きが室内を震わせ、壁にまで響き渡る。

しかし力は拮抗せず、ノエヴィアの一撃に押され、シンの剣は、その手元から弾かれた。


刃はくるくると回転しながら床を滑り、ココの足元へと転がってくる。


「……!」


ココは反射的に視線を落とす。

光を反射する剣身が、彼女にはもはや無惨な未来を告げる凶兆にしか見えなかった。


フレアが矢を放ち、ノエヴィアを一歩退かせる。しかし、それすらも敗北を先延ばしにするだけにすぎない。


ココの心臓が早鐘のように打ち始める。


(このままじゃ……シンも、みんなもやられてしまう。私には、何もできないの?)


必死に考える。

自分の灯の力――それは作物を実らせ、人の傷を癒すことができる。だが、戦うことはできない。


(私が剣を……届けて、シンを癒せれば……)


けれど、それで本当に勝てるのだろうか。


もし癒したとしても、シンはまた――あの声に囚われ、条件反射のように動きを乱されるかもしれない。そうなれば、結局ノエヴィアの術中にはまり、再び劣勢に追い込まれるだけ。


思考は巡り、胸の奥が熱くなっていく。


その時、ココの視線は自然と抱きかかえていた一冊の書物へと落ちた。

ミュレットの書――かつての賢者が遺した古の本。


途端、ノエヴィアが語った言葉が蘇る。


『文字は表紙の古代文字ミュレットのみ。中には記号も文字もない。……絵は抽象的ですが、たとえ時を越え、文字自体が失われても、後の人間が読み解けば意図は伝わる。なるほど。これを著した者は、ずいぶん賢い方のようですねぇ』


――そうだ。

私は、ただ書を「使う」だけで満足していた。

意味を読み解こうとはしていなかった。


「私は……読み解けていなかった!」


ココは目を大きく開き、本をばっと開いた。


そこに描かれていたのは、工匠の巨人の絵。


巨人は炉の前に立ち、灯を帯びた槌を握りしめている。振り下ろされるたび、赤々とした光の火花が散り、鍛えられるのは一本の大剣。その姿は、ただの鍛冶ではなく「灯そのものを打ち鍛えている」かのように描かれていた。


「これが意味するのは……!」


ココは息を呑み、視線を落とした。目の前にあるのは、血に濡れて転がるシンの剣。


瞬間、ミュレットの書が強く輝いた。

光は頁の隙間から溢れ出し、まるで炉から迸る火の粉のようにココの頬へと降りかかる。


「――!」


熱とも冷たさともつかぬ刺激が指先を駆け抜け、小さな火花がぱちぱちと散った。

同時に、光の奔流が彼女の髪を揺らす。まるで風が吹き抜けたかのように、金色の髪がふわりと宙に浮かび上がった。


胸の奥に熱が広がり、まるで自分が絵に描かれた巨人と一体になったかのような感覚に包まれていた。


――炉の火を握る。

――槌を振り下ろす。

――剣を打ち鍛える。


その光景が鮮やかに脳裏に焼き付く。

ココは震える左手を差し伸べ、目の前に転がるシンの剣を掴んだ。


「……っ!」


重い。

これまで持ち上げることさえ困難だった鉄の重みが、腕にずしりと食い込む。だが同時に、手の中から温かな脈動が伝わってくる。


まるで剣そのものが呼吸を始めたかのように。


ミュレットの書から迸る光は、今度はココの右手の掌を槌に変えた。

見えない槌が振り下ろされるたび、剣身に眩い火花が散る。

炉で叩かれる鉄が響かせるはずの音が、なぜか耳に確かに届いた。


カァン――ッ!

カァン――ッ!


「これは……私が……打っている……?」


ココは震える唇で呟いた。

彼女の小さな手は槌を振り下ろしてはいない。だが光はそう錯覚させるほど、槌と一体になって打ち鍛えていた。


「……ココ!? 何をっ!?」


フレアが振り向き、目を見張る。


その言葉に反応するかのように、室内の全員の視線が、ココと光り輝く剣に釘付けとなった。


剣身は次第に赤熱し、やがて白銀に近い輝きへと変わる。

その光は部屋全体を染め、ノエヴィアでさえも仮面越しに一瞬たじろいだ。


「巫女殿……!? まさか……書を、読み解いたとでもいうのですか……!」


彼の声が怒気と驚愕に震える。


だがココは彼を見なかった。

ただ必死に槌を握りしめ、炉に立つ工匠の幻影と重なり合いながら、最後の一打を打ち込む。


カァン――ッ!!


光が爆ぜた。

ココの髪が大きく舞い上がり、眩い剣を抱えて彼女は息を呑んだ。


「……これが、ココの灯の力なの……!?」


驚愕の声を漏らしたのはフレアだった。


「シン……!」


力いっぱい声を上げると同時に、彼女は両腕で剣を振りかぶった。

幼い腕にはあまりにも重いはずの剣。

だが灯に支えられた瞬間、その刃は羽のように軽く感じられた。


シンの眼前に、その輝きが舞い降りる。

彼は思わず反射的に手を伸ばし、確かな重みとともに光の剣を受け止めた。


「……!」


唖然と目を見開いたまま、言葉が出てこない。

けれど次の瞬間、彼は深く瞼を閉じ、呼吸を整える。

そしてゆっくりと目を開いたとき、その瞳の奥で小さな炎がゆらめいていた。


ノエヴィアへと向けられた視線は、もはや迷いも恐れもない。

ただひたすら鋭く、燃え上がる灯そのものだった。

灯の断章 〜ココと記録の塔〜 を読んでいただきありがとうございます。1日1話投稿を頑張っておりますので、次話から物語は本編に入ります。よろしければ、ブクマ、評価をお願いします。励みになります。

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