表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

2/68

第二話 昼は祈りと純白のドレス、夜は陰謀と黒いドレス

 朝日が差し込むとともに、目覚めのベルが室内にやさしく鳴り響いた。


「ユリシア様、おはようございます。今日も清らかな一日となりますよう」


 カーテンを開けながら声をかけたのは、侍女のエミル。柔らかな笑みと共に、窓から差し込む陽光が室内を金色に染めていく。


 私はまぶたをこすりながら身を起こし、寝台の上で軽く伸びをした。


「……おはよう、エミル」


 声は自然に出た。けれど心の奥底では、昨夜の記憶がうっすらと尾を引いていた。


(まだ、残ってる……)


 昨晩、鏡越しに現れたもう一人の私――リシェル。

 彼女の言葉も、視線も、仕草も、まるで私とは別人だった。


 強く、美しく、冷徹で、そして……なにより魅力的。

 あのリシェルが、この体の中に本当にいるのだと、今日も思い知らされる。


「本日は神殿での祈祷がございます。その後、神託の式典にて、ユリシア様のご挨拶を」


「うん、分かったわ」


「こちら、純白の祈りのドレスでございます」


 エミルが恭しく差し出したのは、真珠のように光沢を放つローブだった。

 肩には透き通るようなレース、袖口には金糸の紋章。

 それを見た瞬間、胸の奥がちくりと痛んだ。


(……これが、聖女の衣装)


 侍女たちの手で丁寧に着替えさせられ、私は大鏡の前に立った。

 映るのは、青い瞳の少女――私、ユリシア。

 けれど、その姿はどこか“仮面”のようだった。


「お美しいです、ユリシア様。まさに神の祝福を受けし乙女のよう」


「……ありがとう」


 エミルの称賛に、私は微笑んで返す。

 けれど、その笑顔の裏では、夜のリシェルが囁いている気がした。


(そんな顔で、誰を騙すつもり?)


 午前の祈祷の場。多くの人々がひざまずき、私に祈りを捧げる。

 私は祝福の言葉を告げながら、一人ひとりに手を添え、慈しむように微笑む。


「聖女様……どうか、孫の咳をお癒しください……」


「神の御光が、あなたと共にありますように」


 老女の手を握る。その手はかすかに震えていた。

 誰かの希望になれるという誇りと、同時に、私自身が“誰なのか分からない”という不安が交錯する。


(私はユリシアなのか、それとも……)


 午後の式典でも、私は立派に聖女を演じていた。

 群衆の前に立ち、言葉を選び、神の導きを語る。


 だが、心のどこかで冷たい声が響いていた。


(こんな綺麗事、誰が信じるの?)


 夕刻、部屋へ戻ると、エミルがそっと髪をほどいてくれた。


「お疲れ様でした、ユリシア様」


「ありがとう、エミル。少し、休ませてもらうわ」


 静かにドアが閉じられる。

 室内に一人きりになったとたん、私は鏡の前に立っていた。


 そこに映っていたのは、たった今まで見慣れたユリシアではない。


「ふん……ようやく、出番ね」


 唇が勝手に動いた。

 声は私のもの。でも、意思は私のものではなかった。


 鏡の中の私は、スルリと夜のドレスに腕を通す。

 深い黒。背中の開いたドレスに、鮮やかな紅を差した唇。髪を巻き上げ、うなじをさらけ出す。


「やっぱり、白は落ち着かないのよ。私はこっちの方が好き」


 胸元にはダガーを忍ばせ、足元には音の立たない靴。

 リシェルは夜の女。光の届かぬ場所で、真実と嘘を操る存在。


「さて……裏城門の鍵は確保済み。今日も、誰かに『お仕置き』しないとね」


 窓辺に立ち、夜の王都を見下ろす。

 灯火に彩られた街並み。

 この国を守る聖女としての顔と、この国の裏側を操る悪女としての顔。


 二つの人格。

 二つのドレス。

 二つの恋……まだ、それは始まったばかり。


(ねえ、私たちはどこへ行くの? そして、どっちが本当の“私”なの?)


 その問いに答える者は、今のところいなかった。


 ただ、月だけが静かに見下ろしていた。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ