第32話:穴だらけの青春
今回は少し残酷な描写があります
ご注意ください
「今日の文化祭の準備は絶対に来てくれ」と連絡網が回ってきたので、青葉は数週間ぶりに学校の制服に袖を通した。最後にこれを着たのは千代子の命日より前だったが、色々なことがありすぎたせいで、もっと以前のことのようにも感じる。
超常能力者になったこと、オカルト局の仲間と出会ったこと、赤マントと戦ったこと――今年の夏休みに起こった出来事は、数え上げればきりがないほどだ。だがその夏休みも、あと一週間で終わりを告げる。
青葉は長かった今年の夏を振り返りながら、久しぶりに家の外へと飛び出した。いつの間にかあんなに強かった日差しは衰え、蝉の合唱も一時ほどの騒がしさはなくなっている。季節は青葉が気が付かない間に、確実に秋へと移り変わりつつあった。
しかし真昼の暑さはまだ現役のようで、青葉は白いYシャツを汗でぐっしょり濡らしながら学校へと辿り着いた。見慣れた教室の扉を開けるなり、クラスメイト達がどよめきをあげながら青葉の周りへ駆け寄ってくる。
「青葉ー。大丈夫だった?」
「事件の話聞かせてくれ」
「リオン君に会ったの?」
いきなりの質問攻めに、青葉は彼らに悪気はないとは思いつつも少々面食らってしまった。普段なら真っ先に飛びついて来るレミは、皆に押しやられて遠くの方にいってしまっている。
「レミー!久しぶりー!」
「青葉!心配したんだよぅ。連絡ぐらいしてよぅ」
「ゴメン。着信が多すぎてケータイの電源切ってた」
「着信?誰から?」
内心「ここにいるみんなだ」と叫びたかったが、いくら本音を口に出すタイプの青葉もさすがにそれはできない。
「とにかくゴメン!いまそっち行くから」
青葉は教室の入り口からレミのいる端の方まで移動したが、取り巻き達もそれに合わせてくっついてくるので意味がなかった。始終一クラス分の人間に囲まれている状況では、落ち着いて話もできない。
そんな状態の青葉を、窓際で漫画雑誌を読んでいた幸平が笑った。
「青葉スゲェじゃん。リオン君もビックリだな」
「ちょっとやめてよ」
「しかし無事で良かったなー。こないだトラックに轢かれかけたばっかりなのに、運が良いのか悪いのか」
幸平の言うことも一理あった。青葉はこの短期間で少なくとも三回は命の危機に遭い、そのどれも乗り越えてきた。当の本人ですら、こうして無事に生きていることが不思議なくらいなのだ。
「青葉は殺しても死ななそうだからなー」
「いや、死ぬから」
「憎まれっ子世にはかばるとは良く言ったもんだ」
「ん?『はばかる』じゃないの?」
「ほらすぐそうやって人の揚げ足とって、だいたい小学生の頃からお前は――」
幸平が過去のことをほじくり返してぐちぐち言ってきたので、青葉は途中から無視して文化祭の準備を始めた。それに合わせて何人かも作業を始めたのだが、大部分は青葉の周りから離れず、しつこく事件の話を催促する。せっかく学校に来たのに作業もせず、興味本位で事件のことを聞きたがるクラスメイトが、青葉は少しウザったくなってきた。
「ねー、みんな。そろそろ準備始めない?夏休みもそろそろ終わりだしさ」
「青葉が事件の話してくれたらやるよ」
「事件の話って、どんなふうに?」
「爆発したときどんなだったとかさ。色々あるだろ?」
「そうそう」
クラスメイト達の瞳が、より一層輝き出す。それでも言葉を濁す青葉に、普段は青葉を目の敵にしてくる藤野がなれなれしく近寄ってきた。いつもは青葉の姿を見かけるたびに舌打ちをしてきたり、悪態をついてくるくせにこういう時だけは特別らしい。出血大サービスだとばかりに、太いアイラインで囲みこんだ目とグロスを塗りたくった唇で笑顔まで作っている。
「ねぇねぇ青葉ー。リオン君にも会ったんでしょ?どんな感じだったか聞かせてよ。カッコ良かった?」
「うーん。テレビとあんま変わんないよ」
「えー、それだけ?何か話したりしたんでしょ?何言われたの?なんて答えた」
「別に大して……。」
のらりくらりと青葉がはぐらかしていると、さらに藤野が媚びるように摺り寄ってくる。
「そんなこと言わないでさぁ。もったいぶらないで教えてよ。何話したの?」
「いや〜」
「別に減るもんじゃないからいいでしょー!」
「だけどほんとに大したことはなしてないから。期待はずれだと思うよ」
「それでもいいから〜」
「ありがとうって言われただけだって」
「ソレだけじゃないんでしょ?他には?」
「だからそれだけだって言ってるじゃん」
「はぁっ!?何その態度?それともウチらに話せないって言うの!?」
「違うって、そういう意味じゃないって」
「じゃあどーいう意味だっていうんだよ!」
藤野ははっきりしない青葉に痺れを切らしたのか、猫なで声をやめてこちらに詰め寄ってきた。青葉と同じ彼女のベリーショートの髪が、心なしか逆立って見えるから不思議である。
「人が下手に出てりゃいい気になりやがって!ちょっとテレビに注目されたからって、チョーシのってと痛い目見るからね」
「……あっそ」
「『あっそ』だって。強がってんじゃねーよ、ヴァーカ!!アンタってホントバカだよねー。マスコミにちょっとカワイイとか言われたぐらいで舞い上がっちゃってさー。」
「いや、舞い上がってないし」
「リオン君も可哀想だねー。こんな女に助けられてさ。馴れ馴れしくされてメーワクしてんじゃないの」
勝手に決めつけたことで罵ってくる藤野の思い込みの強さに、青葉は半ば呆れ、半ば感心した。妄想と大差ない「事実」をよく悪口のネタに使えるものである。
「だいたいアンタ運が良かっただけでしょ?あそこにいたのがアンタじゃなくてウチだったら、今頃テレビに騒がれているのはウチだったんだからね」
「……。ソーカモネ」
「何だよ、その言い方は!オメーのそういうところが気にくわねーんだよ。クールぶっちゃってさ。そんなキャラ今時流行んねーっつうの。髪型だってウチのマネしやがってよぉ。人の髪型パクッてんじゃねーよ」
藤野のボルテージが上がってきたので、すわ喧嘩かとクラスメートがざわめき出したが、青葉は喧嘩するのもバカらしいと思った。彼女の悪口は、リオンの悪口が洒落た皮肉に思えてくるほど程度が低い。
「言っとくけど、あたしが髪切ったのは中二のときだから。嘘だと思うなら幸平に聞いてみれば?」
「っんだよコラァ!」
「別にいいじゃん。同じ髪型の人がいたってさ」
青葉は藤野の悪口のあまりの幼稚さに、無意識のうちにため息をついてしまった。だがそれが彼女の逆鱗に触れたらしい。藤野は傍にあった誰かのペンケースを勝手に手に取ると、青葉に向かって力いっぱい投げつけてきた。だがそれは空中でくるんと一回転して勢いを失った後、まるで計ったかのように藤野の頭の上に落下する。しばらく教室中に沈黙が広がったあと、堰を切ったようにそこらじゅうから笑い声が溢れ出した。
ペンケースが藤野の頭に落下したのは、もちろん青葉がそうなるように狙って念動力で軌道を変えてやったからだった。しかしそんなことがクラスメイトに分かるはずもなく、彼らは藤野の手元が狂ってコントのような事態になったと思ったらしい。
三十余名それぞれの爆笑・苦笑・嘲笑を受け、藤野は耐え切れなくなったのか、物凄い勢いで教室を飛び出して行く。少しやりすぎたかも知れないと青葉は思ったが、入学した当初から彼女には困らされていたので、ちょうどいい薬になったかもしれなかった。
――――――――
クラス中の笑い者にされ、藤野は顔から火が出る思いで教室を飛び出した。飛び出したと行っても鞄も持っていないし、行き先などないのだが、何もしていないのが耐えられなくて藤野は廊下をひた走る。
蒸し暑い空気の中をもがくようにして駆け抜ける藤野の頭の中には、馬鹿にしたような目で笑う青葉の顔が浮かんできた。それと同時に火の玉のように熱い怒りが、行き場もなく藤野の体内を駆け巡る。
藤野は青葉を最初に見たときから気に食わなかった。華やかな高校生活を送るためにせっかく藤野が選んだ黒いベリーショートと、全く同じ青葉の髪型。彼女が女のくせに少年らしさを併せ持っているからだろうか、シャギーを多用したその髪型は藤野よりもはるかに似合っていた。
だがショートが似合うからといって青葉が男っぽいかというとそういうわけでもなく、彼女は女の目から見ても中性的で可愛らしい顔立ちをしていた。特にくっきりとした大きな黒い目と、赤みが差したすべすべの頬は、彼女のはつらつさを現しているようで非常に魅力的だった。体型だって、全体的に引き締まっていて足も長い。
同じ髪型なのに藤野と青葉は正反対であった。スマートで可愛らしい青葉と、太りやすくてお世辞にも可愛いとはいえない藤野。性格だって青葉は女のくせにあっけらかんとした性格をしていて、粘着質な藤野とはまるで違う。だからこそ藤野は青葉が気に食わなかった。
藤野はクラスの男子たちが「同じ髪型なのに藤野と大森は全然違う」と囁いていることを知っている。はっきりと「大森の方が可愛くて、藤野はブス」と陰口を叩いているところを聞いたこともあった。藤野はそういう類の噂を耳にするたびに、はらわたが煮えくり返りそうになる。だがそれは陰口を叩く男子にではなく青葉にだ。
青葉は自分が藤野と比べられて褒められていることを知っているはずだった。だから藤野が青葉を睨んでも、彼女は涼しい顔をして、いや優越感に浸りきった顔をしてやり過ごそうとしてくる。内心では藤野のことなど取るに足らない格下の女だと思っているのだろう。
藤野は早く青葉が髪型を変えればいいのにと思った。だが彼女はそんなことしないだろう。彼女にとってあの髪型は「ベリーショートが似合う可愛いアタシ」と「アタシと同じ髪型だけどブサイクな格下女」という優越感を感じさせる格好のアイテムだからだ。
今までの鬱憤を思い出し、藤野はますます青葉に憎しみを募らせながらあてもなく廊下を突っ走った。とりあえず人のいない方向に向かって階段を降りて行くうちに、いつの間にか昇降口の前に出る。薄汚い上履きやローファーのはみ出た埃だらけの下駄箱を見ているうちに、藤野の脳内にある考えが浮かんできた。
――アイツのローファーをずたずたに切り裂いてやろう。
青葉に何一つ勝る所がないことを自覚している藤野には、積年の恨みを晴らすのにこれくらいしか方法がなかった。
靴を履けないようにしてやれば、青葉は帰るときさぞかし困るだろう。下駄箱の前で途方にくれる青葉の姿を思い描き、藤野は意地の悪い顔でくすくすと笑う。
藤野は灰色の下駄箱の前で青葉の名札を探した。だが昇降口全体が日の当たらない薄暗い場所にあるせいで、なかなか見つけることができない。藤野はしばらく迷った後、下駄箱の一番下の段に彼女の名前を見つけた。
「うわー。一番下だって。ついてねーやつ」
地面とほぼ同位置にある青葉のローファーを取ろうと、藤野は膝をついてかがみこむ。そのとき誰かが後ろに立った気配を感じて、藤野は咄嗟に振り返ろうとした。
「大森青葉か」
藤野が振り返るより先に男の声がした。高校生とは思えない、かすれて耳障りな低い声。
それが藤野が人生最後に聞いた人間の声だった。
―――――――ー
青葉は藤野がいなくなった後も、特に追いかけるということはせず、黙々と文化祭の準備を続けていた。藤野の嫌がらせには前から迷惑していたし、迎えに行ったら行ったでなおさらつけ上がるだろうと思ったからだ。
なぜ彼女が髪型が同じという理由だけであそこまで突っかかってくるのか、正直言って理解に苦しむ。もし藤野がベリーショートではなくもっとありふれた髪型していたら、クラス内だけでも何人もいるだろう同じ髪型の人間全てに喧嘩を売っていたのだろうか。
青葉は不機嫌さをなるべく顔に出さないようにしながら、ポスターカラーで出し物に使うベニヤ板をひたすらブルーに塗りつぶした。クラスメートたちもそこはかとなく暗黒のオーラが立ち上る青葉に話しかけてくることもなく、それぞれ自分の担当作業にあたっている。
青葉が二メートル四方のベニヤ板を百均のちんまりした筆で半分ほど塗り終わったころ、横にいた幸平が思い出したように言った。
「藤野の奴、まだ戻って来てねーな」
青葉はあえて何も言わず、そのまま作業を続ける。
「青葉ー。いい加減迎えに行った方がいいんじゃないのか」
「あたしゃ知らん。気になるなら一人でどーぞ」
「でもよぉ。お前と喧嘩して飛び出して行ったわけだし」
「なんであたしが行かなきゃイケないんだ。ああいうのは気が済んだら戻ってくるっつーの」
「だけどいくら何でも遅くねーか?」
幸平が首をかしげたところで、つい先ほど帰ったはずの男子クラスメート――松下が、青ざめた顔をして教室の中に飛び込んできた。
「だっだっだだ誰か死んでる!」
突然の松下の言葉にクラス中から驚きの声が漏れたが、もちろん誰も信じるはずがなく、すぐにいぶかしげな声が次々と上がった。
「悪い冗談言うなよ」
「死んでるってどこで?」
「誰が死んだのー?」
皆やいのやいのと言いながら、ぶるぶると震えている松下を眺める。そんな緊迫感のないクラスメートたちに痺れを切らしたのか、松下は周りの野次を吹き飛ばして余りある大声で叫んだ。
「う、ウチの下駄箱のまえで誰か死んでんだよー!!」
叫んだ途端顔色が真っ青になる松下を見て、さすがに皆ただ事ではないと気が付く。ざわめきが沸き起こるなか、誰かの「とにかく下駄箱まで行ってみよう」という声に従い、青葉も含むその場にいた全員がぞろぞろと昇降口に向かった。
皆で遠足のように列を作り、薄暗い階段を降りていく。
昇降口に面している一階の階段を降りてすぐに、上履きの匂い以外の、生臭さと鉄さびを合わせたような異臭が青葉の鼻をついた。嫌な予感を感じながらも、青葉は前を歩く同級生に続いて自分たちの下駄箱がある方向へ進む。
「うああああ!!」
「あああああ!!」
「おごぉ!!」
いくつかの悲鳴は、真っ先に下駄箱に辿り着いた同級生たちのものだった。悲鳴が聞こえた途端、今までゆっくり歩いていた皆が下駄箱へと走り出す。
悲鳴が次々と上がった。
何があったのかと、青葉も急いでそれに続く。
駆けつけると、下駄箱の前には既に人だかりができていた。悲鳴を上げ続ける者。しゃがみこむ者。嘔吐するもの。青葉のクラスメートたちにより、いつもの昇降口は悲鳴と嗚咽がこだまする異様な空間へと変貌を遂げていた。
――彼らは一体何を見たのだろうか。
青葉は本能的な恐怖感を感じながらも、それを確かめずにはいられなかった。
青葉は人だかりの隙間から、下駄箱の前をそっと覗いて見る。
見えたのは、穴だらけの腕。
そして個人の判別どころか性別さえも分からないほどに、無数に穴の空いた胴体。
下駄箱と廊下は飛び散った血しぶきによって赤色に塗りつぶされ、その赤の中に、中身らしきものがところどころ浮かんでいる。
「チョコ」
青葉はまるで他人事のように、自分の口がその名前がつむぎ出すのを聞いた。
今青葉がいるのは薄暗い昇降口のはずなのに、なぜか血のように赤い夕焼けが目に映る。
人だかりの間から見えるブルーシート。そしてそこからはみ出した穴だらけの腕。
――ああ。あたしはまた――。
青葉の全身からゆっくりと力が抜けていった。
この藤野というクラスメイト、実は最初の方に出てきていたりします。
予想以上に話が長くなってしまったので、書いている自分も彼女の名前を忘れてました。