第33話:鳴らないケータイ電話
リオンは足を折ってからというものろくに外出することもできず、ほとんど家の中に閉じこもりきりだった。普段ならスタジオだのロケだの、色々な所を駆けずり回っているというのに、ここ数週間出かけると言えば最寄のスーパーとレンタルビデオ屋が関の山だ。仕事もまともに歩けないせいでほとんどキャンセルになり、秋から始まるリオン主演の連続ドラマも延期になってしまっていた。
リオンが怪我をしたおかげで水の泡と消えた金額は大きい。賠償はコンサート会場側がある程度してくれるそうだが、それでも多大な損失は免れないだろう。「会場を爆破した犯人を殺してやりたい」と呟く事務所の社長の顔が、リオンにはありありと想像できる。それでも散々世間を賑わせたおかげで休んでいても忘れられることはないだろうから、まだマシだといえるのかもしれない。
今ここで犯人を恨んでもどうしようもないので、リオンは休養とリハビリに専念していた。だが仕事にも行けず遊びにも行けずという停滞した状況は、元々活動的なリオンにとって苦痛以外の何物でもない。思えば中一でアイドルデビューしてからこんなにヒマなことは一度もなかった。
「青葉、電話してこないかなー」
白いソファーにだらしなく寝そべりながら、リオンは黒いプライベート用のケータイを眺めた。ケータイ番号を教えてから、青葉は思い出したようにこちらに電話してくれる。今まで数回ほどかかってきたが、話題は「窓から蝉が入ってきた」とか「最近ご飯に肉がでてこない」とかくだらないものばかりであった。多分かけてきた相手が青葉でなかったら、リオンは小一時間嫌味を言い続けたであろう。だが話題がどんなにどうでもよいことでも、リオンは青葉と話していること自体が楽しくてたまらなかった。
しかし握り締められたケータイはいっこうに鳴る気配を見せない。そこまで青葉と話がしたければこちらから電話をかければいいだけのことなのだが、あんまり何度もかけすぎると「ウザい」とか「あたしのコト好きなんじゃないの?」とか言われそうで怖いのだ。前者はまだしも後者を言われた日には、リオンは動転のあまり「君何言ってんの?僕が君ごときを好きになるわけないじゃん。鏡見てみれば分かるでしょ?このブス。バカ。死ね」などと取り返しのつかないことを言ってしまう自信がある。
そうならないためにも、電話は絶対に青葉からかけてもらわなければならなかった。
「どうせヒマなんでしょ?だったら僕と話せばいいじゃん!!」
リオンがケータイを握ったままぶつぶつと逆切れまがいの独り言を呟いていると、祈りが天に通じたのかケータイが鳴り始めた。切れてしまわないうちにと、リオンはキレのあるすばやい動きで電話に出る。
「あー、青葉?今日は何?蝉の大群がなだれ込んできたの?それともやっとご飯に肉が出たのかな?」
「何言ってんですか、リオン君。私ですよ。つくねです」
「は?つくね?何で」
「何でって、用事があるからですよ」
「あっそ。何?君んちの夕飯にはしょっちゅう肉が出るでしょ」
月音が受話器の向こうで「何をわけの分からないことを……」と言う声が聞こえてきた。
「用事があるなら早くしてよ。こうしてる間に青葉から電話がかかってきたらどうするつもり」
「リオンさん……笑っちゃうくらい青葉さんにアレですね――って、その青葉さんが大変なんですよ!」
「え、もしかして彼氏ができたとか!?」
「違います!ああ、もうバカに話すのも面倒くさい。――テレビつけてください」
「ちょ、つくね。今バカって」
「いいから早くつけなさい!」
月音を怒らせるとロクなことがないので、リオンは言われるがままに正面にあるテレビをつけた。
「水戸黄門やってるけど、それがどうかしたの?」
「リオン君!ふざけるのもいい加減にして下さい!!今ちょうど『ニュースで5ざる』でやってますから」
リオンが言われた通りに『ニュースで5ざる』をつけると、自宅からそれほど遠くない所にある三藤高校が写されていた。どうやら校舎内で殺人事件が起こったらしい。
「近くで殺人事件があったみたいだけど、それと青葉にどう関係が?」
「この高校、青葉さんが通ってる所ですよ」
「え!?」
青葉の名前が出た途端、リオンは食い入るように画面を眺めた。高校の校舎内で殺人事件とは、冷静に考えてみればただごとではない。生徒間でのトラブルだろうか。
「まさか、青葉の学校で殺人とはね」
「被害者は青葉さんのクラスメイトだそうです」
「クラスメイトって……。一体どうしてこんなことに。犯人は?まさか青葉とか言わないよね」
「それは違いますが、被害者の殺され方が尋常じゃないんです。リオン君は二年前にあったあの事件、覚えてますか」
二年前のあの事件と言われて、リオンは中学生の少女が穴だらけの遺体で見つかった事件を思い出した。事件当時、被害者の全身が無数の穴だらけであるという異様さに世間はおののき、リオンたちは犯行が発明兵器によるものではないかとしばらくの間調査をしていた。結局、手掛りは何も見つからないまま終わったが。
「今回の事件、二年前と被害者の殺され方が同じなんです」
「じゃあ、二年ぶりにあの事件の犯人が戻ってきたってコト?」
「二年前の事件と場所も近所ですし、その可能性が高いと思います。違うとしても、同一の発明兵器で犯行が行われたことは確かでしょう」
「でも何で青葉のクラスメートを?」
「それは分かりません」
その台詞を最後に二人の間で会話が途切れたが、しばらくして月音がポツリと呟いた。
「青葉さん大丈夫でしょうかね」
「どうだろう。友達だったら相当ショックだよ」
「リオン君、電話してみたらどうですか。もし落ち込んでいても多少は元気付けられるかもしれませんよ」
「僕なんかより、つくねが電話した方がいいんじゃないの」
「リオン君、そこはせっかく私が譲ったんですから。こういうことの積み重ねが貴方の評価につながるんですよ。青葉さんと付き合いたかったら、日頃から評価は上げておかないと」
さすがというべきか、月音はなかなか抜け目がなかった。利用できることは何でも利用するというスタンスが彼女らしい。月音の方が誠治よりもよっぽど政治家に向いていると、最近特にリオンは思う。
「でも僕、青葉と付き合いたいとかあんま考えてないから」
「え?そうなんですか。てっきりそうだと思ってましたよ」
月音は感心したような、呆れたような、どちらともつかない声でひとしきり驚いた後、飛んでもない発言をした。
「じゃあ、青葉さんに彼氏ができてもいいんですね」
「へっ!?」
「だってそういうことでしょう?つき合いたいとか考えてないってことは」
「ちょっ、そういうつもりじゃ」
「そういえば青葉さん仲のいい幼馴染の男の子がいるみたいですし、彼氏ができるのも時間の問題かもしれませんね」
月音は言うことだけ言った後、リオンの反応も待たずに電話を切ってしまった。いきなり静かになった部屋の中で、リオンは月音の言葉の重大さに気がつく。
――とにかく電話をかけよう。
そうリオンは思った。月音の思いどうりに行動するのは癪だが、何もしないでいられるほどリオンは肝の座った男ではない。
電話をかけたらまず大丈夫かどうか聞いて、それから幼馴染のことについてさりげなく話題を移そう。それなら不自然にならないし、気遣いもできて一石二鳥だ。
リオンは早速青葉に電話をかけたが、いくら鳴らしても留守電になってしまい、いっこうに向こうとつながる気配がなかった。きっとケータイを鞄の奥にでも放り込んであるのだろう。何度か交わした他愛のない会話のおかげで、リオンは彼女がずぼらな性格だと知っている。リオンは今日のところは一旦諦めてまた翌日電話をかけてみたが、青葉のケータイは全くつながることがなかった。
ひょっとして青葉に嫌われたのではないかとリオンは思った。考えすぎだと自分でも分かるが、丸一日電話がつながらないとなると少し不安になってくる。
思えばリオンは青葉と出会ってから今日まで、彼女に好かれるようなことは一つもしていなかった。いや、何もしていないだけならまだマシだったであろう。リオンはねじれた好意ゆえに、嫌味、悪口と最低な仕打ちを彼女に繰り返してきた。
嫌われることばかりしてきたのに今度は好意を抱くなんて、随分身勝手な行為だとリオンは思う。ひょっとしたら青葉はそんなリオンの自己中心的な性格を見越して、ケータイを着信拒否にしたのかもしれない。
リオンはローテーブルの上で静かに佇むケータイを見つめながら、一人マイナス思考の渦に飲み込まれていった。普通に考えれば何でもないことでも、「もしかしたら」「ひょっとしたら」と不安の一要素に変わる。
時計の長針が半分回った頃には、リオンの中で青葉への失恋がほぼ決定事項になっていた。
「うあああ!出会う前からやり直したい!」
薄茶色の髪の毛をがむしゃらにかきむしってリオンが絶望に打ちひしがれていると、テーブルの上のケータイがにわかに震え始めた。
「青葉!?」
リオンが奪い取るようにして電話に出ると、聞きなれた月音の声が出迎えてくれた。
「なんだ、つくねか」
「なんだとはなんですか。人がせっかく電話してあげたのに」
「してくれなくてもいいんだよ」
「あーそーですか。ところでリオン君、青葉さんにはもう電話しました?」
リオンはぐっと言葉に詰まってから、小さく落とした声で答える。
「かけたけど、全然出てくれない」
「……やっぱりそうですか」
「僕、嫌われたのかな」
「多分違いますよ。さっききんじぃから連絡があったんですが、青葉さん昨日帰ってきてからずっと部屋に閉じこもりきりだそうです。ご飯も食べずに」
クラスメイトが殺されたのだから、動揺するなという方が無理な話だ。だから電話に出なかったのだろうとリオンは安心する反面、悲嘆にくれている青葉のことが心配になる。だがこういう時には気分が落ち着くまでそっとしておくのが一番なのかもしれない。
リオンは青葉から連絡をくれるまで、こちらから電話をかけないことに決めた。きっとケータイにはこちらの着信が何件か残っているから、元気になったらまたかけてくるはずだ。気遣う言葉をかけるのはその時でいい。
しかし月音連絡のから二日ほど経っても青葉が電話をかけてくることはこなかった。よっぽど深く傷ついているのだろうとリオンは思う。もしかしたら殺されたのは仲のいい友達だったのかもしれない。犯人に至る手掛りはまだ見つかっていないというし、誰かと話すような気分になれないのは当たり前のことだ。
そんな風にリオンが考えていると、しばらく放置してあったプライベート用のケータイが鳴り始めた。でて見れば、案の定月音からである。
「どうしたの。今回の事件の手掛りでも見つかった?」
「残念ながら違います。青葉さんが大変なんです」
「――何かあったの?」
「この間部屋に閉じこもりっきりだって言ったでしょう?あれからもう二日も経つのに、まだ出てこないみたいなんです」
「出てこないって、一歩も?」
「さすがにトイレは行ってるみたいですが、食事も水もまるでとってないそうです。青葉さんの両親からそう連絡があったときんじぃが言ってました」
「あのバカ何やってんだよ」
いくら友人が死んだからといって部屋に引きこもるだけならともかく、食事も水も一切取らないとは尋常ではない。もうすぐ九月になるとはいえ、まだ残暑は厳しい。そんな中で断食断水とは脱水症状が出ていてもおかしくなかった。
「無理やり部屋から引っ張り出せないの?」
「ふすまを開けたら飛び降りると言って聞かないそうです」
「どうしてそこまで……」
リオンはふと、自分が瓦礫の中に閉じ込められたときの青葉の様子を思い出す。あの時彼女は死ぬかもしれないというのに、頑なにその場を動こうとはしなかった。赤マントを捕まえるときも、危険を顧みず平気で二階から飛び降りてみせた。どうして青葉は、こうも自分の命を平気で投げ出すことができるのか。
青葉は自分の命を軽んじている。何が原因なのか分からないが、それだけは確かだ。この調子では衰弱死直前まで部屋から出てこないことも在り得る。死が目前に迫っても、リオンのそばから離れなかったように。
「つくね、僕青葉に説得しに行くよ」
「どうしたんですか急に」
「あのバカ強情だから、ミイラになるまで部屋から出てこない気がしてさ」
リオンが説得したとしても、青葉は出てこないかもしれない。だが彼女が傷ついているのを知りながら何もしないでいるなんて、リオンにはできなかった。
「自己満足かもしれないけどさ。この間助けてもらったのもあるし、何かしてあげたいんだよね」
「……。やっぱりそう言うんじゃないかと思ってました」
「もしかしてつくね、煽った?」
「いえいえ。紛れもないリオンさんの意思です。頑張ってくださいね。青葉さんの心身の健康は貴方にかかってます」
「プレシャーかけないでよ」
月音の励ましとも圧力ともとれる言葉を受け、リオンはケータイを切る。そうと決まれば、まずは青葉の家に向かわねばなるまい。この間のように自転車をかっ飛ばして行きたいが、足が使えないからタクシーを利用することにした。
小洒落た帽子にサングラス、花粉症用特大マスクという怪しさ爆発な格好でタクシーに乗り込み、リオンは夕日商店街まで向かう。商店街の入り口で降りると、思うように動かない足を引きずりながら大森青果店の前まで急いだ。
そこでリオンは、青葉の家の前に何人か不審な人物がいることに気付いた。カメラを持って大森家の様子を伺いるところからみるに、週刊誌か何かの記者だろう。青葉のクラスメイトが殺されたということで、インタビューでもしに来たに違いない。
リオンは舌打ちをしながら、店の手前で立ち止まった。今青葉の家に行けば、確実に記者の目に止まってしまう。顔が分かりにくいようにしているとはいえ、彼らにばれたら厄介だし、青葉にいらない迷惑をかけることにもなる。
記者に見つからないように訪ねる方法はないものだろうかと、リオンはさりげなく周囲を歩き回った。大森青果店から少し先に行った所で、細くて暗い裏道のようなものが延びてるのを見つける。そこから大森家の玄関につながっているかもしれないと、リオンはなるべくさりげないそぶりで裏道に入り込んだ。
裏道は狭く、人通りは全くなかった。おそらく商店街に住む人間しか使わない道なのだろう。こんな所を顔を隠して歩いていると不審者そのものなので、リオンは早足で目的地へ向かう。
しかし裏道は青葉の家の庭にさえぎられる形で、行き止まりになっていた。庭の周りには人の肩くらい高さがある柵でしっかりと囲いがしてあり、とても入っていける雰囲気ではない。
リオンは途方にくれてぼんやりと庭を眺める。すると網戸が開く音がして青葉の母親がこちらに向かって走ってきた。
「アンタこんな所で何してんのよ!もうインタビューにはうんざりなのよ!あの子をそっとしといて頂戴!!」
「あっ、ちょっ」
「おとーさーん!また記者が来たのよ。一緒に追い出して!」
彼女が言うが早いか、胡麻塩頭の青葉の父親がすっ飛んできてリオンの胸倉を掴んだ。
「テメェ!こんなトコから見張ってるたぁ、いい度胸じゃねぇか。人のケツ追いまわすようなマネしてくれてよぅ!」
「す、すいません。でも僕」
「でももクソもありゃしねえ!これ以上俺たちに構うとテメェの頭でスイカ割りすんぞ!」
興奮する彼らに落ち着いて事情など説明できるわけもなく、リオンはしばらく二人から罵声を浴びせかけられる羽目になってしまった。