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第37話:釣り


『釣り』インターネットの掲示板で相手を騙す書き込みをすること。大抵は相手を怒らせたり議論を盛り上げるためにされる。ネットスラング。

 絶えずこみ上げる吐き気をこらえながら、新白崇はパソコンにすがりついた。懸命に気力を振り絞っても視界がぶれ、油断すると意識が飛びそうになる。


 まさか殺したのが別人だったなんて、あの時崇は思ってもいなかった。決して間違えないよう、大森青葉が家を出たときから尾行し、学校に入った後も下駄箱の位置まで確認したのだ。いったいなぜあの時大森青葉とよく似た別人が彼女の下駄箱を利用したのか、崇はいくら考えても分からなかった。


 ただひとつ言えるのは、大森青葉の悪運の強さである。


 彼女は発明兵器を用いた爆発から生き残り、崇の手からも奇跡的に逃れた。まるで天に味方されているかのような強運の持ち主である。


 だがたとえ天を味方につけていようとも、崇は絶対に大森青葉を逃すわけにはいかなかった。


 一度ならず二度までも崇に屈辱を与えた大森青葉。こんなにコケにされたことは生まれて始めてである。


 これまで崇はいつも皆から褒めやそされて人生を送ってきた。成績優秀。スポーツ万能。ストレートで難関私大と呼ばれる大学に入り、それから大手新聞社に入社した。生え抜きのエリートで顔も悪くない崇はもちろん女にも不自由しなかった。


 「神童」「秀才」「エリート」という褒め言葉は崇にとって当たり前のことだった。崇は誰よりも優秀で、まわりもそれを認めはすれど、それを否定することは決してなかった。


 唯一否定したのは、崇が会社に入って最初の直属の上司くらいだろうか。ヤツは崇より上の大学を出ていることを鼻にかけ、崇のプライドを打ち砕こうと必死になっていた。いくら上の大学を出ていようと人間としての格の差は崇の方が優れているから、悔しくてそうしたに違いない。そのことを崇は知っていたが、仕事をするたびにダメだしをされるのにはさすがに嫌気がさし、会社を辞めてやったのだ。


 だが大森青葉のしたことと比べたら、そんな上司の仕打ちすら生ぬるいとすら思えるくらいだった。上司は一応エリートの端くれではあったが、大森青葉はただの「平民」である。取り立て勉強ができるわけでもスポーツができるわけでもない、崇とは一段低い世界に住む人間なのだ。


 そんな低い世界に住む人間が、崇のような上の世界の人間を傷つけていいはずがない。彼女がしたことは身の程知らずの、無礼極まりない行為だった。


 絶対に許してはおけない。崇の傷ついたプライドは大森青葉の命を持ってしか回復することはできない。


 崇は本当ならすぐにでも大森青葉の自宅に押し入って、一家皆殺しにしてやりたいくらいだった。


 だがそれだけの力は崇にはもう残されていない。ただでさえ歩くのがやっとな状況なのだ。


 だから崇は今切実に協力者を――もとい使い捨てる道具を求めてインターネットをさまよっていた。


 大森青葉の知名度は全国規模だから、さぞや妬んでいる人間は多いだろう。特にリオンのファンにとっては、邪魔でならない存在のはずだった。


 崇は落ちそうになる意識に鞭を打ちながら、いくつもの掲示板を探して回った。しかし大森青葉の悪口を書いた書き込みは探せども探せども見つからない。知名度から考えたら不自然に思えるほど彼女を悪く言う書き込みはほとんどなかった。


「一体なんだってんだ。チクショウ」


 崇は両手の拳を力いっぱい机に叩きつけた。ドンという音がして、置いてあったペットボトルが倒れる。


「チクショウチクショウチクショウ」


 ほとんど力の入らない体にも関わらず、崇は部屋の壁を叩きつけた。隣から「ウルセーぞ」と言われて、やっと叩くのをやめる。


 多少冷静になった頭で再びパソコンの前に座ると、「大森青葉シネ」と書かれた新しいスレッドを見つけた。カーソルが吸い付けられるように、そのスレッドを開くボタンを押す。


 開かれたスレッドには、崇の思った通りの内容が書き込まれていた。


 大森青葉への口汚い罵詈雑言と誹謗中傷。そして殺してやりたいとの文字。


「これだ!」


 崇は叫ぶと、今までもしていたように書き込んだ人間を専用のチャットルームに誘いこんだ。


 書き込んだ人間は世ほど鬱憤が溜まっていたのだろう、すぐに「つくねっと」というHM(ハンドルネーム)をつけ、チャットに参加してくる。


 崇はまず、つくねっとに大森青葉に対する不平不満を掃きだすよう誘導した。少し水をむけてやると、つくねっとは面白いくらいに大森青葉への悪口を並べ立ててくる。崇はそれに意見することはせずひたすら同調する返事をし、相手が親近感を持つよう努力した。


 しばらくつくねっとの話を聞いているうちに、崇は妙なことに気がついた。


 つくねっとが記者の崇ですらしらない大森青葉の個人的な情報を知っているのである。


 不思議に思ってさりげなく聞いてみると、驚くべきことにつくねっとは大森青葉の知りあいだと答えた。あまりに都合のよい話に疑った崇がいくつか質問をしてみても、すべて的確に答えてくる。


「やった」


 崇は思わず画面に向かってガッツポーズをした。なんという幸運だろう。これなら彼女を今度こそ確実に仕留めることができる。


 あと残った問題は相手をどうやって大森青葉殺害へ仕向けるかだ。絶対にこのチャンスを逃すわけにはいかない。


「見てろよ」


 崇は無精ひげをさすりながらにやりと笑うと、再びキーボードを叩き始めた。





――――――――――――






 それから崇はせっかく見つけた手駒をとり逃がさぬよう、慎重に言葉を選んでつくねっとを大森青葉殺害へと仕向けた。


 まずは話を全部聞いてやり、それから同調するふりをしてさらに相手の大森青葉への嫉妬心や憎悪をあおってやる。それがある程度盛り上がったところで「嫌がらせをしてやろう」「傷つけてやろう」「殺してやろう」と徐々に欲求をエスカレートさせる。もちろん相手が引いていかないよう、さりげなく、回りくどいほど時間をかけてだ。


 最初に崇が大森青葉殺害を提案したときは、さすがのつくねっとも戸惑っていたが、根気よく絶対に捕まらない方法があると説き伏せた。


 説得には三日の時間を要したが、とうとうつくねっとは大森青葉を殺す計画に乗ってきた。


 いつもならこの後相手にターゲットの情報と凶器(アレ)を送って知らん顔するのだが、今回ばかりは違う。


 大森青葉が死ぬところをこの目で見てやりたい。


 崇は自分でつくねっとに凶器を渡し、そのまま彼が大森青葉を殺す所を見届けることにした。


 何回もチャットを繰り返しながら、崇はつくねっとと大森青葉殺害の具体的な計画を詰めていく。大森青葉を呼び出すのは、知り合いであるつくねっとがすることに決まった。場所は大森青葉が通う高校の裏門の前。時間は夜の九時。


 今度こそ上手く行くだろう。そう崇は思った。


 なにせ彼女の実際の知り合いが共犯者なのだ。知りあいに呼び出されるとなれば、かならずターゲットは油断する。そこを仕留めるつもりだった。




――――――――――




 待ちに待った約束の日、崇は鉛のように重い体を引きずりながら、凶器を持ってつくねっととの待ち合わせに急いだ。


 落ちあう場所は人目につかないように大森青葉を呼び出す所と同じ、彼女の通う高校の裏門にした。つくねっと曰く裏門は山に面していてほとんど人家が無い所だという。


 着いてみるとつくねっとの言うとおり、そこは民家も街灯もない寂しい場所だった。


 崇は学校を覆う外壁によりかかって、つくねっとが来るのを待つ。


 しばらくして来たのは、白い麦藁帽子をかぶり、黒い髪を垂らした女だった。顔は帽子の影に隠れてしまってよく見えない。


「貴方が大賢者さん、ですね?」


 滑らかな美しい声で女が問いかける。彼女の立ち居振る舞いからはそこかしこに育ちの良さが伺えるが、そんな上品な女が今から一人のの少女を殺そうとしているとは。女の心の闇というのは恐ろしい。


「お前が『つくねっと』か」

「ええそうです」


 女――つくねっとが薄く微笑んだ。


「大森青葉は?」

「もう来ていますよ」


 崇が驚くより先に、つくねっとはこちらに向けて拳銃のようなものを突きつけた。


「何のマネだ!」


 崇は叫びながら自分につきつけられた物を見て再び仰天する。


 今目の前の女が構えているものは、崇がいつか女子アナを殺そうとした女に送った凶器(アレ)だったからだ。


「いっ、一体どういうことなんだコレは!!」

「動かないで下さい。コレの引き金を引いたらどうなるか、一番貴方がよく分かっているでしょう?」

「ど、どうしてそのことを」


 崇はワケが分からなかった。なぜ目の前の女が凶器のことを知っているのか。そしてなぜ崇が手放した凶器を手にしているのか。分からないこと尽くしだった。


「やめろ、引き金だけは引かないでくれ」

「皮肉なものですね。この発明兵器、私を殺そうとして西田明美に渡したものなんでしょう?」


 凶器を持っていない方の手で、女が白い麦藁帽子を脱ぎ捨てる。その顔に崇は見覚えがあった。


 ほんの三週間くらい前のことである。崇が目前の女の住所などを調べ上げていたのは。


「お、お前は――星見院月音」

「正解。名前覚えてくれてたんですね」

「どうして殺そうとしたお前がここに……。どうして。どうして――」


 じりじりと後ずさる崇に、星見院月音は吐き捨てるように言った。


「貴方、騙されていたんですよ」

「なっ何だと!」

「実にあっけなく引っかかってくれました。貴方がネットで協力者を探しているのは知っていましたから、興味をそそるような書き込みをしてやったまでです」


 ではつくねっとの書き込みは最初から自分をおびき寄せる罠だったというのか。崇は愕然とした。


「もちろん私の書き込みに目が行くよう、多少の操作はしましたけどね。」

「お、オレは騙されていたのか」

「はい。えーっと、こういうふうにネットの書き込みで相手を騙すことなんていうんでしたっけ――」


 星見院月音はしばらく考えあぐねた後、パンと手を打って言った。


「ああ、『釣りでした』って言うんです。――大賢者さん、私の書き込みは釣・り・で・し・た」

「――ふざけるな!!」


 崇は凶器を突きつけられているのも忘れて激高した。


 こんな年端も行かない小娘におちょくられるなんて、崇の矜持が許さない。


「きさまぁっ!人をおちょくりやがって。何のつもりだ!言え!」

「……」

「お前警察じゃないんだろ?何者なんだ?何が目的だ?オレをどうする気だ!!」

「私たちが何者だろうと貴方には関係ないことです。死にたくなければ大人しく持っている発明兵器――凶器(アレ)を渡しなさい」


 星見院月音の瞳は物騒な台詞を吐いているにもかかわらず、静かで揺るぎの無いままだった。見ているこちらが取り込まれてしまいそうな、そこ知れない深さを持った瞳である。


 自分よりも十は年下の少女だというのに、崇は彼女に恐怖のような物を抱きはじめていた。


 しかし目の前にいるのがどんな者だとしれも、手にしている凶器を渡すわけにはいかない。色んな人間に手渡したせいで、残っている凶器は今手元にある「流針」だけなのだ。これを失えば、崇はもう何もできなくなってしまう。


「い、いやだ……。絶対に渡すもんか!」


 崇に与えられた凶器に不可能は無い。確実に相手の命を奪い、警察の目を欺くことができる。目の前の少女に対しても例外ではないはずだった。


「死ね。死ねええぇぇ!!」


 崇は懐に隠してあった「流針」に星見院月音の息の根を止めるよう、残された精神力全てを使って命令した。

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