第27話:青|緑
体全体に酷いだるさを感じながら、青葉は目を覚ました。
空爆にでもあったかのような瓦礫の山と、誰一人いなくなった客席がいの一番に視界に入る。
これは夢なのだろうかと思ったが、意識がはっきりしていくに連れ自分の身に起きたことを思い出した。
抽選に当たってステージに上がっていた時に、いきなり爆発が起こったのだ。
そこまで記憶を反芻したところで、青葉は我に返ったように辺りを見回した。
照明が落ち、闇に包まれた周りに広がるコンクリートと鉄パイプの海。
火の気がないところを見ると、爆発ではなく崩落事故なのだろうか。
それでも事態が酷いことには変わりなく、場所によっては降ってきた天井の破片が積み木のように重なっている。
崩壊したステージに垂直に突き刺さっている鉄パイプ達は、まるで墓標のようだ。
しかし無事な場所などひとつもないような状況なのに、なぜか青葉の周りには物がほとんど落ちていなかった。
青葉を中心にぽっかりと円が出来上がっている状態である。
単なる偶然なのか、それとも超自然的な力が働いたのか。
青葉には分からなかった。
とりあえず自分の無事が分かりほっとしたが、青葉はすぐに他の二人とリオンのことが気にかかった。
「だれかー。だれかいるー?」
呼びかけても返事をする者はいなかったが、暗闇に目が慣れ、徐々に視界がはっきりしてくると、少し先に倒れているギャル風の少女が見えた。
「大丈夫!?」
青葉は声をかけてから彼女に鉄パイプが突き刺さっているのに気付き、悲鳴を上げそうになる。
慌てて少女のもとに駆け寄ると、身長の倍はあろう鉄パイプが彼女の胸を憎らしいほど的確に貫のが分かった。
湖のように広がった血溜まりが出血の多さを物語っている。
「しっかりして!」
青葉の激励も空しく、彼女は既に息絶えていた。
「そんな……。」
顔色を失った青葉の横には、コンクリートに挟まれて上半身を失った女性の白い足があった。
見覚えのあるスカートの柄から、その足が一緒に抽選に当たった女性のものだと直感する。
近くによって確かめなくても、体半分を潰された彼女がもう亡くなっていることは火を見るよりも明らかであった。
「ああああああ!!」
半ばパニックに陥って悲鳴を上げたせいか、全身から不意に力が抜け、ふらふらと二三歩歩いた後その場に座りこんだ。
彼女らの他にも倒れている人間がちらほら見える。
スタッフや逃げ遅れた観客と思しき彼らは、床に伏したままぴくりとも動かなかった。
「嘘だ。みんな、みんな死んじゃったの!?」
膝を震わせながら何とか立ち上がった青葉は、操り人形のように不確かな足取りで周囲を歩きまわった。
返事に答えるものは誰もいない。
瓦礫の城と化したコンサート会場で、動いている人間は青葉一人だけであった。
「リオン!リオンいるのー!?生きてたら返事してー!」
響き渡るのは己の声だけで、あの甘ったるい彼の声はどこからも聞こえない。
返事ができない状況にいるのか、それとも。
考えてはいけないと思いつつも、最悪の想像が頭から離れない。
「……。リオン死んじゃったの?」
真珠よりも大粒の涙が青葉の林檎色の頬に次々と滑り落ちた。
短い間とはいえ、青葉にとってリオンは共に戦う仲間だった。
意地悪でひねくれ者だったが、突然訪れた彼の死を受け入れることは耐え難い痛みを伴った。
彼が口角の上がった形の良い唇で悪口を並べてくることはもう二度とない。
青葉は静けさが支配する瓦礫の海の中で、自分が生きていることに強い孤独を覚えた。
千代子が死んだときと同じ感覚であった。
流れ落ちる涙は留まるところを知らず、青葉は崩れたステージの上で嗚咽を漏らした。
顔を涙と鼻水でぐしゃぐしゃにしていると、後ろの方でかすかに人の声が聞こえた気がした。
「……。誰か、そこにいるの?」
声がした先には、天井の一部と思わしきコンクリート板の積み重ねでできた山があった。
巨大な板と板の隙間に、誰か閉じ込められているのかもしれない。
青葉は淡い期待を抱きながら瓦礫の山に歩み寄った。
「誰か中にいる?いたら返事して」
分厚いセメントの板の奥で、男性らしき声が答えた。
「そこに……誰かいるの?」
「良かった。今どうなってる?怪我はない?」
「足が動かないから、多分折れてると思う。君は?」
「あたしは大丈夫。待ってて、今助けるから」
青葉は山の天辺を塞ぐようにして覆いかぶさっている一際大きなコンクリート片を眺めた。
これさえどかせば何とか助け出せそうだが、一人で動かすのは無理そうだ。
「ゴメン。あたし一人じゃ無理みたい。今人を呼んでくるね」
青葉はその場を離れようとしたが、それを男性が呼びとめた。
「ちょっと待って。君の名前を教えて欲しい」
「大森青葉。あなたは?」
「えっ!青葉?アオバカなの?」
この場に青葉を「アオバカ」なんて言う人間は一人しかいない。
青葉は置かれた状況も忘れて歓喜の声を上げた。
「リオン!そこにいるのリオンなの?」
「そうだよ。もっと早く気付いてよ」
「ああ。生きてたんだ」
先ほどとは違う種類の涙がこみ上げてきて、青葉は目元を押さえた。
「リオン。あたしすぐ助けを呼んで来るから!痛いだろうけどもう少し頑張って!」
リオンが生きていただけで、随分救われた心地がした。
人がたくさん死んだことに変わりはなかったが、仲間の無事はこれ以上ないくらい嬉しかった。
青葉は救助を求めるために、不安定な足場をなるべく早足で突き進んだ。
乱立する鉄パイプの間をすり抜け、コンクリートの山を乗り越えながら歩いていると、青葉はステージからすぐの所で頭から血を流して倒れている中年の男を見つけた。
男は気を失っていたようだったが、青葉に気が付くとかっと目を見開き、何か伝えようと荒れた唇を動かした。
「大丈夫ですかおじさん!」
彼の視線や呼吸はしっかりしているが、頭を打っている上に大量に出血しているから油断はできない。
怪我の具合を見ようと青葉が近付くと、男はいきなり物騒な台詞を吐いた。
「早く逃げたほうがいいぞ。あと十分でまた爆発する」
驚いた青葉が固まっているのを見て、男はヤニで黄色くなった汚い歯をむき出しながら、かすれた声で続けた。
「俺が仕掛けた爆弾があと十分で爆発するってことだよ」
青葉は彼が頭を打ったショックでおかしくなっているのだろうと思った。
彼のためにも一刻も早く人を呼んでこなければならない。
「おじさん。あたし人呼んでくるから」
「信じてないだろ。俺は本気で言ってるんだ。俺はリオンを殺すために爆弾を仕掛けたんだよ」
「まさか」
「本当だ。特製の爆弾を仕掛けてやった。ほんと大賢者には感謝しないといけねーな」
――大賢者。
一連の発明兵器を使った事件の裏にいると思われる存在である。
この状況で奴の名が出てきたことに、青葉は戸惑いを隠せなかった。
「おじさん、今大賢者って……。」
「言ったよ。この爆弾の作り方を教えてくれたのは奴だ」
「作り方?」
「とても爆弾とは思えない設計図だったぜ。歯車やら真空管やら。かえって揃えるのに苦労したよ」
歯車に真空管。
発明兵器によく用いられている部品だが、本当に大賢者が関わっているのだろうか。
そうだとすると、男は大賢者から爆弾の効果がある発明兵器の設計図をもらい、リオンを殺すために会場にそれを仕掛けたことになる。
にわかに信じられない、いや信じたくない話だった。
目の前にいる男が発明兵器で爆発を起こし、罪のない人々を殺めたというのか。
だが全くの無関係の者なら「大賢者」「爆弾」「歯車」という言葉は会話の中で結びつかない。
青葉の全身から血の気が引いた。
瓦礫の中にはまだリオンが取り残されているのだ。
「あんた、あと十分でまた爆発するって言ったよね?本当なの!?」
「そうだと何度も言ってるだろ」
「どうやったら止まる?」
「あの爆弾に遠隔装置なんざついてねぇ。一旦仕掛けたら止まんないよ」
「それ、どこにある」
「おいおい、お嬢ちゃん探しに行くつもりかい?」
「いいから教えろ!!」
「聞いても無駄だぜ。ステージのあっちこっちに三十個は仕掛けた。十分で外すのは無理だ」
男が最後まで言う前に、青葉はリオンのもとに駆け出していた。
もう一度爆発が起きたら、リオンはきっとコンクリートに押し潰されてぺしゃんこになる。
助けを呼んでいる暇はなかった。
自力で彼を救い出さなければならない。
青葉はリオンの埋まっているセメントの山まで戻ると、中に向かって叫んだ。
「リオン、よく聞いて!」
「あれ?アオバカ助けを呼びに行ったんじゃなかったの?」
「さっきの爆発は大賢者が仕組んだものだ。しかもあと十分でまた爆発が起きる!」
「悪い冗談はやめてよ」
「本当なの!」
青葉のただならぬ剣幕にリオンはしばらく無言になった。
「それが本当だとして、君は一体どうするつもり?」
「あんたを助ける」
「どうやって?一人で岩をどかすのは無理だよ」
「やらなきゃ分からない」
言うが早いか、青葉は蓋をしているコンクリートの端に手をかけ、持ち上げようと踏ん張った。
数百キロはあろうかという巨大なそれは、当然ながら微動だにしない。
「僕もさっきやってみたけど、全然動かなかった。曲がりなりにも女の君にできると思う?」
「リオン、爆発のこと本気にしてないでしょ?できなかったらアンタが死ぬの!」
「いや、爆発のことは信じてる。君の怒鳴り声がここまで聞こえた。だけど無理なことは無理だ」
「アンタ死ぬ気?」
青葉は呆れながらもう一度塊に手をかけた。
足を踏み込み、渾身の力で持ち上げるが、無情にもコンクリートの蓋は動かない。
「アンタも手伝ってよ」
「無駄だよ。僕は足が折れてて踏ん張りがきかない」
「じゃあ何かほかに良い方法が……。」
ろくな道具も時間もないのに、非力な青葉一人でコンクリートの塊をどかす方法なんてすぐに思い浮かぶわけがない。
迫り来る時間の中で冷や汗を流しながら青葉が考えていると、リオンがかすれた声で呟いた。
「君が逃げればいいんじゃないかな?」
「ダメ。十分じゃ助けすら呼べない」
「だけど二人で心中するよりいいでしょ」
「どういうこと?」
青葉が言っていることの意味が分からず、反応を返せずにいると、リオンは呆れたような口ぶりで言った。
「僕を置いて逃げろって言ってるんだよ。僕を助けようとしてここに残ったら、君まで死ぬことになる。二人で犬死するより少しはマシじゃない?」
彼の言葉の意味をやっと理解した青葉は、二人を隔てているコンクリートの壁を目いっぱい蹴りつけ、瞬間的に沸騰した怒りをリオンにぶつけた。
「ふざけたこと言うな!!そんなことできるわけない!!」
「時間がないんだよ!しょうがないじゃないか」
「でも……!」
「僕だって嫌だよ。こんなとこで死ぬのは。だけど助かる人間まで死ぬことないでしょ?」
「リオン」
「早く行きなよ。間に合わなくなるよ」
リオンの言葉は死ぬかも知れないというのに冷静極まりなかった。
助けてくれと泣いて喚くどころか青葉を逃がそうとまでしている。
彼の落ち着いているとも諦めているともいえる態度が、より一層青葉の熱い魂に火を付けた。
「あたし絶対行かない!絶対助けるから」
「なんで?何でそんな一生懸命なの?あ、もしかして君僕の事好き?」
「違う!!」
「じゃあどうして?僕君に随分ひどいことしたと思うよ。そんな人間を命がけで助けるの?馬鹿じゃないの?」
いつもどおり相手を小馬鹿にした態度を取っているが、壁の向こう側のリオンはどんな顔をしているのだろうか。
笑っているはずがあるまい。
彼の声が段々震えてきているがその証拠である。
「アオバカ逃げてよ。二人とも死んだら、オカルト局でまともに戦えるメンバーがいなくなっちゃう。君が生き残って、大賢者を倒してよ」
「あたし一人で戦うのは無理だ。リオンがいないと」
「大丈夫だよ。君は神代家だ。すぐに僕の何倍も強くなる。オカルト局に必要なのは、僕じゃなくて君なんだ」
数日前と言っていることが真逆なのは、極限状態に陥っているからだろうか。
しかし彼の言葉が真実だろうと青葉を逃がすための方便だろうと、覚悟を決めた青葉にはどうでも良いことだった。
「寂しいこと言わないで。アンタがなんて言おうと、あたしここから動くつもりないから。だいたいリオンを置いて逃げたら、つくねさんたちに怒られちゃう」
「だけど……。」
「それにリオンには全国のファンが待ってる。アンタ、女の子何万人泣かせるつもり?」
「……。」
「分かったら一緒に逃げる方法考えて」
助けると断言したものの、五分で蓋をしている岩をどかし、怪我をしているリオンを助け出すにはどうしたらいいか、青葉はまだ見当もついていなかった。
時間も道具も限られている状況で彼を助け出すなんて常識的に不可能だと、青葉の弱気の虫が告げる。
だが常識的に不可能だろうとなんだろうと、絶対にリオンを助けたかった。
夏休みが始まってから普通ではありえないようなことが青葉の身に起こってきたが、周囲の助けを借りつつも、全てそれを乗り越えてきた。
これくらいなんともないことだと青葉は自分に言い聞かせる。
常識的に無理なら常識で考えなければいい。
青葉もリオンも、超常能力者という常識の外に生きる人間なのだ。
「そうだ。念動力を使って岩をずらせばいいんだ」
道具も何もなくとも、二人には念動力という力がある。
これを使わない手はない。
「だけどこんな重たい岩、とても僕の力じゃ持ち上げられない」
「最初から諦めんな!一人で無理なら二人でやればいい」
「君、二人の人間が念動力を合わせて使うことが、どれだけ難しいか分かってる?下手したらお互い相殺しちゃって持ちあげるどころじゃないよ」
「難しくてもやるの!この意気地なし!いい、あたしがいち・にの・さんっていったら持ち上げるの。分かった?」
「分かったよ」
青葉は目を閉じると、瓦礫の山の頂に横たわっているコンクリートの板に向かって精神を集中させた。
今まで持ち挙げたことがあるのは自分の体重より軽いものばかりだったが、ここで失敗するわけにはいかない。
「いーち・にーの・さん!!」
青葉の「さん」という言葉と同時に、巨大なコンクリートの塊は鈍い音をさせながら左右に激しく揺れたが、人一人抜け出せるほどの隙間を作るには至らなかった。
目標の体積と重量が大きすぎるせいで、二人合わせても力が及ばないのだろう。
「ダメだ……。青葉、君は良くやったから早く逃げなよ」
「リオン!」
「手持ちの時計で計ったけど、爆発まであと五分もない。早くしないと間に合わなくなる」
「やだ!リオンを置いて逃げるなんてやだ!」
「アオバカ!死にたいの!?」
青葉だって何も死にたいわけではなかったが、たとえ自分が死ぬとしても、一緒に戦った仲間であるリオンを見捨てて逃げることはできなかった。
青葉にとっては自らの死よりも、良く見知った存在が理不尽な暴力によって永久に失われることの方が辛かった。
ましてやリオンは壁を隔てた向こう側でまだ息をし、語りかけてくると言うのに、それを置いて逃げることなどできるだろうか。
ここで青葉が逃げ出したら、次に会うリオンはきっと亡骸だろう。
それも千代子のときよりずっと酷い、目を背けずにはいられないほど悲惨な亡骸だ。
青葉の脳裏に、体中に無数の穴が開き、そこからおびただしい量の血を流した千代子の姿がよぎった。
彼女はよく頭の中に現れては、まだ生を謳歌している卑怯な青葉を罵る。
なぜお前が生きているのか、なぜまだ生きているのかと繰り返し繰り返し語りかける。
青葉は千代子が殺されてから、その死を防ぐことができなかった自分の無力さを責め続けてきた。
あの日千代子と別れるとき、少しでも引きとめていたら結果は違ったのではないか。
そもそも海水浴に誘わず家で大人しく遊んでいれば、彼女は帰り道に殺されることはなかったのではないか。
後悔は留まることを知らず、いつの間にか青葉は自分が生きていることを間違いではないかと思うようになった。
あの時殺されるべきだったのは、罪のない千代子ではなく青葉なのだ。
表面上何ともないように振舞っていても、自らの生への後ろめたさは青葉の心の中に澱のように積もり続けた。
間違って生きている自分は罪滅ぼしのため、誰かに命を投げ出さなければいけないのだと決意するようになっていた。
だから青葉は絶対にリオンを助け出さなければいけない。
たとえ彼と引き換えに自分が死んだとしても。
「リオン、もう一回試してみよう」
「でも時間が……。」
「お願い。もう友達が死ぬのは嫌なの。リオンはチョコみたいにならないで!!」
無残にも穴だらけになった千代子の死体とリオンの姿が交錯し、青葉は自分でも気がつかぬ間に涙をこぼしていた。
千代子が殺されたときに感じた苦痛を、もう二度と味わいたくない。
もしここで青葉だけ生き延びれば、青葉の残りの人生は全て生きていることへの後悔と贖罪だけに費やされることになるだろう。
「もう嫌だ。また惨めに死に損なうのはいやなんだ!!」
青葉はその細い体からは到底考えられないような大声で叫んだ。