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狂気の祭宴

記録の塔――頂上。


ヴァルターは最も高い場所から、荒れ狂う戦場を見下ろしていた。


闇の中で輝いていた灯が、一つ、また一つと掻き消されていく。

その度に、断末魔のような叫びが盆地に反響し、塔を揺らすように頂上まで突き上げてくる。

人の声か、獣の咆哮か、それすら判別のつかぬ悲鳴の渦。


「……ッ」


ヴァルターは思わず片耳を押さえた。呼吸が荒くなり、胸が焼けるように熱を帯びる。

額から湧き出した汗が頬を伝い落ちると同時に、記憶の奥底から、封じ込めてきた映像が脳裏に浮かび上がった。


――燃え上がる街。

――崩れ落ちる人々の影。

――炎の前に膝をつき、なすすべもなく立ち尽くす、かつての自分。


「これは……」


掠れた声が喉から洩れた。


「ウィズの夜など非にならない……これは……この世の終末だ……」


杖を握る腕がわななき、血の気を失った唇が震える。


「民の……命を犠牲にしてでも……このルメオティスを守れと言うのか……」


ヴァルターの視線が、背後へと引き寄せられる。


塔のさらに上空。

雲の狭間に、まるで稲妻に裂かれた大気の傷口のように、揺らぐ裂け目が口を開けていた。

その奥底には、青白い灯が絶え間なく瞬いていた。


心臓の鼓動のように規則正しく明滅し、ときに祝福のように、またときに死の招きのように、世界を見下ろしている。


裂け目の真下には、禍々しく、異様な機械が据えられていた。

それは人の手で作られたものかどうかすら定かでない。


中央には石と金属を無理に継ぎ合わせて造られた玉座。


玉座の真上には、

まるで生き物の顎のように開いた金属の口。


玉座の背には巨大な歯車と歯軸が剥き出しの機械の心臓部。そこから八本もの管が蛇の群れのように伸び、

裂け目へと食らいつき、灯を吸い上げようとしていた。


――ブォォォォ……


装置の隙間や排気口から立ちのぼる煤煙は、油と鉄と焦げた空気の臭気を含み、淀んだ渦を巻きながら空へ昇っていく。やがてそれは雲と混じり合い、空を覆う暗黒の幕を織り上げていった。黒煙は晴れることなく、太陽の光を覆い隠し、昼と夜の境界を狂わせる。


光を吸い上げ、煙を吐き出す――。

それは世界を祝福する聖具か、それとも滅びを齎す怪物か。判じがたいままに、機械はただ無機質に鼓動を続けていた。


――


記録の塔・中層


廊下は異様なほど静まり返っていた。

戦況が激化した今、ほとんどの記録官はすでに外へ出払っている。今は石壁に閉ざされた空間を、冷たい風のような沈黙が支配していた。


その静寂の中を、二つの影が駆け抜けてくる。シンとフレアである。


カンッカンッカンッカンッカンッカンッ……


廊下の先で、フレアが唐突に立ち止まり、指を差した。


「……あそこ!あの部屋!ココが閉じ込められているはず!」


シンは即座に駆け寄る。指された扉は、石壁の一角にひっそりと溶け込むように設置されていた。木製の分厚い板に、鉄製の取っ手と錠前。外から見る限りは簡素な造りにすぎないが、重苦しい気配が漂っている。


彼は低く息を吐き、落ち着いた声音で呼びかけた。


「……ココ。中にいるのか。俺だ、シンだ。助けに来た」


その声は低く、だがはっきりとした響きを持って、廊下に反響した。だが返答はない。石壁に吸い込まれたように、静寂だけが返ってくる。


シンは扉のノブを回そうとした。だが冷たい鉄は、固く動かない。錠がかけられている。

フレアと目を合わせた。彼女は頷き、体勢を低くする。二人は一歩下がり、呼吸を合わせる。


「せーのッ!」


ドンッッ!!


肩をぶつけるように同時に体当たりをした。

鈍い衝撃音と共に扉が大きく揺れ、錠が外れる。重々しい扉は、きしみを上げて内側に開いた。


「ココッ!」


シンは即座に声を上げ、中に踏み込む。だが、そこに彼女の姿はなかった。


部屋は狭く、寝台と机と椅子が置かれているだけの簡素な空間だった。机の上には、まだ手をつけられていないパンと水の入ったコップが置かれている。寝台の布はかすかに乱れ、座られた痕跡が残っている。

しかし、肝心の少女の気配はどこにもなかった。


「……いないわね」


フレアが唇をかみしめるように呟く。


「ああ。しかし……確かに数刻前までは、ここに誰かがいた」


シンは机に残された皿の向きを見て、低く言った。空気には、まだ人の気配が微かに漂っている。


その時だった。


「……あ、あのっ……」

 

背後から、か細い声が聞こえた。


二人は反射的に振り返り、武器を抜いて構える。鋭い気配が廊下に満ちる。

そこに立っていたのは、小柄な記録官だった。まだ若い。痩せた体つきに、やや大きめの制服がぶかぶかと揺れている。両手を高く上げ、怯え切った顔で二人を見ていた。


「ま、待ってくださいッ! ち、違うんです! コ、ココ様なら……上に、魔法の本を探しに行かれましたッ!」


声は震え、言葉がつかえている。それでも必死に伝えようとする気迫だけはあった。

シンは視線を逸らさず、だが武器を振り下ろすこともなく、低い声で問いかけた。


「……名は?」


「ぼ、僕は、この部屋の食事係の……ロイですッ! ココ様と一緒に、上層まで行ったのですが……その、途中で逸れてしまって……!」


ロイと名乗った記録官の声は、途切れ途切れで頼りない。しかし、その怯え方は芝居には見えなかった。額から流れる汗、細かく震える膝。必死に生き延びようとする人間の本能が、その仕草からにじみ出ている。


シンは静かに剣を下ろした。その瞳は鋭いままだが、声には冷たい理性が宿っていた。


「ロイ……ココは上のどこへ行った?」


ロイの喉が上下に揺れ、目が泳いだ。


「ヴァ、ヴァルター様の……私室です! ココ様は……ヴァルター様の私室に!」


その言葉に、フレアが短く息を呑む。シンの顔もわずかに強張った。


――


記録の塔 上層・ヴァルターの私室


「ふふっ……怖がらなくても心配ないですよ〜。襲ったりしませんから」


ノエヴィアは、ひょいと摘み上げたココを床へと降ろした。

仮面に覆われた顔の奥から、柔らかな笑みが滲む。だがその声音は、かえって不気味な安らぎを含んでいた。


「その本を、返してくださいっ! その本は……わたしの本ですっ!」


石床に膝をつき、ココは必死に声を張り上げる。小さな身体から搾り出すような叫びは、必死さと恐怖で震えていた。


「うーん、どうしましょう?」


気怠げに答えたノエヴィアは、手にした《ミュレットの書》を開こうとした。

だが、分厚い表紙は固く閉ざされたまま。


「ふむ……認証呪文が施されている……? 随分と古い様式のもののようですね」


仮面の下の声は興味深げで、そこに危機感の色は微塵もなかった。

ココは思わず息を呑み、彼の一挙手一投足を見つめてしまう。


そして――ノエヴィアの懐から冷たい金属の輝きが現れた。


フリントロック銃。


「や、やめてーっ! 壊さないでっ!」


乾いた銃声が室内を震わせる。


――バァァンッ!


硝煙の臭いが立ちこめ、火花が散った。

弾丸は確かに本を撃ち抜いたはずだった。だが、革の表紙は微動だにしない。


「……あぁ……」


ココの瞳が大きく揺れる。


ノエヴィアは首を傾げ、本を見やる。


「おっかしいなぁ。壊れない。なるほど、壊せばいいのにと思ってましたが……無理なようです」


呟きながら、彼は再び仮面の下で微笑んだ。


「返してくださいっ! 返して!」


必死の訴えに、ノエヴィアは本を様々な角度から眺めたのち、軽い調子で言った。


「はい、いいですよ♪」


突如差し出された《ミュレットの書》。

ココは恐る恐る両手で受け取り、胸に抱きしめる。


「その代わり……あなたがその書を開くところを見せてください。大丈夫。このまま逃げようとすれば――殺すだけですから」


言葉とは裏腹に、声色は柔らかい。だが、そこに冗談めいた軽さはなかった。

ココは目を大きく見開き、全身が小刻みに震える。


「わ、わかりました……」


小さく答え、彼女は本を開く。

すると――拍子抜けするほどあっさりと、ページがめくられた。


そこに描かれていたのは、言葉ではなく数々の象徴的な絵だった。


灯を掲げる王。十二人の導師。闇を照らす精霊たち。天球儀を持つ女神。天秤を掲げる守護者。空を翔ける鳳凰。機械仕掛けの黄金の竜。知恵の樹。薬草と花々。黄金の田畑。工匠の巨人。鉄の竜馬。汚れを洗い流す湧水。盾を持つ兵団。そして――光を抱く一人の少女。


ココは机に置かれた空のランタンへ手を伸ばし、書から溢れる光を移し入れた。

淡い灯がともり、室内に温かな輝きが広がる。


ノエヴィアは顎に手を当て、興味深げに目を細めた。


「文字は表紙の古代文字ミュレットのみ。中には記号も文字もない。……絵は抽象的ですが、たとえ時を越え、文字自体が失われても、後の人間が読み解けば意図は伝わる。なるほど。これを著した者は、ずいぶん賢い方のようですねぇ」


ココは不思議そうにその横顔を見つめる。


やがて、ノエヴィアの視線がランタンの灯に吸い寄せられた。

仮面の奥、その瞳は獲物を見つけた猛禽のようにぎらついている。


「……美しい。……そして、暖かい」


呟きは震えていた。だが次の瞬間、声色は大きく跳ね上がる。


「ふふっ……ふはははっ! こんなものが、この世に在るとは……! なんて理不尽なんだ……っ!!」


仮面が揺れるほどに身を仰け反らせ、両腕を大げさに広げる。

机の上の書や書類がばさばさと床へ舞い落ちた。


ココは恐怖に駆られ、思わず後ずさる。心臓が強く鳴り、脚が震える。


ノエヴィアは椅子に腰を落とし、机に肘を突き、額を押さえながら笑い続けた。

その笑いは徐々に高まり、甲高い哄笑から、喉を引き裂くような絶叫へと変わっていく。


「ふふっ……ふはははははっ!!」


その手は机の上の書類を掴み取った。白い紙が幾重にも重なった束を、彼は両腕いっぱいに抱え込み、ぐいと大きく振りかぶる。


彼は紙束を豪快に放り投げた。紙片は空中で一瞬舞い、ランタンの灯を受けてちらちらと光を反射する。風が起きたかのように、部屋の中を紙片の雪が降り積もる。


バサッ、バサッ——


音が、白い波のように床を撫でた。紙は机の上に散らばり、開いたページがめくれるたびに、知られざる記録や表、機械の設計図の断片が露出する。文字列や謎めいた符号がランタンの柔らかな光の中で踊った。


ノエヴィアはゆっくり立ち上がり、床に落ちた一枚を拾い上げ、指先でなぞる。そこに描かれた複雑な回路図、空間の摺動を示す記号、そして小さく印された青白い印章——それを見た瞬間、彼の瞳は狂気と陶酔で光った。


「ほら、ほらほら……ここにある。ここに、すべてが詰まっているんですよ……!」


ココはミュレットの書をぎゅっと抱きしめながら、膝が震えている。


ノエヴィアは床に散らばったページを踏みしめながら歩き、まるでその一枚一枚が過去の罪の証拠であるかのように嗤った。


「君が持つ灯は、理不尽だ。誰もに、ただ与えればよいというものじゃあない……」


彼は大きく身を翻し、手にした一枚を高く掲げた。紙の白がランタンの光を受けて眩く輝く。ノエヴィアはその紙をくしゃりと握り潰した。紙の繊維がしわになり、紙屑が柔らかく床へ落ちる。


「ズルいですよ……!ズルい、巫女殿……!ふははは……」


笑いの合間に、途切れ途切れの言葉が洩れる。


「僕は、君たちが……憎くて……憎くて……!」


仮面の下から滴り落ちるのは汗か、涙か。

ノエヴィアは机を叩き、身を震わせながら叫んだ。


「憎くて、憎くて……たまらないんですよォォォッ!!」


荘厳に響くその声は、狂気そのものだった。

高尚な室内に、ただ異様な影と不協和音だけが満ちていた。

『灯の断章 〜ココと記録の塔〜』を読んでいただきありがとうございます。よろしければ、ブクマ、評価をお願いします。励みになります。


『灯の断章 外伝 〜赤い髪のフレア〜』も投稿しております。合わせて楽しんでいただけると幸いです。

→ https://ncode.syosetu.com/n8441lj/

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