呪われた姫君は、王子様のキスから逃れたい!
ハイリシュエン国という自然豊かな国に、女の子が生まれました。
名前は、リエール。やさしい王様とお妃様の間に生まれた、待望の赤ちゃん。
小さなお姫様に最高の幸せを贈ろうと考えた両親は、魔女たちを誕生祝いの席に招くことにしました。
しかし、金食器の枚数を数えた台所係が、大臣の元に報告に来ました。
「皿の数が一枚、足りません」
大臣は鼻の下から伸びる髭を引っ張りながら、唸りました。
「うーむ、困ったぞ。隣国のお偉い方にはすでに招待状を出している。では、国内の貴族を……。いかんいかん。招待しなかった者に恨まれたら、政治がやりにくくなる。どうしたものか……。そうだ、魔女を一人減らそう」
ハイリシュエン国には魔女が四人います。
その中の一人は、高齢。人間嫌いで、滅多に人前に現れず、山奥にある塔にこもりきり。生きているのか死んでいるのかわからないという噂。
「山奥の塔に閉じこもっているのだから、姫が生まれたことを知らないはず。招待されなかったことに気づかれたとしても、招待状を送ったのに届かなかったということにすればいい」
こうして招待客のリストから、ミルーシェという名前の魔女が消されたのでした。
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月の明るいところと暗いところがくっきりと見える、美しい満月の晩。
リエール姫の誕生祝いが、城の大広間で行われています。
まだ首の座らないリエール姫は、壇上に置かれたゆりかごの中ですやすやと眠っています。
真っ白なテーブルクロスがかけられた長いテーブルの上には、金の皿。そしてその横に置いてあるのは、ダイヤとルビーが装飾されたカトラリー。
招待客は次々と運ばれてくる豪勢な食事に目を輝かせ、上等の酒に酔いしれました。
さて、祝いの会が終わりに近づいた頃。三人の魔女が国王とお妃様の前に進みでました。
年長の魔女が、にこやかに挨拶をします。
「素晴らしい会にお招きくださり、心より感謝申し上げます。お姫様に贈り物をしたいのですが、よろしいでしょうか?」
「もちろん! 礼を申す」
三人の魔女は、お妃様に抱かれているリエール姫に向かって魔法の杖を振りました。
一人目の魔女は「美しさ」を。二人目の魔女は「健康」を。
リエール姫に贈りました。
三人目の魔女が「聡明……」と口に乗せようとした瞬間。
雷が鳴り響き、大広間にある蝋燭の炎がいっせいにゆらめきました。
黒い煙とともに姿を現したのは──呼ばれなかった、四人目の魔女ミルーシェ。
黒いフードからこぼれているのはボサボサの白髪。腰の曲がった瘦せた体に、ぎらついているつりあがった目。曲がった鷲鼻。気味の悪い薄ら笑いをこぼす貧相な唇。
招待客の口から「ば、ばば、化け物……っ!」と慄きの悲鳴が飛びだしました。それほどに、四人目の魔女はみすぼらしい姿をしています。
ですが、真の恐怖はここから。
四人目の魔女は、耳障りな甲高い声で叫びました。
「キーヒッヒッヒッ!! よくもアタシを除け者にしたね。姫に報いを与えてやらねば!」
「違うのです! 除け者にしていない。招待状を送ったのだが……」
大臣が声を張り上げたものの、突風に襲われ、それ以上の言い訳をできずに口を覆いました。
魔女ミルーシェは両手を広げて、強風を起こしました。金の皿に乗っていた肉や野菜や葡萄が飛ばされて、招待客のドレスを汚します。
あちらこちらで悲鳴が起こるなか、魔女ミルーシェは杖を持った片手を掲げました。雷が鳴り響きます。
「この子は十五歳の誕生日に《《ぬいぐるみ》》になって、火に焼かれて死ぬだろう」
「なぜ、ぬいぐるみ⁉︎」
王様が咄嗟に放った疑問に、魔女ミルーシェは薄気味悪く口角を上げました。
「燃やしやすい」
「あ……ッ」
気絶した王妃様。リエールは大広間の騒動をキョトンとした顔で見ています。王様は、倒れた王妃様の前に立ちました。
「手違いがあったようだ! 詫びよう。貴女の願いをなんでも聞く。だから、娘の呪いを解いてくれ!」
「アタシが欲しいのは、ぬいぐるみが焼かれる瞬間さ! キーヒッヒッヒ!!」
魔女ミルーシェは調子の外れた高笑いをすると、杖を一振りし、姿を消しました。
あとに残ったのは、床に散乱した皿と、カトラリーと、ぐちゃぐちゃになった食べ物。それと、髪の乱れた招待客。その顔とドレスは、肉のソースや果実の汁で汚れています。
百人を超す客人がいるというのに、生唾を飲む音が聞こえそうなほどの静寂。
目を覚ました王妃様の啜り泣きが響きます。
「どうしたら……」
悲嘆に暮れる王様に、三人目の魔女が告げました。
「ミルーシェの呪いを打ち破ることはできませんが、対抗することはできます。お姫様はぬいぐるみになりますが、愛する王子様のキスによって、人間に戻ることができる。そのような魔法をかけましょう」
喜びで沸き立つ大広間。この場で、隣国のルードリッヒ王子がリエール姫の婚約者になりました。
このとき、ルードリッヒ王子は四歳。幼いながらも彼は、自分の役割を誇らしく思いました。
「ボクがお姫様を人間に戻します。恐ろしい魔女から守ります」
「実に頼もしい。娘はぬいぐるみになっても、ルードリッヒ王子のキスで人間に戻ることができる」
誰もが安心し、胸をホッと撫で下ろしたのでした。
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そうして月日は過ぎ、リエール姫は十五歳の誕生日を迎えました。
リエールがぬいぐるみに姿を変えるのがわかっていたので、ルードリッヒ王子はハイリシュエン国に来ていました。
ルードリッヒ王子の目の前で、リエール姫は、真っ白でふわふわの可愛いうさぎのぬいぐるみに姿を変えました。
ルードリッヒ王子は組んでいた足を外すと、かすれた声で「可愛い……」思わずつぶやきました。
真っ白ふわふわうさぎのぬいぐるみは、二歳女児ぐらいの大きさ。
膝の上にちょこんと乗せるにも、胸に抱きしめるのにも、肩車をするのにも、高い高いをするのにも、ちょうどいい大きさ。
ルードリッヒは片手を額に置き、葛藤します。
(リエールを人間に戻さねば。しかし、待て。こんなに可愛いぬいぐるみに変身するとは!! もっと見ていたい!!)
リエールを恐ろしい魔女から守るために、ルードリッヒは世界一厳しい騎士学校に通っていました。その騎士学校で、ルードリッヒは常に主席。学業も実技も、王子の右に並ぶ者はいませんでした。
仲間たちがパーティーだ、どこぞの店の女の子が可愛い、知り合いに女を紹介してもらおう、デートでキスをした、などといった浮かれ話に、ルードリッヒは一回も混ざったことがありません。
机で熱心に、魔女の歴史の本を読んでいました。
(魔女の歴史書には、ミルーシェという名の魔女が何回か登場している。千年前、六百年前、五百年前、二百年前……。これらは偶然、ミルーシェという名前なのだろうか? 不死薬を実現して生きている、同一人物の可能性はないだろうか? もしも不死身の魔女であるのならば、どうやって倒せばいいんだ……?)
剣術では、魔女ミルーシェを倒せないかもしれない。
魔法に対抗するには、魔法。
そう考えたルードリッヒ王子は騎士学校を中退し、現在は魔法学校に通っています。
すべては、愛するリエールを守るため──。
真実の愛から遠く離れた相手と政略結婚しなくてはいけない王族が多い中、愛する女性と結ばれることのできるルードリッヒは幸せ者です。
ですが、ルードリッヒは重大な問題を抱えていました。
それは──……。
「どうしよう……。ぬいぐるみになっちゃった……」
ふわふわの手を見て嘆く、リエール。
ルードリッヒはあえて、冷たく声をかけました。
「うさぎのぬいぐるみかよ。鈍臭いリエールにぴったりだな」
「うぅ……」
「おまえさぁ、ニンジン嫌いなんだろう? はっ! なのにうさぎって、ウケるんだけど。今日からニンジンを食べるんだろうな? うさぎなんだから」
「でも、心は私のままだから、ニンジンは……」
「だからなんだ? 体はうさぎだろう? 誕生日祝いに、山ほどのニンジンをプレゼントしてやるよ」
意地悪なルードリッヒにリエールは、「うぅ……」と言葉を詰まらせ、くすんと鼻を啜りました。
ぬいぐるみの澄んだガラスの目が、ルードリッヒを睨みます。
「ルーヒの意地悪! 大嫌いっ!!」
ルードリッヒの抱えている問題とは──。
リエールに嫌われていること。
リエールは、意地悪なことを言うルードリッヒが大嫌い!!
「おまえが俺のことを嫌いでもさ。ぬいぐるみになったんだから、俺とキスしないといけないんだぞ」
「はわわっ!」
キスという単語に動揺したリエールうさぎは、椅子からポトリと落ちてしまいました。
離れた場所から見ていた侍女が駆け寄ろうとするのを、王子が手で制します。
「助けるな。見ていたい」
「うー……」
ぬいぐるみの体で、必死に起きあがろうとするリエール。ぬいぐるみの体に慣れていないため、思うように体を動かせません。手足をバタつかせ、お尻を懸命に持ち上げます。
ルードリッヒの葛藤は大きくなります。
(なんだ、これ。可愛い以外の言葉がでてこないぞ。キスをしたいが、ぬいぐるみ姿をもっと見ていたい。可愛すぎるだろ! 抱きたい。愛でたい。うーん、悩ましい……)
リエールを人間に戻すのは自分だという責任感と、可愛いもふもふうさぎを見ていたい欲求との間で揺れ動くルードリッヒ。
リエールうさぎはどうにか起き上がると、両手の拳をグーにして叫びました。
「ルーヒの意地悪っ! キスしなくていいもん! ぬいぐるみでいる!!」
「はぁ? なに言ってんの? 火に焼かれて死にたいのかよ」
「そういうわけじゃないけど……。でも、ルーヒとキスするなんて嫌っ!!」
「はっ! いいか、よく聞け。俺は大国ユーストリアの王子。顔も頭もいい。剣の名手でもある。世界中の女が俺とキスしたがっている。だが俺は今日の日のために、寄ってくる女たちを追い払ってきた。俺の初めてのキスをおまえにくれてやるんだ。ありがたく思え」
リエールは(なんて横暴な人。大嫌いっ!)と、うさぎのほっぺを膨らませました。
「全然嬉しくない! むしろ迷惑!」
「迷惑だと? 生意気なうさぎには、躾が必要なようだ。俺に逆らうとどうなるか、その小さな口に教えてやる」
「口になにを教えるの?」
「キスのやり方」
「きゃあーーっ!!」
うさぎのぬいぐるみになっても、声はリエールのまま。飴がとろりと溶けたような甘ったるい悲鳴が、ルードリッヒの胸を甘くかき乱します。
「待てっ! 逃げるな!!」
「逃げる!!
「隠れるな!」
「隠れる!!」
リエールうさぎは短い足を一生懸命に動かして、侍女のスカートの中へと逃げ込みました。
王子と目が合った、侍女サランシュアは曖昧に笑います。
「あ、あの……」
「リエールがぬいぐるみになった。王様とお妃様への報告は?」
「もう一人の侍女が報告に走りました」
「そうか。それではまもなく、王様が来る。君はこのままだと、リエールを人間に戻す邪魔をしていると思われるだろう。最悪、ミルーシェの仲間だと疑われる可能性もある」
「そんな! わたくしは、あの恐ろしい魔女の仲間などでは!」
サランシュアの悲痛な叫びが、リエールうさぎの長い耳に届きました。
優しいリエールは、サランシュアを守るためにスカートから飛び出ると、全力で次の隠れ場所へと走ります。
リエールうさぎは懸命に走りますが、短いうさぎの足とふっくらとしたお腹では、のんびり、とことこと走っているようにしか見えません。
サランシュアは、ため息をつきました。
(リエール様。木の後ろに隠れたのが丸わかりです。お耳が見えております)
ルードリッヒは、リエールとかくれんぼをした小さな頃を思い出して、楽しい気持ちになりました。
とぼけた声をあげます。
「あれ、どこに行ったのかな? 見失ってしまった」
「ふふっ」
「ああ、わかった。テーブルの下だな」
「ぷぷっ。全然違う」
「リエールは隠れるのが上手だなぁ」
「えへへ」
「ん? 木の後ろから笑い声が聞こえたぞ」
「わわっ!」
一人目の魔女はリエールに美しさを。二人目の魔女は健康を贈りました。
三番目の魔女は賢さを贈る予定だったのですが……。残念ながら、賢さを贈られなかったリエールの頭は少々残念なようです。
呆気なくルードリッヒに捕まってしまった、リエールうさぎ。
リエールは足をバタつかせ、柔らかい布でできている手でルードリッヒをぽすぽすと叩きます。
「ずるい。私に話しかけた!」
「そんなの、声を出すほうが悪いに決まっている。おとなしく俺にキスされろ」
「初めてのキスなのに!」
「俺だって、初めてだよ」
大好きなリエールに、キスできる。ずっとキスしたいと思っていた。今日という日を心待ちにしたいたルードリッヒの胸は高鳴ります。
──ルードリッヒ王子の唇が、リエールうさぎの小さな口にふれました。
「あれ…………?」
リエールはぬいぐるみのままです。
急いで、三人目の魔女が呼ばれました。魔女は申し訳なさそうに言いました。
「愛する人のキスで人間に戻る魔法をかけました。人間に戻れないのならそれは、リエール姫が王子様を愛していないからでは……」
ルードリッヒは右腕に抱いていたもふもふうさぎを、これ以上はないくらいの険悪さで睨みつけました。
「俺を愛していない、だと……?」
「えへ、えへへ。そうみたいだね」
真っ白な頬をぽりぽりと掻くリエールうさぎ。
王子は、形の良い唇に腹黒い微笑を乗せました。
「いいことを思いついた。おまえ、覚悟しろよ」
人間に戻れないリエールを心配する両親に、ルードリッヒは説明しました。
「リエールが私を愛していないのは、一緒に過ごす時間が足りないせいでしょう。語らう時間を増やすために、リエールを我が城に招いてもよろしいでしょうか? 心からリエールを愛しています。私の愛で、必ずやリエールを人間に戻してみせます」
ルードリッヒの熱い想いにふれた両親は、諸手を挙げてリエールを見送ることにしました。
「いやぁー! 行きたくなーい! お父様、お母様。助けてぇー!!」
「リエール。お行儀良くするんだぞ。ルードリッヒ王子と仲良くな」
「許すのは唇だけにしなさいね。子作りは結婚してからよ」
隣国に行く馬車に乗せられ、ジタバタと暴れるリエール。助けを求めても、両親は微笑んで手を振るばかり。
こうしてリエールは、大嫌いなルードリッヒ王子の住む城で暮らすことになったのです。
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リエールの生まれたハイリシュエン国は農業がさかん。麦畑と、麦を粉にするための風車が点在するのどかな国です。
一方。ルードリッヒの生まれたユーストリア国は、東西南北を繋ぐ貿易の中継地点として、商人たちが集う活気あふれる国。
城に向かう道すがら。リエールはうさぎの目を見開いて、多くの人々で賑わう町並みを眺めていました。
馬車が城の大きな門をくぐります。城の前にある広場では、騎士たちが隊列を組み、直立不動の体勢で王子の帰りを待ち構えていました。
王子とリエールを乗せた馬車が止まると、楽隊が空に向かってラッパを鳴らします。
「今日はお祭りなの?」
うさぎの頭を、ルードリッヒが軽くポンポンと叩きます。
「未来の妻を連れて帰ると、使者を出していたのだ。簡素で申し訳ないが、リエールの歓迎式だ。結婚式は盛大に行うから案ずるな」
「本当に私たち、結婚するの? ルーヒに好きな人がいるなら、その相手と結婚してもいいんだよ」
「はっ!」
ルードリッヒは鼻で笑い飛ばすと、リエールうさぎを小脇に抱えました。颯爽と馬車から下ります。
ルードリッヒの靴底が地に着いた瞬間。ラッパの音が空高く響き渡り、左右に並んだ騎士たちが槍を掲げました。
誰もが、凛々しい表情を保っています。
未来の妻を連れて帰ると聞いていたのに、なぜか王子はうさぎのぬいぐるみを抱えている。しかしそのことに、動揺の色を示す者はいません。
さすがは、四人目の魔女を倒すために組織された精鋭騎士隊です。リエールの城の、のんびりとした守衛たちとは大違いです。彼らはぬいぐるみになったリエールを見て「ふわふわ白うさぎとは! 可愛らしい姫様にお似合いだ!」と笑ったのですが。
左右に並んだ騎士たちの槍が交差するアーチの下を、ルードリッヒが堂々と歩いていきます。
うさぎの目が、上下左右にキョロキョロと動きます。騎士たちと目が合います。ですが、彼らは顔色を変えません。ただほんの少し、目を見開くだけ。
リエールは思わず、「怖い……」とこぼしました。
「ここにいるのは、過酷な訓練を乗り越えてきた猛者たち。リエールを守るために、命懸けて魔女と戦う。心配するな」
「怖いと言ったのは、ここの雰囲気。馴染めそうにない」
「なるほど。俺にいい考えがある」
槍のアーチをくぐり抜けたルードリッヒは、颯爽と振り返りました。マントがひるがえり、遠くまで通る美声に空気が震えます。
「皆の者、よく聞け!! 俺の妻は、うさぎのぬいぐるみだ。魔女の呪いが相当に強いのだろう。だが、心配ない。良きタイミングで人間に戻る。おまえらは、全力でリエールを守れ!!」
「はっ!!」
左右の槍先がぶつかって、金属音が響きます。
ルードリッヒは今度は、城の入り口に立つ大臣らに言いました。
「リエールを最高級客人として、もてなせ。人間に戻るまで、我が城にいることになった」
「ははぁっ!!」
平伏する大臣ら。リエールは、心の中で絶叫します。
(なんかおおごとになっている! ひっそりと過ごしたいんだけど!)
リエールは拗ねた気持ちでルードリッヒを見上げました。その瞬間、胸がドキッと跳ねました。
皆に指示を飛ばすルードリッヒは堂々たる威厳に満ちており、次期国王としての勇ましさにあふれています。
海のような紺碧色の瞳は力強く、栗色の髪は太陽の光に当たってキラキラと輝き、黒マントは絵画に描かれた英雄のように風にたなびいている。
(あれ? ルーヒって、もしかして相当にかっこいい?)
「リエール、ぼうっとしてどうした? 俺に惚れたか?」
ルードリッヒが、ふふんっと唇の端を上げました。
リエールは(ルーヒって自意識過剰。ふんっ!)と、うさぎのほっぺたをふくらませたのでした。
国王夫妻への挨拶が済み、リエールはルードリッヒに抱き抱えられて、とある部屋に案内されました。
「ここが俺たちの部屋だ」
「俺たちの?」
「さきほどリエールは、この城の雰囲気に馴染めないと言っていただろう? 俺の部屋にいたらいい」
「なんでそういう発想になるの⁉︎」
城の雰囲気に馴染めない→親元を離れ、リエールは寂しがっている→俺の隣だと安心→一緒の部屋で寝よう。
ルードリッヒは、そのような思考回路を辿ったようです。
「自分の城に帰りたい!」
「人間に戻ったら帰してやる。まぁ、すぐに嫁入りでこの城に来るわけだが」
後半に不穏な発言を付け足して、ルードリッヒはリエールうさぎを寝台に下ろしました。
ルードリッヒはうさぎの体の横に両手をつき、リエールを見下ろします。
「な、なに?」
「唇を奪う」
押し倒された女と、押し倒した男。人間であったならときめく場面です。ですが、相手がうさぎのぬいぐるみではシュールな光景にしかなりません。
リエールうさぎは唇を守るために、顔を横に向けました。その目に、壁にかかった人物画が飛び込んできました。
リエールのよく知る人物の肖像画です。
世界中の光が集まったかのようなまばゆい金色の髪。神秘的に澄んだエメラルド色の瞳。ふっくらとした赤い唇は甘く微笑んでおり、薔薇色の頬はなめらかに色づいている。丸みを帯びた柔らかな体の曲線。
──完璧な美の女神と謳われる美少女。
「私の肖像画が、どうしてここに?」
自分の肖像画が飾られていることに、リエールうさぎは首を傾げました。
ルードリッヒは咳払いをすると、身を起こしました。
肖像画の横にある金紐を引いてエメラルド色の垂れ幕を下ろし、肖像画を隠します。
「なんでもない」
「なんでもないって……。ここ、ルーヒの寝室だよね? 私の肖像画を見ながら、寝ているの?」
「簡単に言うと、まぁ、そういうことだ」
ルードリッヒは格好つけた言い方をしましたが、難しく言っても、リエールの肖像画におやすみの挨拶をしてから眠りに就いています。
ルードリッヒはリエールうさぎを持ち上げると、有無をいわせずに、キスをしました。
けれども、ぬいぐるみのまま。
「やっぱり、ダメだね」
誤魔化すためにヘラッと笑った、リエール。
そんなリエールに、ルードリッヒは不敵に笑って見せました。
「明日から一時間に一回、キスをしてやる。覚悟しろ」
翌日から鬼ごっこが始まりました。
「キスしたくなーい!!」
「ふざけんなっ! さっさと俺を愛せ!」
「無理無理。いくらキスしたって愛せないよ」
ルードリッヒは、一緒に過ごす時間が増えればリエールは自分を愛するようにだろう、そう考えていました。
けれどリエールはどうしてか、ルードリッヒを愛せません。
贅を尽くした豪華絢爛な城の中を一生懸命に、ぽてぽてと走る、うさぎのぬいぐるみ。
その後ろを、ゆったりとした歩幅で歩くルードリッヒ。白うさぎの丸い尻尾が跳ねる様を見ていたくて、わざとのんびりと追いかけます。
リエールうさぎは(なんとか逃げ切れた)と息を弾ませて、廊下にある甲冑の後ろに隠れました。
二人の後からついてきていた侍女サランシュアがため息をこぼします。
「リエール様。うさぎのしっぽが見えております」
頭を隠すのに気を取られて、お尻の見えているリエールうさぎ。
ルードリッヒは笑いを噛み殺しながら、とぼけた声をあげます。
「あれ? リエールの姿が見えなくなった。どこに行ったんだ?」
「ぷぷっ」
「リエールは隠れるのが上手だなぁ。そういえば、この甲冑騎士。夜中に歩くという噂だ。うさぎ狩りをしにくるかもな」
「きゃあー!!」
悲鳴をあげたリエール。甲冑の後ろから飛び出すと、すぐ近くにいるルードリッヒの脚に抱きつきました。
「嘘だよね⁉︎」
「本当だ。この城には幽霊が出る。だが、俺と一緒にいれば安心だ。騎士の幽霊が襲ってきても、俺が追い払ってやる」
「ルーヒ、ありがとう」
侍女のサランシュアは(リエール様は簡単に騙されるんだから。三人目の魔女から聡明さを贈られなかったのが残念です)と嘆きました。
けれど、ルードリッヒの腕の中にちょこんとおさまっているリエールに、唇を綻ばせます。
サランシュアは知っています。
幼少期のリエールは、ルードリッヒを慕っていました。ルードリッヒが遊びに来るのを、心待ちにしていました。
そしてまたルードリッヒも、今のような意地悪な性格ではありませんでした。むしろ、優しすぎるぐらい。
仲の良い、リエールとルードリッヒ。
サランシュアも王様もお妃様も大臣も、誰もが、リエールはルードリッヒのキスで人間に戻れると信じていました。
けれどリエールが十三歳を過ぎた頃、暗雲が立ち込めました。起床したリエールがボーッとする時間が増えたのです。
どうしたのか尋ねるサランシュアにリエールは、「怖い夢を見た気がする。思い出せないのだけれど……」と、怯えた表情をしました。
ちょうどその頃から、リエールはルードリッヒを嫌うようになりました。
魔法学校に通っているルードリッヒから手紙がきても知らんぷり。返事を書こうとしません。焦れたルードリッヒが時間を作って会いにきても、そっけない態度をとる。
態度を硬化させた理由を、リエールは誰にも言いません。ただ、一言。「好きじゃなくなった」とだけ。
ルードリッヒは傷つき、関係を修復しようと努めましたが、リエールは無視。
思いあまったルードリッヒは、怒りを爆発させました。
「魔女の呪いにかかったおまえを愛してやっているんだ! ありがたく思え!!」
「私がいつ愛して欲しいだなんて頼んだ? ありがたくもなんともない!!」
ルードリッヒは息を飲みました。リエールの瞳に自分が映った。返事をしてくれた。
ルードリッヒは感動で胸を詰まらせ、震える唇で次の言葉を紡ぎました。
「私を一生愛してくださいね。そう、頼んできたことがあっただろう? 忘れたのか?」
「そんなこと言ってない!」
「言った!」
「言っていないっ!!」
「言った!」
「ふん! 嫌いっ!!」
優しくすると、リエールは無視する。だが、憎まれ口を叩くと、リエールは怒って言葉を返してくれる。
これをきっかけとして、ルードリッヒは優しくて思いやりある王子から、意地悪な王子へと変わったのでした。
リエールを自分に繋ぎ止めるために──。
ルードリッヒは、愛するリエールに無視されるよりは何倍もいいと、わざと意地悪なことを言っているのです。
ルードリッヒはリエールうさぎを抱いて、執務室へと入っていきました。
仕事中も手放すことなく、近くにリエールうさぎを置いています。
四人目の魔女から、リエールを守るために──。
サランシュアは閉じられた執務室のドアの前で、瞳を潤ませました。
「リエール様はルードリッヒ様に、私を一生愛してほしいと、望みを口にしていた。それなのに、怖い夢が気持ちを変えてしまった。神様、お願いします。仲睦まじかったあの頃の気持ちを、リエール様に返してください」
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真夜中。静かな寝息をたてるルードリッヒと、その枕元で寝ているリエールうさぎ。
リエールが寝返りを打ち、うさぎのもふもふ足がルードリッヒの頬に当たりました。
「魔女が襲ってきたか⁉︎」
ルードリッヒは常に、魔女ミルーシェを警戒しています。それは寝ているときも。どんなに小さな物音でも、ルードリッヒは目を覚まします。
「なんだ、リエールの足か。可愛いヤツめ」
白うさぎの小さな口が、もにゅもにゅ動いています。夢の中でなにか食べているようです。
ルードリッヒは笑みをこぼし、その愛らしさに、キスをしました。
ぽわんっ。
唇が触れ合った途端。うさぎのぬいぐるみは、美少女へと姿を変えました。
「人間に戻った!!」
日中、いくらキスしても人間に戻れなかったというのに、リエールが人間に戻った……。
リエールが人間に戻ったことに、ルードリッヒは歓喜の叫びをあげそうになりました。が、すぐにおかしなことに気づきました。
リエールは眠っている。規則正しく胸が上下し、両目は閉じられている。
眉間に皺が寄っており、うっすらと開いた唇からは苦しそうな寝言。
「……やめて……わたしは、愛してなど……」
リエールは夢を見ている。ルードリッヒは聞き取るために、彼女のふっくらとした赤い唇に耳を寄せました。
「……だめ。殺さないで……愛して、いない……わたしはルーヒを、愛していない。だから……」
閉じた眦から涙がつつーっと流れ、金色の髪を濡らします。
「俺の夢を見ているのか? 殺さないでというのは……?」
リエールの唇がわななき、嗚咽を上げ始めました。激しく上下する胸。
リエールは悲しみの中にある。悲しい夢を見ている。
ルードリッヒはたまらずに、リエールの肩を揺さぶりました。リエールの瞼が震え、ゆっくりと開いていく。それと同時に、リエールは再びうさぎのぬいぐるみへと姿を変えました。
ぬいぐるみの澄んだガラス玉がルードリッヒを見つめます。
「ふわぁ。朝なの?」
「あ、いや……」
「まだ暗いね。もうちょっと寝させて」
「夢を見ていただろう?」
「夢? 覚えていない」
リエールうさぎは瞼を閉じると、すぐに軽やかな寝息をたて始めました。
ルードリッヒは眠りに就くことができずに、ふわふわの毛並みを朝まで撫でていました。
次の日から毎晩。ルードリッヒは、寝ているリエールうさぎにキスをしました。すると、リエールは人間に戻ります。
日中いくらキスしても人間に戻れないというのに、寝ていると人間に戻る。けれど、目を覚ますとまたぬいぐるみに姿を変える。
「どういうことだ?」
三人目の魔女は、「愛する人のキスで人間に戻る魔法をかけました」と話していた。
ということは、リエールはルードリッヒを愛している……?
そのことに考えが及ぶと、ルードリッヒの胸は熱くなり、堪えきれない涙が頬を伝いました。
「……ルーヒを、殺さないで。お願い……殺すなら、私を……愛しているの……」
リエールは、心の深い部分ではルードリッヒを愛している。だが、目覚めた状態ではルードリッヒを嫌っている。
──秘密を解く鍵は、夢の中にある。
ルードリッヒはリエールの途切れ途切れの寝言を拾い、言葉をつなげ、想像力を働かせます。
リエールがみている夢。それは、ルードリッヒが何者かに襲われている。その何者かに向かって、リエールは「ルーヒを愛していない。だから、殺さないで。殺すなら、私を殺して」と、必死に訴えている。
「俺を襲う者とは、魔女ミルーシェだろう。……ああ、そうか。そういうことか……」
十五年前。リエールの誕生パーティーに現れた魔女、ミルーシェ。
彼女は血色の悪い唇の両端をつり上げ、「アタシの欲しいのは、ぬいぐるみが焼かれる瞬間さ! キーヒッヒッヒ!!」と気味悪く笑った。
「そうだ。魔女ミルーシェが欲しいのは、人間のリエールではない。だから、夢に魔法をかけたのだ。俺を嫌いになるために」
ミルーシェは、ぬいぐるみが焼かれる瞬間を欲している。
だから、キスをして人間に戻らないように、ミルーシェはリエールの夢に呪いを放った。
ミルーシェは夢を利用して、愛したらルードリッヒが殺されると刷り込ませている。
リエールは無意識の領域で、ルードリッヒを守るために嫌うことにしたのだろう。
「狡猾な魔女めっ!!」
ルードリッヒは涙を飲み込むと、リエールの額にキスを落としました。
「全身全霊で君を守る。ミルーシェを倒し、すべてを終わらせてやる!!」
鉄壁の警護でリエールを守っているが、明日はルードリッヒの父の誕生日。
五十歳という節目と、国王就任十年。
国は祝賀ムードに包まれ、護衛の騎士たちが浮き足立っているのは否めない。
「俺がミルーシェなら、このチャンスを逃しはしないだろう。だが俺は、絶対にリエールを守る!! 魔女を倒す!!」
誓いを固めたルードリッヒ。
けれど不死の薬で千年以上の時を生きる魔女ミルーシェは、狡猾で、欲深い。
ミルーシェはリエールの夢の中で、やさしく、語りかける。
(おいで、こっちにおいで。アタシを仲間はずれにした報いを与えてあげよう。さぁ、おいで……)
翌日。ルードリッヒは目が回るぐらいの忙しさに追われていました。
次期国王であるルードリッヒに挨拶をしたがる者は多く、分刻みで訪問客に会わなくてはならない。
リエールが四人目の魔女によってぬいぐるみの呪いをかけられたことは、人々の噂によって国内外に知られています。同時に、婚約者であるルードリッヒのキスによってリエールは人間に戻れるということもまた、噂で広がっている。
ルードリッヒは最初、リエールうさぎを横に置いていましたが、誰もが真っ白ふわふわうさぎに目を留め、皮肉的なうすら笑いを浮かべる。
それは、いまだに人間に戻っていないリエールと、リエールを人間に戻せないルードリッヒ王子を嘲笑するもの。
(リエールを離れた場所には置けない。だが、魔女の呪いに負けたと思われるのも癪だ)
ルードリッヒは侍女サランシュアを呼ぶと、リエールうさぎを託しました。
「俺の視界に入るところにいてくれ。絶対に離れるな」
「かしこまりました」
サランシュアは頷くと、謁見室の端に座りました。彼女の膝の上には、リエールうさぎが乗っています。
午前中は何事もなく平和に時が過ぎました。
けれども、夕方。警備兵が息を切らせて部屋に入ってきました。
「西聖堂で火事が発生しました! さらには、暴れ馬が町中を走り回り、怪我人が出ています! 兵士の派遣をお願いします!!」
さらには門番が血相を変えて、飛び込んできました。
「ボサボサ白髪頭の老女が、自分は魔女ミルーシェだと、門の外で騒いでいます!!」
「なにっ⁉︎」
ついに、魔女ミルーシェが姿を現した。
ルードリッヒはリエールの安否を確認するために、サランシュアが座っている椅子に目を向けました。
……いません。
「サランシュアはどうした⁉︎」
部屋に配備していた護衛の騎士八人は、互いを見やって、目を瞬かせました。
「え……っと……」
警備兵と門番。相次いだ報告に、誰もが視線を彼らに向けてしまった。その一瞬の隙をついて、サランシュアが姿を消した……。
ルードリッヒは謁見室を飛び出すと、近くにあるバルコニーから城門を見下ろしました。
「門番! 白髪の老女は本当に、『自分』と言ったのか? 『アタシ』ではなくて?」
「あ……」
赤ら顔の門番は帽子を脱ぐと、髪の薄い頭を撫でました。
「ど、どうしたんだ……おいらは、なにを……。魔女ミルーシェは来ていません。不審者は来ていない……。なのになんで、魔女ミルーシェが来たなんて言ったんだ……?」
ルードリッヒは町の西側に目を走らせました。黒煙が立ち昇っていない。人々の騒ぎも聞こえない。陽気な笑い声が風に乗って聞こえてくるだけ。
「火事と暴れ馬の報告は、本当なのか?」
「あ……。自分はなぜ、そのようなことを……。町は平和で、何も問題ないと報告に来たはずなのに……」
青ざめ、体を震わせている警備兵の男。
ルードリッヒはすぐさま、騎士隊長に命じました。
「ミルーシェが城内に侵入した! 魔法によって、この者たちの口を操ったのだ! サランシュアを探せ。リエールが危ない!!」
ルードリッヒはサランシュアに「俺の視界に入るところにいてくれ。絶対に離れるな」ときつく言い聞かせた。なのに彼女は姿を消した。
きっと彼女も、魔法で操られている。
想定していた以上の最悪さに、ルードリッヒは歯ぎしりしました。
「ねぇ、サランシュア。どこに行くの?」
「いいところです」
リエールはサランシュアに抱きかかえられ、西の塔をのぼっていきます。狭くて古い階段。夕方のオレンジ色の光が窓から入ってきて、石の壁を照らします。
「ルーヒに絶対に離れるなって言われたのに……。ねぇ、戻ろう」
「リエール様に会わせたい方がいるのです」
見ているようでなにも見ていない、サランシュアの虚ろな目。機械的な歩き方。感情のない平坦な声。
リエールは不安が募り、逃げようとしました。けれどサランシュアの力は強く、彼女の腕から逃れられない。
国王の誕生日だからと、リエールはピンク色のリボンを首に巻いています。ドレスを着る代わりに、リボンで飾ってみたのです。
そのピンク色のリボンを解くと、腕を伸ばし、窓の外に放り投げました。リボンははらりと落ちていきます。
(お願い、ルーヒ。気づいて!! 私はここにいるっ!!)
サランシュアは階段をのぼりきると、腐りかけている木戸を開けました。ギギギ……。蝶番が錆びた音を響かせます。
「待っていたよ」
塔の一番上の小部屋にいたのは、黒いローブを着た白髪の老女。
腰の曲がった痩せた体。歪に曲がった鷲鼻。貧相な唇。
老女はつりあがった目でリエールを見ると、「キヒヒ」と笑いました。
「もしかして……四人目の魔女……?」
リエールは恐ろしさに震え、サランシュアの腕から逃れようともがきます。けれど彼女の腕は強く、逃げられない。
リエールはサランシュアの指を、力いっぱいに齧りました。
「痛っ!!」
リエールは緩んだ腕から逃れて着地すると、一目散に扉に向かって走りだしました。
けれど、外へつながる扉の取っ手は、はるか頭上。二歳女児の背丈しかないぬいぐるみでは、取っ手に手が届きません。
リエールうさぎはあっけなく、ミルーシェに捕まってしまいました。
ミルーシェはぬいぐるみの右足首を掴み、リエールうさぎを宙吊りにしました。
「キヒヒ。ようやくこの日がきた。嬉しいねぇ。一瞬で燃やしはしないよ。まずは左足から。次は右手。そして、左耳。じわじわと燃やしてやろうねぇ。あぁ、楽しみだ。キーヒッヒッ」
ミルーシェの残酷さに、リエールは涙をこぼしました。
ミルーシェが呪文を唱えると、彼女の皺々の左手の上に、真っ青な炎が。
燃え盛る青い炎が、リエールうさぎの右足を燃やそうと、近づいてきます。
「いやぁーーっ!! ルーヒ、助けてぇーーっ!!」
声の限りに叫んだリエール。
悲痛な叫びが聞こえたかのように、扉が勢いよく開きました。ルードリッヒが扉を蹴り飛ばし、助けに来たのです。
ルードリッヒは右手に剣。左手にはピンクのリボンを持っています。
「リエールっ!!」
ルードリッヒはミルーシェをきつく睨むと、ピンクのリボンを胸ポケットにしまい、剣を構えました。
「汚い手を離せ!」
「もちろん離してやるよ。燃えかすになったらねぇ!!」
ミルーシェは青い炎を消すと、棚の上に置いていた杖をすばやく持ち、斜めに一振りしました。
すると強風が起こり、舞い上がった埃がルードリッヒの目をくらませます。
ルードリッヒは一瞬怯みましたが、目を閉じると、確認しておいた距離をもとに、間合いを詰めました。
──カチンっ!!
ルードリッヒが振り上げた剣と、ミルーシェの魔法の杖が真正面からぶつかりました。
ミルーシェの顔が歪み、血色の悪い薄い唇の間から悔しそうなうめき声が漏れます。
「目を閉じても、一瞬でアタシのところに来るとはっ!!」
「おまえと戦うために、厳しい訓練を積んできた。目隠しをしても、俺は急所を突くことができる。おまえを倒すのは俺だっ!!」
「はっ! 若造が生意気言うんじゃないよっ!!」
ミルーシェはリエールうさぎを放り投げると、空いた右手に出現させた氷の粒を、ルードリッヒの顔にぶちまけました。
たまらずに、退くルードリッヒ。
剣と魔法の戦いです。
ミルーシェは魔法でゾンビを五体を出現させると、ルードリッヒを襲うよう命じました。
ルードリッヒは襲いくるソンビを剣で斬るものの、痛みを感じないゾンビは倒れることがない。両手両足を失っても襲いかかってくる。
きりのない戦い。ルードリッヒは歯ぎしりをしました。
ミルーシェは、裂けてしまいそうなほどの大口で笑いました。
「キーヒッヒッ! ゾンビと戦うのは退屈だろう? 体がバラバラになっても死にはしないんだから。見ているのにも飽きたよ。アタシが直々にあんたを殺してあげようねぇ」
殺す──。
その言葉に、床に転がっていたリエールはハッとしました。毎晩見ている怖い夢が、記憶に上がってきます。
「そうだ……。魔女の剣がルーヒの胸を貫いて、ルーヒは死んでしまう……」
リエールが見ていた夢のとおり。
ミルーシェは魔法の杖を、剣へと変えました。鋭い光をぎらりと放つ、長剣。
リエールは夢が現実になっていく様に、体を震わせました。
──魔女の剣がルードリッヒの胸を貫き、リエールの見ている前で、彼は絶命する。
悪夢が、正夢となる……?
リエールは叫びました。
「やめてっ! 殺すなら、私を殺してっ!! ルーヒは殺さないで! この人はなんの関係もない。わたしは彼を愛していない。だから、どうか彼を殺さないで!!」
ルードリッヒはゾンビを薙ぎ払うと、魔女を見据えました。
荒い息と、額から流れ落ちる汗。
それでも息つく暇もなく、ルードリッヒは間合いを詰めて剣を振りあげます。
けれど一体のゾンビがルードリッヒの背中に乗りあげ、腕をルードリッヒの首に巻きつけました。
ルードリッヒの剣が意図していた曲線から外れ、ミルーシェの剣がルードリッヒの胸に突き刺さりました。
ルードリッヒの体を貫いた、長剣。
ミルーシェは不愉快そうに顔を歪めると、左頬の血を拭いました。
魔女の剣はルードリッヒの体を貫き、ルードリッヒの剣はミルーシェの左頬をかすめただけ。
「アタシに血を流させるとはっ! 絶対に許さないよ! 地獄に落ちろっ!!」
リエールは泣きながら、ルードリッヒに駆け寄りました。
ルードリッヒは両膝を力なく床につくと、血を吐き出しました。それから、長剣の柄を握ると、ひとおもいに胸から抜きました。
剣は心臓をわずかに逸れたものの、血がとめどなくあふれ出しています。
「ルーヒっ!!」
リエールうさぎは涙ながらに、彼の名を呼びました。
「ルーヒ、死なないで。お願い。私を置いていかないで……」
「さぁ、楽しい火あぶりの時間だよ。アタシを誕生祝いに呼ばなかった、その報いを受けるがいい!」
ミルーシェはゾッとするほどの暗い目をして、リエールうさぎに一歩、近づきました。
ぽろり。
なにかが床に落ちました。
見ると、それは、歯。
キョトンとするミルーシェの視界に今度は、白髪がパサリと落ちてきました。
「ど、どうして……」
ミルーシェが頭に手をやると、ごそりと髪が抜けました。その手を眼前に持ってきて確かめようとしましたが、見えません。
眼球が落ちて、床をコロコロと転がっていきます。
「魔法使いの歴史書にミルーシェという名の魔女が何度も登場していた。それで俺は、不死身の魔法を使って長い時を生きているのだろうと見当をつけた。だから俺は、魔法を習い……」
ルードリッヒは立ち上がると、力のこもった目で魔女を睨みました。
「剣に特別な魔法を込めた。その魔法とは──無効化。俺の剣はあなたの頬をかすめた。それで十分。不死身の魔法を無効化してやった」
「な、なんということを……」
ミルーシェの体がどろどろに崩れていく。果てには見る影もなく、骨と服だけが床に落ちているばかり。
ルードリッヒはリエールうさぎを抱き上げました。
「あ、あの、怪我は……」
「治癒魔法をかけた。心配ない」
ルードリッヒは助かった。悪夢は悪夢でしかなく、正夢にはならなかった。彼は生きている。四人目の魔女から守るという誓いを果たしてくれた。
リエールは感極まった涙声で、礼を述べました。
「ルーヒ。ありがとう。大好き……」
「俺のこと、嫌いじゃないの?」
「私を守ってくれる王子様を、嫌いになれるわけない! 物心ついたときから、ずっとずっと大好き!!」
「キスしていい?」
「うん……」
真っ白ふわふわ白うさぎは、もう逃げません。拒むことなく、愛する人のキスを受け入れます。
ぬいぐるみの口に落とされたキス。それは、リエールを人間の姿へと戻してくれました。
人間に戻ったリエールは涙に濡れた顔で微笑むと、ルードリッヒの胸に頭をつけました。
「ルーヒが大好き。愛しているの」
「俺もリエールを愛している。大切なお姫様を守れて良かった」
こうしてリエールは愛する王子様によって、魔女の呪いから解き放たれ、その後二人は結婚したということです。
めでたしめでたし、その前に……。
結婚した二人。喧嘩をすると、真っ白ふわふわうさぎ時代の名残なのか、リエールはぷんぷんと怒りながら城の中を走るそうです。
ですが、王子のキスによって、二人はすぐに仲直りをするということです。
•*¨*•.¸¸♪めでたしめでたし✧•*¨*•.¸¸