盾の民
アーゼの村
「異論は認めない。全員、速やかに酒場から出ろ」
記録官の冷ややかな声が響く。酒場の男たちは言葉を飲み込み、ただ睨みつけて応えるばかりだった。
「何言ってやがる……」
カウンターの端、酒をあおっていた男が立ち上がる。ぼさぼさの髪、荒んだ風貌。しかし、その瞳には消えていた光がギラギラと輝いている。クローだ。
「この村の灯は……俺たちの灯だぞ」
記録官の口元に、冷笑が浮かぶ。
「巫女が施した灯だということは分かっている。灯の濫用に加担すれば、村人全員、ただでは済まぬ」
その一言に、酒場の空気は一瞬で凍りついた。クローは短く息を吐き、拳を握りしめる。
「……あの女の子が……」
ゆっくりと立ち上がり、壁に掛けられた古びた盾を手に取る。木の表面は無数の傷に覆われ、長き歳月を物語っていた。
「貴様、何をしている」
記録官が目を細める。酒場の視線がクローに集まった。
クローは盾を掲げ、声を張り上げる。
「聞け、みんな!」
「……」
「俺の爺さんが言っていた。俺たちアーゼの人間は、かつて“盾の民”と呼ばれ、国境を守る誇り高き民だったと。仲間を守るためなら、盾を掲げて立つ民だと!」
その言葉は、酒場の奥深くまで響いた。
「このまま言いなりになっていいのか! あの女の子に――灯をくれたあの子に、合わせる顔がねぇ!」
沈黙。
だが、静かに酒場の男たちの目に灯がともる。
「貴様、何を言っているッ!あいつを捕まえろッ!」
記録官が声を荒げて、クローを指差す。
その時――
椅子を蹴る音。盃が置かれる音。男たちの血が騒ぎ始めた。
「そうだ!」
「やってやろうじゃねえか!」
記録官の手が剣の柄にかかる。瞬間、酒瓶が宙を舞い、ガラスが砕け散った。
ガシャーン!
「貴様ら、記録官に逆らうとは、許さんぞッ!」
「上等だッ!」
怒号と木の軋みが渦を巻き、酒場全体が震え出す。
乱闘の火蓋は切られた。
椅子が投げられ、テーブルが押し倒される。男たちは棍棒代わりに椅子の脚を振り回し、記録官たちは冷徹に剣を振るう。刃が木の柱に突き刺さり、火花が散った。
クローは古びた盾で剣を受け止めた。
ガキィン
木が裂け、腕がしびれる。だが退かない。
「うおおおっ!」
盾を記録官ごと押し出し、床に叩きつけた。
ガシャァァァアンッ!!
そのとき、カウンターの奥で隠れていた酒場のマスターが、ひっそりと鉄のフライパンを手に取った。
倒れ込んだ記録官の背後に忍び寄り――
カァーン!
乾いた金属音が響き渡る。記録官の顔がぐらりと揺れ、そのまま床に沈んだ。
思わず村人たちから歓声と笑いが湧く。
「いい音だな!」
「フライパンの勝ちだ!」
マスターは鼻息荒くフライパンを掲げ、親指を立てた。
クローの叫びに応じて、男たちの士気が高まる。酒場の奥からは老人や若者までもが飛び出し、手に農具を握りしめた。鎌、鍬、木槌。すべてが武器と化す。
数に押された記録官たちは、やがて酒場の外へと退いた。だが、村人たちは追撃の手を緩めなかった。
夜風が吹き込む村の通り。パタパタと旗が揺れ、小さな家々の窓が開けられ、泣く子どもの声が響く。騒ぎを聞きつけた女たちが顔を出し、火打石や火掻き棒を記録官に投げつけた。
「アーゼの民よ、立て!」
クローの声が村中に轟く。
広場へと戦いの場は移る。村人全員が加わった。鍛冶屋の腕力ある若者が鉄槌を振り下ろし、農夫が長柄の鍬で記録官を押し返す。老婆でさえ杖を振り回して記録官の足をすくった。
灰色のマントが泥に塗れ、冷徹な剣さばきも、数と勢いの前に崩れていく。記録官たちは必死に陣形を保とうとするが、背後から石が飛び、足元に火のついた藁束が投げ込まれる。
クローは盾を構え、隊長格の記録官と対峙した。
「愚かな村人どもが……!」
隊長の声は冷たく低い。抜き放たれた剣は青白い光を放っていた。
ギィン!
鋭い剣閃がクローの盾に叩き込まれる。衝撃で腕が痺れ、木が裂けてささくれ立つ。血が滲んだが、クローは退かない。
「記録官がなんだ……!」
息を荒げながら、彼は叫ぶ。
「俺たちは……盾の民だッ!」
再び剣が襲いかかる。
ガキィン! ガンッ!
何度も打ちつけられるたびに盾は削られ、裂け目が広がる。だが、クローは足を踏みとどめ、盾の裏で拳を握りしめた。
「所詮、素人が武器を持ったところで……!」
隊長は冷笑を浮かべ、横薙ぎの一閃を放つ。
ブシュッ!
クローの頬を浅く裂き、血が散った。
痛みが視界を赤く染める。だが、それでも彼の瞳は輝きを増していた。
「俺たちは……俺たちの灯を、守るために立つんだ!」
盾で剣を受け流しながら、クローは前へ踏み込む。足元の泥を蹴り、隊長との距離を一気に詰める。
ドンッ!
木の盾の破片が飛び散る。
隊長の目が一瞬見開かれる。
「ぬぅっ……!」
鋼の刃が突き下ろされる。だが、クローは咄嗟に割れた盾を押し上げ、剣を逸らした。火花が散り、鼓膜を突く金属音が広場に響く。
「ぐぅぅっ!」
腕が焼けるように痛む。それでも退かない。
盾が割れようと、身体が裂けようと――退けば仲間が斬られる。
クローは全身の力を振り絞り、割れた盾を拳のように振りかざした。
「うおおおおっ!」
ドガァッ!
盾の縁が隊長の顔面に叩き込まれる。鼻が潰れ、血飛沫が宙に舞った。
「ぐっ……!」
体勢を崩した隊長。その隙を逃さず、背後から村人の鍬が振り下ろされる。
ズドン!
乾いた衝撃音。
膝を折り、泥に沈む記録官の隊長。
クローは血に濡れた盾を握りしめ、夜空に向かって息を吐いた。
「……俺たちは、もう誰の支配も受けない。盾の民は――ここに生きている!」
その瞬間、残された記録官たちの士気は潰えた。村人たちが一斉に押し寄せ、灰色のマントは次々と地に伏していった。
静寂が広場を覆う。荒い息遣い、血と汗と麦酒の匂いが入り混じる。
村人たちは互いに顔を見合わせ、そして――歓声が上がった。
「やったぞ!」
「俺たちで……勝ったんだ!」
泣き笑いの声が夜空に響く。子どもたちが母に抱きつき、男たちは肩を組み、女たちは涙を流した。
クローは血に濡れた盾を握りしめ、夜空を仰ぐ。
遠く、闇の地平の彼方に、記録の塔が冷たく光を放っている。
その光と重なり、クローは、怯えながらも必死に灯をともしてくれたココの顔を思い出す。胸の奥で「すまねぇ」と呟き――
「あの子を……、
俺たちに灯をくれたあの子を……、今度は俺たちが救いに行こう!」
その声は、戦いで荒んだ空気を切り裂き、静まり返った村に響き渡った。
しばしの沈黙。
やがて、家々の扉がひとつ、またひとつと軋む音を立てて開く。
村人たちが、埃をかぶった古びた盾を抱えて現れた。
木製の盾、鉄の輪で補強された盾、祖父の代から受け継いだという傷だらけの盾。
それらは長く屋根裏に眠り、忘れられたはずの「誇り」だった。
「……俺の家にも、残ってたんだ」
「うちもだ。父ちゃんが死ぬ前に託してくれた」
誰かのつぶやきが、次々と別の声に繋がる。
気がつけば、村の広場には盾を掲げた者たちで埋め尽くされていた。
老人も、若者も、女たちも、皆がそれぞれの盾を高く掲げ、夜空に向かって突き上げる。
灯の光を受け、無数の盾が光を返す。
それは炎のように揺らめき、まるで村全体が一つの大きな「盾」となったかのようだった。
クローは震える腕で盾を掲げ直し、歯を食いしばった。
「……見たか、爺さん。俺たちはまだ、ここに立ってる」
誰も口にはしなかったが、村人たちの胸には同じ思いがあった。
アーゼの村は、この夜、再び「盾の民」として立ち上がったのだった。
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