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賽の河原

クリッカー

作者: ユーザー

朝、目覚めの一発を決めて体を起こす。冷蔵庫からアイスコーヒーを取り出す。クリッカーで目は醒めているけど、頭がてんで回らない。だらしなく出っ張った腹を見て躊躇いつつも、結局ガムシロップをニつ入れた。出力を一つ上げて、もう一発。顔を洗って髭を剃って、髪を雑に整える。どうやったって不細工は変わらないから、鏡の自分とは目を合わせない。


職場に向かっているとき、道端で若い女が膝をついて天を仰いでいた。いわゆるショーシャンクってやつだな。昔の映画であんなのがあったんだってよ。教科書通り両手にはそれぞれクリッカーが握られていて、親指が痙攣しながらボタンを連打している。

売春婦とかだったんだろうな。あんなに短いスカートにしなきゃ、膝は血塗れにならなかっただろうに。まぁ本人にとっては、もうどうでもいいんだろうけどさ。

「姫様、お目にかかれて光栄です。」って一言をつけて写真をアップした。昨日はクリッカーの広告ポスターが見つかったとかで騒ぎになっていた。確かにクリッカーの広告なんて見たことない。けどさ、今更ショーシャンクになるやつだって滅多にいないんだから、こっちがバズったっていいはずだろ。っていっても、人気者が明日の廃品回収までにあれを見つけちゃったら、それまでなんだけどさ。


今日も今日とて、下らないお仕事だった。どれくらい下らないかって言うと、いちいち書いてらんないくらい下らないんだ。正直言うと、毎日同じことしてるはずなのに、自分が何してんだがちっとも分かってなくてさ。お偉いさんに聞けば教えてくれるんだろうけど、別に知りたいとも思わないしね。

でもこんな仕事でも、仕事終わりの一発は最高なんだ。出力は思いっ切り上げて、それでいて効果時間は一瞬に設定する。バチッと来る感じ。あぁ、これのために働いているんだろうね、僕は。

いつだってクリッカーはやってるけど、家でやるのとも、仕事中にやるのとも訳が違うんだよ、多分。


家に帰っても飯は無いし、酒も無い。仕方ないから僕はバーに向かう。こんなことを結局毎日やってるんだけどさ、仕方がないからしょうがないんだよ。

僕の行きつけのバーは、良いところがニつある。一つはタバコを吸ってもいいってこと。古い映画みたいでかっこいいだろ。実際は煙くて臭いし、あんまり美味しくもないからクリッカーで誤魔化しちゃうんだけど。

そしてもう一つ、これが一番大事なんだけど、店がクリッカーを渡してこないってことだ。しょうもない店に行くと、大抵がクリッカーを頼んでもないのに持ってくるだろ。ほら、プラスチック製で店のロゴ入りの安っぽいやつさ。見たことあるだろ。君の彼氏がそういうクリッカーを使ってんなら、今すぐ別れたほうがいい。効果は同じだからって適当なクリッカーを使うような奴らは、女だって適当に選んでるんだよ。


話が逸れたな。僕が頼むのは決まってカレーライスにウイスキーのショットだ。カレーライスはチンしたての熱々だからいつ食べても旨いんだけど、反面ウイスキーはいくら飲んでも最悪だね。高いやつほど変な臭いがして堪らない。

これをつまみにクリッカーを決めるのが通ってやつなのさ。優れたオスを選びたいなら、これは覚えておいたほうがいい。

ウイスキーで口を汚して、カレーライスで整えてからクリッカーを一発。この風情を味わってたらさ、隣にいたカップルが何やらクスクス笑ってんだ。

「おい、これで六発目だぞ。」「何であんな変な顔して飲んでるの?」「クリッカーでも満足出来ない変態マシーンだよ、あいつは。」

大して広い店でもないから会話は筒抜けだったけど、僕は大人だから黙ってクリッカーをやっていたんだ。そしたらさ、彼氏の方がヘラヘラ話しかけてきたんだよ。

「なぁあんた、そんなにクリッカーが欲しいんなら俺のを使うかい。気にすんなって。あんたがショーシャンクになってくれりゃ元なんてすぐ取れるんだから。」

そう言って彼氏はクリッカーを投げてきた。ほら見ろ、こういう奴のはやっぱり安物だぜ。こんな小物に屈してたまるかよ。

僕は挑発を受けて席を立ち、店の少し広いところに移動した。右手には僕のクリッカーを、左手には奴の安物を構えて睨み付けてやった。どうせ死ぬんだ。それならショーシャンクになって快楽の中で死んだほうがマシだ。

尊厳あるハッピーエンドだ。



やってやる。


ぐっと両手に力を込めて握りしめると、右手の方から激しい快楽が広がる。その時、何でか分からないけれど、左手のクリッカーから手を離しちゃったんだ。すぐに右手からも力が抜けた。

気が付くと僕は涙と小便を漏らしてべちゃべちゃになりながら立っていた。

彼氏の方は笑い声が入らないよう必死にこらえながらスマホを向けていた。彼女に至っては見向きもせずにクリッカーをカチカチ押していた。

ともかく、もうここには居てらんないから、僕は店を飛び出した。あいつのクリッカーだけポッケに突っ込んでね。

悪いけどお会計してないことには全く考えが及ばなかった。僕の財布は置いていってるから、そこから勝手に抜いといてくれ。彼氏くんも僕のお高いやつを使いな。


夢中で走ってたら家の前まで着いちゃったんだ。一回深呼吸して鍵を開けようとしたんだけど、やめた。だってさ、そこで家に入れば僕の敗走は確定するだろ。

うちのマンションの屋上のドアを開けた。入れないと思ってたけど、案外鍵は開けっ放しだった。ここは周りのビルやマンションより低いから開放感は無いけど、そんなのはただのまやかしさ。クリッカーは究極の純粋快楽なんだから、それだけでいいんだよ。

クリッカーのダイヤルを回せるだけ回す。ダイヤルは一周したあとも回り続けた。指が擦り切れるまでダイヤルを回転させてから、クリッカーのボタンを押す。


カチッ。


カチッ。



痛い、どうして。

カチッ、カチカチカチカチ。




この時は焦ったね。クリッカーをやるのが辛いなんてこと無かったんだから。それで僕はさ、クリッカーを壊しちゃったんだ。

叩きつけたら直るんじゃないかって、そんな訳ないのにそれしか思いつかなくて。僕はクリッカーを全力で地面に叩きつけた。何度も、何度もね。

とびきりの一発を食らわせたとき、クリッカーは砕けた。やっぱり安物はこういうところが駄目なんだよ。

砕けたクリッカーからは何が出てきたと思う?

コイル、磁石、バネ。それだけさ。


ここまで読んでくれた君らには、特別にクリッカーの正体を教えてやる。クリッカーってのはいわば発電機で、ボタンを押して発電された電気がクリッカーについた電極から体を伝って流れる。僕らはその刺激を快楽だと思い込んでいた。それだけさ。ダイヤルに至ってはどこにも繋がってなくて、ただ空回りするだけだったんだ。ほんと笑っちゃうよな。

バネは勢い良くボタンを押して発電させるため、電気パルスを受け取った筋肉がボタンを握り込むのを防ぐための簡単な仕掛けさ。

こんな単純な仕組みだけど、全部理屈がついちゃうんだ。ショーシャンク現象だって説明できるけど、聞きたい?

まぁ、嫌だって言っても、聞かせてやるけどな。

あれはだな、片方の手でボタンを押したとき、親指はバネによって戻されるだろ。でもよ、もう片方の手が電気パルスによる筋肉の収縮運動によってボタンを押してしまうんだ。これを交互に繰り返して痙攣するように連打してしまう。このループに入ってしまうと自分一人止められない。脳が焼き切れたって神経が繋がっていれば終わらないんだろうね。

僕は専門家の大先生じゃないからこれが答えだとは言わないけどさ、でも多分こんなところだと思うよ。


これがクリッカーの正体だった。でもこれは全部あの時に気付いたって訳じゃない。あの日は昂ぶる気持ちをクリッカーで制御出来なくて、苦しくてさ。次の日道端に落ちていたクリッカーに救いを求めて飛びついたんだけど、その時も痛覚があった。それでようやく気付いちゃったんだな。


こうして僕は、そして君ら読者も、気の毒にクリッカーの正体を知りながら生きなきゃいけなくなったんだ。しかも、残念なことに代替品は存在しない。完全に制御可能で、何度でも使えて、ボタンを押すだけで瞬時に快楽が訪れる。何であれ、クリッカーは究極のドラッグなのさ。

でも安心してくれ。先輩である僕の経験によれば、クリッカーは効き続ける。合理的思考が痛覚を快感に変換していたわけじゃない。僕らの脳みそとか親指がクリッカーの刺激を快楽だって思ってるだけだから、当然っちゃ当然だな。

ほら、君も押してみな。気持ちいいだろ。


当然じゃないのは、なんでこの世界でクリッカーが成立していたのか、って事だ。僕らは一体いつからクリッカーのバカみたいな電気信号を快楽だと思い込まされていたのか、何の為にそんな思い込みを植え付けられていたのか。考えたって分かりっこないんだろうな。

もっと分からない疑問もある。何故僕らは空回りするダイヤルを回して快楽を制御しているのか、ショーシャンク現象っていう絶対的な幸福からどうして人々は逃げていたのか。

どうして社会はクリッカーを受容しているのか。


クリッカーを信仰していたあの時の僕は、どうして手を離しちゃったんだろう。それが快楽の確約ってことは、この身で良く知っていたというのに。

多分だけど、僕らってのは快楽と同じくらい、快楽を恐れることに依存している。だから僕は、今でも時々ダイヤルをカラカラさせる。


全部分かったからって、クリッカーから逃げられるなんて思うなよ。逃げられないから恐れてるんだぜ。

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