叔父とドールハウスのきっかけ
「悠真、朝飯は食うか? 俺もちょうど今起きたところだけど」
台所から聞こえる叔父の声。壁越しに話しかけてくるから、こっちは生返事をするしかない。
俺は重い腰を上げて部屋を出た。Tシャツとパーカーを羽織っただけの部屋着姿。人目に出るわけじゃないから、これでじゅうぶんだ。
「軽くパンなら……」
「あ、俺もヨーグルト食べるわ。牛乳残ってるよな?」
叔父――蒼井道隆は、まだ三十八歳という若さで海外にもファンがいるドールハウス作家だと聞いている。最初は“ドールハウス”と聞いて「人形遊び?」とか思ったけれど、彼が作るミニチュア作品はSNSでめちゃくちゃバズっていたりするらしい。
昨夜も遅くまで机に向かって、細かいパーツを組み立てていた。ふだん飄々としているし、口数も多くはないけど、時折みせる作品へのこだわりを見ていると「プロだな……」と思わされる瞬間がある。
その一方で、甥である俺にはとことん干渉しない。学校に行かないことを叱りもしないし、外出せずに部屋にこもりがちな俺を否定することもない。
「んじゃ、これ食べ終わったら、ちょっと頼みたいことがある」
「頼みたいこと……?」
「たいしたことじゃないさ。まあ、楽しめるかもしれないし」
そう言って叔父は謎めいた笑みを浮かべる。もしかしたら、新作のドールハウス制作にあたって、何か手伝いをさせるのかもしれない。俺としては面倒だけど、頼まれること自体が珍しいからちょっと気になる。
パンとヨーグルトを食べながら、ちらりと叔父の作業机を見る。そこにはミニチュアの小さな家具と、まるで童話の世界から取り出したような可愛らしい家が置かれていた。
叔父はふと、その並べられたミニチュアの背景を見やり、ぼそりと言った。
「なんか最近、ネットで“配信”するやつらが増えてるんだろ? しかも顔を出さなくても、声だけで活動できるVtuberとかいうのが流行っているって」
「うん、まあ……そうだね。俺もアニメとか見るついでに配信サイトはよく見てるよ。すごい人、たくさんいる」
Vtuber文化が一般化したこの時代では、いろんなタイプがいる。ゲーム実況、雑談、歌枠、ダンス……。パソコンとちょっとした機材さえあれば、誰でも気軽に始められる。それこそ、顔を公開せずに声とアバターで活動できるから、俺みたいに“顔”を見られたくない人間には向いているかもしれない。
――なんて思っていたら、そのまま叔父が続ける。
「悠真も、やってみたらいいんじゃないか? 顔見られたくないんだろ。なら、顔を隠して発信する手段はある。インターネットなんて所詮、仮想の世界だが、それが逆に武器になるかもよ」
「……俺が、配信?」
思いもしなかった提案。正直なところ、興味がゼロではない。アニメやマンガの雑談ならいくらでもできるし、好きな作品を語り出したら止まらない自信もある。そこに“声”だけで魅せる新たな場所があるのなら――。
でも、とつい尻込みしてしまう。どうせ俺なんかがやっても見てくれる人はいないだろうし、下手にバズったらバズったで、いずれ“中の人”が誰なのか突き止められるかもしれない。
「抵抗はあるだろうけど、お前が自分の殻を破るきっかけにはなるんじゃないかと思ってさ。まあ、やるやらないは自由だよ」
叔父はそう言うと、ヨーグルトにスプーンをつっこんでふたたび黙り込む。あっさりした調子に見えるが、その瞳の奥にはどこか期待している光が宿っている気がした。
この人は、俺のことを思ってくれているのか、ただ好奇心で言っているのか――どっちだろう。でも、そんなことは関係ない。
“顔を出さない”という条件が守られるなら、少しだけチャレンジしてみたいかもしれない。何もしないで部屋にこもっているより、ほんの少し前に進めるような気もするから。
(顔を知られずに声だけなら……もしかしたら、俺の“好き”を共有できる相手が見つかるかも)
ぽつんと浮かんだ淡い期待。それが、このあとの人生を大きく変えるなんて、まだ予感すらなかった。