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クロス  作者: フタカワケイ
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ここまでのようだ。

僕は走り出した。後ろから暗闇が迫ってくる。もう勘弁してくれよと、何度同じ夢をみればいいんだともうイライラしていた頃に比べて冷め切った心にぶら下がって自分の意志じゃなく動く足に乗る要領で、これから起こる夢の結末に向けて走り出す。

暗闇から逃げているのに結局は飲み込まれてしまう。数秒の暗転。重くなった瞼を無理やりこじ開けようとする心持もオートマチックに夢として設定されている。

目を開け切るとこたつとその天板の上にあるみかんが見える。こたつに入りながら僕はみかんを食べているのだ。みかんは嫌いじゃないけど、こう何回もみかんを口にしていると現実世界でみかんを食べる気が失せてくる。どうせ夢の中でしこたまみかんを食べるのだからいいじゃないか。2,3個みかんを平らげるとまた視界が暗転した。どうやら、今回の夢はここまでのようだ。


地方の野球球場の観客席ベンチ。「ウーゥ!」という拡声器から流れ出る音とともに選手ベンチから球児が出てくる。「俺もこんな時があったっけな…」と思いながら先ほど自販機で買った炭酸飲料のプルタブを開けた。名も知らない野球小僧たちのプレイをたまたま球場の前を通りかかったから一丁見に行ってくるかとここまできた。幸い関係者以外立ち入り禁止というわけじゃなかったので観客席には入れた。周りはもちろん野球小僧たちの保護者らしき人たちが各々スマホのカメラやハンディカムをもって、息子らの雄姿を納めようとしているのだろう。自分から少年野球の試合を見に来た手前こういっちゃあなんだが、なんか部外者がここにいてどうもいこごちが悪く「帰りてぇ…」てな気持ちになった。


カラスとして初の仕事をすることになった。電柱の上でうちらの縄張りを荒らす他の群れのカラスが来た時にボスに連絡する係としての初任務だ。眼下には坂が伸びていて坂を上り下りする人間の姿が見て取れる。時々あたしの姿をじっと見つめる人間がいる。物好きな人ね。時間があったら相手をしてあげたいのだけれど、お生憎こっちとら仕事中なの。あんたの相手をしている暇はないわ。やがてカラスを見つめていた人物は坂を下り始めた。一度は通り過ぎた電柱のてっぺんを振返ってわざわざカラスをじっと見るなんて、この人は周りの目なんて気にしない人なんだろうね。


なめくじがコンクリートの上を這う。曇天の空模様。スンと澄んだ空気。なめくじの這ったあとにてらてらしたぬめり気。今朝アパートから出てコンクリートの階段を下りるときにそこら中にナメクジが這っていたのを覚えている。それにしても、今日は奇妙な天気だ。天気予報では雨マークだらけなのに、晴れやがって。日曜日の昼下がり。少年野球の試合が始まった。「1番、ショート、橘くん」というウグイス嬢の声が放送される。選手の名前には必ず「くん」付けがなされていて、名前と「くん」に少し間が空く瞬間だけなぜか息苦しくなった。「…あ、やっぱかえるか…」と誰に言うともなく呟き、そして観客席のベンチから立ち上がって翻り、階段を下りて行った。


電柱先の誘蛾灯を頼りに家路につく。あれからパチンコ屋に行った。はじめてパチンコをした。1000円を玉交換機に差し込み、玉受けにジャラジャラと1000円分のパチンコが流れる。店内はジャラジャラとか電子音のピコピコとした音がまざくりあって、耳に嫌でも入ってくる騒音。ノブをひねって玉を射出する。玉はパチンコ台の液晶下の穴に入った。するとピコピコ音が鳴り始め、液晶の数字が上から下へ上から下へと変化した。後ろの通路を店員が通る。

「すいません、自分、パチンコするの初めてなんですけど、どうすればいいんですかね」

と言った。

「はい?」

とその店員が声を大きくして言う。最初怒られたのかと思い身をギョッとすくめたが、そういえばここはいろんな音がガチャガチャなって聞こえづらいのかもしれない。一度行ったことを繰り返し一言一句間違えないよう同じ言葉を発した。

「そうですね、ちょっと待ってください」

店員は液晶画面とパチンコ台の全体を何やら見つめ、カギを取り出してパチンコ台の上側を開き何やらごそごそしている。液晶のスロットルは回り続ける。

「失礼いたしました、お楽しみのところすいません。えーっと、お客様がやっていた通りで間違ってないですよ、それじゃあ」

と言って店員は立ち去って行った。スロットルが止まった。数字はバラバラでまた液晶には元あった画面に戻った。それからは、何度か穴の中に玉が入ってスロットルが回ったけど数字がそろうことはなく、1000円分を見事使い終わった。これ以上パチンコをする気も起きず、店を後にした。


アパートの鉄の階段を上る。204号室。なんとも微妙な数字だ、いや、偶数だから2で割り切れるか。ドアノブを握りこみ開けようとするがまあ開かないよなあ。ポケットからカギを取り出しガチャっとドアを開ける。部屋はワンルームの7畳間の畳部屋。僕は家に帰るとき「お邪魔します」という癖がある。手に下げたビニール袋を手狭な台所の上に置き、部屋中央に設置されたこたつに足を入れる。座ったままこたつのスイッチをつける。温まるまでしばらく待つ。


「ピーンポーン」とインターフォンが鳴った。息をひそめてこたつに入ったままの姿勢で待つ。トントントントン、ドアがノックされる。「牧田さん、いらっしゃいますか、牧田さん、いらっしゃいませんか」と女性の声が外から聞こえる。ジッとその人物が帰るまで待つ。こたつの中に入れた足の裏っかわから汗がじんわりと滲み出す。「いるんですよね、電気メーターが動いているからバレバレなんですよね」と女性の声に怒気が帯びてきた。しまった、こたつの電源つけたままだった。まあいいや、そのうちどこかに行くだろう。


しばらくすると女性の声が止み階段を踏みしめる音がしばらくなってだんだんと音が遠ざかって止む。ふーっと息をつきながらこたつの天板と平行にあるように両腕を組んで伸びをした。緊張からの弛緩で眠くなった。寝たらまた夢を見るかもしれない。そう思うと目を閉じるのが怖かったが、体の疲れがどっと押し寄せてきてそいつにあらがうことができなかった。


9回表、味方のバッターがレフトに大きなフライを打った。一度ホームベースにかけだそうとして工法を振返り、これはヒットじゃなくフライだなと思ってサードベースへと戻り、レフトの守備をしている男の子がボールをキャッチするのを見届けた瞬間、タッチアップでホームベースへと走った。見たところその男の子は身長が低く方が弱そうだ。少し走る速度を緩めた。どうせ間に合うだろう。まだ余裕があるだろうといかにも真剣に走っていますふりをしながら後ろを一度スッと確認すると、相手方のピッチャーが中継に入っていてものすごい返球がホームベース手前にいたキャッチャーへ来て、そこであわてた僕は駆けだそうと思っても間に合わず、結局アウトになった。もし僕がホームに生還していると1点差になった。つまり同点のまま9回の裏で相手の攻撃となった。結果は、味方のフォアボールが2つ出て、その2者が還るくらいのヒットを4番バッターが打ったものだから、僕らのチームは負けてしまった。僕は不思議と悔しくなかった。僕以外のチームメイトは泣いていた。「僕を4番にしなかったのが悪いんだ。ピッチャーにしなかったから悪いんだ」両チームがグラウンドの中央で整列して挨拶をし、ベンチに引き返すときに、ベンチ奥で腕を組んでいた監督をねめつけた。


朝が来る。どうやら昨夜こたつに入ったまま寝ていたようだ。のどがカラカラで頭がずきずきした。こたつの中は熱を持ったままだったがそれ以外の室内の空気は冷たかった。動悸が激しく、体から抜け出た水分が欲しいと体が信号を出していたかのようで、こたつから出たくなかったが、ここで死ぬわけにはいかないと思い、重い腰を起こして台所まで歩き水道の蛇口から水を出して直に飲んだ。


喉に水が流れていく。徐々に瞼の重みが取れて視界がクリアになった。ん?なんで女物の服がこの部屋にあるんだ。まあいいや。頭の中から財布のイメージを浮かべて目の前に実際にモノがある前提で手のひらを前に持っていくと、ストンと革財布がどこからともなく落ちてきた。ポトッと手のひらに革の冷たさが伝わってくる。今日の財布は、100円均一で買ってきたようなマジックテープ仕様の子供財布。中身は期待できない。中を恐る恐る見てみるとちょうど500円玉が小銭入れのなかにキラッとたたずんでいた。一応これでコンビニのサンドイッチくらいは買えるな。私は、着の身着のまま外に出た。


コンビニに向かう途中でなんとなく公園に立ち寄った。中くらいの滑り台とジャングルジムが合体した遊具をみて、昔飼っていたウサギのことを思い出した。公園のベンチに座ってその時のことについて思いをはせる。幼いころ、保育園の遊具で母の迎えを待っていると、いつもながら遅く迎えに来る母が段ボール箱を持っていた。私はすこしふてくされながらも母のもとに駆け寄っていき、「その箱は何?」と気になっていたものを指さすと母は「なんだと思う?」なんてニコニコもったいぶるので、そんな母に対して「遅れてきてごめんっていうところでしょ」とつい口について出てしまい、「ごめんごめん、待ってたよね。でもいいものもってきたよ」と箱を開けると、中には二羽のウサギが入っていた。


私の機嫌はウサギを連れてきたからって直らないんだからね、と思いながらもつぶらな目をしたウサギが可愛くて、もう自分が起こっていたことなんてどうでもよくなって「お母さんこのウサギ触っていい?」なんて言い出していたっけ。もう今になってはとっくの昔にウサギはいないし、その時のウサギが子供を作って、その子供を親戚にあげたりした。そのうち一羽は、もらってくれた人がウサギを外に放し飼いにしていたらトンビやら鷹やらの猛禽類が連れ去っていったというエピソードをうわさで聞いた。昔の出来事に思いをはせているうちにおなかが鳴った。辺りから焼き立ちのパンのような匂いがすると思って見回すと、公園を出てすぐのところに「やきたてパン」と書かれた幟が立っている建物を見つけた。こんな朝方にパン屋あいているのか、そう思って腕時計を確かめようと手首を鼻先に持ってこようとして、腕時計をしていないことに気づいた。せっかくパン屋を見つけたから覗いてみよう。私はベンチから足を数回ぶらぶらと前後に動かして、後ろに振りかぶった足を前に出そうとするタイミングでジャンプするように立ち上がった。


パン屋は幸い営業をしていた。30代くらいの女性店員が私の姿をみて「いらっしゃいませ」と目がくしゃっとつぶれるような笑みを浮かべながら言った。私は小さく会釈をして右左と頭をきょろきょろさせて店内を見まわした。いかにもパン屋という感じのインテリアだった。玄関には大きめのガラス窓がはめ込まれて外から店内の様子が分かるテイストで、中央のテーブルにおすすめのパンが置かれて壁沿いを埋めるように名がテーブルが設えられてそれぞれの場所に「パン屋といえばコレ!」というドーナツやチョココロネなどの定番商品が並べられていた。パンを取るためにトングとトレーを手に取る。無意識にトングをカチカチしそうになって、寸のところで自分がやろうとしていることに気づきカチカチをやめた。


分厚い食パンのあいだにベーコンと卵とレタスが挟まれたサンドイッチと食パンをトレーに乗せた。どうせなら食パンを買ってこの店の腕前を確かめてみようと思った。食パンを食べればがそこのパン屋の実力が分かりそうだからだ。ついでに朝食で食べるパンを切らしていたし。


女店員がたたずむレジのテーブルにトレーを置き会計を済ませる。「ここ、初めてのご利用ですか?」と女店員が会話を振ってくれたので「はい、そうです」と日ごろあまり人と話さないたちの私であるが一応大人のふるまいをと思って愛想笑いを意識して浮かべながら「とっても美味しそうなサンドイッチですね、食べるのが楽しみです」と返した。すると女店員が「ありがとうございます、それおすすめの新商品なんですよ」と言いながらパンを手際よくトングを使ってビニールの袋に入れて一つ一つセロハンテープで止めていく。こちらが財布から小銭を出そうとする前にパンはかわいらしいお店のロゴが入った袋に入れられていつでも持ち運べる状態になった。会計を済ませて店から出ようとして店のドアを開き、閉じようとして店内をちらっと見ると女店員の背後にエプロンを着た大柄な男がいるのに気付いた。気づかなかった。おそらく夫婦で切り盛りしているのかなと思いながら外に出て、またさっきまで座っていたベンチでサンドイッチを食べようと思って公園に向かい、左右を確認して人気がないことを確認すると財布をポンと宙に投げ出す。その財布は地面に落ちることなく消え、僕はベンチを見つけるとそこに座ってパンが入っているビニール袋をごそごそし始めた。


サンドイッチを取り出し一口ほおばる。朝陽がまっすぐ光を浴びせかかってきて目を細める。公園の木々が風に揺れ、人っ子一人いない公園で独りでいると風の冷たさによって心細くさせられる。遠くでカラスが鳴く。パンを狙っているだろうことは予測できたのでなるべく早くサンドイッチをまた一口とほおばった。公園を独り占めできた高揚感からか、食パンの袋から一枚取り出してそれを半分にちぎって芝生の上にちょろちょろと何かをついばんでいるハトめがけてばらまいた。


お腹を空かせたカラスが鳩の群れの存在を認めた。縄張りに踏み込む人間に歯がゆさを感じながらも力関係でいくと人間のほうが有利だから、たとえ人間がずけずけと私たちのテリトリーに侵入してきても電柱の上でカアカアと威嚇または仲間に知らせるしかない。でも今日はどうにもこうにものっぴきならない事情があった。縄張り内にある公園にいる人間がハトに食パンをあげているのだ。もーまったく、ハトってぼーっとしていて人間になつかれて食べ物をもらえて、あいつら何もしてないじゃないの。こっちは朝から晩まで見張りの仕事をしているってのに、私たちに食パンをくれてもいいんじゃないの。電柱にたたずむカラスは自らの仕事を放り出さんばかりに翼をバサバサはためかせた。


「なんかこっちをずっと見ているカラスがいるなあ」と僕は電柱を見上げて、青い空を背景とした電線にいるカラスをじっと見た。鳩に餌をやっている手前、なんだかカラスにもやらないとなあと思い思わされたというか朝食用のパンが少なくなってしまうがしゃあない。僕は鳩を眺めるのをやめて公園を取り囲む人の腰ほどの高さのフェンスの上に食パンを置いた。丸い鉄の金属パイプのつなぎ目の平らなところにバランスよくパン1枚をピトッと置く。カラスを見る。やつは動かず僕の姿を凝視する。ベンチに戻ろうとして後ろを振り返る。カラスはまだ動かない。「食べないのか?」と思って、食べないのならもったいなかったな、今ならパンを回収してパイプに触れた部分を包丁で削いで帰ってからのおやつにしようとまたフェンスに足を向けてると、カラスは僕の思考を読み取りでもしたのか、スッと滑空してバランスよく鉄パイプに着地しパンをくちばしではさみ、チラッと僕のほうを見てからスーッと飛び去っていった。カラスは元居た電線に戻るのではなく青空のもと向こう側の空へ飛んで行った。「まあ最初はカラスにやろうとしたからな。食べてくれて本望だ」と一度行きかけた道をまた背にしてベンチに戻る自分の姿を誰かが見てはいないかとあたりを見回し、遠くに見える公園の入り口に散歩をしようとしているジャージ姿の高齢者の姿を認めたので、僕は公園を後にした。


僕はまた夢を見た。何度も、何千回も数えきれないほど見た夢だ。僕は犬小屋の中に入っていて、そこから這い出て夜空を見上げると、黄色い光を灯した宇宙艇が何千何万と空を埋めていた。僕はその光景をみてとても恐怖を抱いていたが、なんとなく目が離せないでいた。目をつぶって真っ暗な視界に急に水を浴びせかけられ続けて息ができなくて怖くなるように、夜の小学校の校庭の中心で一人ポツンと周りに街灯もなく真っ暗な世界で風がびゅーびゅーと顔をはたき出す時の心細さのように怖かったが、ぼくはその宇宙艇に挑むような心も持ち合わせていた。でもその巨大な力を前に、僕は自分はなすすべもなくやられることは分かっていた。そして犬小屋へと引き払うのである。


目が覚めた。インターフォンの音が鳴る。


「牧田さん、牧田さんはいらっしゃいませんか」とドアをドンドンと叩き女性の声がする。僕は「僕」の状態なので「牧田さん」ではない。牧田さんではあったけれど、彼女は僕の夢の中に取り込んでしまったので彼女の魂はもうどこにもない。僕は牧田という女性に変身することができる。彼女の体だけを僕が借りて、僕の意識で彼女の体を動かすことができる。変身するためには、彼女の私物である財布を宙に放り投げること。僕は今牧田さんではない「僕」という人間なので、今日もそのインターフォンの音を無視してベッドの中に潜り込んでやり過ごした。


しばらくして昨日と同じく鉄階段をヒールで駆け降りる音を聞いてから布団を取り去ってベッドから立ち上がり、グーっと伸びをする。そういえば昨日パン屋で買ってきた食パンがあったっけな。昨晩は夕食を抜いていたので机に無造作に置かれた食パンの包みを目にしたらお腹がグーっと鳴った。


いつもはトースターで焼くのだが、今回はそのままの素のパンを口にした。その瞬間視界は暗転した。


ここはどこだろうか、地面に這いつくばっているわけではないのに妙に目線が低い。


土のにおいがする。隣にハトがいる。なぜだ?


僕は落ちているパンを地面に顔を近づけてそのまま食べようとしていた。


自分の意志と反する行動に戸惑いながら、状況がまだ呑み込めていないのに横からカラスが僕の目の前にあったパンくずをかっさらっていく。カラスと僕の目線がまるっきり一緒だから「ははーん、これも夢なのだな」と思いきや、今度は歩こうとしても歩けない。膝が棒のようになっていて関節を曲げることができない。僕は体が妙に軽くてどうせ膝が使えないのならピョンピョンと地面を飛んでしまえばいいのだ。ぴょんぴょんぴょん。なんだか地面の感触が妙にリアルである。


そうか僕はカラスになったんだ。歩き方の要領が分からない。別に今おなかが空いているわけじゃないのでパンくずなんか他のやつにくれてやれ。それより空を飛んでみたい。僕は鳥がどんなふうに空を飛ぶのかをイメージしながら手とは違った力具合と向きで動く羽をばたつかせた。


ところがまったく飛ぶことができない。少しだけ飛べたがそれ以上高く飛べずに翼の動かし方が急にわからなくなってバランスを崩し、しかも足は鳥足なので膝のクッションが使えず一度ワンバウンドして右翼を下にする形で転倒した。


数メートル離れたところにいるまだパンくずを食べるのに夢中な別のカラスが、こちらを見ているのに気づく。そのカラスは何もなかったかのようにまたパンくずに集中する。「オマエ、何してんだ?」とカラスの僕がカラスの奴に呆れられたふうに思った。パンくずを鳩にあげている作業着姿の中年男が、鳩に餌をあげたいのにカラスがやってくるから邪魔そうに顔をしかめていたが、僕が飛ぼうとしてこけたものだから、それをみた中年男は不思議そうな顔をしていた。


だけど、ちょっと嬉しそうな顔にも見えた。カラスがドジを踏んでコケる姿なんてめったく見ることはないだろう。どうせなら手に持っているパン耳が入っている袋、全部くれや。


僕が思ったことが伝わったのか、おじさんは僕のほうに近づいてきた。


おじさんはニコニコした顔をしながら手に持ったパンの入った袋を揺らして近づいてきた。「怖くないよ」と言いながら近づくおじさんに不穏な空気を感じ僕は慌てて体勢を立て直して羽をばたつかせたら、今度は空を飛ぶことができた。ある程度高度を上げて飛んで外科医の様子をうかがうと、おじさんは僕を見上げて「チッ」と舌打ちするようなしぐさをしているふうで、踵を返しておじさんが背中を向けたときにパンの袋を持っていない手の方にナタを隠し持っていた。たしか、畑を荒らすカラス除けのためにカラスの死骸を宙づりにするというのがある。危なかった。


僕はパッと目が覚めた。あたりを見回すといつもの自分の部屋だ。僕は夢の中で女性になったり動物になったりしてよく変な夢を見る。こうしてみる夢のあとはじっとした汗が流れて、服が濡れた気持ち悪さで跳ね起きるのだ。僕はいつも同じ夢を見る。同じ夢を見ることがやめられるのは、いったいいつもなるのだろうか。僕はまた諦めと恐怖がないまぜになった心で、また起きたばかりだけど布団をかぶり寝始めた。



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