第3話:三者三様
わずかな疲労感を覚えながら鏑田緑苑がタクシーに乗り込むと、運転手の顔色が変わった。
リオンはマスクとサングラスを着け忘れたのを後悔したが、まあ運転手一人だし別にかまわないかと思いなおす。
「お客さん、もしかしてアイドルのリオン君かい?」
「あ、分かっちゃいました?まいったな」
営業用のスマイルを振りまいて適当にやり過ごし、リオンは後部座席のシートに身を沈める。
リオンにとって、今日の生放送は近年まれに見る傑作であった。
あのインチキ超能力者の握っていたスプーンの頭がいきなり吹っ飛び、司会者の頭に直撃したのだ。
リオンはつい思い出し笑いをしそうになったが、運転手がいる手前、必死にこらえた。
だいたいスタジオに入った直後から、リオンはあのインチキ超能力者が気に食わなかった。
彼女はいい年したおばさんの癖に、リオンの体を上から下までいやらしい目で眺め、おまけにリハーサルでは隣に座ったリオンの足を数回に渡り触ってきた。
だからリオンはやり返すことにした。
スプーンの頭を吹き飛ばすなんて、リオンの持っている能力からすれば造作もないことだった。
吹き飛ばした先に司会者がいて、おまけに当たり所が悪く、脳震盪を起こすとは予想外だったが。
しかしこれでチャーミアン沙希子は、二度とテレビに出れないはずである。
偽物の超常能力者が出しゃばろうとするからこうなるのだと、リオンはにやりとした。
リオンがシートにもたれかかって目を閉じていると、ケータイのバイブが胸に響いた。
液晶に表示された名前を確認し、リオンは電話に出る。
「リオンさん。何度も電話かけたんですよ。ちゃんと出てください」
声は穏やかな女性のものであった。
「ごめん、つくね。仕事が入ってたからさ」
「仕事って、あんな馬鹿ないたずらをするのが仕事ですか?」
「なんだ、つくね観てたの?」
「ええ。偽物がむかつくのは分かりますが、変なことに力を使わないでくださいね。そんなことよりリオンさん――」
いきなり向こうの声が深刻になったため、どうしたのだろうとリオンは受話器ごと首をかしげた。
「いつものほほんとしてるのに、らしくないじゃん。何かあったの?」
「“きんじぃ”の孫娘に、超常能力があることが分かりましたよ」
「なんだって!?」
リオンが思わず大声を出すと、走行中にも関わらず運転手がこちらを振り返った。
「本人はまだ気付いてないようですが、私の見た所、充分戦力になりそうで」
「すると、つくねはもう力を見たってこと?」
「見たというより、私のせいで目覚めたと言うか……。詳しい話は、定例会議でしましょう」
「オカルト局、90年ぶりの完全復活ってとこかな?」
興奮に打ち震えながら、リオンは電話を切った。
期待と混乱が胸に押し寄せる。
このままずっと余韻に浸っていたかったが、運転手の不審そうな視線のせいで、すぐに我に返った。
「これ、次に出るドラマの台詞なんです。内緒にしておいてくださいね」
とびきりの笑顔で語りかけると、運転手は「そうですか」と上機嫌そうに答えた。
男は、今まさに上機嫌であった。
空いっぱいに緋色のマントを広げ、自分の力を哀れな獲物に誇示する。
この時、男は世界中で誰よりも強い気がしていた。
太り気味の小さな体も、年齢以上に老けただらしない顔も、全て忘れられる気がしていた。
足元には、目の前で怯えている女の「彼氏だった物」が血と臓腑を撒き散らして転がっている。
この物体が、数時間前駅で男を怒鳴り散らした人間だということに、一体誰が気付くであろうか。
ざまをみろ。
男はくつくつと笑った。
目の前の女は涙と鼻水をたらしたせいでマスカラとアイラインが落ち、顔が真っ黒になっていた。
眼前にある彼氏の過去形を見ながら、言葉ににならないうめき声を上げている。
醜い女の顔のせいで、男の上機嫌はすぐに霧散した。
「このクズ共が」
男の脳裏に、数時間前の光景が映し出される。
混み始めた電車の中で、この女と潰れた男は人目もかまわずいちゃついていた。
いちゃつくと言っても、二人は指を絡めて手を握り、肩を寄せ合っていただけなのだが、男にとって、それは許しがたい不道徳であった。
男と同じ駅で、この二人も下車した。
混雑している駅で男が歩いていると、母親に手を引かれた子供がぶつかってきた。
激高した男は、子供に殴りかかろうとしたが、それをこのカップルが止めたのだ。
男はさんざんこの二人に怒鳴りつけられた。
あろうことか周囲の人間も、カップルの方に賛同した。
――こいつらは、人目もかまわずいちゃつく、品性下劣な奴らなのに――
――俺のほうがこいつらの何倍も、健全で崇高な精神を持ち合わせているのに――
男はこのカップルが許せなかった。
だから二人が人気のない場所に行くまで待ち伏せ、この公園に入った所で襲いかかった。
男は数時間前の怒りを再燃させ、女にとどめをさしにかかった。
彼が身に付けている空いっぱいに広がった「赤マント」は、逃げようとする女より早く回り込みその全身をつつみこんだ。
「潰せ!」
男の声により「赤マント」はめいっぱいに引き締まり、女の骨という骨を砕いた。
青葉は暗い病室の中で、空腹のあまり目を覚ました。
病院の夕食は早いため、健康体である青葉の体では、朝まで持たなかったのだ。
何かないかと寝ぼけ眼で辺りを見回すと、足元の棚にふきが忘れていったせんべいがあった。
しかしいちいち起き上がってスリッパを履き、せんべいを取りに行くのは、寝起きの青葉にとって少々面倒だった。
「どうしようかな」
青葉がせんべいを見つめていると、その袋がガサリと音を立てた。
ゴキブリでもいるのかとますます目を凝らすと、応えるかのようにせんべいは音を立てる。
ついには、袋が棚の上でぐるぐる回転を始めた。
それを見て、これは夢だと青葉は確信した。
どうせ夢なら、せんべいがこちらに向かって飛んできて欲しい。
青葉が考えると、せんべいは本当にこちらへ向かって空中を滑ってきた。
なんていい夢だろう。
青葉はせんべいをむさぼりながらそう思った。
それから4時間後、青葉が目覚めると、ベットの回りはせんべいの空袋だらけであった。
青葉は寝ぼけていたために夢と現実がごっちゃになっただろうと、軽く考えることにした。