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第26話:塞翁が馬

 オカルト局を訪れた翌日から、リオンはコンサートの最終打ち合わせやリハーサルなどで寝る暇もやっとな生活を送り続けていた。

息をつく間もない生活を送っていれば青葉のことを考えずに済むと思っていたが、それは間違いだったらしく、ほんの僅かに空いた時間でさえ、気が付くと彼女は頭の中に出現していた。


 なぜ青葉のことを話したとき月音が笑い転げたのか、今なら保健の教科書など読まなくても薄々分かる。

だがリオンは段々具体的になりつつある答えを知りたくなくて、なるべく青葉のことを頭から追い出せるように神経全てを仕事に集中させていた。


 気が付いてしまったら、認めてしまったら終わりだと思った。


 リオンは仕事柄、十台半ばにしてたくさんの大人を見てきたため、女がらみの問題で表舞台から消えた人間をたくさん知っている。

芸能人の恋愛スキャンダルは勿論のこと、表に出ない製作現場のスタッフでも不倫や浮気やらのすったもんだで左遷された人間は数知れない。

リオンの属している世界にとって、女は下手したら身を滅ぼしかねない厄介で危険な存在なのだ。


 仕事の問題を抜きにしたって、リオンは人生経験上、女がどんなに俗悪で卑しいものなのかよく分かっていた。

一番身近な女性であるリオンの母親は、手のかかるリオンを嫌い、ろくに食事を与えないばかりか殴ったり罵倒したりを繰り返した。

「こんな子なんていらない」「こんな生活は嫌だ」という言葉を繰り返し言っていたのを今でも覚えている。

父といえば、思い通りにならないと癇癪を起こすようなろくでもない女を愛する余り、リオンが虐待されていることを知りつつも、見て見ぬふりを決め込んだ。

もし月音と始めて出会ったとき、彼女がリオンの足の裏にできたタバコの痕に気付かなかったら、そのうち殺されていたかもしれない。


 だからリオンは性悪でろくでもない「女」という人種と一緒にいるのも嫌だったし、特定の女を愛するあまり我が子さえ見殺しにするような奴にもなりたくなかった。

巷でもてはやされているような「恋愛」も、もちろん結婚して家庭を持つことも真っ平ごめんである。

女と関わるならお互い遊びだと割り切って、恋だの愛だの踏み込まない関係がいいと、リオンは相手をとっかえひっかえできるだけの容姿に恵まれているゆえに、特にそう思っていた。


 だが大森青葉という平凡で可愛げのない少女によって、リオンが今まで培ってきた女性や恋愛に関する考え方は大きく揺るぎ始めていた。

彼女の言葉や仕草、そして存在そのものがリオンが十六年の人生で築き挙げてきた価値観に揺さぶりをかける。

青葉がリオンの心を騒がせるのは、彼女に同じ念動力があるからなのか、月音以外で始めて誠実に接してくれた女性だからなのかは分からない。

しかしリオンは青葉によって自分が不安定になることが気に食わなかった。


 卓越した美貌で華やかに生きるアイドルと、八百屋で店番をしている平凡な女子高生。

もし青葉がリオンに匹敵するような絶世の美女か、月音のような大富豪か、はたまた有力政治家の娘なら納得できただろう。

しかし彼女は駅前商店街に店を構える青果店の一人娘だ。

容姿だって美少女の部類に入るものの、クラスで一番か二番くらいの、リオンと釣り合うには至らない程度だ。

リオンはどこにでもいるような少女に気を取られている自分が納得行かなかった。


 だが冷静な理性に反するように、感情は青葉青葉と喚いている。


 リオンは一年最大のコンサート迫っているというプレッシャーと、青葉についての心労から、本番直前の時期だというのに腹を下した。

昔から腹が弱く、ストレスが溜まるとゆるくなるのがリオンの体質なのだ。


 コンサートのプレッシャー、青葉、そして下痢という最悪のシチュエーションに、苛立ちが限界に達したリオンは、真夜中にもかかわらず腹立ち任せに月音に電話をかけた。

誠治にしなかったのは、何を話したところでいつのまにかアニメの話題に持っていかれるのが目に見えていたからである。


 月音は遅い時間だというのに、いつもどおりの穏やかな口調でリオンに応じてくれた。


「そろそろかけてくる頃だと思ってましたよ」

「何で分かるのさ」

「貴方は単純なので行動が読みやすいんですよ。で、用件はなんですか?」


 リオンは自分からかけておいて、彼女に話す具体的な話題は一つも用意していなかった。

ただ最近溜まった鬱憤をぶちまけてやろうと、後先考えずにケータイをとっただけである。


「青葉さんのことでしょうか」


 何でもお見通しの月音が言うのだからそうなのだろうとリオンは納得し、「うん」と短く返事をした。 


「どうかしたんですか?」

「なんかアイツのこと考えてたらおなか壊したんだけど」

「まぁ。そんな食中りみたいな」

「食中りみたいなもんだよ。最近調子悪いし。アオバカの奴生霊になったんじゃないの?」

「そんなまさか。リオン君が夢中になってるだけじゃないですか」

「夢中って何に?」

「青葉さんにですよ」


 リオンは深夜ということも忘れて、受話器に向かって怒鳴りつけた。


「ちょっと、気色悪いこと言わないでよ!!」

「本当のこと言ったまでじゃないですか。どうせ寝ても覚めても青葉さんのことばかり考えているんでしょう?そういうのこ・い・わ・ず・ら・いって言いうんですよ」


 リオンは月音の言葉にしばらくあんぐりと口を開けた後、思いっきり馬鹿にしたような口調で「はあぁ!?」と叫んだ。


「馬鹿じゃないの?どこの誰が誰に恋わずらいだって?」

「鏑田緑苑君が大森青葉さんに恋わずらいですよ。違いますか?」

「全っ然違う。何でこの僕がそんな間抜けな乙女崩れみたいな真似しなきゃいけないワケ?気持ち悪い」

「全く。そうやって自分の気持ちに嘘をつくから、おなかがねじれて腹下すんですよ」

「青葉が好きなのと下痢は関係ない!」


 一瞬の沈黙の後、受話器の向こうで月音がにやりと笑う音が聞こえてきた気がした。


「……リオン君。言っちゃいましたね」

「つ、つくね……。君って女は――!」

「明日、お赤飯炊いたら持ってきますから。おやすみなさい」


 スピーカーから聞こえるツーツー音が鼓膜に空しく響いた。

してやられた。

そう思った。


 しかし気分が秋晴れのように晴れ晴れしているのはなぜだろう。


 リオンはベットの上に上がって大の字になると、心のもやもやが晴れていくのを感じながら薄暗い天井を眺めた。

自分の押し隠した気持ちに恐怖と嫌悪感を抱いて戦々恐々としていたというのに、不思議なことに一旦それ認めてしまえばどうということもなかった。

青葉を忘れようとして仕事にのめり込み、ストレスを溜めていらいらしていた日々は何だったのだろうかと、リオンはおかしくなって一人で低く笑う。


 本当はもっと早いうちに気がついていたのかも知れないと、今になって思った。

自分の気持ちを直視するのを恐れるあまりに「青葉のことが嫌いだ」と、無意識のうちに自己暗示をかけていたのだ。


「これからどうしようかな」


 リオンは人目を引く顔立ちのため女性経験だけはあったが、ひねくれた女性への価値観のせいで感情に関することは右も左も分からない有様だった。

それどころか青葉に対してこれからどうしたいのかという明確なビジョンさえ思い浮かばない始末である。


 だが今後のことは何一つ分からなくても、彼女に対してこの間のことを謝らなければいけないことだけはリオンも承知していた。

電話で謝ってもいいが、一番効果的なのは直接あって頭を下げることである。

幸い自宅は知っているから、コンサートが終わった翌日の休暇を使って必ず謝りに行こうとリオンは決意した。




―――――――――――――――



 オカルト局を飛び出してから、青葉はまだそのメンバーの誰とも連絡を取っていなかった。

月音とは友達と言って良い間柄だし、金治はそもそも祖父なのだからメールぐらいしても良かったが、オカルト局の未練を断ち切るためにもあえてそうしたのだ。

本当なら今日のライブも遠慮願いたいところであったが、母親との約束なので仕方あるまい。


 青葉はテンション上がりっぱなしのふきに連れられ、都内でも有数の大きさを誇るコンサートホールに到着した。

会場を取り巻くようにして、主に若い女性客で構成された大行列が延々と続いているが、彼女らは皆、間もなく行われる「リオン2008コンサートin東京」を観に来たのだ。

ふきから聞いたところによると、今日の公演には一万人以上の観客動員数が予定されているという。

リオン一人で巨大なホールいっぱいに人が集まってくるのだと考えると、青葉は彼に尊敬の念すら覚えた。


「青葉ー、見て見て。このうちわ自分で作ったのよ」


 ふきは巨大なビニールバッグから、これまた巨大なハート型うちわを取り出して青葉に見せ付けた。

うちわの周りは金色のモールで縁取られており、中央にはもちろんリオンの顔写真がある。


「はい、青葉の分もあるのよ」


 ニコニコ顔のふきを見ると、青葉はそれを受け取らないわけにはいかなかった。

重たくて使い辛そうなうちわだが、蒸し暑い夕暮れにはないよりましだろうか。

しかし特製うちわであおごうとすると、ふきが物凄い剣幕で怒り出したので、青葉は巨大なリオン君うちわを持て余しながら入場を待つ羽目となった。


 五時を過ぎたあたりで入場手続きが始まり、長かった行列はやっと消化されていった。

青葉が入り口でチケットを受付に渡すと、引き換えに英数字の書かれたリストバンドをはめられる。

このリストバンドはホール内でチケットの代わりとなり、書かれた英数字はコンサート中に行われる抽選で使われるらしい。


 青葉が入場手続きを終え、女性ばかりの人ゴミを抜けながら会場に入ると、今日のために特別に設けられたステージが目に飛び込んできた。

なるべく主役がホール全体を回れるようにと張り巡らされた細いステージと、左右に設置された特大液晶パネルがコンサートの規模を嫌でも感じさせてくれる。

メインステージから最後列の客席までゆうに百メートルはあり、後方の席では双眼鏡でもないとリオンの姿を捕らえられそうになかった。

ステージにはまだ誰もいないが、演出用の仕掛けや天井近くまであるライトがそこかしこに顔を覗かせている。


 細長い客席沿いの階段を下り、青葉は鼻息の荒いふきに先導されるようにして指定の客席に辿り着いた。

ステージから数えて三番目の座席である。

無数にある客席数から考えると、奇跡としか思えない好ポジションだった。


「お母さん凄いじゃん。双眼鏡なくても見られるよ」

「そりゃあオークションで必死に競り落としたからね」


 青葉はこの座席のために彼女がいくら費やしたのか気になったが、聞かないほうが心臓のためだろうか。

青葉の疑念をよそにふきは満足げな顔で特等席にふんぞり返っている。

彼女の目は爛々と輝いており、リオンの登場を今か今かと待ちわびているようであった。


「あーあ、早くコンサート始まらないかしら」


 開演まで後二時間近くあるというのに、そわそわとして落ち着きがない。

周りの客を見てみてもふきと大差ない様子で、これから始まるだろう夢の時間に胸のときめきが押さえられないようであった。

聞こえてくる世間話は全てリオンに関係することばかりだ。

この会場にいる人間それぞれが、リオンというたった一人の少年に夢中になっていることが良く分かる。

ホール内の客は若い女性がほとんどだが、ふきのような中年女性もたくさんおり、中には還暦を越して久しいような老婆までいた。


 年齢も様々な彼女達は、彼のどういう点に魅力を感じて惚れ込んでいるのだろう。

見目形が良いだけではこれだけ多くの人間の心を奪うことはできない。

リオンには容姿以外にも特筆すべき何かかあるのかもしれないと、青葉はようやく彼の持つ一種のカリスマ性に気がつき始めていた。


「お母さんは、リオン君のどんなところが良いと思うの?」

「そりゃ美しいところでしょ」

「それだけ?」

「他にも理由はあるわよ。まだ若いのに言うことがしっかりしてるし。バラエティでも切り返し上手だし……。」


 ふきは少しも考え込まず、ぺらぺらとリオンの良い所を挙げていく。


「なによりこう、華があるのよね。顔じゃなくて全身的に。パーッとあふれ出るような感じで。よく芸能人はオーラがあるって言うじゃない?それが凄いあるのよ。それに惹きつけられちゃうのよね」

「へぇ」

「アンタは鈍いから気が付かないのかしら。あれはもう一種の超能力よ」

「超能力!?」

「馬鹿ね。たとえよ。まさかリオン君がスプーン曲げなんてするわけないじゃない」


 スプーン曲げどころか人間一人吹き飛ばしてしまったりする。

青葉は真実を知らないふきに苦笑いしか浮かべられなかった。


 それからふきによる「リオン君の魅力講座」「リオン君ファン入門編」「リオン君ファン応用編」の講義が始まってしまい、青葉は話を振ったことを後悔した。

青葉がしつこい講義に半ば洗脳されかけた頃、ようやくコンサートの開演時間となった。

ホール全体の照明が落ち、耳をつんざくようなBGMが流れ始める。

リオンがステージの下から現れたかと思うと、爆発したかのように観客席が涌きあがった。


「みんな今日は来てくれてありがとー!」


 派手なステージ衣装に身を包んだリオンが、客席全体に向かってにこやかに手を振っている。

ステージ用の化粧をしているせいか、それとも幾重にもスポットライトを浴びているせいか、彼の姿は今まで見たどれよりも輝いていた。

どうやって隠したのか、いつもオカルト局で見せるスネた子供のようなそぶりは微塵もなく、十台半ばとは思えない大人びた雰囲気を醸し出している。

今舞台に立っているリオンは紛れもなく「アイドル」だった。


「ぎゃああ!!リオンぐーん!!」


 ふきが感激のあまり、たわわな二の腕の肉を震わせながら両手を大きく振り回したため、青葉は頬に何度もエルボーを食らわされた。


 観客の興奮と会場の熱気もそのままに、コンサートは進行していく。

リオンの歌に合わせて青葉はうちわやペンライトを振らなければならなかったが、ふきのスパルタ特訓のかいあって、合いの手や振り付けを間違わないで済んだ。


「リオンくーん!!サイコ〜!きゃあああ!!」


 ふきの耳をつんざくような悲鳴も、周りの客の同じような声に完全にまぎれてしまう。

リオンが少しでも自分のいる方向を向けば、皆待ってましたとばかりに大声を上げ、千切れんばかりに腕を振った。

中には嬉しさと興奮のあまり半泣きになっている者さえいる始末だ。


 しばらく激しい曲が続いた後は、双方の疲労を考慮してのことだろう、トークの時間が始まる。

眩しいばかりだった照明が暗いものに変わり、客たちも慣れたもので素直に席に座り始めた。

リオンはステージの中央に用意されている椅子に座ると、長い足を組んで語り出す。


「僕、先日友達と喧嘩しちゃったんですよ――」


 リオンの話もそっちのけに、やっと席に座れた青葉はエルボーで腫れ上がった右頬を押さえた。

鈍い痛みを感じ、鏡を見たら絶対に赤くなっているだろうと確信する。

コンサートはやっと半分まで進行したところである。

終わるまでにあと何回肘うちを食らうだろうかと、青葉は今から憂鬱になった。


「アンタ、リオン君の話ちゃんと聞いてなさいよ」

「……。お母さんが悪いんじゃん」


 リオンは一通りトークが終わらせると、始終にこやかな様子で舞台裏に引っ込み、入れ代わりでスタッフによる抽選大会が始まった。

一万人以上いる観客の中からたった三人にだけ、リオンのサインやグッズが当たるという。

当選者は休憩時間の後ステージに上がり、リオンから直接プレゼントを手渡してもらえるそうだ。


「絶対当たりっこないわよ。こんなの」


 青葉もふきの意見に同感だった。

一万分の三の確立で賞品を手にできるのは、よっぽど運の強い人間に違いない。


 冷めた二人をよそに、中央に設置された巨大パネルを用いて抽選が開始された。

専用の機械によって選ばれた「sG18384」という文字列が、スタッフの手によってパネルに貼り付けられる。

青葉は念のため左手首のバンドを眺めたが、かすりもしない数字が並んでいるだけであった。

しばらくして後方から抽選に当たったと思わしき女性の歓喜の声が聞こえた。


「運がいいのね〜」


 ふきが口を尖らせて羨ましがる。

会場中に妙な期待感を漂わせたまま、次の番号を機械が選び出した。

「Aw73928」の文字がパネルに掲げられ、幸運なる当選者が出てくるのを待っている。

青葉は少なすぎる確率に馬鹿らしくなってきていたので、リストバンドを見ることもしなかった。


「ちょっと、青葉これっ!!」


 ふきが痛いほどの力で青葉の腕を引っ張った。 


「もしかして当たったの?」

「アンタが当たったのよ!!」


 半信半疑で青葉が右腕をみると、そこには「Aw73928」が確かにプリントされていた。


「ええっ?ウソ!!」


 青葉は何度もリストバンドをを確認するが、文字列は変わらないままである。


「なんでアンタが当たるのよー!!」

「そんなこと言ったって」


 できることならリストバンドをふきと交換してあげたかったが、ビニール製のそれは一度外すと切れてしまうようになっていたので不可能だった。

騒ぎを聞きつけてそばにいたスタッフが駆け寄ってくる。

信じられない気持ちのまま、青葉はスタッフによって当選者用のスペースに連れて行かれた。


 「ここでお待ちください」と言われ、青葉はステージの影にあるベンチに座らされた。

ベンチには既に先客がおり、上品そうな初老の女性が縮こまっている。

彼女は同じ境遇の青葉が来たせいか安心したらしく、ほっと顔をほころばせた。


「私、実は孫の代わりに来たのよ」


 女性は申し訳なさそうなそぶりであった。


「楽しみにしていたのに夏風邪を引いてしまったの。それでおばあちゃん代わりに見てきてって。大したファンでもないのに、こんなのに当たっちゃって他の人に悪いわ」

「でも、この話をしたらお孫さん喜びますよ」

「そうね。もらった物も孫にプレゼントすることにするわ」


 少しするとスタッフによって三人目の当選者が連れられてきた。

青葉と同い年くらいの女の子で、けばけばしい化粧を顔面に施した、いわゆるギャルであった。


「あ〜、みなさんも当たったんスか?あたしらチョーラッキーですよねー」

「ええ、そうね」

「なんか人生最高の日って感じですよねー。でもチョー緊張するー」


 そう言って笑う彼女の指先がかすかに震えているのが分かる。

考えて見ればあと数十分で、一万人が見守るステージの上に放り出されるのだ。

やっと事の重大さを理解した青葉はここから逃げ出したくなったが、そんなことふきが許すまい。

「お母さんに当たれば良かったのに」と青葉は繰り返し呟きながら、来たるべき時を待った。


 一万分の三の確率で選ばれた青葉達は、休憩時間が終わるとステージに立たされた。

舞台に出ると観客席の様子が嫌と言うほど分かる。

羨望と嫉妬の入り混じった二万の瞳が、幸運な青葉達を蜂の巣になるほど見つめていた。


 まさかリオンとこんな形で再会することになろうとは、常識外の出来事に慣れ始めていた青葉も戸惑うばかりであった。

思わず彼とは変な縁でもあるのかと勘繰ってしまう。

せっかくオカルト局への未練が断ち切れそうだったのに、またぶり返してしまいそうだ。

青葉は本人を前にしたらずっと下を向いていようと思った。


 ステージに立たされた青葉の緊張がピークに達した頃、ステージの上にリオンが再登場した。

先程の派手な衣装とは違い、V字に襟の開いたYシャツと、高級そうな黒いスーツで身を固めている。

会場内は冷房が効いているとはいえ、ライトの下で長袖長ズボンはさぞかし暑かろうが、当の本人は涼しげな笑顔で三人を出向かえてくれた。

ステージ用の化粧のせいか、間近で見る彼の姿は青葉でさえ息を飲むほど美しい。

一分の欠点もない端整な顔立ちと、周りを引きこんでしまう雰囲気はまさに人間離れしている。

ふきの言うとおり、ある意味超常能力と言って良かった。


「今日は僕のライブに来てくれてどうもありがとう」


 リオンは見る者を虜にしてしまうような微笑を浮かべると、しなやかな首を見せ付けるようにして頭を傾けた。

十六歳ならぬ彼の色香に、青葉の両サイドからため息が上がる。

青葉も緊張のせいか、それとも照りつけるライトのせいか、体がじりじりと暑くなった。


「ここにいる三人の方には、ファンの皆様の代表ということでプレゼントを送ります。ほんとは皆にあげたいんだけどね」


 観客席に向かって投げかけられた最後の台詞に、あちこちで悲鳴が上がった。


「じゃあ、皆さん一人ずつ前に出てきてください。抽選で選ばれた順に」


 まずは初老の女性がリオンの前に立ち、彼の手から直接紙袋に入ったグッズを受け取った。

その際に彼から手が差し出され、女性は少女のように顔を赤らめながらおずおずと握手に応じる。

この出来事は孫への良いお土産話になるだろう。


 女性が舞台から下がり、青葉の番がやってくる。

しかし青葉は一万人に見られているかと思うと、緊張のあまり心臓が跳ね上がって、中々足を前に踏み出せなかった。


「ふぅん。緊張してるんだ」


 リオンの何気ない一言が、いつものようにこちらを馬鹿にしているみたいに聞こえ、青葉はにわかに悔しくなった。

このままでなるものかと棒になった足を心の中で叱咤激励し、何とか一歩を踏み出そうとする。

その時、頭の上で金属がこすれ合うような妙な音がした。


 ――なんだろう?


 青葉が思わず立ち止まり、上を向くと、周囲に鼓膜を破るような轟音が響いた。

目の前で驚いているリオンの様子からして、これが演出でないことに気付く。


 もう一度、今度はさらに凄まじい爆発音が響いた。

足元が震動したかと思うと、上から機材と思わしき黒い塊と、スチールのパイプが次々降ってくる。

青葉の耳に観客の悲鳴が届いたと同時に、三度目の爆発音が響き、天井が壊れたのか、コンクリートの塊が容赦なくステージに降り注いだ。


 砕けた巨大なコンクリートの直撃を受け、莫大な費用をかけて作られた特設ステージはあっと言う間に崩れていった。

取り残された青葉達を崩壊したステージや機材、そしてコンクリートの塊が容赦なく狙い打つ。

頭上から雨あられと降ってくる凶器たちに青葉は逃げることもできず、ひたすら体を小さくするしかなかった。

突然の出来事に、これが事故なのか故意なのか、考える余裕さえない。


 止めを刺さんとばかりに四度目の爆発が起き、青葉の横に数トンはあろうかという巨大セメントが落下した。

三角形の形をしたそれは一旦床に突き刺さって止まったかと思うと、バランスを崩し、青葉に向かって倒れ掛かってきた。


「え、うそ」


 青葉が逃げ出そうとしたとき、コンクリートは既に鼻先まで迫っていた。

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