第5話:天女降臨
青葉は昨日の興奮が冷めないまま、珍しく時間に余裕を持って登校した。
なんのことはない。
あまりの事態に気が動転してしまい、眠らないまま朝を向かえたため、寝坊したくてもできなかっただけである。
青葉はもともとオカルトの類を信じていなかっただけに、自分に超能力があると分かった驚きと喜びは一際大きかった。
スプーンがくの字に曲がった瞬間を思い出すと、未だに体が震えるほどだ。
なぜ自分が超能力に目覚めたのか、青葉は夜中の間たっぷり考えたが、もしかしたらあの事故が原因ではないかと思い至った。
青葉が教室の扉を開けると、クラスメイトたちが一斉にこちらへ視線を向けてきた。
心配そうな顔をしているのがほとんどだが、中には色々聞きたそうにしているやつもいる。
既に登校していたレミと幸平は青葉の姿を見ると、一目散に駆け寄ってきた。
「青葉、無事だったんだね。心配したんだよ〜」
「まったくあん時は心臓止まるかと思ったよな」
レミは小柄な体で青葉に抱きつき、二人は感動の再開を果たした。
幸平は腕を組み、渋い顔をして無言のままうなずく。
遠巻きに様子を見ていたクラスメイトたちもだんだん集まり出し、にわかに青葉の周りは人だかりとなった。
みな口々に「大丈夫」「何があったの」と聞いてきたが、「さすが大森、不死身だな」と感想を述べる輩もいた。
しかし教室にいるのは好意的に青葉を気にかけるものばかりではなく、いつも青葉につっかかってくる藤野と鎌井は、教室の隅に固まって、聞こえよがしに陰口を叩いていた。
「ちょっと注目されたくらいでへらへら笑って、マジきもいんだけど」
「チョーシのってんじゃねー、ってカンジだよねー」
青葉が睨んでやると二人は視線をそらし、くすくすと馬鹿にするように笑った。
相手にしないのが一番の対処法なのだろうが、負けん気の強い青葉はせめてひと睨みくらいしないと気が済まなかった。
藤野と鎌井は入学式の時から青葉を目の仇にし、以来ちょっとした時に嫌味や悪口を投げつけてくる。
青葉はなぜそんなに嫌われているのだろうと不思議だったが、人から聞いたところによると、青葉と藤野の髪型が良く似たベリーショートのため、むこうは「キャラがかぶる」と憤慨しているらしかった。
鎌井のほうは中学以来藤野の腰ぎんちゃくなため、彼女の敵は自分の敵ということで、一緒になって攻撃してくるらしい。
今日は1学期最後の日だったため、全校生徒がグラウンドに整列する中、終業式が行われた。
容赦なく真夏の直射日光が降り注ぎ、生徒が一人二人と倒れていく。
この暑さは寝不足の青葉の体にも相当応えるはずだったが、信じられない力を手に入れた喜びと夏休みの開放感から、そんなものは屁でもなかった。
青葉は目覚めた超能力で一体どんなことができるのか、校長が話している最中ずっと考えていた。
テレビに出て全国の有名人になるのもいいし、正義のために超能力で悪に立ち向かうのもいい。
夢は無限に広がっていったが、チャーミアン沙希子のようにインチキ扱いされるのは嫌だったし、悪と戦えるほどたいそうな能力が自分にあるとは思えなかったため、結局いい使い道は思い浮かばなかった。
終業式のあと大掃除をし、最後の締めにそこそこの通知表をもらって、青葉は1学期を終えた。
普段どおりレミと幸平と一緒に校舎を出ると、なんとなく校門の辺りが騒がしいことに気付き、三人は顔を見合わせた。
青葉はあまり野次馬な性格ではないが、校門は一つしかないため仕方なしにざわついているほうへ向かう。
古びてコンクリートがはげかかった校門の隣には、背筋をピンと伸ばした幸平愛しの彼女が、所在なさげにたたずんでいた。
通りがかる三藤校生徒がすれ違いざまに彼女へ視線をやり、顔を執拗に眺めたり口笛を吹いたりする。
ざわつきの原因は間違いなく彼女だったが、騒ぎが起きるのも仕方ないほど魅力的な人だと青葉は思った。
幸平は思いがけず彼女に会えた喜びとときめきで、傍目にも分かるほどぎこちないそぶりになっていた。
「おい。なんで彼女がいるんだよ」
「あたしが知るか。彼氏でも待ってるんじゃないの」
青葉の返事により彼は一気に天国から地獄へ叩き落とされ、顔が真っ青になった。
片思いってツライのね、と呟きながら青葉が門を通り過ぎようとすると、彼女がぱっとこちらを向いた。
「あの、この間は大丈夫でしたか?」
最初は別の人に話しかけているのかと思ったが、周りを見ても誰もいなかったため、ようやく自分にむかってそれが問いかけられたのだと分かった。
青葉が驚いていると、彼女はつややかな唇で極上の微笑を作った。
「ああ良かった。無事だったのですね。救急車で運ばれてからどうなったのか分からなくて、心配しておりました」
「い、いえいえ全然だいじょぶですよ。」
「あなたの制服に心当たりがあったので、何か手がかりがないかとここに来たんです。まさかあなた自身とお会いできるとは思いもよりませんでしたが」
耳に心地よい滑らかな声でお上品に話されると、ガサツを自覚している青葉は少々居心地が悪くなった。
身に纏う雰囲気といい話し方といい、彼女が庶民と一線を画するお嬢様であることは想像にかたくない。
思わぬ天女の降臨に、幸平は口を半開きにして鼻の下を伸ばし、見るに耐えない間抜け面を無意識のうちに彼女へ晒す結果となっていた。
もっともそれに気が付いたレミが彼の足を思い切り踏みつけたため、すぐに元の顔へ戻ったのだが。
「申し訳ありません、名乗るのを忘れておりましたわ。私、星見院月音と申します」
「ほ、ほしみいんさん?」
「月音と呼んでくださって結構ですわ」
「えっとじゃあ月音さんで?あ、あたしの名前は大森青葉デス。青葉って呼んでネ」
相手の空気に飲まれ、挙動不審になった青葉を、レミが何か言いたげに軽く引っ張った。
レミは人見知りのため、初対面の人物を相手にするとどうも上手く話せなくなってしまうらしい。
「どうかしたの?」
「ちょっと思ったんだけどさ。もしかしてこの人、星見院鉄鋼とか、星見院不動産のと関係あるのかな?」
「まさか、あの星見院グループと?」
星見院グループとは、戦前華族でありながら商売により巨額の富を得て財閥をなし、戦後財閥解体の憂き目に会いながらも再び威勢を取り戻して、現在いくつもの大企業を抱えている巨大企業群である。
不動産、鉄鋼、流通などその分野は幅広く、主要な企業のトップには創始者の一族が君臨しているという。
政治経済に疎い青葉でも、星見院と言えば財界政界共に大きな影響力を持っていることぐらいは知っていた。
「いくらなんでも、そんなお嬢様がこんなとこブラブラしてるわけないっしょ」
「お嬢様かどうかは分らないですけど……。星見院グループは私の一族が中心となって、経営しておりますが」
三人が叫んだのはコンマ1秒単位で同時だった。
「ええええ!マジで!?」
「はい。おかげさまで6代前から続いております」
青葉は叫んだあと口を閉じるのも忘れて二三歩後ろへ下がった。
星見院グループのご令嬢といえば、当然想像を絶する資産と権力を持ち歩いているに違いない。
青葉は彼女が並々ならぬお嬢様だろうと前から思っていたが、まさか日本有数の資産家の娘だとは、予想の範疇をはるかに越えていた。
そんなお嬢様がこんなボロッちい公立高校の空気を吸ってアレルギーを起こさないのかと、青葉は本気で月音が心配になった。
しかし当の本人である月音は青葉たちが驚いている理由が本気で分からないらしく、不安そうな顔をしていた。
「もしかして私、何か変なことを?」
「あっ、ゴメン!気にしないで。ちょっと驚いただけだから」
「良かった。私しょっちゅう変なことをするらしくて、周りの方々に良く見られるんです。先ほどもここに立っていたら、ここの生徒がずっとこちらを気にしてましたの。私そんな変な格好で立っているのかしら」
青葉はそれは変だからじゃなくてあなたが素敵すぎるからですよ、と心の中で呟いた。
スーパーお嬢様は見た目に似合わず、なかなか天然キャラらしい。
だがこんな性格でそこらへんをプラプラしていたら、あっという間に悪者に攫われてしまいそうである。
それとも自分が気がついていないだけで、実はそこら中にボディーガードが隠れているのかもしれないと考えると、青葉は少し不安になった。
「青葉さん、まさかそんな。ボディーガードなんて隠れていませんよ」
「あれ、アタシ口に出してた?」
「ああ、私ったらまたやってしまいましたわ!」
青葉には理由がよく分からなかったが、月音は急に赤面して顔を両手で覆う。
赤面しながら目をうるませている月音は妙に色香が漂い、そっちの趣味がない青葉でも思わずドキッとした。
幸平に至っては今にも鼻血を噴出して、そのまま出血多量に陥りそうな勢いだった。
「ごめんなさい青葉さん。悪気はなかったんですの」
「なんで謝るの?月音さん何もしてないじゃん」
「でも……。」
「あたしなんも気にしてないよ」
月音はお嬢様だから些細な事にも気を使ってしまうのかもしれないと青葉は思ったが、実の所何に気を使ったのかすら分かっていなかった。
「青葉さんて優しい方なのですね。それから、急で申し訳ありませんがお願いがあるんですけど……。」
「お願いってなーに?」
「私とお友達になってくれませんか」
幸平の肩がぴくりと震えた。
「全然かまわないよ。むしろこっちからお願いしますってカンジ」
「まあ、青葉さんのような方とお友達になれて嬉しいですわ」
青葉はこんなガサツな自分のどこがいいのだろうと正直思ったが、月音のような素敵な友人ができるのは素直に嬉しかった。
ここにいるレミと幸平とも友達になってあげてと言いたかったが、それを口にするより早く黒塗りの高級車が月音の横に止まり、運転席から執事らしき初老の男性が首を出した。
「月音様、約束のお時間です」
月音は残念そうな顔をして青葉に別れを言い、車に乗り込んで三藤高校の前を後にした。
あまりにタイミングが良かったので、あの執事は自分が月音と話している間中、ずっとこちらを見張っていたのではないかと青葉は勘繰った。