表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
22/60

闇中の灯

薄曇りの空の下、記録官の宿舎町は、不気味なほどの静けさに包まれていた。

見張り台の上で、一人の記録官が欠伸を押し殺しながら、古びた望遠鏡を覗き込む。


「……おかしいな」


低く漏れた声に、隣の男が眉をひそめた。


「どうした?」


「灯が……やけに多い」


そう答えた記録官の額には、じわりと汗が滲んでいた。


望遠鏡の向こう――谷の底から山裾をなぞるように、点々と灯が揺れている。最初はせいぜい数十の群れに見えた。だが、視界を横に滑らせるたび、灯の列は果てしなく連なっているのが分かる。


「そんなはずは……貸せ」


望遠鏡を奪い取った隣の記録官が覗き込んだ瞬間、息を呑んだ。


灯を掲げた民衆の列。

老いた背を丸めた者も、腕に子を抱いた女も、まだ幼い少年少女さえも――皆が灯を握りしめている。数にすれば五百。だが一つにまとまった光は、闇を押しのける奔流のように見えた。


その顔は疲労に沈むどころか、怒りと決意に燃えていた。


「……これは」


男の喉が震えた。


「伝令を出せッ!」


怒号が上がった途端、宿舎町の空気が張り詰める。駐屯していた記録官たちが慌ただしく走り、武具の金属音がそこかしこで響き出す。


だが、それらを掻き消すかのように――風に乗って声が届いた。


「灯を我々に返せッ!」

「灯を我々に返せッ!」


「灯の巫女を返せッ!」

「灯の巫女を返せッ!」


五百の喉が揃って叫ぶ声は、岩肌に反響して地鳴りのように迫ってくる。

足音は重く、一定のリズムで大地を震わせる。まるで一つの巨大な獣が歩んでくるかのようだった。


黒雲を押し分け、夜明けが迫るかのような光景。

それは、この世界を揺るがす反乱の兆しだった。


――


記録の塔、地下。

冷たく湿った空気が、肺の奥にまで染みついていた。

重い鉄扉が軋み、閉ざされた闇にひとすじの光が差し込む。


ギィィィィ……


独房の隅に、鎖に繋がれた影がある。

シンは上級記録官の仮面を奪われ、鉄の足枷をはめられたまま、膝を抱え、俯いて動かない。


「久しぶりだな……シン」


独房の暗がりに踏み込んだのは、ヴァルターだった。

上から見下ろすその男の瞳に、哀れみとも嘲りともつかぬ色が宿る。


シンは声に気づき、ゆっくりと顔を上げた。鎖が擦れ、金属の響きが乾いた空気に溶けた。

眉間に深い皺を刻み、その眼はなお鋭く、ヴァルターを射抜く。


「……ヴァルター」


「見窄らしい姿になったな、シンよ」


「……笑いに来たのか?」


「ふっ…、いや、貴様の処分が決まったのだ」


ヴァルターは一歩、独房の中に踏み込む。

硬い革靴が石を打つ音が、不吉な鐘のように響いた。


「上級記録官でありながら、我らの制度に刃向かった罪。反逆罪――刑は、死だ」


「……そんなことを言いに来たのか。理解しているさ」


シンは乾いた笑みを一瞬浮かべて消した。


「ならば、最後に思い出話でも……と、思ってな」


「思い出話……?」


ヴァルターの眼差しが遠くを見た。


「貴様が誑かしたあの少女が言っていた。我らは、記録官も村人も……この地に生きるすべての者が、灯の国の民なのだ、と」


沈黙。

シンは視線を落とし、何も答えなかった。


「浅はかな仮説にすぎん」


ヴァルターの声は冷え切っていた。


「貴様が吹き込んだのであろう?私が昔、戯れに語った言葉を、真実のように覚えているとはな。……だが、この世はもっと根深い。失われた歴史を追うなど愚行に過ぎぬ。かつて私も熱意を燃やしたが……全ては戯れ。現実を見るべきだと悟った」


その言葉に、シンの眼が燃え上がる。

鎖で縛られた身体がわずかに前へ傾いた。


「……ならば問おう、ヴァルター」


ヴァルターは眉をひそめる。


「何をだ」


「俺たちは……、一体、何者なんだ?」


シンの声は鎖の響きよりも重く、独房に落ちた。


「村で生きる者を村人、支配する者を記録官。同じ地に生き、同じ灯を讃えながら、互いは分断されている。……それで、俺たちは何者と呼べる?」


ヴァルターは目を細める。


「民は民だ。それ以上の名など必要ない」


「ならば、王はなぜ、ミュレットの書を残した? なぜ、石版に言葉を綴った?」


シンの眼は炎のように燃えていた。


「あの不死鳥の扉は、施錠機構が施されている。おそらく俺たち以外、他国の侵入者には決して開かれぬ仕組みだ……。灯の国の民だけに、未来を託すためにな」


「未来を託すだと? あれは灯喰いを呼ぶ呪われた書だ。辿り着いたその先に残るのは、破壊と混沌だけだ」


「違う…」


シンは首を振る。


「王は民を救うために灯を残した。国が滅んでも、その後の民が、俺たちが、再び繁栄できるように!」


ヴァルターは視線を逸らさずに答える。


「だが、我らには灯がある。危険な書に頼らずとも、記録官の手で灯を与えられるではないか」


シンは吐き捨てるように言った。


「……俺にはそうは思えん。記録官が操るあの青白い灯は、本物じゃない。ミュレットの書が生み出す純粋な灯――それこそが、王が託した未来の証なんだ!」


「……」


短い沈黙ののち、ヴァルターは背を向ける。


「何も変わらんさ。灯はすでに我々の手中にある。ならば、灯の国などという歴史に埋もれた幻想に、意味はない」


「俺は信じたい。王が残した灯――ココの灯こそ、誰もを救う真実の灯なのだと…!」


その時だった。

重苦しい空気を裂き、駆け込んでくる足音が響いた。

鉄扉の外から、切羽詰まった声が飛ぶ。


「ヴァルター様! 囚人に会いに行かれたと聞いて……探しました!」


「どうした」


ヴァルターが眉をひそめる。


「民衆が……! 灯を我らに返せと……灯の巫女を返せと……塔へ向かっております!」


「なに……っ!」


ヴァルターの身体がびくりと震えた。

硬直した顔に、わずかに恐怖の色が浮かぶ。

一瞬、独房を支配していた冷たい均衡が崩れた。


その刹那――。


「……くっ……くっくっくっ……」


鎖の中のシンが、震えた。肩が揺れ、俯いた顔の影から、不敵な笑みが零れ出す。

やがて、その震えは笑いに変わり、独房の石壁にこだました。


「ふっ……はははははは! はははははっ!」


狂気とも歓喜ともつかぬ声。

ヴァルターは言葉を失い、記録官は青ざめた。ただただその姿を凝視する。


笑いの中、その目は炎のように爛々と輝き、独房にシンの声が鋭く響き渡った。


「どうやら……笑うのは、こちらだったらしいな!民が、立ち上がったぞ!!

――はっはっはっはっはっはっ!!」

毎日1話投稿頑張ってます。よろしければブクマ、評価お願いします。励みになります。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ