第二話 昼は祈りと純白のドレス、夜は陰謀と黒いドレス
朝日が差し込むとともに、目覚めのベルが室内にやさしく鳴り響いた。
「ユリシア様、おはようございます。今日も清らかな一日となりますよう」
カーテンを開けながら声をかけたのは、侍女のエミル。柔らかな笑みと共に、窓から差し込む陽光が室内を金色に染めていく。
私はまぶたをこすりながら身を起こし、寝台の上で軽く伸びをした。
「……おはよう、エミル」
声は自然に出た。けれど心の奥底では、昨夜の記憶がうっすらと尾を引いていた。
(まだ、残ってる……)
昨晩、鏡越しに現れたもう一人の私――リシェル。
彼女の言葉も、視線も、仕草も、まるで私とは別人だった。
強く、美しく、冷徹で、そして……なにより魅力的。
あのリシェルが、この体の中に本当にいるのだと、今日も思い知らされる。
「本日は神殿での祈祷がございます。その後、神託の式典にて、ユリシア様のご挨拶を」
「うん、分かったわ」
「こちら、純白の祈りのドレスでございます」
エミルが恭しく差し出したのは、真珠のように光沢を放つローブだった。
肩には透き通るようなレース、袖口には金糸の紋章。
それを見た瞬間、胸の奥がちくりと痛んだ。
(……これが、聖女の衣装)
侍女たちの手で丁寧に着替えさせられ、私は大鏡の前に立った。
映るのは、青い瞳の少女――私、ユリシア。
けれど、その姿はどこか“仮面”のようだった。
「お美しいです、ユリシア様。まさに神の祝福を受けし乙女のよう」
「……ありがとう」
エミルの称賛に、私は微笑んで返す。
けれど、その笑顔の裏では、夜のリシェルが囁いている気がした。
(そんな顔で、誰を騙すつもり?)
午前の祈祷の場。多くの人々がひざまずき、私に祈りを捧げる。
私は祝福の言葉を告げながら、一人ひとりに手を添え、慈しむように微笑む。
「聖女様……どうか、孫の咳をお癒しください……」
「神の御光が、あなたと共にありますように」
老女の手を握る。その手はかすかに震えていた。
誰かの希望になれるという誇りと、同時に、私自身が“誰なのか分からない”という不安が交錯する。
(私はユリシアなのか、それとも……)
午後の式典でも、私は立派に聖女を演じていた。
群衆の前に立ち、言葉を選び、神の導きを語る。
だが、心のどこかで冷たい声が響いていた。
(こんな綺麗事、誰が信じるの?)
夕刻、部屋へ戻ると、エミルがそっと髪をほどいてくれた。
「お疲れ様でした、ユリシア様」
「ありがとう、エミル。少し、休ませてもらうわ」
静かにドアが閉じられる。
室内に一人きりになったとたん、私は鏡の前に立っていた。
そこに映っていたのは、たった今まで見慣れたユリシアではない。
「ふん……ようやく、出番ね」
唇が勝手に動いた。
声は私のもの。でも、意思は私のものではなかった。
鏡の中の私は、スルリと夜のドレスに腕を通す。
深い黒。背中の開いたドレスに、鮮やかな紅を差した唇。髪を巻き上げ、うなじをさらけ出す。
「やっぱり、白は落ち着かないのよ。私はこっちの方が好き」
胸元にはダガーを忍ばせ、足元には音の立たない靴。
リシェルは夜の女。光の届かぬ場所で、真実と嘘を操る存在。
「さて……裏城門の鍵は確保済み。今日も、誰かに『お仕置き』しないとね」
窓辺に立ち、夜の王都を見下ろす。
灯火に彩られた街並み。
この国を守る聖女としての顔と、この国の裏側を操る悪女としての顔。
二つの人格。
二つのドレス。
二つの恋……まだ、それは始まったばかり。
(ねえ、私たちはどこへ行くの? そして、どっちが本当の“私”なの?)
その問いに答える者は、今のところいなかった。
ただ、月だけが静かに見下ろしていた。