第十一話 夜:嘲笑う女たちへ──美酒と毒の返礼
会場には、甘い香水と笑い声、そして心地よく装った毒が満ちていた。
宮廷の一角を貸し切った夜会。主催はグランシェ侯爵家の令嬢たち。
名家の子女たちが一堂に会し、仮面と戯れ、男と媚び、互いの虚栄を競い合う夜。
招待状が届いたのは数日前だった。金箔の封筒に差出人の名はなかったが、印章は見覚えがあった。以前、情報屋を通じて軽く探りを入れた貴族令嬢──リュシエン・グランシェ。
彼女とは、以前一度だけ、王宮内で顔を合わせたことがある。とある舞踏会の折、配膳を務めていた下働きの侍女にわざとドレスの裾を踏ませ、その失敗を責めて頬を平手打ちしたのを、私は見ていた。その侍女は涙を堪えて謝罪していたが、リュシエンは「平民のくせに王宮に立ち入るからよ」と言い放った。その傲慢さと冷酷さは、まさに侯爵家の名にふさわしい腐臭を放っていた。
噂では、リュシエンは従姉妹の婚約者を誘惑し、婚約を破談に追い込んだこともあるという。しかもその直後、従姉妹の悪評を貴族誌に流布し、社交界から追い出す徹底ぶりだった。さらに神殿の若い巫女が彼女の侍女を務めた際には、風邪をこじらせたその少女を真冬の庭に立たせ、「礼儀を学べ」と言って凍傷を負わせたという逸話まである。
“余興の客人としてお迎えいたします”──つまり、見世物として呼ばれたということ。
あまりにあからさまな侮辱。だが、それこそが私には好都合だった。
私は“余興の一人”として会場に現れた。
もっとも、彼女たちが私をどんな目で見ていたかは火を見るより明らかだった。
「まあ、誰かと思ったら……夜の社交に紛れ込んだ平民の女じゃない」
「着飾っても所詮は商家の出。娼婦の真似事でもしてるつもり?」
甘ったるい笑みとともに投げかけられる侮辱。
彼女たちは、私が静かにグラスを傾ける姿を、ただの見世物だと思っている。
──愚かだわ。
私は笑った。
それも、心から楽しげに。
「ご挨拶ありがとうございます、侯爵令嬢の皆さま。今日もお顔色がよくて何より」
媚びるように、だが言葉の端々に針を忍ばせて。
気づかぬふりで、私は彼女たちの足元に地雷を埋めてゆく。
私がこの会に来た理由はただ一つ。
“仕掛ける”ため。
テーブルの下に忍ばせた小箱には、ある貴族の愛人へ宛てた手紙の複写。
隠し撮りのように記録された密会の記録。香水の銘柄、筆跡、封の割り方まで偽りのない証拠。
誰が誰の情夫で、誰がその相手に何を漏らしたか──。
全て、今夜ここで暴かれるよう手配した。
そして予定通り、余興の「風のゲーム」が始まる。
「さて、皆さま。この中に“告白の書”が混じっているとか。誰が書いたものか、推理しませんこと?」
侍女が広げたトレイに、封筒が十数通並ぶ。
中には、私が用意した“本物”の手紙が混ざっている。
それは、ある侯爵令嬢が既婚貴族と交わした赤裸々な密書。
「まさか、こんなに生々しいなんて……」
「名前が……書いてある……っ!」
場が一気に凍りついた。
中には手紙を読み上げるのも忘れて硬直した令嬢もいる。
「きゃっ……これ、私じゃないわよね? ねえ……嘘よね?」
「何これ、悪趣味すぎる……誰が……」
誰が仕掛けたかなんて、私の目を見るだけで誰もが察していた。
だが、それを言えば自分の傷口を広げることになる。
私は、口元を扇子で隠して微笑んだ。
「まあまあ、余興ですもの。皆さま、少しは“スリル”も必要でしょう?」
沈黙と困惑に満ちた会場。
男たちは興味本位で囁き合い、令嬢たちは冷や汗と怒気で顔色を変えていた。
私は立ち上がり、最後の一言を残す。
「貴族の誇りって、こんなに安いものだったかしら?」
そして、夜会を背にして去る。
ヒールが石畳を打つ音が、まるで勝利のファンファーレのように響いていた。