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第四話 仮面舞踏会と月下の取引

 王宮の夜は、香水と嘘の香りに包まれていた。


 仮面舞踏会。

 それは身分も素顔も忘れて踊る夜。けれど私には、それ以上の意味がある。


「リシェル様、今夜の仮面を」


「ありがとう、シルヴァ。……ねえ、私って美しく見える?」


「はい。まるで夜の女神のように」


 ふふ、と私は笑う。

 深紅のドレス。漆黒の仮面。赤い唇。

 “昼の私”には絶対に許されない装いだ。


「じゃあ、行ってくるわ。仮面の下の、本当の私として」


 



 舞踏会の会場には、無数のロウソクの灯りと、きらびやかな音楽が溢れていた。仮面をつけた貴族たちが、誰が誰とも知らずに手を取り合い、踊る。笑う。囁き合う。


「まるで夢の中ね……」


 私はグラスを傾けながら、標的――ミラント公爵の姿を探していた。

 だが、思わぬ男の声が背後から降ってくる。


「君のような女が“夢”であるものか。現実以上に鮮やかだ」


 その声に、心臓が一度だけ跳ねる。


「……ずいぶんと口が滑らかなのね」


 振り返ると、蒼い装飾の仮面をつけた男。

 その姿を見ただけで、名を呼ばずとも誰か分かってしまう。


「エルグランド……偶然?」


「運命、と言った方がロマンがあるだろう?」


 ふっと彼が手を差し出す。


「踊ってくれないか? 名前も知らぬ淑女よ」


 私はその手を見つめ、仮面の奥で唇をゆるめた。


「……一曲だけよ」


 



 私たちはステップを刻む。

 身体を預け、視線を交わし、手のひらの熱を通わせる。


「君、どこかで会ったことがある気がする」


「そう? よくある口説き文句ね」


「違う。……声も、仕草も。あの聖女様に似ている」


 私は一瞬だけ目を細める。


「光しか知らない者には、夜は見えないわ。……それとも、あなたは、夜に迷い込む人?」


 エルグランドは笑わなかった。ただ、まっすぐ私の目を見つめてきた。


「もしそうなら、君に連れられてもいい」


 その言葉は冗談ではなかった。

 私の胸の奥に、危うい熱が灯る。


「……あなた、簡単に口説かれると、後悔するわよ?」


「いいや。君に囁かれる言葉なら、どんな罠でも甘い」


 その瞬間、私は彼から目を逸らすしかなかった。

 目が合えば、仮面が剥がれてしまいそうで。


 



 ダンスの余韻を引きずったまま、私は庭園へと抜け出した。

 ミラント公爵の取引相手は、やはりここにいた。


 帳簿の受け渡し。その瞬間、私は記録石を起動させ、すべてを記録する。


(これで十分……あとは“昼の私”に引き渡すだけ)


 そう思って振り返ったとき――


「……やっぱり、君だったんだな」


 エルグランドが、月明かりの下に立っていた。

 その表情は、踊っていたときよりもずっと真剣だった。


「仮面の下、全部は見えない。でも……心は見えることがある」


「やめて。私に“本物”を求めないで」


 彼は一歩近づき、私の手をそっと取る。


「本物じゃなくてもいい。……君がここにいて、今、俺の目を見てくれるなら」


 私はその言葉に、ほんの一瞬だけ息を止めた。


「……エルグランド。あなた、昼と夜の狭間に立つ人ね」


「じゃあ君は?」


「私は……夜の中で、誰かに光を見せてほしいと願ってる女。……それが叶わぬと知りながら」


 そっと、彼の胸に手を置いた。


「これ以上近づいたら、きっと私、あなたに堕ちてしまうわ」


「なら堕ちろよ。俺が、受け止めてやる」


 


 仮面越しのキスは、ほんの一秒。

 それでも、心の奥が揺れたのは間違いなかった。


 そして私は、彼の腕の中からすり抜けるように離れる。


「またね、エルグランド。……今度は、仮面なしで踊りましょう」


 彼が何かを言いかけたが、私はもう背を向けていた。


 月明かりの下、夜のリシェルとして。


 それが、私の選んだ仮面の道だった。


 


───

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