Ep.2-1 〝己の力でできる事〟
私はただ、幸せになりたかった……。
理不尽に奪われる現実を知ったあの時から……何も変わらなかった……。
燃え盛る業火の家屋を見つめ、この十五年の月日を振り返る。
笑い、憂い、喜び、嘆き、楽しみ、慈しみ、怒り、悲しみ、そして……
「ただここで生きていられる事が……嬉しかった。」
死んだはずなのに、私は生きていられた。
でも、生きているのに、今日私の心は死んだ。
残されたのは死にかけた姉と、ただただ絶望に浸るしかない弱い私。
憎む時さえ無いままに、そこにいる黄昏色の〝魔女〟のような人によって仇は撃たれた……。
私のこれからの人生には、なんの価値があるのだろうか……?
夕暮れ時の黄昏時に、問いかける。
「助けてほしいかい……?」
ふと見上げると、見下ろすようにその女性は佇んでいた。
暁の空に血塗られた黒いドレス。
先程の戦闘でベルゼブブが撃たれた後、残された《魔蟲》達は一目散に森へと逃げ込んでいき、女性はそれを追わずに私の眼前まで歩いてきていたのだ。
鮮血に舞う夕焼けに映る彼女の第一印象は、まるで破壊者かーー、悪魔のようだ。
だが、それでも私にとっては仇を打ってくれた恩人であり、敬愛すべき存在だ。
だがーー
「私には……もう助けてもらう必要なんて……」
ないーー。そう答えるより前に、
「そう怯える必要はないさ、私は君に危害を加える気も、君のその胸に抱かれている姉の息を絶やそうとも思っていないーー」
ふと、死にかけの姉を見つめる。思えば十五年ーー長いような短いような時を一緒に過ごしたかけがえのない姉だ。
だから何としてでも、私の命と引き換えにしても、必ずこの人だけは助けなければーー!
当たりは血塗られ、ところどころ火花が散っている。
無残に爆ぜ散じた魔物たちの中心で、狂乱の宴に乗じる演説者のように、彼女は言ったーー。
「残酷だろう?絶望的だろう?恐怖しただろう?それがこの世界さ。この世界ーーいや、いついかなる時代でも、どんな世界の中の小さな場所でも起こりうる真理のひとつさ。人間って生き物はなかなかどうして希望ばかり求めるくせに足元に転がっている絶望には気づかないーー。いや、気づいていても見て見ぬふりをしようとする。それが自分の事のようになると怖くて怖くてたまらないからねぇ」
ハッーーと息を呑む。
かつて私は何を失った……?妹や家族を失った……。
今の私は何を失った……?家族や家族同然の人を失い、姉も死にかけている……。
でも今の私はーー
「気づいたかい……?そうさ、君はまだ生きている。五体満足で傷一つなく、運に選ばれて生き残っている。どうせ腹の中では、私が代わりに死ねばよかったとか、もっと努力しておけば、こんな事態を想定しておけば、とかありもしないタラレバを並べて現実逃避でもしようとしているんだろう?あるいは、この狂乱の宴に酔いしれて、哀れな〝生存者〟でも演じるのだろう?残念ながら君のくだらない妄言は一銅の価値もないね!痛みや死を代わりに受ける魔術は確かに存在するし、努力をすれば〝あの程度〟の敵ならばいくらでも倒せる。《星》の魔術を会得すればこういう事態も想定できるし、その気になれば死者だって蘇らせる魔術もあるかもねえ〜?まあ私が言いたいのはただ、それら全ては須く過ぎ去った過去でしかなく、大事なのはこれからどうするべきかという事だよ。君の今すべき事は何だい?」
私の今すべき事ーーそれは、ヒュイを治してもらう事だーー!
何に代えても為すべき事ーーそれはヒュイが、これから先笑顔で笑って生きていられるようにする事だーー!
そのためには私は……、何をすれば良い……?
いや、躊躇うな!できる事をするんだ!私にしか出来ない事!無力で無知で助ける術一つ無い私にできる唯一の事……!
「あの、その……私なんかじゃあ一生かかっても助けてもらった恩は返さないと思います……。その上で、厚かましいとは……思うのですが……」
ゴクリッ、と息を飲み眼前の女性ーーカーヴェラの目をしっかりと見据えてーー。
「ヒュイを……私の姉を、助けてください!何でもします!私にできる事なら……だから……お願いします!」
額を地につけ、土下座をする。
ヒュイを、きっとこの人なら治してくれる!助けてくれる!そう信じる事しか、今の私にできる事はないから!
そうして流れるしばらくの沈黙の後……カーヴェラはやがて口を開く。
「うん、いいよ」
と、一言。
バッーーと頭を上げるとニコッ、と。先程までの鬼気迫るような魔気は感じられず、そこには齢二十代後半程にしか見えない淑女の姿があったーー。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
『ねえポピィ、あなたって本当にやんちゃだけど、どうしてそんなに無茶をするの?』
ふとーー、かつての記憶が蘇る。
幼かった頃、妹のポピィが近くまで出てきた魔物を一人で相手に戦っていた時の事だった……。
『だって……あたしたちの工房で暴れてたんだよー。あたしの家族と家は、あたしが守る!』
小さいけれど、大きな勇気。
自分よりも一回り大きい黒い豚、ブラック・ピッグは脅威性はそこそこだが、幼い少女が相手取るには十分命に関わる存在だった……。
それでも……
『心配しないで!あたしは世界一の鍛冶師になるんだから、お姉ちゃんはあたしが守ってあげるからね〜』
『全く……守るのは年上のわたしの役目でしょー』
何気ない優しさや、気の強さ。志があり、それを貫く度胸と勇気がある。
強く優しい妹が……私の誇りだった……。
ごめんねポピィ……あなたを一人にして……
「……ねえちゃん……」
お父さんも……お母さんも……みんなを……守ってあげられなくて……。
「……お姉ちゃん……お姉ちゃん……!」
わたしはーー。
「ハッーー!ハァ……ハァ……」
唐突に、現実に引き戻される。
と、意識が戻ってくると共に頭痛や眩暈、吐き気がしてくる……。
加えて全身が焼けるように痛み、生きている実感が湧くに湧けない状態だった。
「くすぅー、ぴぃー、すぅー、ぴぃー」
ふと、ベッドの上で寝ていた自分のそばには、座りながら看病をしてくれていたらしいポピィが、涙を溢しながら眠りについていた。
と、……そこに。
「おやおや、元気かい?」
朝におはようと挨拶でもするように、その女性は問いかける。
見れば私の体は全身包帯だらけで、まともに動けそうになかった……。
「そこの妹に感謝する事だね、あの子があたしにあんたを助けてくれって泣きついてきたから今のアンタは生きてる。どうだい、寝覚め心地は?さぞ気分が悪い事だろう?」
ああ……本当に悪い。頭痛や眩暈だけならまだしも、あんな事があった後では……。
「ッ!父さんと母さんは!?みんなは……?」
わたしの問いかけに対し、その女性は手を挙げてお手上げとでも言うようにふるふると首を振った。
「残念ながら私がアンタ達を見つけた頃にはその子がアンタを抱き抱えたところだったよ。大方家内で息を引き取り、生きていたアンタだけ無理して引っ張って来たんだろうねぇ……全く。大した魔気のコントロールも出来ないくせにあの炎の中で人一人抱えて連れてくるなんて……家柄が鍛冶職でもなけりゃ一緒におっ死んじまってただろうさ」
ふとポピィを横目に見ると、確かにやけどのような痕が要所要所に見られる。
そうか……私はポピィが無理をした上に、この人に助けられて今の命があるのか。
「助けて頂き何とおっしゃえばよろしいのか……あの魔物もあなたが?」
「ああ、他愛もない〝戯れ〟程度で終わってしまったがね……。まあ君たちはそんな世界とは縁もゆかりもなかったのだろう?そりゃご愁傷様だったね……」
女性は眼鏡をかけて本を読みながらコーヒー片手に腰掛けている。
私との会話も、ただの〝戯れ〟程度なのだろう。
少しむず痒くなってきたので包帯を少し緩めようとするとーー
「ああ、それと。その包帯は取らない事だね」
「っ?どうしてですか?」
「その包帯には《治癒魔法》が付与されてるから、解毒解熱に外呪効果もあるアタシの特注品さ。さっきの《魔蟲》の毒はなかなか効くからねぇ〜。まあ、外してもいいけど……今と比にならない痛みや熱に苛まれる事になるよ」
「…………や、やめておきます」
危うく再び死の淵に逆戻りしそうになった事実に、一瞬肝が冷える。
しかし目の前の女性はもうすでに淡々と本のページをめくっていた。
「ハッーー!そういえば自己紹介が遅くなってしまい申し訳ありません。私、ヒュイ・レッドと申します。あなたは……?」
チラッーーと、顔をこちらに向けて。
「アタシはカーヴェラ、ただのしがない旅人さ……」
カーヴェラ……?どこかで聞いたような名前のような……?
と、そこに。
バタンッーー!
急に扉が開かれる。
ふとそこには、血相を変えた騎士風のオールバックの男が立っており、室内を見渡した後カーヴェラと名乗った女性にズカズカと駆け寄っていく。
バンッ!と机に拳を叩きつけて、
「また貴女は自分に何も言わずに勝手に外出を……もう少し自重してください!御前様!!」
「うわ〜あ、また今日は一段とお怒りだね〜グレイス君ーー。」
ケロッと、どこ吹く風で聞き流すカーヴェラさん。
明らかにヤバい雰囲気の状況だが、一体どうしたというのだろうか?
「本日はギルドにカーヴェラ様宛の依頼がいくつもあった事をお忘れか……?それを私が代わりに引き受けたのですぞ!」
「あ〜あれかー、ちょっと野暮用が出来て寄り道をしてたからなー、まあ、グレイス君ーー」
ポンッ、と肩に手を置き。
「よくやったーー!」
「よくやった……じゃ、ありません!!」
眉間にシワを寄せながらひどくお怒りなグレイスと呼ばれた男と、どこふく風で適当にあしらうカーヴェラさんのやり取りは、その後小一時間ほど続いたのだったーー。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「遂に彼女が動いたか……」
コツッコツッコツッコツッと、紳士服に身を包んだ男が館の廊下を歩く。
「はい。物見の報告では、あのベルゼブブ様を相手に一方的であったと……」
「やはり化け物だね、彼女は。今までただの一度も……ギルドの依頼でさえも、我々に干渉してこなかった彼女がとうとう牙を向いたか……」
配下と思しき男は主の一歩右後ろをついて歩く。
「まだまだ隠している能力は多いと聞く……。ベルゼブブに関しても、ほんの指先程度の力しか出していないのだろう……。本当に末恐ろしい人だよ。《伝説の魔法使い》カーヴェラ。きっかけはおそらく《運命》の子だろうな……さて、困ったものだ」
「一度魔王様に進言をするべきでは?……これは想定外の事態になりうるかと……」
紳士服の男は、窓ガラス越しに月を眺めてーー
「いや、このまま計画通りにしよう。《運命》の力は厄介だ。彼女の真の力が目覚める前に、何としてでも殺しておく必要がある」
「……承知致しました。ヘル・ゲザート様」
左手を腹に据え、一礼した配下の男は去っていく……。
月を眺め、静かに溢す。
「ポピィ・レッド。貴様は何としてでも、我々の手で殺す。魔王様のため、我ら魔族のため……《魔将十傑》第二席ーーヘル・ゲザートの名においてーー!」
静寂に満ちた月明かりの夜に、静かな決意が響き渡った……。




