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痩せた森では食料になるものは少なく、一方でちょいちょい襲いかかってくるモンスターがいた。
餓えた野犬、群れて襲ってくる大ガラス、寝ている僕らを狙って忍び寄る人食い芋虫。
この手のモンスターは、「表の世界」にもいたものだ。
感じる重力も、周囲の植生も、星の巡りも、なにもかもが同じ。
であればここが「裏の世界」——以前クルヴァーン聖王国で戦った「調停者」がやってきた世界だと考えたほうがいい。
僕はアーシャに、この世界について知っている情報を伝えていた。
——星8つの天賦珠玉は聖王家の者を、天賦珠玉を得ていない無垢の者を捧げるために必要だったもののようです。なんのために捧げるのかはわかりませんが、これまでの文献では、およそ100年から300年に1度、あの天賦珠玉が現れたようです。その天賦珠玉を与えられた聖王家の者は漏れなく姿を消しています。「裏の世界」に旅立ったと考えられていますね。
スィリーズ伯爵はそう、教えてくれた。
何百年もの昔に、こちらに旅立った聖王家の人がいるのだ。
——「裏の世界」はこちらから見て「裏」と言っているだけです。え、この世界の裏側に存在しているまったく同じ世界だと言われていますな。「盟約」は「裏の世界」と取り決めた「天賦珠玉」に関するルールだそうです。
ウサギの特級祭司エルさんがそう言っていた。
——え、もとより、「裏の世界」については現在は観測できませぬ。太古の昔には行き来があったようですが、その往来を止めるために世界をつなぐ門を閉ざしました。
行き来ができた、ということは僕らにとっては希望だ。
僕にとっては向こうからこっちにきたのは調停者だったり環の蛇だったりとろくな来客ではなかったけれど。
エルさんは「裏の世界」についてこんな推測をしていた。
——天賦珠玉は「神が与えたもの」……ですが一方で「循環するもの」でもあると考えています。え、そう言っているのは聖王宮ではわたくしめだけですがね。こちらの世界で消えた天賦珠玉は、「裏の世界」に行き、「裏の世界」で消えた天賦珠玉はこちらの世界に来るのではないかと。
その後、ヒンガ老人の名前を出されたのでそれ以上は聞かなかったのだ。
それがメチャクチャ悔やまれる……。いや、でもしょうがないよね!? まさか自分が「裏の世界」に来るなんて思わないもんね!?
「レイジさん」
木々のまばらな森を歩きながらアーシャが言った。
話してみると僕らは同い年だということがわかり——エルフは20歳過ぎに見た目が固定されて何百年も生きるようだけれど、今はアーシャも成長盛りなのだそうだ——僕だけ「アーシャ」呼びは気まずいから呼び捨てにして欲しいと言ったのだけれど、僕の敬語同様、アーシャも「さん」付けが抜けないらしい。
「水の気配がしますね」
慎重に言葉を発すれば火花が出ないほどまでにアーシャの【魔力操作】は上達していた。
アーシャは天賦こそなかったものの、森のエルフを統べるハイエルフとしての才覚なのか、どちらへ向かえば人里がありそうなのかを導いてくれた。
まあ、勘ということだけれども。
「表の世界」と同じ世界ならば、こちらにも人がいるだろうというのは僕の読みだ。
エルさんやヒンガ老人の考えが正しければ、「裏の世界」の天賦珠玉も消滅しなければ「表」へ循環せずに溜まってしまう一方のはずだし。
「小川ですね。小魚もいます」
30分ほど歩いてせせらぎを発見して、僕はホッとした。水があれば10日以上は生きていけるはずだが、あちこち歩き回る体力は無くなる。鉱山を抜け出したときにひもじい生活を経験してから、僕は二度と味わいたくないと思っていたのだ。
魚がいれば多少腹もふくれる。
「この先にさらに大きな水の気配がありますわ」
「行きましょう」
小川は小川のままだった。だけれど、木々が切れていきなり視界が開けた——そこに広がっていたのは、
「湖……?」
霧が立ち込める、薄暗い湖だった。
広く、静かで……風がそよいでさざ波が立っていた。
僕とアーシャは思わずその光景に見入った。まるで向こうには黄泉の世界でもあるような——そんな神性を感じたのだ。
「……見慣れぬ格好だぬ」
声を掛けられてぎょっとした。警戒していたはずなのに、ここまで近寄られるまで気づかなかった——湖に目を奪われていたからだ。
そこにいたのは、麻で織られたボロ布を羽織っていたレフ人——レフ人によく似た爬虫類タイプだけれど、その肌の色が白っぽい亜人だった。肌の色さえのぞけばその他の構成要素はレフ人とまったく同じだと【森羅万象】は分析していた。
年齢は不詳だが、落ち着いた物腰なのでとうに成人はしているだろう。
「地底人に、ダークエルフか? ふうむ、それにしてはふたりとも肌の色がずいぶんと明るいぬ」
「……あなたはレフ人ですか?」
「レフ? なんだぬ、それは」
やっぱりこちらは「裏の世界」なのだ。「レフ」についてこの人は知らない。
それよりも僕は、言葉が通じることに驚いていた。少々、謎の語尾がついているけど。
「いえ……僕はレイジと言います。こちらは——」
「アナスタシアですわ。あなた様のお名前をうかがっても?」
アーシャは火の粉ひとつ飛ばさず、慎重に言葉を発した。
「キミドリゴルンというんぬ」
……なんか妙な名前だな。いや、まあ、人の名前をどうこう言うのはよくないけど。
「ふうむ、察するに君らは、その肌の色から異端児だと見られ、故郷を追われたのだと見た」
「ええと実は——」
「いや、構わない、構わない。無理に詮索しようとは思わないんぬ。人には言いたくないことだってあろう。この我もまた、崇高なる研究に無理解の市民から逃れ、この霧白漣湖のほとりで研究を進めているのだからぬ」
額に手を当て、「ぬり……」と悩ましげなため息を吐いているが、「ぬ」って語尾、なんか変化するの?
この人アレかな。人の話を聞かないタイプかな?
「キミドリゴルンさん」
見た目は白いのに黄緑なんて言わなきゃいけないので僕の脳がちょっとバグりそうになる。
「なんだぬ?」
「町は……近くにあるのですか?」
「ある」
「ではそこまでの道を教えては——」
「なに? 我が崇高なる研究に興味があるんぬ? そうか……しかしこの研究は本来門外不出。今日会ったばかりの者においそれと見せるワケにはいかないのだが、しかしどうしても見たいというのなら考えてもいいが……どういうつもりぬる?」
どういうつもりもなにもなく、町に行きたいだけです。
「そうか。どうしても見たいか」
「いやなにも言ってないです」
「こっちに来るぬら!」
やっぱり「ぬ」が変化してる!
ウッキウキでキミドリゴルンさんは僕らを先導して歩いていく。僕とアーシャは顔を見合わせ、しかしとにもかくにも彼についていこうとうなずきあった。
僕らが出会った「裏の世界」の第一村人は、レフ人によく似た、ちょっとイカれた感じの研究者だったのだ。




