第十三話 夜:騎士たちの前で、私は“獣”を解き放つ
夜の戦場は、静寂と殺気が交差する。
今回の視察任務は、当初の予定にはなかったものだった。
王子ユリウスが直々に「現場の空気を感じたい」と発言したのが始まりで、急遽近隣の前線視察が組まれた。
護衛役として選ばれたのは、数名の精鋭騎士──そしてなぜか、私。
いくら王子付きの侍女という“表向き”の肩書きがあるとはいえ、普通ならば女性が戦地に同行することなどあり得ない。
だが、ユリウスはそう言ったのだ。
「君の目が必要だ。地形や気配を察する力は、他の誰にも真似できない」
その一言で、私はこの場にいる。
野営地の空気は張りつめていた。
焚き火の煙、鉄と革の匂い、緊張に固まる空気。
そんな中、騎士たちは私をただの飾りだと思っていた。
「敵がこの方向からくる? ふん、女の直感に頼るほど我々も落ちぶれちゃいない」
その言葉に、私はただ口元に微笑みを浮かべた。
忠告だった。
小高い丘の背後から、不穏な気配を察知しただけ。
だが、彼らは聞く耳を持たなかった。
私が女であること、そして“表の職業”ではただの侍女扱いであることが、彼らの判断を曇らせたのだ。
ユリウス王子だけは私を見て、わずかに眉をひそめた。だが口には出さなかった。
その優しさは、今だけは罪だった。
そして、敵は来た。
予想通り、丘の裏手から回り込むように。
「っ、伏兵か!?」
騎士たちの顔が蒼白になる。慌てて剣を抜くも、配置も何もかも整っていない。
私は、その光景をしばし無言で眺めた。
……もういいわね。
腰に隠していた魔術符を抜き取り、ゆっくりと破る。
その瞬間、空気が変わった。
闇の気配。
濃密で、圧倒的な、それでいて甘い死の香り。
魔力──それは私の中に眠っていた禁じられた力。
今はもう慣れたこの感触も、かつては自分でも恐ろしいと思っていた。
あれは十六の頃。
裏の依頼で潜入していた盗賊の隠れ家で、私は追い詰められた。
どこにも逃げ場はなく、助けもない。
喉元に短剣が触れたその瞬間、私の意識の奥底で何かが『解き放たれた』。
気がついたとき、私は黒い炎をまとい、敵を全て焼き払っていた。
その日から、私は知ったのだ。
──私の中には、“闇”がある。
そしてその闇は、私に従う。
それ以来、私はこの力を封じていた。
使えば誰かが怯え、距離を取るから。
でも今日は、そうしている場合じゃない。
「な、なんだ……この魔力は……」
「お、おまえ……っ」
騎士の一人が私に向けて言葉を放つが、その瞳は恐怖に染まっていた。
「忠告を、聞いてくだされば良かったのに」
私は、ゆっくりと闇魔を構成する。
私にしか扱えない、古の“獣”を。
指先から黒い煙が生まれ、それはやがて獣の影となる。
異形の牙と爪を持つそれは、まるで私の影から生まれたかのようだった。
「侵入者はすべて排除」
その命を受け、影は音もなく走る。
丘の裏手──そこに潜む伏兵たちの悲鳴が、ひとつ、またひとつと掻き消える。
やがて、静寂が訪れた。
私は踵を返し、騎士たちの前に立つ。
誰もが、言葉を失っていた。
その場に跪く者すらいた。
私は、微笑んだまま。
「侮辱の代償としては……軽すぎたかしら?」
闇はもう収まっていた。
けれど、彼らの心には深い傷が残ったことだろう。
……それでいい。
私は、王子のいる天幕へと静かに歩を進めた。
──闇に咲く花のように、美しく、冷たく。
それが“夜”の私、リシェル。




