第七話 ユリシア、恋文騒動で大混乱!
神殿の朝は、いつものように清らかで、静かで──でも今日は、何かが違った。
「……これは、何……?」
石畳の上に落ちていた一通の手紙。私は何気なくそれを拾い上げた。
封筒には装飾も宛名もない。ただの落とし物……だと思いたかった。
でも、ちらりと見えた文字に、私は思わず動きを止めた。
『あなたの瞳は、夜空より深く美しくて──』
えっ!? な、なにこれ……!
慌てて封を閉じ直し、辺りをぐるぐると見回す。
まさか……これは、恋文? しかもこの文章、どこかで聞いたことがあるような……いや、間違いない。
「──って、これ……エルグランド様が前に女性に囁いてたあの言葉そっくりじゃない!」
思い出すだけで顔が熱くなる。あの軽薄そうな笑顔と、妙に甘ったるい声が耳に残っている。
(ま、まさか……私に!? 違うよね? 宛名もないし。でもこれ……エルグランド様宛の手紙だとしたら……)
心臓が早鐘を打ち始めた。
いやいや、落ち着いてユリシア。私は聖女。神に仕える身なのに、こんなことで……って、ああもう!
「やあ、ユリシア。朝からそんなに赤くなって……何かいいことでもあった?」
「かっ……エルグランド様っ!?!?」
心臓が止まるかと思った。私の頭の中は一瞬で真っ白。
なんで……どうして今、あなたが来るの!?
エルグランド様は相変わらずの余裕たっぷりな笑顔を浮かべていたけれど、その視線がじっと私の手元を見ていることに、私はすぐ気づいた。
「何か拾ったの? それ、僕にくれるのかな?」
「ち、ちがいますっ! これは、その……たまたま落ちていただけでっ!」
私は背中に手を回し、必死に封筒を隠す。でも、こんなの無駄だった。絶対顔に出てる。しかも声、裏返ってたし!
「ふうん……じゃあ、ユリシアが僕に書いたってこと?」
「なっ……っ、な、なんでそうなるんですかっ!!」
もう頭が沸騰しそう。
エルグランド様のいたずらっぽい笑顔が、さらに私を混乱させる。
「そういう反応されると、余計に気になってしまうよ。君が恋文を書くとしたら、どんな言葉を選ぶのか……興味あるな」
「~~っ! エルグランド様は本当に……!!」
怒りたいのに、なんだか胸がドキドキして言葉が出てこない。
でも、そんな私の様子を見て、彼はふっと笑みを和らげた。
「……でも、嬉しいよ」
「……え?」
その声に、私は反射的に顔を上げた。
エルグランド様の目が、いつもと違って真剣だった。茶化すでもなく、からかうでもなく──優しかった。
「君から何かをもらえるってだけで、今日一日が特別になる。……そう思えるくらい、君のことが気になるんだ」
その言葉に、胸がぎゅっと締め付けられる。
そんな真面目な顔で、そんな甘いこと言わないでよ……。
「そ、それでも! これは私じゃないですっ! 本当に誰かの落とし物なんですっ!」
「うん、わかってるよ。じゃあ僕が預かっておく。差出人、ちゃんと探してみるよ」
彼が手を差し出す。
私は少し迷ってから、ゆっくりとその封筒を渡した。
「……変な勘違いしないでくださいね」
「してほしくない?」
「そ、それは……そんな、変な意味じゃ……っ」
「僕はね、勘違いでもいいから、君が僕に気持ちを向けてくれるなら、それだけで嬉しい」
「~~っ! エルグランド様のばかっ!!」
恥ずかしくて、いたたまれなくて、その場から逃げるように走り出すしかなかった。
背中越しに聞こえた彼の笑い声が、いつもより少しだけ優しくて……
私は気づかないふりをした。
ねえ神様。もし私が、この恋に本気になってしまったら──
許してくれるかな。
恋の予感は、朝露のようにひっそりと、でも確かに、私の胸に落ちてきていた。