第九話 昼:聖女ユリシア、エルグランドの胸元に視線が吸い込まれる
昼下がりの神殿は、静けさと柔らかな陽光に包まれていた。白く磨かれた回廊の大理石が暖かい光を反射し、噴水の音と鳥のさえずりが風に混じって運ばれてくる。祈りの時間を終えた私は、少しだけ気を抜くために回廊を歩いていた。
「……ふぅ、今日も長かったわね」
そっと小さなあくびを噛み殺しながら、私は日陰を探して歩みを進める。
「やぁ、聖女様。お勤めご苦労さま」
突然後ろからかけられた声に、私はびくりと肩を跳ねさせた。
「エルグランド!? びっくりさせないでくださいっ」
「おやおや、悪かったね。驚かせるつもりはなかったんだけど、君の背中があまりに無防備だったから、つい」
そう言ってエルグランドが歩み寄ってくる。
そして──私は息を呑んだ。
「……な、なにその格好……!?」
エルグランドのシャツは大胆に開けられ、胸元がほとんど見えている。光を浴びた小麦色の肌、整った鎖骨、引き締まった胸筋──視線が、勝手にそこに滑っていた。
「見てるね?」
「っっ!? み、見てませんっっっ!!」
私は咄嗟に顔をそらした。けれど頬がどんどん熱くなっていくのが分かる。
「へぇ〜、顔真っ赤じゃない。ユリシアって、そういう反応するんだ。意外と可愛いね」
「う、うるさいです! なんでそんな恰好してるんですかっ!」
「今日は暑いからねぇ。こうすると涼しいんだ。……まさか、俺の身体にそんなに注目してくれるとは思わなかったな」
「注目なんてしてませんっっ!!」
私の否定も虚しく、エルグランドはにやにやと笑いながら私の前に立つ。
「でも、さっきはじーっと見てたよね? 見とれちゃった? 俺のこと」
「違いますっ! ただ……びっくりしただけです!」
「ふぅん。じゃあ、もうちょっとボタン外しても問題ない?」
「やめてくださいーーーっ!!!」
思わず声を上げてしまった。神殿に響くくらいの大声。
恥ずかしさと混乱で、頭の中が真っ白になる。
「ははっ、今日のユリシアは調子いいな。いつもの澄ました顔より、ずっと生き生きしてる」
「エルグランド、からかわないでください……本当に……」
「いやいや、俺は正直な感想を言ってるだけだよ? 君が面白すぎてつい、ね」
「もうっ……! 私、もう行きますっ!」
私は顔を覆うように手を上げて、回廊の奥へと逃げ出した。逃げながらも、あの笑顔と開いたシャツの印象が頭から離れない。
(……なによ、あの胸元……おかしいでしょうあんなの……!)
足を止めて柱の影に隠れ、胸に手を当てた。
(おかしいのは、私のほう? いやいや、違う。あんな格好で来たあの人が……!)
悶々としていると、また遠くから彼の声が聞こえてきた。
「ユリシア〜、そんなに気に入ってくれたなら、次はもっとすごいの着てくるよ〜?」
「来ないでくださいーーーーっ!!!」
返す声にも自信がなかった。
頬はますます熱く、胸の鼓動は落ち着かない。
(……まさか、ほんの少しだけ、ドキッとしてしまったなんて……それは、違う……違うに決まってる……!)
神殿の陽はまだ高く、私の心は、静かに、けれど確かに揺れていた。