第39話:凡人の烙印
リオンは松葉杖によりかかり、まるでそこにいることが当然のように立っていた。もう片側の空いた手にはもちろん黒い杖――自在杖がある。
「リオン――何でここに!?」
「嫌な予感したから来たんだよ。案の定こうなってたわけだけど」
彼はいつもどおり帽子をかぶりマスクとサングラスをしていたが、呆れているのが声で充分分かった。
しかし呆れられても軽蔑されても、青葉にはやらなければいけないことがある。
「ゴメン。邪魔しないで」
「ヤダ。邪魔するに決まってるでしょ」
「どうして?コイツのせいで何人死んだと思ってるの?生かしとくわけにはいかない」
「そりゃ気持ちも分かるけどさぁ」
張り詰めた状況にもかかわらず、リオンはどこか呑気な口調だった。まるで世間話でもするかのような彼の調子が、わきあがった青葉の殺意に水を差す。
「ゴメンあっち行って」
「無理。だいたい何で青葉がやらなきゃいけないワケ?」
「え?」
「何で青葉が人を殺さなきゃいけないワケって聞いてるの」
「それは……チョコが……」
「嫌だよ。僕は青葉が人殺しになるなんて絶対嫌だからね」
リオンの言葉は静かだったが、有無を言わさぬ強い意思が感じられた。
「こんなヤツ、ほっといても内側から腐ってすぐ死ぬよ。この顔色見てごらん。赤マントの時と一緒でしょ」
「でも……あたしコイツが死ぬのを黙って見てるなんてできない。チョコだって藤野だって、顔も分からないくらいぐちゃぐちゃになって死んだのに」
「そうだね。確かに不平等だよね。でも僕は青葉が人を殺す方が嫌なんだよ」
リオンの言葉は説得にもなっていなかった。だが変に同義的な理由を述べられるよりも、冷静になれるのはなぜだろうか。
「リオン、アンタ……ワガママすぎ」
「うん知ってるよ。だからなに?」
「ちょっ開き直った」
「そうだよ。僕がとにかく嫌なんだ」
リオンは断言したかと思うと、いきなり青葉に向かって深く頭を下げる。
「だから青葉お願い。人殺しにならないで下さい」
突然のリオンの行動に青葉は激情も忘れてつい後ずさった。彼が青葉に向かって頭を下げるなんて、丁寧語を使うなんて、出会ってこの方始めての出来事である。
青葉はその行動に驚くと共に、自分がしようとしていたことの重大さにようやく気がついた。
自分はたった今、そこで腰を抜かしている大賢者と同じように人を殺そうとしていたのだ。たとえ人を二人殺した奴とはいえ、殺人は殺人である。その行為が意味するところはあまりにも大きい。この先青葉が背負いきれないくらいには。
「リオン、あたし今――」
青葉の全身からゆるゆると力が抜けて行く。それと同時に夜空に揺らめいていた生命布も地に落ちた。リオンは地面に横たわったそれを拾い上げると、呆然としている青葉に向かって手渡す。
「ハイどうぞ。コレで君の出番はもうおしまい。後は僕にまかせて」
リオンはにやりと笑った。サングラスとマスクで顔はさっぱり見えないが、確かに笑っているように青葉には見えた。それが青葉を安心させるための笑みなのか、それとも大賢者への挑発的な意味なのかは分からない。ただ青葉は彼が来たからにはもう大丈夫だろうと思った。
普段は小学生より子供っぽくて、変にひねくれているリオンだが、決めるときは決めてくれる。最初に出会ったときも病院にいたときも、そして青葉が部屋に閉じこもったときもそうだった。いつもはダメダメなくせに、肝心なときだけずるいのだ。
「そこで腰を抜かしてる間抜け、聞いてる?」
リオンは這いつくばっている大賢者を目を向けると、手にした自在杖を彼の鼻先につきつけた。いきなりの出てきた長身の男に得物を向けられたせいか、大賢者の体がびくりとなる。
「僕は君を殺すつもりは無いけど、ゆうこと聞かなきゃこの杖で手足の骨一本一本折るからね。分かった?」
冷え切ったリオンの声に、大賢者がガクガクとうなずいた。アイドルとして声を売り物にしているせいか、彼の声はひどく良く通る。腹に響くような声で脅しをかけられては怯えるのも無理はない。
「分かったなら、足元にその武器を置いて後ろに下がって」
さすがに勝てないと思ったのだろう、大賢者は素直に発明兵器を地面に置くと引きずるようにして後ろに下がった。反撃の隙を与えないよう、リオンは置かれたソレをすばやく取り上げる。
「どう青葉?少しは僕にときめ――」
「ちょっとリオンさん!なんでここにいるんですか!!」
リオンの言葉をさえぎったのは、校門の方から走ってきていた月音だった。後ろには顔を真っ赤にして湯気を出している誠治がいる。
「ちょっ、つくね!いいとこだったのに邪魔しないでよ」
「いいとこもへったくれもありません。だいたい何で貴方怪我をしているのにこんな所で!」
「つくねたちが遅いのがいけないんでしょ。アオバカ一人きりにして何やってんの?」
リオンの反論はもっともだったようで、月音は珍しく言葉に詰まっていた。二三度瞬きすると、彼女は無言のまま誠治の方を眺める。
「ふむううう。拙者が校門を乗り越えられなくて、つくね殿に手伝ってもらってたんでござるよ。それで遅くなりましたであります」
「――と、いうことなんです」
「だったら、この豚置いてくりゃ良かったのに」
リオンは明らかに侮蔑のこもった視線で誠治を一瞥すると、校庭の砂を乱暴に蹴りあげた。
「で、このバカどうする?このまま放すのも癪だしボコボコにしない?」
「やっやめてくれ!警察を呼ぶぞ」
「警察?呼びたきゃ呼べば?どーせ無駄だと思うけど」
「お、お前ら一体……」
「一体って言われてもねぇ?」
面倒くさそうにリオンは肩をすくめ、青葉たちは互いに目配せを送りあう。
「言われてみれば、そうですねぇ――」
「これぞという名前はないでござるな」
「うーん。だよねぇ」
「しいて言えば、新生帝國オカルト局かな?」
青葉の何気ない答えに、妙に考え込んでいた三人がパッと顔を上げた。
「あ、ソレいいかも」
「いいですねぇ」
「異論はないでござるよ」
皆の賛同が得られた所で、月音がパンと手を叩いて大賢者の方に進み出る。
「というわけで、私たちは新生帝國オカルト局です」
「オカルト局だと?」
「貴方みたいな発明兵器を悪用するバカを取り締まるところですよ」
ニコニコと仮面のような笑みを浮かべた月音に詰め寄られ、大賢者の顔に屈辱の色が滲んだ。半分近く揃っていない歯をむき出して威嚇しているが、逆にソレが痛々しい。紫色になった歯茎もところどころ黒ずんでいて、リオンの言うとおり彼の先行きはあまり長くなさそうであった。
「さて大賢者さん、この落とし前はどうつけるつもりでしょうか」
「落とし前?何のことだ」
「とぼけないで!アンタどれだけ人を――!」
青葉は大賢者に掴みかかろうとするが、リオンに片手で制される。月音は悲しそうな目で青葉を見た後、すぐに視線を大賢者に戻した。
「まぁ、どうせすぐに地獄行きでしょうがね。一体なんでこんなことをしたんですか」
「貴様に答える必要はない」
「あら、本当にいいんですか?今話さなければ貴方の思想も行動理念も全て闇に埋もれてしまうと思うのですが」
月音の言葉に大賢者は青葉の目にも分かるくらい動揺していた。元が歪んだ優越感と自尊心に満ち溢れていた男である、自らの「崇高な」考えが誰の目にも触れずに失われることは耐えられないだろう。月音はそれを見越して彼に揺さぶりをかけていた。
「俺は……俺は……」
大賢者はあらぬ方向を見ながら青い唇を開閉させる。彼に見えているのは今までに命を奪った者たちか、それとも自らの理想郷か。
「俺はああするしかなかったんだ。この社会は間違ってるんだ。世間が悪いんだ」
彼の口から出てきたのは、テレビのニュースで二度も三度も聞いたことのある台詞だった。
「世間の奴らは俺のことなんかちっとも分かっちゃいない。大した実力もないヤツがでかい顔して騒がれやがって。あの女子アナ共も東大の奴らもリオンもそうだ。全然分かっちゃいない」
「大して実力もないと、どうして貴方に分かるんですか」
「だってそうだろ。女子アナだの美人アスリートだの、所詮は顔がいいだけの尻軽だ。東大なんて親が金持ってれば誰だって入れる。あのリオンとかいうアイドルだってどーせ中年オヤジに枕営業して仕事取ってんだろ」
大賢者のあまりの言いように青葉は思わずリオンの方へ振り返ったが、当の本人は何ともないよな涼しい顔をしていた。
「ふーん枕営業ねぇ。よくある中傷だよ。つまらない」
「なんだとテメェ」
「よくいるんだよね。好きじゃない芸能人が売れてくると『体で仕事取ってんじゃないの?』とか言う奴が。確かにそういうタレントもいるけどみんなそんなわけじゃないし、仮にソレで仕事取っても人気なければ結局すぐに消えるんだよ」
「テメェにあの業界の何が分かるって言うんだ。あそこは腐ってるんだぞ」
「その台詞そっくり君に返しとくよ。やっかんで枕営業してると思い込む奴に何も言われたくないから」
バカにするようなリオンの態度に大賢者は拳を握り閉めて何か言おうと口を開ける。だがそれをさえぎるようにして誠治が話し出した。
「拙者も一つ言わせて欲しいであります!確かに東大に入るにはそれなりに教育費がかかるでありますが、金持ってれば入れるほど甘くないであります」
「はっ、何言ってる。あんなトコガキのころから塾行って、受験テクニックさえあれば入れる。俺だってもう少し早く予備校に行ってりゃ――」
「ガキのころから塾に行けばとおっしゃいますが、逆に言えばガキのころから塾に行かないといけないということじゃあーりませんか?遊び盛りの子供が塾で頑張るのがどれだけ大変かは知ってるでありましょうぞ?」
「そ、それは」
「受験テクとも言いますが、ABCも分からん輩にテクもクソもござらん!テクだけで東大に入れれば日本人皆東大生でありますよ。だいたい計画的に予備校にも行けない奴がなにをほざく。誰にでも入れるならお主も入れば良かったではござらんか。ひがみカッコワルイ!!」
誠治にたたみかけられて、大賢者は完全に沈黙していた。確かに誠治の言うとおりである。大賢者の学歴がどれほどのものか青葉は知らないし興味もないが、日本最高峰の大学に誰でも入れるというなら入れば良かったのだ。それをしないで「金があれば」「テクがあれば」と言うのは負け犬の遠吠えに違いない。
「まったく『大賢者』の名前が聞いて呆れますね。貴方ただのバカじゃないですか。有名人をひがんで、秀才をひがんで。そのクセ自分は優秀だと思っているんでしょう?」
「だって俺は確かに何でもできて……。でも周りのバカ共が――」
「私も一つ言わせてもらいますけどね。顔が良いだけでは金メダルは取れないし、海外の有名大学も卒業できないんですよ。全部彼女達の実力です」
「違う!確かにあいつらは多少勉強とかができるかもしれないが、運が良くマスコミの目に止まってバカな周りがもてはやしただけなんだ」
「……。一体どうして認められないんでしょうね。理解に苦しみます」
月音は彼との対話を放棄したようだった。外見も能力も家柄も全て揃った彼女にとって、大賢者は話す価値もない理解不能な愚か者なのだろう。
しかし青葉は大賢者がそれを認められない理由が多少なりとも推測できていた。もちろん推測できるだけで共感などできない。だが彼がなぜ頑なに自分より優秀な人間を否定するのかは大まかに予想がつくのだ。
「つくねさん。コイツが何で認められないのか、あたし何となく分かるよ。ムカつくけど」
リオン、月音、誠治、そして大賢者もが無言で青葉の顔を見る。
「認めちゃったらお終いなんだよ、コイツのプライドとかそういうのが」
「それは、どうしてですか」
「運とか親の金とか枕営業だとか、コイツはそうやって自分より凄い人間にケチつけて自分のちんけなプライド守ってるんだ。アイツは運が良かった、顔が良かった、コイツは親の金があったから――だから本当は自分の方が優秀だってさ。あっちが実力だって認めちゃったら、自分が劣ってることも認めなきゃいけないでしょ?」
「違う!勝手なこと言うな貴様!!」
大賢者は顔を真っ赤にして否定したが、それは否定による肯定に他ならなかった。
しかし大賢者はそんなことにも気付かずに、青葉の発言に反論をまくし立てる。
「黙れ!黙れっ!お前みたいな底辺に何が分かる!今の世の中はなぁ、間違ってんだよ。才能がある奴は周りの無能に足引っ張られて埋もれて、媚びるのが上手いやつがもてはやされる!バカな世間はマスコミに扇動されてそいつらを愚かにも有難がるんだ」
「アンタは自分が埋もれてる才能ある奴だと思ってるの?」
「そうだ!俺はお前みたいな凡人とは違う。昔から成績も良かったし、有名大学にも行った。大手新聞社にも入った。だから分かるんだよ。今の世の中大したことない奴ばかりだってな!」
大賢者は立ち上がると、興奮したのか身振り手振りを加えながら演説をかまし始める。
「だけど世間の奴らは何も分かっちゃいない!コネだけで無駄なことばっかり喋るタレント!不況になればすぐに赤字を出す大企業の社長!そんなバカばかり崇め奉る。でも俺は違う。俺ならもっと上手くやれる。あんな奴らとは違う」
「でも、アンタ結局何もしてないじゃん。そんなにできるできる言うなら最初っからやってればいいじゃないか」
「やっぱり底辺だなテメェは。俺がいくらできようと、コネがなけりゃ世間は見向きもしないんだよ。俺だって家が金持ちでもっと親がエラければ……」
「そんなこと言って、本当は何もできないんでしょ」
青葉の突き刺すような一言に、辺りは水を打ったように静まり返った。鈴虫とこおろぎの冷えた音色がことさらに特に大きくなったようにも感じる。
「そんなこと言ってホントはアンタなーんにもできないんだ。人と比べりゃ勉強はできるかもしれないけど、ただそれだけ。目を見張るようなアタマもリオンみたいなカリスマも個性も何もない。アンタだって本当は分かってるんでしょ?」
「な、何を――」
「アンタさっきあたしのことやチョコのこと散々見下してたけど、コレだけは言わせてもらう。アンタはただの凡人だ!」
青葉の言葉はまるで大賢者に対する断罪のようだった。その証拠に大賢者は今の今までバカにしきっていたはずの少女の言葉に愕然としている。
根拠もなく自らを特別な存在と信じ込み、自分以外のすべてを愚かだと切り捨てる人間にとって、平凡の烙印は死刑宣告にも等しい。大賢者は今その宣告を受け、しばらく呆けた後我に返ったかのように鬼の形相で怒り出した。
「テメェ!テメェ何言ってやがる。俺が凡人だって何を根拠に――」
「だってそうじゃないか。何もできない何もやらない。口先ばっかりで吠えることしかしない。はっきり言ってアンタは凡人以下だ」
「なっ――てめっ」
「アンタ本当は自分がただの『庶民』だって分かってる。でも根拠のないプライドは捨てられない。そうでしょ?だから女だの主婦だの底辺だの、そうやって勝手に周りを見下して自分を保つしかできないんだ。それで明らかに自分よりできる人間にはコネだ運だで誤魔化して、自分がただの凡人だと気付かないようにしてる。違う?」
青葉は殺意でも怒りでもなく、ただ哀れみだけをもって目の前にいる男の目を真っ直ぐ見据えた。男は青葉の静かすぎる瞳にたじろぐことしかできないでいる。
「自分ができないのは周りのせい。自分ができないのは自分のせいじゃない。そうやって言い訳して言い訳して――。でも本当は自分が普通だって分かってるから、テレビでチヤホヤされてる人達やアタマがいい人達が憎らしいんでしょ?だからアンタは人殺しに走ったんだ。自分よりできる人間が羨ましくて妬ましくて、だから殺したんだ!!」
いつの間にか鈴虫の声もしなくなっていた。純粋な静寂が暗に大賢者を責めたてているような感じさえ青葉はした。
大賢者は青葉に断罪され、虚のような目をして口をポカンと開けている。
「俺は――」
大賢者の呟きは誰に向かうでもなく発せられていた。
「俺は――。ただの一般大衆だ。誰も何も気にしない通行人Aなんだ」
大賢者は唇を不自然に吊り上げて軽く笑った。
「世間は誰も俺のことなんて知らない。誰にも見向きもされない。俺は一生大衆に埋もれてるだけの人生なんだ」
「そんなの……みんな同じじゃないか」
「バカか!?それが嫌なんだよ!変わり栄えのしない生活!平凡な一生!そんなの何の意味がある!?俺は嫌だ!そんなつまらない人生はいやだ!!」
残り少ない体力で叫んだのが悪かったのか、大賢者はひどく咳き込んでいた。その丸まった背中はとても何十人を殺めた人間のそれには見えない。
「俺は愚昧な一般大衆になんかなりたくないんだ。特別になりたいんだ。サラリーマンになって上司にこき使われて、女房の尻に敷かれる人生なんてやってられるか!世の中には社会にもてはやされる人間がいるのに。俺は――俺はつまらない人間なんかじゃない。平凡な人生に満足してるぬるい人間なんかじゃない。クソみたいな人生送るくらいなら死んだ方がマシだ!」
そう叫ぶと大賢者はいきなりリオンの方に向かって突撃した。とっくに降参したかと思った敵の思わぬ反撃にリオンもさすがに出遅れる。
リオンの隙を突いて大賢者は奪われていた発明兵器を取り戻すと、それを高らかに両腕に掲げた。
「見てろよお前ら!俺は――俺は凡人で終わる男じゃない!!」
大賢者は発明兵器を手にしたまま、勝ち誇った笑みを浮かべる。
しかし次の瞬間、その銀色の発明兵器はなぜか大賢者自身の体をくまなく貫いていた。
「――!?」
目の前に崩れ落ちる大賢者の死体を見ながら、青葉は立ちすくむことしかできなかった。