第四章:地下の鼓動、古き神の囁き
開かれた鉄扉の奥は、湿気とカビの匂いが混じり合う、冷たい空間だった。緊急避難通路は、渋谷駅の地下に張り巡らされた血管の一部。本来は非常時にしか使われないはずのその場所が、今、ギルドの活動の舞台となる。
「湿度が通常より高いですね。そして、かすかに…変な匂いがします」ミヅキが、顔をしかめながら呟いた。彼女の鼻は、微細な空気の変化をも捉えるようだった。
俺は、持参した小型のライトを頼りに、薄暗い通路を進む。壁面には、古びた配管やケーブルが複雑に絡み合い、まるで巨大な生物の内臓のようだった。ところどころで、水滴が天井から落ちる音が、不気味な静寂を強調する。
カノンは先頭を進み、その冷静な眼差しで周囲を警戒していた。彼女の一挙手一投足に、一切の無駄がない。俺は、彼女の後ろを追う。アヤトの声が、俺たちのインカムに響く。
「この通路は、予測ルートと一致。そのまま直進し、三つ目の分岐を左。そこに、通信ケーブル集積地帯へのアクセスポイントがある」
アヤトの指示に従い、俺たちは奥へと進む。薄暗い通路の壁には、意味不明な落書きがされていた。それは、単なる落書きというより、まるで古代の文字のような、歪んだ記号に見えた。俺の記憶力は、それらの記号を瞬時にインプットし、既知の情報と照合しようとする。だが、一致するものはなかった。
その時、ケンタロウの声が聞こえた。
「おい、これ見てくれ!」
彼は、通路の壁の一部を指さしていた。そこには、壁に埋め込まれたような、古びた木のレリーフがあった。それは、先ほどスクランブル交差点で見つけた古びた木片と、まるで同じ材質で作られているようだった。表面は異様に滑らかで、不自然な光沢を放っている。そして、そのレリーフには、先ほどの落書きと同じ、歪んだ記号が刻まれていた。
「これは…?」ミヅキが、興味深そうにレリーフに触れようとした。
「触るな!」カノンが鋭く制止した。彼女は、レリーフから放たれる微かな「歪み」の波動を感知していた。
「この記号、どこかで見たことがあるような……」俺の脳が、猛烈な勢いで情報を検索していた。記憶のデータベースを、あらゆる角度から掘り返す。すると、遠い昔に読んだ、都市伝説に関する古い雑誌の記事の記憶が、鮮明に蘇った。
それは、渋谷の地下に、古代の「神の社」が眠っているという、まことしやかな噂だった。その社の扉には、奇妙な「封印の印」が刻まれている、と。その「封印の印」と、この壁の記号、そしてあの木片が、酷似していた。鳥肌が立った。
「…神の社…?」俺は、震える声で呟いた。
「どうした、レオン?」カノンが俺の異変に気づき、静かに問うた。
その瞬間、通路の奥から、ゾッとするような「音」が聞こえてきた。それは、金属が擦れるような音ではなく、まるで地下深くから響く、巨大な何かの「鼓動」だった。ドドン、ドドン、と、地響きのように全身に響く。そして、その鼓動に合わせて、通路の照明が、まるで点滅するように明滅を始めた。
「アヤト、何が起きている?」カノンがデバイスに問いかけた。
「警告! 未確認のエネルギー反応が急激に増大。発生源は、通信ケーブル集積地帯の奥…より深層部です」アヤトの声には、焦りの色がにじみ出ていた。彼の、普段の冷静沈着なトーンからは想像もつかないほどだった。
「どうやら、私たちが予想していたよりも、事態は根深いようですね」ミヅキが、普段の笑顔を消し、真剣な眼差しで通路の奥を見据えた。
鼓動はさらに大きくなる。そして、その鼓動に合わせて、湿った空気の中に、甘く、そしてどこか退廃的な「香り」が漂い始めた。それは、この世のものではない、異質な香りに思えた。
「この先だ。通信ケーブル集積地帯。だが、その奥に…何かがいる」カノンは、デバイスを構え、警戒態勢を強めた。彼女の瞳は、暗闇の中でも、獲物を捉える獣のように光っていた。
俺は、先ほどの「神の社」の記憶と、目の前の異常事態が結びつくのを感じた。この都市の地下には、俺たちが想像もしなかったような、古き「何か」が眠っていたのだ。そして、それが今、スクランブル交差点の「歪み」を通じて、覚醒しようとしている。