第二章:サイバーの囁き、地下の鼓動
「アヤト、応答しろ」
カノンの声は、止まった時間の中、奇妙なほどはっきりと響いた。その直後、俺の脳内に、別の声が直接流れ込んでくる。まるで、頭の中に誰かが潜り込んだような感覚だ。
「応答。カノン。時間軸の歪み、座標X-34.7、Y+139.8。推定発生源は、地下通信ケーブル集積地帯。信号は、不安定。解析に時間を要す」
それは、アヤト・シノハラの声だった。
アヤトは、ギルドの頭脳。天才的なハッカーであり、都市のあらゆるネットワーク情報を瞬時に掌握できる男だ。だが、人付き合いは苦手で、いつも猫背気味。顔色は青白く、目の下のクマが、彼が常にモニターに張り付いている証拠だった。首にかけている大ぶりのヘッドホンが、まるで彼の第二の皮膚みたいに見えた。
「視覚情報にノイズ。解析不能」アヤトは続けた。
「ノイズ?」カノンが眉をひそめた。感情を表に出さない彼女にしては珍しい反応だった。
俺は、止まったスクランブル交差点の「影」を凝視した。それは、透明な膜に包まれた、まるでブラックホールのように光を吸収する塊だった。その内部で蠢く青白い「何か」は、まるで生きた電気信号のようにも見えた。
「レオン、情報収集に集中しろ」カノンが指示した。
俺は頷いた。能力を最大限に集中させる。止まった時間の中で、俺の脳は、まるでスーパーコンピューターのように動き出す。周囲の情報、記憶の断片、全てを繋ぎ合わせ、その「歪み」の正体を探る。
すると、スクランブル交差点の地下から、微かな「音」が聞こえてきた。それは、電子的なノイズと、金属が擦れるような不快な響きが混じり合った、不気味な音だった。それはまるで、都市の深い闇の中で、何かが目覚めようとしているような……。
俺の視覚が、その音の発生源を追う。渋谷駅の地下深くへと続く、古びたメンテナンス用通路。そこから、何かが「漏れ出し」ている。
「カノンさん。地下からです。あの『歪み』は、地下の…通信ケーブル集積地帯と繋がっているみたいです」
俺は、頭に流れ込む情報の中から、最も重要なものを抽出して伝えた。アヤトの言う「信号が不安定」というのも、おそらくその影響だろう。
「地下通信ケーブル集積地帯…」カノンが呟き、わずかに視線を動かした。その表情は相変わらず読み取れないが、彼女の冷静な判断力が、この異常事態の解決には不可欠だと、俺は知っていた。
俺の脳裏に、かつてギルドで目にした、渋谷の地下構造図がフラッシュバックする。それは、無数のケーブルと配管が絡み合った、まるで巨大な血管網のような場所だった。そこは、都市の「情報」が流れ込む、まさしく心臓部と言える場所だ。
この「歪み」は、そこから生まれた。そして、時間停止は、その「歪み」が引き起こした、副作用に過ぎないのかもしれない。
カノンはデバイスを操作し、さらに誰かに呼びかけた。
「ミヅキ、ケンタロウ。応答しろ。状況はフェーズ2に移行。地下への侵入経路を確保する」
彼女の声は、この止まった渋谷に、新たな命令として響き渡った。この静寂の中、秘密結社「クロノス・ギルド」の地下への潜入が、いよいよ始まる。