幻の花火
「それでは、現在離れ離れの友に。かんぱーい」
『カンパーイ!』
夏の夜、金曜日。俺達はパソコンの前に陣取り、オンライン呑み会に興じている。
今年は感染症対策でろくに里帰りも出来ず、かと言ってGoToキャンペーンに乗っかって旅行に行く気にもならず、何よりも暑くてたまらないので家にいるしかない。
だから、故郷を初めとした様々なところにいる友人達と示し合わせ、こうやって時々オンライン呑み会をしているのだ。
めいめいで酒とつまみを持ち寄り、くだらない話に興じる。ビール、チューハイ、ハイボール、レモンサワーと、飲む物にも皆の好みが出ているし、つまみもコンビニで買ったような乾き物から缶詰、自分で腕をふるった一品料理まで、様々だ。
「それにしてもさ、今年はなーんかつまんねえ夏だよな」
「そうだな。夏のイベント、ほとんど中止とか自粛とかだもんな」
「夏祭りも盆踊りも花火大会も、なんもねえわ」
「うちもそうだよ。せっかく彼女の浴衣姿、楽しみにしてたのに」
「え? おまえ、彼女いたっけ?」
「……いや、まあ、これから告白しようと思ってたんだけど……」
今日集まったのは大学の友人達で、地元も現在住んでいる場所もバラバラだ。俺と同郷の者は一人しかいない。それが一同に会することが出来るのは、ネットが発達したおかげだ。
「……花火と言えば、さ」
その言葉がこぼれ出たのは、酔いが回りかけていたからかも知れない。
「俺、『幻の花火』を聞いたことがあるんだ」
「幻の花火?」
「『聞いた』って何だよ」
皆はさっそく食いついて来た。口に出してしまったからには仕方ない。俺は話し始めた。
◆
あれは去年、大学二年の夏だ。
夏休み、俺は実家に帰って、地元で短期のバイトにいそしんでいた。
バイト先は実家から自転車で30分程度の場所、夜9時までのシフト。お盆が終わるまでの契約だった。
バイト先で俺はそんなに役に立った気はしないけど、色々良くしてくれたし楽しく働けたと思う。これはこれで、ひと夏のいい思い出だ。
それはさておき。
それが起こったのは、バイトの最終日。つまりは8月16日のことだ。バイト先の皆さんに挨拶をしてから、俺は自転車で帰途についていた。
俺の実家のある場所は隣県との境の近くにあり、川一つ越えたら隣県の町だ。家に帰る時はその川べりの道を通る。この道に出たら家まではすぐ近くだ。
その道を通りかかった、ちょうどその時。
パァン。
花火の音が聞こえた。
俺は思わず自転車を止めた。
パァン。
すかさずもう一度。
「……花火?」
辺りを見回しても、花火をやっている気配はない。空にも火花は見えなかった。第一、この町の花火大会は7月に終わってしまっているし、9時をとっくに回ってしまっているこの時間では花火の打ち上げもしない。
この辺りは住宅街で、大規模な花火をやろうと思ったらこの川の河川敷くらいしか場所はない。小さく古い住宅が川の両側に並んでいて、家で花火をやっているような気配はない。
気のせい? いや、確かに聞いた。
他に誰か聞いた者がいないかと辺りを見回してみたが、他には誰もいなかった。この辺りは年寄りも多いので、夜に出歩く者は極めて少ない。こんな時間に人通りなんてほとんどない。
仕方なく俺は再び自転車を走らせた。
あと少しで実家だというところで、隣町の方向から帰省客らしい他県ナンバーの車が我が物顔で夜道を飛ばして来た。多分帰らなければならないので急いでいたのだろうが、危うくぶつかりそうになって俺はブレーキをかけた。
「あっぶねーなぁ……」
あんなに急いでいては、花火の音がしても聞こえちゃいないだろう。多分あれを聞いたのは俺だけだ。
ま、これがひと夏のちょっと不思議な思い出、「幻の花火」だ。
◆
「ふーん……」
「なるほどなあ」
友人達の反応は様々だった。ちょっと微妙な顔をしている者、興味深そうにしている者。とりあえず飲んでいる者。
「光や火花は見えなかったんだよな。音だけ?」
「音だけの花火ってなかったっけ?」
「ああ、運動会とか行事がある時に鳴らすような奴」
「そんなもん夜に上げてどうすんだよ」
「お盆の最終日だし、送り火代わりとか」
「そんな送り火ねーよ」
ちなみに、音だけの号砲花火であっても煙くらいは立つはずだが、煙も見えなかったように思う。
めいめい勝手なことを言っている友人達の中で、一人だけが考え込むような表情をしているのに俺は気づいた。この中でただ一人同郷の友人、Kだ。
「どうした、K?」
「……おまえの家って、確か坂根町だったよな? 隣町と言えば、衣着町か」
「あ、ああ、そうだよ」
「その夜は早く寝たのか?」
「ああ。次の日には、早いうちに下宿先に帰らなきゃならなかったからな」
「なるほど。新聞は……見ないか、おまえは。その様子じゃテレビのニュースも見てないな」
思わせぶりなことを言う。
「何なんだよ、K。はっきり言えよ」
Kはスマホを検索し、ニュースサイトの画面を出した。
「おまえがその『幻の花火』の音を聞いたのとちょうど同じ頃に、衣着町で発砲事件が起こってる」
俺も、他のメンバーも、それぞれ検索してそのニュースを見つけ出した。見つけられなかった者には、記事のスクリーンショットを送る。
「隣県とはいえ、距離としては遠くはない──というかむしろ近い。直線距離にして2km程度だ。人通りのない、静かな住宅街だから、多少遠くても銃声は聞こえる」
あれは……銃声? 花火ではなく?
「銃声も花火の音も要するに火薬の破裂音だからな。銃の音なんて、日本に住んでればそんなに聞く機会なんてないし、花火の音だと思ってもおかしくない」
「でも、日本で発砲事件なんて……」
「ニュースの続報によると、犯人はヤクザと付き合いのある男みたいだな。DVが原因で自分の元から逃げ出した妻を、わざわざ二年間も追っかけて来て撃ったと思われる。ストーカー的な性質もあるのかも知れない」
Kは画面越しにまっすぐ俺を見た。
「厄介なことに、この犯人、まだ捕まっていない。……おまえ、この話、SNSとかで言いふらしてないよな?」
俺は、検索で出て来た容疑者の写真から目を離せないでいた。この顔、あの時ぶつかりそうになった他県ナンバーの車を運転していた奴に似ている気がする。
そういえば前にこいつに言われた。「おまえのSNS投稿、時々変に無防備なことがあるんだよな」と。……そして、俺はこの話を、前にSNSに上げたことがある……。
自分の元から逃げた妻を二年かけて探し出して撃った、執念深い男。そして、ひょっとしたら、俺が唯一の目撃者かも知れない。
どこかでそいつが、俺のSNSを見つけたとしたら? SNSの投稿や写真から、俺の居場所を探そうとしてたら?
ピンポーン。
その時、玄関のチャイムが鳴る音がした。
…………パァン!