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第6話:冷やし中華は三度まで

 その後、三人の帰り道は月音の話で持ちきりであった。

青葉は高校の最寄駅で反対方向に帰るレミと分かれると、幸平と一緒にちょうど来た電車へ乗り込んだ。

幸平は未だ心ここにあらずといった様子で、にやけたり頻繁にため息をついたりしている。

これほど考えていることが顔に出る人間はそうそういないに違いなかった。


「なにはともあれ、お友達作戦大成功だな」

「あんたアレまだ続いてたの?」

「あたりめーだろ。オレは諦めない男なんだ」


 諦めないというよりストーカーもどきって言ったほうがいいんじゃない?と青葉は一人ごちた。


「しかし作戦は成功したが、払った犠牲が大きすぎたとは思わんかね?青葉隊員よ」

「なんのこと?」

「ばか、お前俺のために死にかけたろうが」

「アンタのためじゃなくて、月音さんのためだけど」

「どっちでもいいけどよぉ。オレ本気で心配したんだからな」


 青葉は彼が自分の事故を目の当たりにした人間だったことを思い出した。

ふきは現場にいなかったため詳しいことを知らなかったが、幸平に聞けばなにかしら分かるかもしれないと青葉は思った。


「ちょっと聞くけどさ。アタシが引かれそうになった時って、どんな感じだった?」

「どんなも何もねぇよ。お前が走ってるところにダンプが突っ込んできてよ。ぶつかるって思ったら、いきなりひっくり返ったんだよダンプが」

「ひっくり返ったって?」

「なんかこう、風にあおられる感じでふわっと横倒しになったんだよ。お前はビックリしたのかいきなり倒れちゃうし。救急車呼んだりで大変だったんだからな。今度オレとレミになんかおごってくれよ」

「レミにはおごるけど、アンタは約束の午後ティーと菓子パンでおあいこってことで」


 幸平は文句を言いたそうにしていたが、電車がすぐ目的の駅に到着してしまったため、言い損ねたようだった。

冷房のきいた車内から一歩進み出ると、途端に熱気が青葉の体中を包んだ。

空は相変わらずギラギラとした日差しが容赦なく降り注いでいるし、油蝉・ミンミンゼミ・クマゼミの三重奏が余計に暑苦しさを加速させている。

青葉はとっとと家に帰ってサイダーでも飲もうと思い足を速めたが、中年の男と腰の曲がった老婆がもめているのを見て、その足を止めた。


「小汚ねぇババアが。まともに歩けないんなら外で歩くんじゃねえよ」

「あなたがぶつかってきたんでしょう」

「るせぇ、殺すぞくそババア!くせえ年寄りは大人しく家で寝てりゃいいんだよ!」


 会話を聞くかぎりだと、ホームで男と老婆が衝突してしまったようだった。

そんなの道を歩いていればよくあることだが、男は傍目にもおかしいほど激高し、老婆を一方的に怒鳴りつけていた。

大声でひるんだ老婆が何も言わなくなったのをいいことに、男はますますヒートアップしていく。


「すくねぇ年金でちまちま暮らしてる死にぞこないが。生きてるだけで迷惑かけてるくせに、わざわざ外出て人にぶつかるたぁどういうつもりだ?こっちは日夜日本のために働いてるサラリーマン様だぞ。申し訳ないと思うならこっから電車にでも飛び込めよ。なんなら俺が突き落としてやろうか?お前見たいな年寄りは、そのほうが世のため人のためになるんだよ!」



 青葉は男の罵詈雑言が聞くに絶えず、このままでは老婆に暴力すら振るいそうだったので、思わず間に入った。

幸平が止めようとしたが、青葉はそれをあえて無視する。


「ちょっとオッサン、そこまで言うことないんじゃないの?」

「何だぁてめえ、殺されてぇのか!」

「やれるもんならやってみれば?」


 男は小太りで、顔は表情筋がないのか異様に老け込んでおり、着ているスーツも皺だらけで非常にみすぼらしいなりをしていた。

小柄の上に背筋は曲がっており、目は真っ黒で光がなく、まるで空洞のようである。

青葉は男の腐った内面が外見にまで現れているんだろうと思い、気分が悪くなった。


「だいたいアンタ、自分で自分のことサラリーマン様だとか言ってるけど、あんた一人で日本支えてるわけじゃないじゃん。ここにいるおばあさんのほうが今まで生きている間に、アンタよりよっぽど社会に貢献してるっつーの。てゆーか自分より弱そうなおばあさんにあんなこと大声で怒鳴るなんて、頭どうかしてるんじゃないの?」


 いつの間にかまわりに集まってきていた野次馬たちが、青葉の言葉を聞いて一斉に拍手をした。

みな口々に青葉の味方をし、反論しようとした男へ容赦なく野次を飛ばす。


「いいぞ。お嬢ちゃんの言うとおりだ」

「このクズ野郎なに威張ってやがる」

「もっと言っちまえ」


 青葉を支持してわき立つ群集に分が悪くなったのか、男は口元と目元を痙攣させながらトマトのように顔を真っ赤にする。

男は充血した目で穴が開くほど青葉を睨むと、無言のまま走り出し、ホームの階段を凄い勢いで降りて行った。

なんてどうしようもない人間だろうと、青葉は怒りを通り越して情けなささえ覚えた。

男がいなくなると青葉は老婆にいたく感謝され実にいい気分だったが、幸平は浮かない顔で何か言いたそうにこちらを見ていた。


「どうしたの幸平?もしかしてあたしが羨ましいんじゃないの」

「ちげぇよ。お前ってさ、ほんと後先考えないよな。もし殴られたらとか考えないのか?」

「アンタってほんと情けないね。こういうのが今の日本をだめにするんだ」

「あのなぁオレはお前のために言ってやってるんだぞ」

「あんただって知ってるでしょ。あたしがああいう奴が大嫌いだって。弱い奴に日ごろの鬱憤ぶつけてる奴って、許せなくてさ」


 幸平はしばらく無言のままだった。


「もしかして、千代子のこと気にしてるのか?」

「――え?」

「あいつが死んで、いや殺されてからちょうど2年になるけど……。」


 青葉のもう一人の幼馴染、千代子が殺されたのは中学二年の夏休みの時だった。

遊びに行った帰り道で青葉と別れを交わした直後、千代子は全身を無数の穴だらけにされて死んだ。


「そういえばあたし、チョコが死んだ時のこと、最近夢で見た気がする」

「青葉……。」

「まだ、2年しかたってないんだよね。犯人見つかってないし」

「まだ二年しかたってないんだろ?きっと見つかるに決まってらぁ」

「事件の直後は犯人はあたしが捕まえてやるなんて言ったりしてさ。今考えると笑っちゃうよね」


 千代子は青葉の一番の親友で、二人は小さな頃からどんなときもずっと一緒にいた。

髪型はおそろいの二つ結びにし、背格好も良く似ていたため、後ろから見たらまるで双子のようであった。

彼女が殺されたとき、警察もマスコミも犯行現場などの状況からすぐに犯人が見つかると考えていた。

しかし犯人を捕まえるどころか凶器の特定さえできず、やりきれなくなった青葉は千代子の49日で、幸平に「あたしが犯人を捕まえてやる」と叫んだのだった。


 それから青葉は彼女と同じだった髪型をやめ、長くて真っ直ぐだった髪も耳まで切った。

千代子とおそろいで良くはいていたスカートも一切はかなくなり、制服の時以外は全てズボンで過ごすようになった。

彼女を殺した人間は、きっとか弱い中学生にしか相手にできない、弱くて卑怯者なんだと考えた青葉は、ますます正義感が強くなった。

時にはいじめっ子と取っ組み合いの喧嘩をすることもあったし、理不尽な教師に立ち向かうこともあった。

青葉の無茶ぶりを知っている幸平が今日止めにかかったのも、無理のないことだった。


「でも、今のこととチョコのことは全然関係ないから。ほら、あたしって昔から正義感強いほうだったでしょ?生まれつきの性分なんだよね」

「それならいいんだけどよ。あんま無茶すんなよ。この間の事故みたいに何時も上手くいくとは限らないんだからな」


 青葉はそれぐらいのことなどすでに百も承知であったが、彼の気持ちを無駄にしたくなかったため、素直にうんと言っておいた。

しかしどんなに危険だろうと、青葉には譲れないものがあった。

たとえ自らが傷ついたとしても、千代子のような理不尽な目にあう人間を少しでもなくせたら。

それが青葉がした絶対の決意であった。


 駅から各自の家に着くまで、青葉と幸平は互いにほとんど喋らなかった。

普段は軽口を叩き合いながら帰るため、二人が無言で帰宅するのは極めて珍しいことである。

青葉が店の裏にある玄関から家に入ると、台所から流れてくる冷やし中華の甘酸っぱい匂いが鼻をついた。

梅雨が開けてからというもの、二日にいっぺんの割合で昼食に冷やし中華が出されており、好き嫌いのない青葉でもいい加減うんざりしていた。


「お母さんまたぁ?いい加減冷やし中華飽きたよ」

「これで家にある分全部だから我慢しなさい。嫌なら食べなくていいわよ」

「食べるけどさぁ」


 ぶつぶついいながら青葉が2階に上がろうとすると、ふきが台所からまん丸の顔を出した。


「そうそう今日の朝おじいちゃんから電話があったのよ」

「おじいちゃんから?珍しいじゃん。何年ぶりだろ」


 青葉の祖父、神代金治とその実の息子である鉄和は非常に仲が悪く、電話のやり取りすらほとんどしていなかった。

良くも悪くも適当に要領よく過ごしている鉄和と金治は性格からして合わないらしく、嫁であるふきの方が金治とずっと仲が良いほどである。


「まさかおじいちゃん、病気でもしたとか?」

「ううん。さすがに何年もアンタの声を聞いてないから寂しくなったらしいわよ。今どうしてるか聞いてきたから事故のこと少し話したんだけど、そしたらえらく心配したみたいでねぇ」

「そりゃなるっしょ」

「自分が元気なうちに顔を見たいから、明日良かったら遊びに来ないかだって」


 金治の家に行ったのは、青葉が幼稚園の時以来である。

金治は大正時代に作られたという広い洋館に住んでおり、同じ古い木造建築でも大森家とは比較にならない程立派な家だったという記憶が、青葉の中に僅かながら残っていた。

青葉も詳しくは知らないが、当時金治はとある大企業の会長を勤めていたらしい。

今はどうしているか分からないけれども、きっと優雅に引退生活を楽しんでいるのだろうと青葉は思った。


「あたしはいいけど、お父さんはどうなの?」

「嫌だってごねてたけど、少しは老い先短い親のことも考えろって説教してやったわ。それでね、おじいちゃん仕事の関係でリオン君の直筆サインもらったんだって。自分には必要ないし、良かったら青葉にくれるって言ってたわよ」


 青葉は親孝行はただの大義名分で、リオンのサインがふきの真の目的に違いないと直感した。

ふきが三度の飯よりリオンが好きで、彼のためならどんな手段も厭わないことは、娘である青葉が一番良く知っている。

鉄和も親孝行云々の説教に心を打たれたわけではなく、リオンが絡んでいるなら仕方ないと諦めたのだろう。

彼の番組は決して見逃さず、ライブには必ず顔を出し、全国ツアーは必ず三ヶ所以上行くふきを止められる人間は、大森家に存在しなかった。


 青葉が「サインは母上に献上(つかまつ)る」とふきに約束すると、今日の晩御飯はアジの開きから焼肉にクラスチェンジした。

思いがけないご馳走に青葉は舌鼓をうち、金治のことでむっつりしていた鉄和の機嫌も治り、焼肉の効果は実に偉大であった。


 楽しい夕食を終えると、青葉と鉄和は居間のちゃぶ台を囲んでテレビをつけた。

特にめぼしい番組がなかったためとりあえずニュースにしたところ、ちょうどこの近くで起きた殺人事件を取り上げていた。

「戦慄、深夜の公園に押し潰されたカップルの死体!震え上がる隣人たち」という字幕が、おどろおどろしいフォントで画面に踊る。

これではニュースだかワイドショーだか分からないが、二人は他に見るものもなかったし、何より近くで起きた事件のため、チャンネルはそのままにしておいた。


 画面の中では女性リポーターが深刻な顔をしてカップルの死体が発見された公園に行き、事件の内容と発見当時の様子を解説している。

彼女の話だと、カップルは原形をとどめないほど全身を何かで潰されて死んでいたという。

警察も凶器に何が使われたのかさえ見当が付かず、目撃証言も今の所出ていないらしい。


「こええな。青葉も気をつけろよ」

「……うん」


 凶器に何が使われたのか見当が付かず、目撃者もいないというところに、青葉はデジャヴを感じていた。

千代子が殺されたときも、全身を無数に穴だらけにした凶器がなんであったのか最後まで分からず、目撃証言も出なかった。

青葉は似たような事件がまた起きてしまったことに、少なからずいら立ちを覚えた。


 青葉はもう少しニュースを見ていたくなったが、7時を回った所でふきが食器洗いを終え、「ちょっとアンタたち、リオン君が出るからチャンネル変えてよ」と頼んできた。

青葉も鉄和も抵抗は意味がないと分かりきっていたので、大人しくチャンネルを変え、テレビが一番良く見える席をふきに明け渡した。

ふきは画面に移ったリオン眺めて、ご満悦だとばかりにたっぷりしたほっぺをツヤツヤさせる。


 リオンの容姿は相変わらずすばらしく、ワックスで軽くハネを作ったコルク色の髪が、彼の露出させた白い素肌に良く似合っていた。

年頃の少女なら間違いなく夢中なるほど魅力的な外見なだが、青葉はやはり彼のことが好きになれなかった。

ふきだけでなく、レミもその他のクラスの女子もリオンにぞっこん首ったけで、そこまでのめり込めない青葉は微妙に疎外感を感じていた。

みんなと同じアイドルを好きになれないのは、馬鹿らしいようで深刻な悩みである。


 番組がCMに入ると、ふきは台所に戻って冷蔵庫をあさり始めた。

青葉は経験上、この後何が起きるかはだいたい分かっていた。


「あーなんだか興奮したら小腹空いちゃったわ。焼肉の後だし、アイス食べたいな。あら、アイスもう全部食べちゃったみたい。ゴメン青葉アイス買ってきてくれない?」

「えー、やだよ。めんどくさい」


 青葉は内心やっぱりと思いつつも、一応口では文句を言っておいた。


「じゃあ何?わたしにリオン君と離ればなれになってまでアイス買いに行けっていうの?わたしの人生唯一のオアシスを奪い取るつもり?」


 ふきは一旦こうなってしまったら、青葉が動くまで嫌味を言い続ける。

青葉は諦めと自分もアイスが食べたかったのもあり、「じゃあコンビニ行ってくる」と言って、財布を握り締めて家を出た。


 もう日が暮れたというのに、外は昼間と同じで蒸し暑いままで、今夜が熱帯夜なのは間違いなかった。

青葉の家は古い商店街のど真ん中にあるため、コンビニのような小洒落たものはなく、最寄の店まで片道十分はかかる。

青葉はこんなじめじめした空気の中を往復20分も歩く気はなかったので、間にある公園を通って近道をすることにした。


 公園の中は人気がなく、街灯がところどころぼんやり光っているだけで、虫の声がとても良く響いていた。

公園の周りは小さな林に囲まれているせいか涼しく、青葉は気持ちがよかったが、誰もいないのは正直心細いので、歩くスピードを上げる。

青葉がちょうど公園の中央のあたりに来ると、突然背後で物音がした。


「おいこのクソガキ、昼間は良くもやってくれたな!」


 驚いて青葉が振り返ると、昼間老婆にからんでいた男が街灯の下に立っていた。

男は昼間と同じみすぼらしいスーツに、なぜか身長の五倍はある赤くて分厚いマントを背負っている。

青葉は自分をここまで見張っていた男の執念と、そのまともではない格好に背筋が凍る思いがした。


「アンタ一体何のつもり!?昼間の仕返しに来たわけ?」

「仕返しなど低俗な理由ではない!俺はお前を裁きに来たんだ」

「裁く?あたしが何したっていうんだ」

「黙れ!この俺を公衆の面前でさんざんコケにしてくれたろうが!しかも周りの人間まで煽動しやがって、このあばずれが。俺はあの時社会正義を実現しようとしたんだ。てめえのような人間がこの日本を腐らせてるんだ!」


 この男が普通の精神状態でないことは、火を見るより明らかである。

しかし直情的な青葉は、男の妄言に思わず叫ばずにはいられなかった。


「はぁ?社会正義?弱そうなばあさん怒鳴りつけるののどこが社会正義っていうんだ!!」

「この俺のような崇高な人間に害をなすババアに教育をしてやったんだ。充分な社会正義だろうが!」

「アンタばっかじゃないの!」


 青葉はそう叫ぶと同時に体を半回転させ、公園の出口に向かって走り出した。

もともと走りには自信があったし、体のたるんだ中年男が早く走れるとも思わなかった。

 

 青葉が後ろを振り返って様子を見ると男はまだそこにいたが、彼の羽織ったマントが一瞬うねったような気がした。

風もないのに気のせいだろうと青葉は再び駆けだしたが、その頭上を大きな影がよぎった。

青葉は驚き、つい立ち止まって上を見上げる。

信じられないことに、上空には男の身に付けている赤いマントが天を覆うかのように広がっていた。

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