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1.卒業パーティーでの婚約破棄事件

「アイリス・ハワード侯爵令嬢。貴女との婚約を破棄する!」


卒業パーティーでの卒業生代表の挨拶の締め括りに、第二王子ルイスは宣言した。彼の隣にはいつの間にか元平民の男爵令嬢デイジー・ミラー、回りには側近たちが二人を守るように立っている。ルイスは自然な様子でデイジーの肩を抱いていた。その延長線上には一人の令嬢、アイリスが背筋を伸ばして壇上の人々を見つめている。一瞬の静寂の後、割れるような歓声が会場内に包まれた。


「はは。アイリス聞いたか?悪女のお前との婚約破棄を皆が祝福……」


「おめでとうございます!アイリス様!」


アイリスの回りにワッと人集りが出来る。集まった生徒たちは、心底喜んだ顔で祝いの言葉を彼女に述べていた。茫然とルイスたちがアイリスたちを見下ろしていると、彼女は回りの令息と令嬢たちに声をかけ一歩前に進み出る。


「謹んでお受けいたします、ルイス殿下」


「アイ、リス?」


泣いて縋るか憤慨して醜態を晒すとばかり思っていたルイスは、美しく礼をしながら先ほどの婚約破棄の返事したアイリスの名を戸惑いながら呼んだ。彼女は美しく微笑んで言葉を発する。


「苦節十数年。挫けそうになった日もありましたが、ようやく私の夢が叶いました」


「は?」


アイリスの喜びように、壇上のルイスたちは鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしている。そんな彼らを尻目に、彼女の隣に留学生で卒業生でもある隣国の王子ファルークが並んだ。


「ハワード嬢」


「ファルーク殿下」


見つめ合う二人にはルイスは顔を歪ませる。校内で二人が頻繁に逢瀬を重ねていると側近たちから報告を受けていた。彼は自分との婚約が破棄された今、ファルークへ嫁ぐつもりだと思い、アイリスの悪事を再び告げるために口を開く。


「君のお陰でエスメラルダ嬢と結婚できそうだ」


ファルークの口にしたエスメラルダはトルーマン伯爵家の令嬢で、側妃としてアイリスと共にルイスへ嫁ぐ予定の人物だ。ルイスは驚き、大きな声を出す。


「どういうことだ!」


ルイスの声に二人は壇上に視線を向けた。アイリスは不思議そうに首を傾げ、ファルークは人を食ったような笑みを浮かべる。ルイスが顔をしかめると、アイリスの隣にエメスが進み出た。


「発言をよろしいでしょうか、ルイス殿下」


頭を下げるエスメラルダにルイスが頷くと、彼女は毅然とした態度で話し始める。


「アイリス様が殿下へ嫁がれることが、私が側妃として嫁ぐ条件なのです」


「何を言って……」


「私との婚約書に、その一文は記されてあります。そうですよね、アイリス様」


話を振られたアイリスは頷いた。エスメラルダは微笑むと視線を壇上へ戻し、再び話し始めた。


「私はアイリス様を心の底から尊敬しております。アイリス様とならこの国と殿下を支えられると考えておりましたので。アイリス様が婚約を破棄された今、私の側妃としての輿入れも破棄されました」


きっぱりとそう言ったエスメラルダは、ルイスと隣で肩を抱かれているデイジーを呆れた顔で見つめる。そんなエスメラルダにファルークはくつくつと喉の奥で笑うと、アイリスに話しかけた。


「ルイス殿は出来の悪いあそこの男爵令嬢では王太子妃、ひいては王妃が勤まらないからエスメラルダ嬢に補佐……いや、丸投げするつもりだった当てが外れたようだな」


「まぁ!」


ファルークの言葉にアイリスは目を丸くし、隣のエスメラルダの手をそっと握る。彼女は嬉しそう微笑んでアイリスを見つめ、何も気にしていないと伝えるようにその手を握り返した。仲睦まじい二人にファルークが目尻を下げる様子に、ルイスはギリと奥歯を鳴らした。


「ぐ……不敬だぞ、ファルーク殿!」


「おや、聞こえておりましたか。これはとんだ失礼を。お許し下さい、ルイス殿」


優雅に一礼し、ファルークはニヤリと笑ってルイスを見上げた。ファルークの祖国のほうが軍事力が上なので、強く出れば戦になりかねないことは幼子でも分かるため、ルイスは何とか怒りを押し込め、言葉を発した。


「ファルーク殿、デイジーに謝罪していただきたい」


「何故です?」


「何故って……」


「そこの男爵令嬢がエスメラルダ嬢に劣っているのは事実でしょう?」


心底可笑しそうにファルークは笑う。高位貴族である伯爵令嬢のエスメラルダと下位貴族の男爵令嬢であるデイジーを比べ、エスメラルダが劣るということはあり得ないことだ。会場内の令息、令嬢は冷たい視線を壇上へ向ける。


「エスメラルダ嬢に王太子妃や王妃の勤めを丸投げしようとしたことは私の勝手な憶測ですので謝罪しましょう。殿下もそこまで愚かではございませんでしょうし。申し訳ございません」


「デイジーは……彼女はこの学園で主席をずっと守ってきたんですよ?」


「回答が用意された試験で、マナーは下位貴族のもので実際の公務に役立ちますかな?」


フッと鼻で笑ったファルークに、ルイスは眉間のシワを深くする。ファルークは面白そうに片方の口角を上げ、壇上から視線を外した。


「あぁ、これは学園に対する失言ですね。大変申し訳ございません。学園の授業や下位、高位貴族それぞれのマナーの講義は素晴らしいものでした」


学園の関係者たちに一礼するファルークにルイスはただたじろぐ。壇上の側近たちも何も言い返せず、視線をさ迷わせていた。ファルークは彼らを再びフッと鼻で笑うと、アイリスに視線を向ける。彼女はエスメラルダからそっと手を離すと場所をそっと入れ替わった。ファルークは片膝を床につくと、片手を伸ばして真っ直ぐにエスメラルダを見つめる。


「エスメラルダ・トルーマン伯爵令嬢。貴女をこの世界で一番愛しています。これからもずっと隣にいてくれないか」


ファルークの突然のプロポーズに、壇上の者たちは呆気に取られ、アイリスや回りの生徒たちは固唾を呑んだ。エスメラルダは小さく溜め息を吐くと、ファルークの手に自身の手を乗せる。


「公開で断れないようプロポーズだなんて、案外臆病なんですね。ファルーク殿下、末長くよろしくお願いいたします」


ワッと歓声が上がった。祝福する拍手が沸き起こり、ファルークは立ち上がると愛おしそうにエスメラルダの肩を抱き寄せる。壇上のルイスたちのことは忘れ去られていた。二人は拍手をしているアイリスを見つめると、ファルークが口を開いた。


「アイリス嬢、次は君が幸せになる番だ」


アイリスはその言葉に微笑むと視線を来賓席に移した。その視線の先には国王レジナルドが座っている。


「陛下。お約束通り私を娶って下さいませ」


アイリスは美しい仕草で一礼した。


「はぁ?!」


ルイスとデイジーは声を上げる。気でも触れたのかと側近たちも驚きの表情でアイリスを見た。彼女は姿勢を正すとレジナルドと視線を合わせる。彼は目を閉じ、小さく溜め息を吐くと、目を開いて真っ直ぐにアイリスを見下ろした。


「アイリス・ハワード侯爵令嬢、約束通り貴女を余の妃とする」


再び歓声が上がった。アイリスはホッとした表情でレジナルドを見上げ、回りの生徒たちに笑いかけた。そんなおめでたい雰囲気を壊すように、ルイスの怒号が会場内に響く。


「どういうことだ!アイリス!」


その問いに不快そうなレジナルドの声が答えた。


「どうもこうも、全てはお前のせいだろう。ルイス」


「ち、父上?」


彼の言葉にルイスは狼狽える。レジナルドは額を押さえながら話し始めた。


「アイリス嬢との婚約書に『ルイスとの婚約が破棄され場合、功績によっては彼女を王妃にする』と一文があっだろう」


「そ、それは幼い頃にアイリスが王妃になりたいと我が儘を言ったから……学園の主席はデイジーですし、アイリスに功績など……」


うわ言のように言葉を紡ぐルイスへのレジナルドの視線は冷たい。


「陛下、殿下、発言をお許し下さい。アイリスは既に王太子妃教育を終え、王妃教育に入っております。学園を休みがちだったのはその為です」


レジナルドの隣に控えていたハワード侯爵の言葉にルイスは目を見開く。


ルイスは王太子教育の終盤に差し掛かっているが、その大変さに段々と自信がなくなっていた。そんな彼を励まし、支えてくれたのがデイジーだった。彼女となら素晴らしい国を築いていけると夢見ていたルイスは、泣き言ひとつ言わず、アイリスが何歩も先を歩いていたことに軽い目眩を覚える。アイリスが学園を休みがちだったのは王太子妃教育が進んでいないからだろうと高を括り、ルイスの暴走を止める者のいない学園でデイジーとの愛を深めていた。


「王妃教育のために学園は休みがちでしたが、アイリスは試験をちゃんと受けておりますよ」


ハワード侯爵が視線を学園長に向けると、彼は立ち上がり主賓たちに頭を下げてから発言をした。


「ハワード嬢は試験日にテストが受けられない場合は不正を防ぐために、同じレベルの試験を別で受けられています。その為、結果は公表できませんでしたがほぼ満点でした。同じ日に試験を受けられた場合はマナーも含め全教科トップであったはずです」


学園長の言葉にルイスは信じられないものを見るような目でアイリスを見下ろす。

学園では上位5位までの人物は成績優秀者として名前が貼り出されるが、時々アイリスの名が一位に記されていることがあった。何か不正をしているのではとルイスや側近たちは考えていたが証拠が見つけられず、彼女のトップを祝う令息や令嬢たちの手前、何も言えず歯がゆい思いをしていた。


「功績についてですが、元々干ばつに強いサツマイモをより甘いものに、色とりどりにアイリスが苗を改良したからです。嫌煙されていたサツマイモから作られる料理や色どりの良い菓子が、今や国中で流行しているのはご存知でしょう。そのレシピを考案したのもアイリスです」


干ばつに強いサツマイモは味がいまいちなものだったが、最近は甘く紫やオレンジ色のものが流通し始めた。そのサツマイモを使ったパンや菓子、特にケーキやプリンが王都では流行している。甘く鮮やかな色が受け、若い令嬢や子ども中心に人気だ。


「嫌だわお父様。まぁ、私の食い意地が張っているのは皆さまご存知ですけど」


口元を隠し、ふふふと笑うアイリスは回りの令息や令嬢を見渡す。


「ここにいる皆さまのお陰ですわ。元々商家の男爵家のハリソン様は様々なサツマイモの苗を私に提供してくださいましたし、品種改良したサツマイモを試験的に作らせていただく土地は侯爵家のミナーヴァ様にお借りしましたもの」


名前を呼ばれた二人は嬉しそうに微笑み頭を下げた。アイリスは二人に微笑んで頷くと片腕を広げる。


「改良したサツマイモの苗を、領地を持つご令息やご令嬢に荒れ地で構わないので育てて欲しいとお願いしたら、皆さま快く引き受けて下さいました」


くるりとアイリスは優雅に振り返ると、花が綻ぶように笑った。


「本当にありがとうございました」


「こちらこそありがとうございます、アイリス様!」


アイリスが微笑みながら礼を述べると、彼女を取り囲んでいた何人もの令息、令嬢が逆に礼を述べていた。


「アイリス様がサツマイモの苗を提供してくださったお陰で、ほとんど荒れ地になってしまっていた領地の農地を、私の家は手放さずに済みました!」


「うちが経営している菓子店も、経営が苦しかったのですが、アイリス様が考案されたサツマイモの菓子のお陰で繁盛しております」


半泣きでアイリスに礼を述べる令息や令嬢たちに、ルイスはそんなことは初耳だと視線をさ迷わせる。


「何だ、ルイス。不作のことさえ知らないのか?」


レジナルドの言葉にルイスの体は跳ねた。隣のデイジーや回りの側近も茫然とレジナルドを見上げている。小さく溜め息をつくと彼は口を開いた。


「年々、土地が痩せ、不作になる場所が増えていることは学園でも教えているはずだが」


レジナルドの厳しい声に、ルイスはからからに乾いた喉に無理やり唾を流し込んで発言する。


「し、しかし最近はそんな報告は減っていると……」


「あぁ、アイリス嬢がサツマイモの苗を配っていたからな。それと彼女がレンゲソウの種を配っていたことも不作地が減少している原因だ」


「レンゲソウの種?」


ルイスが不思議そうに呟くと、エスメラルダの手を握っていたファルークが発言を求めるために反対側の手をスッと上げた。


「発言をお許し下さい、陛下。ルイス殿、レンゲソウには荒れ地を肥やす作用があることにアイリス嬢は気付き、我が国からその種を入手したのです」


ファルークはレジナルドとルイスに目礼し、そう発言するとエスメラルダの隣に立つアイリスを見た。アイリスは不思議そうにファルークを見上げる。


「始めは花好きのご令嬢のお願いと考えて渡したが、まさか農地を肥やすために使うとは思っていなかったよ」


「あら。私、お花は大好きですわよ?」


アイリスの返しにファルークはニッと片方の口角を上げて肩を竦める。


「それは失礼した」


「レンゲのハチミツはもっと好きですわ」


その言葉にファルークは吹き出し、大笑いする。学園の学食でパンケーキにレンゲのハチミツをとっぷりとかけて上機嫌で食べているアイリスを思い出したからだ。エスメラルダは慣れているのか平然と隣でパンケーキを食べていたが、優雅な仕草でハチミツ漬けのパンケーキを食べるアイリスにファルークは面食らった。あれはハチミツのパンケーキ添えになっていたなと考えながらアイリスを見ると、彼女は微笑み、声を弾ませながら言葉を続ける。


「レンゲソウは葉や茎を日干しして煎じると、解熱や利尿の効果もありますし……」


「アイリス嬢の言った方法で、我が国でも病人に使っているよ。有益な情報に礼を言う」


「若葉は炒め物や揚げ物、塩漬けにできますし」


続いたアイリスの言葉にファルークはぱちくりと目を瞬かせた。


「やはり食に関しての抜け目はないな、アイリス嬢」


「えぇ。レンゲソウは家畜の飼料にもなりますし、サツマイモの生産に頼ってしまうと過剰供給でその価格も下がってしまいます」


ふうとアイリスは溜め息をついて、悩ましげに頬に手を当てる。


「そして農地改良しなければ我が国の特産品の野菜や果物の収穫量が減ってしまうのです。家畜の飼料にも影響が出ますから、肉や乳製品も食べられない。ゆくゆくは魚も捕れなくなってしまう……そんなの嫌ですわ!」


わなわなと振るえながら大好きな野菜や果物、肉や魚が食べられなくなる悲しみに熱弁を振るうアイリスに、ファルークはこそこそとエスメラルダへ話しかける。


「アイリス嬢の食への執着は凄いな、エスメラルダ嬢」


愛称で呼ばれたエスメラルダはこくりと頷くと、小さな声でファルークに話し始めた。


「はい。ローズマリーオイルを使った魚のソテーが美味しくて、石けんにも香りがついたらいいのにと発言し、そのオイルを使って我が国で香り付きの石けんが発売され始めました」


「ほう、やはりアイリス嬢は食からヒントを得ているのだな」


ファルークの言葉にエスメラルダは再び頷いた。


「オイルも色々なハーブを漬け込んで試されていましたよ。乾燥させた花びらから作ったものは食べ物にあまり合わなかったのでほぼ石けんに転用していましたね」


エスメラルダは子を見つめる母親のように微笑む。ファルークはその視線が愛に溢れていることに気付き、まだまだアイリスには敵わないなと苦笑いを浮かべた。


「アイリス様は食べ物への感謝を忘れないために食事前に手を清めることを習慣化されていて、それも石けんの香り付けに繋がったのでしょう。学園ではそれを真似た生徒たちがお腹を壊すことが減ったり、風邪を引きにくくなったみたいです」


「あの習慣は学園特有のものでなかったのか?」


学園では昼食やティータイムの前に石けんを使って手を洗う生徒がほとんどだった。ファルークは変わった習慣だなと考えながら、郷に入っては郷に従えと手洗いを行っていた。確かに学園に通い始めてから、腹痛や風邪に悩まされる回数が減っているなとファルークはアイリスを見つめる。


「はい、アイリス様が広めました。捨ててしまっていた少し見た目の悪いハーブや花を乾燥させてオイル漬けに使うことで収益が上がった家もあります。そのオイルと石けんは外国への輸出も増えています」


「我が国でもこの国の石けんの香りと質の良さに、大量に輸入しようとしているからな」


「その為に私との婚約……いえ、結婚を?」


エスメラルダはファルークを見上げる。この国の香り付きのオイルや石けんを求めて諸国から輸入の申し出が殺到していた。


「私の愛を疑うのか?」


片眉を上げたファルークにエスメラルダは微笑んだ。


「ふふ、冗談ですよ」


そんな二人のやり取りに気づくことなく、アイリスは話し続けている。


「あ!シロツメクサにもレンゲソウと同じ土地を肥やす効果がありますの!シロツメクサのハチミツは美味しいですし、同じように若葉は料理できます。風邪にも効果があるかもしれないそうですわ!」


キラキラと目を輝かせ、楽しそうなアイリスにハワード侯爵はこめかみに手を当て溜め息を吐き、レジナルドはクツクツと笑う。ファルークとエスメラルダは苦笑いを浮かべ、回りの生徒たちは彼女のように楽しそうに笑ったり、羨望の眼差しを向ける。ルイスは面白くないものを見るような視線でその光景を眺めていた。


「く……しかし、アイリスはデイジーに嫌がらせをしていのだ!その証拠はあるぞ!」


「発言をお許し下さい、ルイス殿下」


形勢逆転を狙って大声を出したルイスの言葉に、エスメラルダが割って入った。それを却下しようとルイスが声を発するより早く、レジナルドが口を開く。


「余がゆるそう、トルーマン伯爵令嬢」


「ありがとうございます。陛下」


エスメラルダは深々と頭を下げ、頭を上げるとルイスを感情のない目で見上げる。この目は物凄く怒っている目だと生徒たちだけでなく、アイリスやファルークも後退りしそうになった。


「そもそも、何故アイリス様がデイジー様に嫌がらせをなさるんですか?」


「それはアイリスが王妃になりたいからだ。私の愛するデイジーが王妃になれば、アイリスは王妃になれないだろう?」


ルイスは自信満々に言い放ったが、アイリスはきょとんとした顔になり、壇上の生徒たち以外は呆れた視線を彼に向ける。


「そもそも、そこから間違っているのです」


「は?」


「アイリス様、何故王妃になりたいのですか?」


頭を指先で押さえながらエスメラルダはアイリスに視線を移した。アイリスは微笑んで朗らかな声で答える。


「それはレジナルド国王陛下が好きだからですわ!陛下の隣に立つとなれば王妃になるしかありませんもの」


「はぁ?!」


思いもよらない答えに、ルイスは開いた口が塞がらない。そんなルイスを見て、アイリスは小首を傾げてエスメラルダに問いかけた。


「エスメ、何故ルイス殿下はあんな顔をされているのかしら?」


「それは……」


「ルイス殿はアイリス嬢が陛下に懸想していることを知らなかったようだぞ」


エスメラルダが返答に困っていると、ファルークが代わりに答えた。アイリスは片方の眉を上げて口を開く。


「えぇ?私が6歳の婚約者の顔合わせの際にルイス殿下が現れて『お父様の嘘つき!王妃は陛下のお嫁さんじゃなかったの!』と泣いて怒りましたのに?」


「それは、なかなかに強烈な振り方をしたな、アイリス嬢」


初めて聞かされる顔合わせのアイリスの言動に、不敬にも程があるとファルークの顔は引き攣った。そして壇上の者たちも顔は引き攣っていたが、他の会場にいる人々は知っていたのか動揺した様子はない。


「もしや、ルイス殿下のご母堂である王妃陛下が、国王陛下を暗殺者から身を挺してお守りし、儚くなられて3年しか経っておりませんでしたから、顔合わせの際の記憶が曖昧になられているのかしら?」


痛ましい表情でアイリスはルイス殿下を見上げた。ルイスは第二王子だが王妃の子である。その為、側妃を母にもつ第一王子よりも王位継承権の順位は上だ。アイリスの表情に、何故お前に憐れまれなければいけないんだとルイスは苦虫を噛み潰したような顔になった。デイジーと彼の側近たちは困惑した表情で成り行きを見守っている。


「あ!泣いてる私に『不細工』と言ったこともお忘れなのかしら?好きでもない相手からでもあの発言は傷つきましたわよ」


盛大に溜め息をついたアイリスの隣で、エスメラルダはこほんと咳払いをすると話し始めた。


「ルイス殿下、発言をお許し下さい。お聞きの通り、アイリス様はルイス殿下ではなく陛下の王妃になりたいのです。ですので、デイジー様に嫌がらせをする理由がありません」


「だが、デイジーが教科書を破かれたり、階段から突き飛ばされた際に走り去る金髪で縦巻きのロールヘアの女生徒の後ろ姿を見たと……」


ルイスの言葉にエスメラルダは無表情で問いかけた。


「本当にアイリス様でしたか?」


「アイリス以外に縦巻きのロールヘアはいないだろう?それに王妃候補である髪飾りをつけていたそうだ」


「後ろ姿と髪飾りだけで決めつけられるんですね」


顔をはっきりと見たわけでもなく、誰でも成り済ませる後ろ姿と髪飾りとデイジーの証言だけで、彼らはアイリスが嫌がらせをしたと決めつけたのだと、エスメラルダは呆れたように呟く。髪飾りは王妃候補である証として身に着けることが義務付けられていた。精巧な作りをしたもので、貴重なレッドダイヤモンドが中央にあしらわれてあるが、ルビーで代用できないこともない。遠目でそれだとハッキリと分かるものなのかと回りの生徒たちも呆れた視線を壇上に送った。


「しかし、全ての嫌がらせはアイリスが登校した日に起こっている」


「アイリス様のお側には常に私か、王家の影が控えておりますので難しいと思われます」


エスメラルダはルイスの主張を退ける。王妃候補と側室候補にはその行動が王族に加わるに相応しいかお互いを監視し、また王家の影に監視されていた。影は毎日、レジナルドと側妃二人にその日のアイリスの行動を報告している。王族であるルイスが望めば影はアイリスの行動を報告することは可能だ。得意な顔をしたルイスが言葉を発しようとしたが、レジナルドが遮る。


「ルイス、もうよい」


レジナルドの冷たい声に、ルイスは口を噤み下を向いた。


「壇上の者たちはこの後、登城せよ。他の者は雰囲気が悪く申し訳ないが、このまま卒業パーティーを続けてくれ」


ルイスたちは困惑しながらレジナルドを見上げていたが、壇上した近衛兵たちに従って、まるで罪人のように会場を後にする。階段を降りるデイジーがキッとアイリスを睨んだが、彼女は小首を傾げてその後ろ姿を見送った。アイリスは朗らかな笑顔か泣き顔のデイジーしか見たことがなかったので、あんな怖い顔もするのだなとのんきに考えていると、レジナルドの声が会場に響く。


「アイリス、きみも登城するように」


「え!」


アイリスはその言葉に目を丸くした。


「わ、私もですか?!」


「勿論。貴女も当事者だろう?」


レジナルドに微笑まれ、嬉しさから顔を赤くしながらもアイリスは涙目で訴える。


「せめてお料理を一口だけでも……!」


指先を揃えてビュッフェテーブルに並ぶ料理を指し示したアイリスに、レジナルドは首を横に振る。


「駄目だ」


「そ、そんな。私、この素晴らしいお料理を一口も食べられないのですか?」


祈るようなポーズでレジナルドにアイリスは問うが、彼は無情にも頷いた。絶望しているアイリスの回りに近衛兵が数名、エスコートのために現れて手を差し出したが、彼女は首を横に振る。


「お父様!」


「諦めろ、アイリス」


父に助けを求めるが却下され、アイリスはエスメラルダとファルークに視線を向けるが二人は首を横に振った。そんなアイリスを近衛兵は壇上の者たちよりは優しく、だが強引に会場の外へ向かって連行していく。


「酷いです!私が何をしたと言うのですかー!」


アイリスの悲痛な叫びは会場の扉が閉まると聞こえなくなった。続いてレジナルドとハワード侯爵が退場し、会場内はシンと静まり返る。


「アイリス様が心を尽くして考えられたお料理です。残さず食べましょう」


残された生徒や来賓たちは学園長の言葉に頷くと、思い思いに用意された料理を口に運んだ。学生たちは今までの学園生活の思い出を語ったり、別れを惜しむ。来賓たちはアイリスの考案した料理のレシピを知りたがったり、未来の王妃にふさわしいと褒めそやした。

エスメラルダはハチミツのたっぷりかかった生クリームが添えられたパンケーキを口に運ぶ。きっとアイリスはこれを食べたかっただろうなと少し切ない気持ちになっていると、ファルークがシャンパングラスに入ったライム入りの炭酸水を両手に持って現れた。


「そんな悲しい顔をして食べていると、アイリス嬢に失礼だぞ」


「……そうですね」


差し出されたシャンパングラスを受け取りながら、エスメラルダは苦笑いを浮かべる。明日、アイリスに会えないか先振れを出そうと少し苦味のある炭酸水を喉に流し込んだ。口内がさっぱりし、少し気分が良くなったエスメラルダは、ファルークに礼を言うと彼の腕に自身の手を添える。


「アイリス様のためにも、お料理を残さず頂かなければいけませんね」


「そうだな」


小さく笑ったファルークにエスコートされながら、エスメラルダも同じく小さく笑って様々な料理が並ぶテーブルへ向かった。

お読みいただきありがとうございます。不定期更新で次話は王城での会談の予定です。

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