表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

『お前を愛する事はない』旦那様、それではごきげんよう

「『お前を愛する事はない』と言ったのは三年前か。それだけ言われたのに、よくも三年も図々しく居座ったものだ」


 レギオス様が、ロマナさんを隣に座らせて私に言い放った。


 ここは、ブラウンフォード伯爵家の応接室。

 年代を刻んだ優美なクラシックの猫足に反して、ファブリックは最近他国から輸入されるようになった繊細なキリカ織りが使われているソファーは、ブラウンフォード家に歴史があるという事と、最新の流行に張り替えが出来るという経済力を物語っている。


 先日、ブラウンフォード伯爵夫妻が事故で亡くなった。

 爵位を継いだレギオス様とレギオス様の妻の私が向かい合って座っているのに、レギオス様の横にぴったり(はべ)っているのが長年のレギオスの恋人のロマナ・パドス子爵令嬢というのが三人の関係を表している。


「居座るだなんて。私はレギオス様の妻ですわ」

「はっ! 新興男爵家の娘が」


 メイドが三人分のお茶を用意する。

 シェイプされた白磁のティーセットにはハンドペイントの薔薇が描かれていて、今大人気のシリーズだ。


「私が男爵家の娘という事は最初からご存じでしょう?」

 出されたお茶のいつもの甘い香りに、伯爵夫妻が亡くなった悲しみも理不尽なレギオス様の不愉快さもわずかに癒される。

 一口飲んで落ち着いた私に、レギオス様は更に言い募った。

「ただの男爵じゃないだろう。お前の家は商家だ。アレクシア、お前は商人の娘だ」

 見下すように言うレギオス様。

 私には、貴族の持つ「働くことは恥だ」という考えが理解できない。

 

 私の家は、祖父が家業の商家を大きくしたことによって叙爵されたものだ。今は父が爵位と商家を継いでいる。

 そんな環境だからか、親戚たちも建築の会社を作ったり土木工事の会社をやっていたり、日用品の店や服飾の店など、皆働いている。父は皆の会社の物流の交通整理のような役目もしているので、うちは男爵家と言ってもその財産は計り知れない。


「男爵家がお嫌なら、縁談を断ればよろしかったのに」

「ち、父上と母上が強制的に縁談を進めたからだ!」

 亡くなった伯爵夫妻はそんな方ではなかった。

 優しくおっとりとしていて息子の幸せを第一に考える方だった。

 今も玄関にあるお二人の肖像画は、そのお二人に合わせた優美な透かし彫りの額縁で縁取られている。


「それで、文句を言わずに結婚してから『お前を愛する事はない』と言ったわけですか」

 まあ、デートをすればレストランでもコンサートでも歌劇でも最高の席で最高の扱いをされて、請求書は私の父に、でしたものね。こんな金蔓を逃がしたくはないと思ったのでしょう。

 結婚してから、自由になるお小遣いの額も跳ね上がった事でしょう。


「それももう終わりだ。伯爵家は私の物になった。これからはパドス子爵が力になってくれる」

 勝ち誇ったようなレギオス様。

 パドス子爵家ってそんなに経済力がありましたっけ。

 

 まあ、いいか。

「あー。つまり、私と離縁して愛人を連れ込みたいと。伯爵夫妻の野辺送りが終わったばかりだというのに」

「まったく、ろくでもない男ですね」

 メイドがあきれた声で三人のティーカップを片づけていく。 

 レギオス様が怒って注意する声も無視だ。


「こうなると思っていましたので、準備は出来ています」

 中年の執事がテーブルに離縁手続きの書類を並べて、ペンとインク壺を用意する。

 気が利くな、と満足そうにサインするレギオス様。続いて私もサインする。

 書類はすぐに侍従に渡されて法務省に届けられる。

 執事は、私に書類の束を渡して部屋を出て行った。


「これでお前と私は赤の他人だ。成り上がりの男爵令嬢が一瞬でも名門伯爵家に嫁げたんだ。感謝するんだな」

 レギオス様とロアナさんがクスクスと笑っている所に、ノックも無く

「執事さんから終わったと言われましたんで。それでは始めます」

と、ガヤガヤと男たちが入って来て家財道具や調度品をどんどん荷造りしていく。


「ま、待て! 勝手な事をするな!」

 レギオス様の制止など無視だ。

「アレクシア様、こいつらはいい家具なんで布に包まんとですわ。布の用意が少なすぎました」

「じゃあ、カーテンを使って。一階のカーテンは全部剥がしていいわ」

「へい!」


「アレクシア! そんな勝手が許されると思うのか!」

「勝手ではありません。これらは私が嫁ぐ時に持参した物ですわ。先ほどのティーセットも、メイドも、執事も、侍従も。離縁する場合、持参金と持参した物を返さなくてはならないことをご存じ無いのですか?」

「え……?」


 離縁や死別で嫁が婚家を出る場合、婚家は持参金や持参した物を返さなくてはならない。

 だから、妻の持参金目当てで結婚した家は、妻が「離縁する」と言い出さないようにご機嫌をとるものなのだが……。


 テーブルの上に、さっき執事から渡された書類の束を置く。私が婚姻のために持ち込んだ物一覧だ。

 手にとって読み始めた二人の顔色が変わった。大きな家具から小さな日用品まで、私が持ち込んだ物の多さを初めて知ったのだろう。


 特に玄関や応接室など来客が目にする場所は、選りすぐった物を用意したのだ。 

 玄関に飾った伯爵夫妻の肖像画は、中でも渾身の作品だ。若手ながら人物画が秀逸な画家に依頼し、額縁は私が吟味して選び抜いた名人の一点物だ。

 届いた肖像画にうっとりしていたら、父と母に「自分たちのも」と言われて困ってしまった。

 あの二人は、「肖像画」と言うより「似顔絵」向きの顔なんだもの……。


 レギオス様はきっと、私を迎えるために伯爵夫妻が家具を新調した、程度に思っていたのでしょうね……。

「アレクシアの実家の援助でやっていけてるのだ」

と、伯爵夫妻が口を酸っぱくして言ってたのも本気にしてなかったのだろう。

 

 窓に脚立が立てられ次々とカーテンが外されて、家具や調度品が無くなり、どんどん部屋がみすぼらしくなっていく。

 聞こえてくる騒ぎから、玄関や厨房、私の部屋でも行われているようだ。

 大勢の人の掛け声と足音と馬のいななき。父はどれほどの人足と荷馬車を用意したのだろう。

  

 この騒ぎで、今頃は貴族街中にレギオス様が私を追い出したことが広まっているだろう。


「アレクシア様、金庫を全部さらっても持参金には全然足りません」

 執事が戻って来て告げる。

「仕方ないわね。ろくな物が残って無いけどレギオス様と伯爵夫妻の持っている宝石を差し押さえて」

「なっ! ふざけるな!」

「差し押さえるだけですわ。現金を持って来てくださったら、すぐにお返しします」

 笑顔で答える私を、二人は信じられないと言う顔で見ている。


「あ……あなた、レギオス様が好きなんでしょう?」

「いいえ? ご存じのように私の家は祖父の代に男爵になった商人です。商人とは、利益のためなら不愉快なお客にでもお愛想を言えますの」

 レギオス様がショックを受けている。

 本気で自分の魅力を信じていたようだ。

 

 この愚かな息子は、伯爵夫妻がどれほど社交界で影響力があるか気付いていない。

 伯爵夫妻が口添えしてくれれば信用は増し、伯爵夫妻が一口噛んでいると知ると事業はスムーズに進むのだ。きっと私の父は私の持参金の何倍も儲けた事だろう。


 だが、人が良すぎて利用されるばかりだった伯爵家は破綻寸前だったのだ。

 それで、私が嫁として伯爵家に入る事によって伯爵家の経済事情が悪いと疑いを持たせずに伯爵家の立て直しをする事になった。これなら私の父が伯爵家の事業を盛り立てても違和感が無い。

 また、父が(にら)みを利かす事で伯爵家を食い物にしようとする奴を近づけなくした。


 そのためには、レギオス様に身分違いの恋をした私を伯爵夫妻が受け入れてくれた、と周りに思わせなくてはいけなかったが、これは案外スムーズだった。私は、お二人の娘になれた事がとても嬉しかったから。

 実の両親も尊敬しているが、伯爵夫妻と初めて会った時、「これが貴族か!」と目が覚める思いだった。立ち居振る舞いに溢れる気品、優雅で穏やかな(たたず)まい、そしてお二人はお互いを愛し合い思いやりあっていた。

 こんな方たちに「娘」と言われて、優しさに包まれた日々は幸せだった。


 「あのお二人の子供なのだから……」と期待したレギオス様は、期待はずれとしか言いようが無かったけど。


 私はレギオス様に(うと)まれ、伯爵夫妻が何を言ってもレギオス様は聞く耳を持たず、その態度は変わらなかった。

 伯爵夫妻には申し訳ないと何度も言われたが、私は「ブラウンフォード家で行儀見習いさせてもらったと思えば、逆にお金を払いたいくらいですわ」と笑い飛ばした。

 伯爵夫妻はそれならと、私に色々と教えてくれた。それは、伯爵夫妻には当然の事でも私のような者にはお金を積んでも得られない知識だった。


 伯爵夫妻による知識と人脈で、私は実家に新しい路線の販路のアィディアを出した。それは着実に結果を出して、とても実りある日々だった。


 きっと、五年経っても子供が出来なかったら(出来るような事はしてないけど)、またはロアナさんに子供が出来たら離縁になるだろうと思っていたら、思いがけない伯爵夫妻の事故で、三年で終わりが来てしまった。

 離縁の時は、私が持ち込んだものは全て伯爵夫妻に残していこうと思っていたのだが、伯爵夫妻がいないのなら容赦はしない。



 私は立ち上がった。

「それではごきげんよう」

 伯爵夫人仕込みの完璧なカーテシーをする。


 私が背を向けた途端、テーブルにカーテンが巻かれて運び出され、ソファーの鋲がみるみる外されファブリックとクッションの綿がまとめて持ち去られる。

 ソファーから立たされた二人は、呆然と成り行きを見ている。これから訪れるパドス子爵は、この木の台しかないソファーに座らされるのだろうか。


「そうそう、馬車も馬も御者も持って行きますので」


 ついにへたり込んだ二人に気付かぬふりで、私は部屋を出て行った。 


 玄関で、外された伯爵夫妻の肖像画を受け取ると、私は太陽の下に踏み出した。



2025年8月5日 日間総合ランキング

3位になりました!

ありがとうございます(^∇^)



8月6日 びっくりの2位!

アレクシアと一緒に五体投地です。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
見事なまでの『ざまぁ』でしたね してやったりദ്ദിᱸ◡・)♬*.
伯爵家を支え護っていた男爵家の加護が消える訳ですから、馬鹿息子はあっという間に食い物にされて没落待った無しですね。節制することすら出来ないでしょうし。 没落し屋敷も人手に渡り、叩き出された馬鹿息子と愛…
肖像画まで持っていくのかと思いましたが、これも主人公のお金で描いた可能性があります。 3年の間に前伯爵夫妻の人脈も受け継いだと考えると、伯爵家には本当になにも残っていないですね。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ