少女の面影
ミルレ村
厚い雲が空を覆っていた。空気は湿り気を帯び、重く淀んでいる。
ココがかつて灯をともし、小麦が金色に波打っていた畑は、今や再び枯れ果て、灯を失ったランタンだけが虚しく揺れていた。
音という音が吸い込まれ、ただ遠くで鳥のか細い鳴き声が響くだけだった。
そんな土の道を、黒いマントを羽織った数人の記録官が無言で歩いてくる。背筋を伸ばし、無言で列をなして進む姿は、影が動いているようにも見えた。
彼らの持つランタンの灯が、淡く揺れながら村人たちの目を引いた。井戸端で水を汲んでいた女が、手を止めた。水の音だけがぽたぽたと滴り落ちる。女は眉を寄せ、訝しげに目を細める。
「――灯の巫女を名乗る不届き者が、逮捕された。」
足を止めた記録官の一人が、村の中心に向かって声を張り上げる。冷ややかで、乾いた木を裂くような響きだった。記録官は、村人たちの視線を見渡しながら、言葉を続ける。
「確か、出身はこの村だったか? 記録官に逆らう人間を出しておいて……お前たちも、ただで済むとは思うなよ」
その口元に、嘲りを含んだ笑みが浮かぶ。隣の記録官が堪えきれぬといったように笑い声を漏らし、続いて他の者も声高に笑い出した。その笑いは、湿った空気を裂いていやに響き渡る。
「灯の巫女……?」
「まさか、ココのことじゃ……?」
「いや、でも捕まったはずだろう……」
声は混乱し、確信を持たぬまま空気を震わせる。
記録官は人々の不安を楽しむかのように、さらに声を張った。
「近いうちに、この村への処分が言い渡されるだろう。せいぜい覚悟して待つんだな!」
そう告げると、記録官たちは踵を返し、嘲るように笑いながら去っていった。
静寂が残る。老婆は口元を押さえ、若い母親は子を抱き寄せる。男たちは拳を握りしめながらも、誰ひとり言葉を発せなかった。
少し離れた家の前では、農具を研いでいたトマスが手を止めていた。眉間に深い皺を寄せ、歯を食いしばりながら、記録の塔の方をじっと見つめている。
「……ココ」
低く呟いた声を、近くにいた村人が聞きとめた。
「トマスさん……今、ココと言ったか?
何か知ってるんじゃないか? 説明してくれないか」
その声に引き寄せられるように、周りの村人が集まってくる。視線が一斉にトマスへ注がれた。彼は俯き、しばらく黙っていたが、やがて息を吐き、無言で家の中へと歩みを進めた。
戸が閉まる音。残された村人は、不安げにその扉を見つめる。やがて、軋む板の音とともに、トマスが戻ってきた。彼の手には、布に包まれたものがある。
人々が固唾をのんで見守る中、トマスはそっと布を取り払った。
瞬間、純白の光があたりに広がった。夜明けの一瞬を切り取ったような光が、村人の目に差し込む。枯れた畑にまで淡い輝きが落ちた。
「……ココが連れて行かれた日、あの夜、俺の家に来て……この灯を託していったんだ」
トマスの声は低く、だが確かだった。人々の視線は光に釘付けになった。
「おじさん、ごめんなさい。私は旅に出るの。みんなに……灯を届けるんだと……」
トマスの記憶が重なる。ココの顔が脳裏に浮かび、胸が締めつけられる。
「俺は……止めたんだ…!」
唇を震わせたその声に、村人たちはただ黙って聞き入る。やがて、一人の男が涙ぐみながら言った。
「ココは……生きてたんだな。俺たちが……あの時、見放したばかりに……」
「よかった……ココはまだ生きていたんだ」
「私たちのせいで、もう殺されたのかと思ってた……」
次々と声が上がる。トマスは驚き、目を見開いた。
「黙っていてすまない。言えばまた……みんなに心配をかけると思ったんだ」
光を掲げながら、トマスは震える声で告げた。だが誰も責めはしなかった。
村人たちの間に、ふと沈黙が訪れた。
トマスが掲げる灯を見つめながら、誰からともなく声が漏れた。
「……覚えているか? 昔、トマスがアグリに小麦を積んで、隣村まで運んでいたときのことだ」
年老いた男が呟く。
「道端の草むらで泣いていた、小さな子を拾ってきたんだったな」
「そうそう。あの時は、何があったのかもわからず、名前も歳もわからず……困り果てて、トマスが村へ連れ帰ってきた」
みな、頷いた。思い出の輪が広がっていく。
「最初は大人しくて、ずっとトマスの後ろに隠れてた子が……すぐに小麦畑で走り回るようになったな。子どもたちに混じって、裸足で笑いながら駆け回っていた」
老婆が目を細め、遠い日を懐かしむように微笑んだ。
「そういやあったなぁ……。あの硬いパンを、子どもに分けてやって……。おかげで子の歯を折っちまって、しばらく泣かせてしまったんだっけ」
「ははは! あったな! でも本人はけろっとして、次の日もまたパンを配ってやってた」
笑いが小さく生まれる。けれどすぐ、胸を締め付けるような切なさに変わった。
「農作の手伝いもよくしてくれた。泥に汚れるのも嫌がらず……むしろ楽しそうに、畑に入ってな」
「そうだ。俺が腰を痛めていた時だって、一人で苗を運んでくれた」
村人の声が重なる。
「そうだ。ルーミアが産まれた時も……夜通し、寝ずにアグリ小屋に付き添っていたな。震えるようにルーミアの首を撫でていた」
「そして、産まれたばかりのルーミアを、小さな背に抱きしめて……村の宝だって言ったのさ」
誰かが深く息を吐いた。
「大きくなったルーミアの背に小麦を乗せて、一緒に毎日ココが運んでいたな。いつもおはようと笑ってな……」
その言葉を聞いた瞬間、村人たちの胸に一斉に映像が蘇った。
幼い少女が、泥にまみれながらも笑い、仲間を助け、共に生きようとした姿。
村人たちは顔を見合わせる。誰もが口を開かずとも、同じ思いに至っていた。
「……あの子は、もう俺たちの一員なんだ」
ひとりが静かに言った。
「でも……また捕まったっていうなら……!」
「トマスさん、抗議に行くんだろ!」
熱を帯びた声が飛び交う。トマスは言葉を失い、口を開こうとしたとき、小さな声が割って入った。
「……ココお姉ちゃんは、僕を助けてくれたんだ!」
振り返ると、まだ幼い少年が立っていた。かつてココがその怪我を癒した子だ。震える声でありながら、その瞳は真っすぐに光を見据えていた。
村人たちは息をのむ。若い男が拳を握りしめ、別の男が斧を手に取る。老婆が古びた杖を強く握り直した。
「怖ぇよ。でも……このまま黙ってたら、もっと怖ぇ事になる」
「……どうせ、この村は制裁を受けるんだろう」
誰もが呟き、それが火種となる。
「だったら……やってやろうじゃないか!」
「ココは仲間だ! 私たちで助けに行こう!」
声は次第に膨らみ、波となって広がっていく。
皆の視線を受け、トマスは静かに頷いた。
「ココは、俺の娘だ……
命を賭けてでも、あの子を助けに行く」
その言葉は村の隅々まで響き渡った。力強くはない。けれども決して揺らがない、確かな光だった。
やがて、人々はその光を心に宿し、胸の奥で灯を分かち合うように頷き合った。
重く沈んでいた空気の中に、確かに小さな灯がともったのだった。
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